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    3.9 (日) 7:00

「あ、シャワー終わった?」

 朝食をセッティングしながら奈緒が言った。

「適当に座っててね」

 と真央に着席を促す。


「あ、俺も手伝うよ」

 真央はキッチンへと向かうが


「大丈夫だよー」

 奈緒はにこにこ笑いながら、真央から食器を取り上げた。

「あのね、マー坊君はうちの同好会のコーチなんだから。朝食の準備も含めてコーチ料に入ってるんだからねー」


「いや、だけど」

 真央は再び奈緒から皿を受け取ろうとしたが


「いいの」

 奈緒はそれを拒否し

「いいからいいから。早くテーブルについて」

 そして真央の背中を押して席に着かせた。 


「いいのか? 経験がねーんだから大したコーチもできねーかもしれねーのに」

 真央は遠慮がちに手伝いを申し出、席を立とうとしたが


「そんなことないよ」

 奈緒の言葉はそれを押しとどめた。

「プロを目指して努力して来た人が一緒に練習してくれるんだもん。それだけでもう十分」

 今朝目の当たりにしたシャドウのキレ、奈緒は真央にコーチを任せたことは間違いではなかったと確信していた。


「そうか」

 そういうと真央は促されるままに着席した。

「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ」


「うん」

 そういうと奈緒はにっこりと笑った。

「それにマー坊君のジム探しとか、わたしのせいで中断させちゃったんだから。これくらいはさせてよ」


 奈緒は少し気にしていた。

 本来ならば、真央は自分の夢、プロボクサーに鳴るという夢をかなえるために上京してきたのだ。

 自分のわがまま、同好会の活動のために真央のその夢の実現を中断させたのだ。

 奈緒のほうこそが、真央に対して謝りたい気持ちだった。


「そんなことねーって」

 その奈緒の気持ちを察したのか、真央は奈緒に言葉を返した。

「この家に住まわせてもらうのも、もともとが俺のわがままみてーなもんだからな」

 いろいろな誤解はあったが、奈緒が自分のために骨を折ってくれたからこそ、この釘宮家に居候することができたのだ。

 感謝しても感謝しきれない。

「それに俺、家事とかぜんぜんできねーし。とにかくコーチ位は精一杯やらしてもらうわ」


 奈緒は大きくうなずき

「期待してるからね」

 小さくガッツポーズを作り言った。

 



 そして目の前に朝食がセッティングされると

「おおー」

 真央が歓声を上げた。

「これ奈緒ちゃんが作ったのか。うまそーだな」


「そ、そんなことないよ。そんなこといってくれるの、マー坊君ぐらいだよ。わたしなんか、本当に、本当になんにもできないんだから」

 と奈緒は否定したが、その顔はほころんでいた。


 一粒一粒の粒が輝く白米に油ののったホッケの一枚、ほうれんそうのお浸しにわかめの味噌汁、昆布だしの湯通しで温めた木綿豆腐。

 昨晩の夕食が高級ホテルのディナーだとすれば、こちらは老舗旅館の朝食といったところだろうか。


 これほどの料理を作りながらも、それでも謙遜するそぶりを見せた。

「ご飯作るのだってなんだって、全部桃ちゃんのほうが上手なんだよ。わたしなんか、それに比べたらなんにももできないのとおんなじだよ。勉強も、運動だって」

 その様子は、どこか卑屈さを感じさせた。

「けど、お口に合うなら、それで十分嬉しいな」

 そしてさらに食器をテーブルの上に並べ始めた。

「あ、マー坊君、ごめんごめん。ちょっと待って」

 そういうと奈緒は真央の茶碗を戻し、さらにご飯を大きく盛り上げた。

「ウェルター級位だよね?これくらい食べないと体維持できないんじゃない?」


「おお、さっすがボクシング同好会マネージャー」

 というと真央はその茶碗を受け取った。

「しっかし、あの一瞬だけでよく俺がウェルター級ってわかったよな」


「え?え、え、えっとね……」

 その言葉を聞くと奈緒は顔を真っ赤にして頬をかく。

「大体、それくらいかなーって。えへへへ、なんとなく、なんだけどね……」

 じっくりと体を眺め回し、肉付きを分析した結果、とは口が裂けてもいえなかった。


 ガチャリ、リビングのドアが開けられると

「あ、今日はちゃんと準備できてるじゃないか」

 シャワーから上がった桃がタオルを肩に入室し

「いつもはあたしが手伝ってあげないとまともに準備もできないのに」

 といって食卓に着いた。


「そんなことねーよ。一人でこんだけの朝飯作れんだぜ? 十分すぎんだろ」

 とすかさず真央は奈緒をフォロー。


「えへへへへ、ありがとー」

 その奈緒の言葉に奈緒はくすぐったいような顔をした。

「まあまあ、とにかく準備はできたんだよ? はやくご飯にしようよ。ね?」


「そうだね」

 その言葉に促されるように桃も席へと着いた。

「それじゃ」


 三人は手を合わせ

「「「いただきます!」」」




 

「いやー、うまかったわ」

 真央は腹を押さえて満足そうだ。

 その言葉にうそはない。

 どちらかといえば、桃の作った洋食よりも、今朝奈緒が作った伝統的な和食のほうが真央の嗜好に合った。

「奈緒ちゃん料理の才能あるんじゃねーの?」


「そんなー、褒めすぎだよ」

 慌てて奈緒はその言葉を否定したが、満更でもなさそうだ。

 普段は桃と二人っきりで、機械的にこなしてきた調理。

 それをこれほどまでにほめてもらえるとは、真央の言葉がくすぐったくも心地よい。


「朝から食べすぎじゃない?」

 桃がコーヒーカップを真央の前に置いた。

「ボクサーが減量考えなくていいのか?」


「あ、サンキュ」

 というと真央はゆっくりとコーヒーの香りを楽しみ

「ま、俺は中量級だし、そんなに心配する必要はねーよ」

 そしてそれを一口含んだ。

「そもそも俺さ、運動してるのもあんだけど、どんだけ食っても太らねーんだよな。だから少しでも飯ぬくと、すぐやせちまうんだ」


 それは嫌味ではなく、事実だった。

 全身が筋肉の塊である真央は、通常の男性よりもはるかに基礎代謝が高い。

 あえて食事を大量に摂取しなければ、ウェルター級の体重を維持することはできないのだ。


 ふうっ、吐息が漏れる。

「うめーな。このコーヒー」


「桃ちゃんのコーヒー、おいしいでしょ?」

 と奈緒がにこにこと笑い

「あたしも大好きなんだよねー」

 くるくると、スプーンを回した。


「あはは、何言ってるんだ。ミルクと砂糖入れなきゃ飲めないくせに」

 と桃は微笑みかけた。


「えへへー」

 奈緒は照れ笑い。

 たっぷりの砂糖とミルクを投入したコーヒーを一口含むと

「でも、ほんとにマー坊君、減量とか考えなくていいの?」


「むしろ増やしたいぐらいだぜ」

 全国の女性をて敵に回すような発言だった。

「ゆくゆくはスーパーウェルター、ミドルまで上げたいからな」

 そう言うと再びコーヒーカップを口元に寄せ、その香りを堪能し一口含む。

「ナチュラルウェイトをそれぐらいまで持ってきておきてーんだ」


 プロボクサーは、試合に合わせて減量をする。

 その量は人にもよるが、およそ5キロ、多くて10キロ程度に及ぶ。

 そして軽量が終わると、試合の時、リング上ではその体重をもとに戻している。

 ミドル級ボクサーとはいえ、リング上ではそれ以上の体格である場合が多い。

 ミドル級ボクサーであるならば、平常時で80キロ近い体格を維持しなければならないのだ。


「じゃあ、マー坊君は三階級制覇目指しているんだ」

 奈緒が訊ねる。


「ああ。日本人初の中量級での三階級制覇になる男だぜ、俺は」

 にやりと笑い、胸を張った。


 その様子は、自信というよりも確信に近いものだった。

 自分自身の強さに、絶対的な自信とプライドを持っていることが伝わってくる。

 現在世界では4つの主要団体のベルトが存在する。

 1960年代初頭にWBAからWBCが分裂して以降、主要タイトルすべてを含めれば、世界チャンピオンが同一階級に4人も存在していることになる。

 世界チャンピオンになるための難易度は、半世紀前と比較して格段に下がっている。

 ゆえに、現在の世界チャンピオンたちはただベルトを取っただけでは満足しない。

 複数階級を制覇してこそ偉大なるチャンピオンとみなされるのだ。

 日本でも近年三階級制覇をしたボクサーは増えている。

 しかし、それは相対的に人口がアジアや中南米に偏る軽量級のみだ。

 日本人チャンプを一人も排出していない、ウェルター級をはじめとする中量級において三階級制覇をしたボクサーはいない。

 真央はこともなげに言ったものの、それは前人未到の難易度といっていいものだった。

「しかし、女の人ってやっぱり料理うめーんだな。女の人の作った料理食ったのはどれくらい前だろうな」


「自分では作らないの?」

 と奈緒が訊ねるが


「いやー、実家じゃじーちゃんが作ってくれてたし。家庭科とかでも他のやつに作らせたてたしな」

 そう言うと頭をわしわしと掻き毟った。

「まともに作った記憶がねーよ」


「あのさ、君、プロのアスリートになろうって人間がそれでいいのか?」

 桃は呆れた様子だった。


 桃自身も陸上部に所属するアスリートであり、日々身体能力を向上するための栄養摂取には神経を使っている。

 真央の発言は、アスリートの風上にも置けないものに桃には響いた。


「簡単な料理くらい勉強しておいたほうがいいんじゃないのか?」


「んー、確かに」

 真央は腕を組んだ。


「じゃあさ、桃ちゃんから教えてもらえばいいよ!」

 無邪気な笑顔で奈緒が言った。

「桃ちゃんさ、昨日で分かったと思うけど、すっごい料理上手なんだから」

 

「なんであたしなんだよ!」

 桃があわててその発言を打ち消そうとした。


「あー、桃ちゃん照れてるー」

 そのあわてる様子を見て、奈緒はけらけらと笑った。

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