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    5.23 (土) 9:50

――シュゥゥ……ン――


 流線型の機体は、毎時300キロメートルのスピードで滑らかに空を裂く。

 微細な揺れすらもほとんど感じさせない快適な新幹線の車内


「……くわぁっ……」

 向かい合わせの座席で大きなあくびを一つ。

 退屈そうな表情を隠そうともしない、秋元真央だ。

「つーかよ、俺らが行く必要あったか? このガキ……紫に金渡して新幹線に乗せりゃいい話じゃねえか」


「そうだね……送らなくちゃいけないとは思ってたのは確かだけど……」

 やや心配そうな、どこか不安げな面持ちで桃は言った。

「別にマー坊とか奈緒、あんたまで来る必要なかったんじゃないのか? そもそも、あたし一人で紫ちゃんを送るつもりだったんだからな」


「えー、でもいーじゃん。どうせ二週間後には関東大会で群馬県に行くんだしさ」

 木の枝をかじる小動物のように、こりこりぽりぽりとプレッツェルをかじる奈緒。

「下見くらいはしておいてもいーんじゃない? もともとほら、偵察に行くつもりがいけなかったわけだし。それに、紫ちゃんも楽しんでるみたいだしさ」


「楽しんでる、ねえ……」

 なぜか楽しそうな奈緒から視線をその隣にずらすと、にこにこと無邪気に窓の風景を眺める紫の姿が。


「うわー、紫、実は新幹線乗るのって、初めてなんだよねー」

 オレンジジュースのペットボトルを片手に、小さな旅行気分を楽しむ紫。

「東京出てくるときも、高崎線乗り継いできたからさ。それにあたしんち家族で旅行行くとかそういう環境じゃなかったから、なんか家族旅行しているみたいで、ちょー楽しい!」


「え? 紫ちゃんも?」

 振り向く紫の顔に飛び込んだのは、ほぼ同年代の女子高校生の笑顔。

「えへへへへー、実は、わたしもなんだー。桃ちゃんと旅行行くなんてなかったし、そもそもお母さんがメタに変えてくることがないから、なんだかすごく楽しいねー」


「……ちっ」

 奈緒と紫のその表情、そして言葉に何かが引っかかったのだろうか、真央は小さく舌打ちをして通路反対側の車窓に視線を移した。


 その様子を桃は目ざとく見つけ、やはり以前から感じている胸騒ぎがいよいよその中で大きくなっていくのを感じた。

 例の夜の事件、そして断片的ではあるが紫から聞いた、神埼桐生の彼女“綾子”の存在。

 少なくともこの男を群馬に連れて行ってはいけないのではないだろうか――

 いまさら考えてもどうしようもないことではあるが、やり場のない不安が胸から去ろうとはしなかった。

 

 パキン、コクリ――


 桃はペットボトルのお茶のふたを開け、そして一口喉を潤し、ふう、小さくため息をついた。

 憂鬱な気分を隠せない桃の前で、いつの間にかすっかり仲の良くなった奈緒と紫がお菓子を分け合って喜んでいる。

 あまりにも無責任な二人の少女の無邪気さに、桃は一瞬苛立ちを覚えたが、しかしそのかわいらしさになにも言い出せなくなってしまった。

 ちらり、腕時計に目を落とす。

 走り出したばかりの新幹線、目的地の高崎駅に到着するまではおよそ一時間弱。

 早くついてしまいたいような、そうではないような、アンビヴァレントな感情が桃の胸に去来していた。

 すると、スッ、桃の目の前に、プレッツェルの箱が差し出された。

 その人物に目をやれば


「ほら、桃姉さんも食べなよ。なんでそんな思いつめた表情してるのさ」

 得意げな顔の神埼紫。


 その言葉に桃は応じることなく、無言で見透かすように紫を見つめる。


「いらないの? おいしいのにさ。んじゃ、奈緒、食べなよ」

 その桃の視線をはずすようにして、とぼけた表情で奈緒のほうを向く。

「あーあ、またあの度田舎で暮らさなくちゃならないのかー。結局ほとんど東京で遊んだりできなかったしなー」


「あ、ありがとー。……ん、んんっ……そっかー、でもほら、やっぱり紫ちゃんまだ中学生だし」

 こりこりとプレってるをかじる奈緒は、紫を慰めるかのようにそういった。

「また夏休みとか、いつでもいいから遊びに来てね? いつでも待ってるからねー」


「えー、なんかそんなに待てない感じ」

 すると紫は、奈緒の顔を覗き込むようにして訊ねる。

「ねえねえねえ! あんたたちの学校、聖エウセビオって、偏差値高いんでしょ?」


「……んー、っと、まーねぇ……」

 普段勉強をするように桃にどやしつけられてばかりいる奈緒だったが、それでも一般的に見ればかなり学力は高い部類に属する。

 そう痛い未では、やはり聖エウセビオ学園は進学校と言うべきだろう。

「あたし自身はそんなに頭よくないけどー、桃ちゃんとか葵ちゃんとか見れば、やっぱり偏差値は高いんじゃないのかなー」


「じゃあさじゃあさ、編入試験とかってやってないの?」

 目をキラキラ輝かせてゆかりは更に訊ねる。

「あんな綺麗な校舎の学校、紫も通ってみたい! たとえ編入できないとしても、高校から通いたいなー」

 

「んー、そうだねー」

 奈緒は首を傾げて思案する。

「編入試験があるかどうかはわかんないけど、うちの学校遠距離から通う人向けの寮も充実してるし、そういう点ではいーんじゃない?」


「マジで! あーあ、早く東京で暮らしたいなー」

 聖エウセビオの制服に身を包み、東京の学校に通う自分の姿を思い浮かべ、それに酔いしれる紫。

「……でもまあ、あの頑固兄貴が許してくれるかどうか……今から説得の準備しておかなくちゃ……」 

 

「きょうだいだもの、心配するのは当たり前だよ」

 ぷう、ペットボトルのお茶をごくごくと喉に流し込むと、侵しがたい威厳を持って言い放つ。

「まあ、神崎君に……お兄さんに反発したい気持ちってのもあるんだとは思うけどさ、心配させちゃだめだよ。帰ったらきちんとお兄さんと話し合いな。進路のことも……今回のこともきちんとね」


「は、はーい。分かってますって」

 桃のその真剣な表情に少々のおびえを覚えたものの、それをやり過ごすかのようにおどけた表情を紫は見せた。

「大丈夫、大丈夫。今回のことで少しストレスも解消できたし、それに……まあ、秋元がどんな男か、知ることもできたしね」


 その紫の言葉などまるで耳に届くこともなく、真央は口をあけ、いびきをかきながら居眠りをしていた。


 その様子に、むすっと頬を膨らませた紫は


 ガンッ!


「ったっ!?」


 思い切り真央のむこうずねを蹴り上げた。


「っだよこら!? 人が気持ちよく寝てんのに、誰だ足蹴り上げやがったのは?」


 その真央が目を覚ますか覚ますか覚まさないかの一瞬で、くうくうと狸寝入りを決め込む紫。

 その様子を苦笑しながら眺める奈緒。

 しかしただ一人、桃のみが人差し指を目じりで押さえながら、眉間にしわを寄せ胸騒ぎを抑えようとしていた。




「あー、つい何日か前なのに、すっごいなつかしい感じがするー」

 セーラー服姿で、ぐいと背筋を伸ばす紫。

「でもなー、ここからまたしばらく鈍行で帰らなくちゃいけないんだよなー。あーあ、東京みたいに何分間か一本くらいで電車が走ってればいいのに」


 新幹線の改札を降りた駅の構内。

 右手には立ち食いそばと弁当の販売所。

 地方駅にしてはかなり大きめのその駅には、大奥の人々の行き来で混雑していた。


「へー、なかなか大きな駅なんだね。それに山とかも近くに見えるし、なかなかいいところなんだね」

 同じく、ミニスカートをひらりとまわし、にこにこと上機嫌で周囲を見渡す奈緒。

「ねえねえ、桃ちゃんもマー坊君も、関東大会でここに来るんだよね? 陸上部とボクシング同好会、同じ宿舎だといーねー。えへへへへへー」


「そんなことよりも」

 こちらはそのすらりとした長い足を強調する、スキニーなジーンズ姿の桃は両腕を組み仁王立ち。

「とりあえず、あたしは紫ちゃんをお兄さんの、神崎選手の所まで送り届けるから。あんたたちは試合会場の見学があるんだろ? だったらそっち行ってなよ」


「えー、でもせっかくだから、わたし、最後に紫ちゃんをお見送りしたいんだけどー」

 そうこぼす紫に対し


「この闘争本能の塊のような男が、対戦相手を目の前にして普通でいられると思う?」

 ごしょごしょと耳打ちをする桃。


「んー」

 ちらり、奈緒は退屈はそうに生あくびをする真央を横目で見る。

「……確かに……」 


「そういうこと」

 その言葉に、桃は満足そうに胸を張った。

 しかし、その理由は他にもあるのだが、桃はあえてそれを伏せることにした。 

「さ、紫ちゃん、あたしたちはまちあわせの――」


「……うんうん……そうそう……うん。改札の前……そうそう、お蕎麦屋さんの」


「紫ちゃん?」

 桃の問いかけを無視し、楽しそうに手痛い電話に話しかける紫。


 その桃の問いかけにようやく気づいたのか、紫は

「うん。それじゃあもうすぐだね。待ってるからよろしくー」

 ちらりと桃の表情を確認しながら電話を切った。

「ごめんごめん、紫、待ち合わせの場所間違えて伝えちゃったみたいでさ、兄貴の彼女、もうすぐそこまで来てるみたい」


「えっ?」

 その言葉に、桃は驚愕し紫の細い肩を掴む。

「ちょ、ちょっと! どういうことだよ! 話が違うじゃないか! あたしと紫ちゃんの二人で、お兄さんのところに送り届けるって約束だったじゃないか!」


「ちょ、ちょっと桃ちゃん! どうしたの!?」

「そうだぜ桃ちゃん、桃ちゃんの馬鹿力でそのガキの肩なんざ掴んだら――がっ!?」


 真央の顔に右拳をめり込ませる桃。

「あんたらには関係ない! いいからさっさと会場見学に――」


「紫ー、お待たせー。その人たち?」

 もみ合う余人の背後から、おっとりとした、やや聞きなれないイントネーションの言葉が響く。

「もう、心配したんよ。あたしだけじゃないんよ? お兄ちゃんにまで心配かけたらいけんよ」


「あ! 綾子さん!」

 桃の腕を振り払うようにして、その声の人物の元に駆け寄る紫。

「紹介するね。この人たちが、紫を留めてくれた人たち。釘宮桃さんに、釘宮奈緒さん」


「ああ、ほんまに、この子がえろう迷惑かけましたね」

 そういって、深々と礼儀正しく頭を下げる綾子。


「あ、いえいえ、こちらこそ」

 混乱をかろうじて押さえ込む桃を尻目に、こちらも深々と頭を下げる奈緒。


「それでね、その奥にいるのが、二人の親戚の――秋元真央、だよ」

 そして、紫は最後に真央を綾子に紹介する。


「あ、秋元真央さん、あなたにも――」

 またもや折り目正しく頭を下げる綾子に対し――


「てめ-は――綾子――」

 真央は目を見開き、体を硬直させ呟いた。


「え?」

 その声、その言葉に頭を上げる上げる綾子。

 その視線に会ったのは、綾子にとっても懐かしい顔。

「……もしかして……まーちゃん?」


「? どういうこと? 二人はもしかして、知り合いなの?」

 

 驚きの表情を浮かべる奈緒をよそに、桃は胸によぎる不安が的中したことに爪をかんだ。

 そして、これ以上何事もおこらないで欲しい、その不安はもはや祈りへと変わっていた。


 紫だけが、そのかわいらしい口元の端に小さな笑みを浮かべていた。

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