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    5.21 (木)18:45

「ええ? そうなんすか?」

 紫の言葉に、慌てて振り向きもう一度スクリーン上の女性を凝視するレッド。

「……成程……あ、改めてみると、とても綺麗な女性ですね……神崎選手……ゆ、紫さんのお兄さんもかなりのイケメンですから、美男美女って感じで、いいっすねぇ」


 そのレッドの言葉に、紫はふふんと鼻を鳴らし、そしてぷいと体を翻す。

 その動きに、中学生のものにしてはやや短すぎるセーラー服のスカートもまたひらりと揺れる。

「まあ、確かにうちの兄貴は……妹から見ても、うん、イケメンだと思うけど」

 トントントンッ、ステージ上部から突き出した木製の階段を、硬いラバーのソールが鳴らす。

「けど、秋元だってかなり格好いいと思うよ。兄貴にも負けないくらい。そう思わない?」


「そ、そうっすね!」

 勢いよく振り返ったレッドは、硬く拳を握り締め、鼻息荒く返す。

「そ、そうなんす! じ、自分は、さっき言った通り、マー坊先輩を、ヒーローだと思ってますから! ほ、本当に格好いいと思います!」


「そう。じゃあさぶーちゃん、紫、質問があるんだけど」

 そういうと紫は振りかえり、小さくほえ見ながら訊ねる。

「もし、綾子さんが兄貴と付き合う前に、秋元に出会ったとしたらさ、綾子さんは……綾子さんは、兄貴と秋元、どっちを選ぶかな?」


「へっ?」

 その真意を測りかね、困惑した表情を見せるレッド。

「い、痛いそれは、どういう――」

 それを問いただそうとしたその瞬間――


「おぅ、おめーらまだいたのかよ」

「ああレッド君、ごめんごめん、僕らのほうも練習切り上げちゃったよ」

 野太い声とやや高めの繊細そうな声がともに視聴覚室にこだまする。

 秋元真央と川西丈一郎、二人のボクサーがタオルを片手に行動へと入ってきた。


 その二人の姿を確認すると

「じゃーね、またねぶーちゃん」

 小さな微笑を浮かべたまま、紫は視聴覚室の出入り口への階段を上がって行った。

 

「てめーもさっさと帰れよ。あんま桃ちゃんちに迷惑かけんじゃねーぞ」

 ギロリと睨むようにして横を通りすがる紫に声をかける真央。

「大体こんなに長々と、一体レッドと何を話し込んでやがったんだ?」


「ま、木になるんだったら本人に聞いてみたら?」

 真央の視線をこれまた余裕の微笑で受け流し、そして出入り口へと姿を消した。


「……」

 その様子を横目で見ていた丈一郎の胸に、妙な違和感がよぎった。

 すると真央に対し、眉尻を落としたあのへにゃりとした笑顔を作る。

「あ、ごめんマー坊君、忘れ物しちゃったから、ちょっといってね」

 そういって紫の後を追うにして姿を消した。


「あーん? ったく、そそっかしー野郎だな」

 そういうと真央は顔をしかめ、こちらはステージ上にいるレッドの元へと足を運んだ。

「おう、レッド、おめーも俺の練習に付き合ってもらってるとはいえ、基礎練はしたんだからよさっさとシャワー浴びて帰んぞ。一体今の今まで何やってたんだよ」


「あ、も、申し訳ありません!」

 大げさに頭を下げて謝るレッド。

「い、いえ、特になんていうこともないのですが、ゆ、紫さんからお兄さん、神崎選手のお話をいろいろ伺っていたものですから」


「ああん? 別に俺ぁあの野郎の情報を聞き出そうなんざ思ってねーぞ。よけーな気なんざまわさんでいーんだよ」

 そういう真央は、ステージ上レッドの正面に立つ。


「あ、あのですね、そういうわけじゃなくて、もっとこう、取り留めのないといいますか……お兄さんのプライベートに関わるお話を、ほんの少々」

 肩に掛けたタオルで、冷や汗交じりの汗を拭くレッド。


「プライベート?」

 真央はその言葉に、怪訝な表情で訊ねる。


「え、ええ。実はですね、この画面の、ここ、ここなんですが――」




「ねえ、ちょっといいかな」

 

 ポンポン、自分の方が叩かれる感触に、紫は首をまわして振り返る。

「ん? あんたは確か……」


「そっか、そういえばきちんと自己紹介していなかったね」

 誰からも好感触を持たれる、あのへにゃっとした柔らかい微笑と右手を紫に向けた。

「僕は川西丈一郎。聖エウセビオ高校ボクシング同好会の会長をやってるんだ。一応Bだけど、完当開会フライ級東京都代表なんだ。よろしくね」


 あっという間に距離を縮めて懐に入り込むその様子に、やや気圧されながらも

「あ、ああ、うん。神埼紫……だけど……よろしく」

 その右手に答え、そして自己紹介を返した。

 いつも周りにいる異性は実の兄神埼桐生、そして秋元真央のような少々荒っぽい男性しか存在していないため、丈一郎のようなややフェミニンな香りのする美少年に戸惑いを覚えていた。

「で、一体なんなの? わざわざあの視聴覚室まで紫に声かけるなんてさ」


「いやーごめんごめん、ちょっと気になることがあってさ」

 あくまでも明るく、柔らかな微笑を崩すことのない丈一郎は、解いた右手でさらさらと髪を掻き揚げる。

 そして訊ねた。

「何か隠してる?」




「――だそうですよ」

 

 レッドの指差すその画面、真央の視線の上に一人の女性の姿。

 ピントはあくまでもリング上の神埼に合わせてあるためにややぼやけてはいるが、ぼんやりとではあるがその人物の特徴を確認できる。

「……」

 その姿をまじまじと見つめる真央の目が、いつしか真剣そのものの表情へと変わる。

 あくまでもぼんやりとではあるが、その姿は真央にある人物の姿を思い起こさせる。


 まさかな――


 自嘲するような微笑を浮かべ、ガシガシと頭をかく真央。

「へっ、こいつが神埼の女かよ。やろう、なかなかいい趣味している見てーだな。そこだけは認めてやっか」


「ええ。自分もそう思います」

 同じくレッドも相槌を打つ。

「なんでも、神崎選手よりいくつか年上だとか。見た感じ、すごく包容力のありそうな女性ですね」


「年上、ね……」

 その言葉を聞くと真央は腰に手を当て、無言でしばらく何かを考えていた。

 するとおもむろにエナメルバックを拾い上げて肩にかける。

「おう、わりーなレッド。ちょっくら先に帰らしてもらうわ」


「あ、ああ! はい、す、すいませんっ! また自分の余計なバカ話で時間をつぶさせてしまって!」




「隠してる、って――」

 その言葉に一瞬、紫の表情は固まったが、しかしすぐに余裕あふれる生意気そうな笑顔へと変化した。

「なに分けのわかんないこといってんの? たくらんでるって、まるで紫が悪だくみしてるみたいじゃん。人聞きの悪いこと言わないでよ」


「はははは、ごめんごめん。僕んちって結構な女所帯だからさ」

 相変わらずの柔らかい微笑を向ける丈一郎だが、その目の奥には兄かを見透かすような鋭い光が感じられるようであった。

「こうみえて、女の人が何か雰囲気違うな、って時とか、結構分かるようになっちゃったんだよね。先朴の横取りすぎるときの紫ちゃん、ちょっと屋上にいたときと雰囲気違ったような感じもしたからさ。こういうときの女の人って……うん、ちょっとなにか考えてるときなのかな、って思っちゃったから」


「へー、そうなんだ」 

 その言葉をはぐらかすように、あさっての方向を向いて視線をはずす紫。

「なんかあんた、うちの兄貴もだけど、秋元とかあのぶーちゃんたちと雰囲気違うよね。なんかとてもボクシングやっているようには見えないんだけど」


「はははっ、よく言われるよ」

 相変わらずの笑顔ではあるが、やはりその視線は紫のすべてを見透かそうとしているかのようだ。

「まあ、僕なんてマー坊君や神崎君と違ってキャリアも短いし、関東代表って言ったって代表Bだからね。君のお兄さんとかマー坊君みたいに、天才ボクサーってわけでもないしね」


「ま、何でもいいけどさ」

 そういうと紫は、表情を読まれることを恐れるかのようにくるりときびすを返した。

「とりあえずは頑張ってね。フライ級のトーナメントはまだ一度も見たことないけど、一応あんたのことも応援してあげるね」


「それはどうも。それよりもさ――」

 振り返る紫の背中に向かい、丈一郎は声をかけた。

「隠してることって、もしかしてマー坊君の昔に関わること?」


 その言葉に、一瞬歩みを止めた紫。

 すると

「紫も良くわかんないんだけどね」

 と振り向いたまま言葉を返した。

「だから紫よりも、桃姉さんに聞いたほうがいいんじゃない? きっと、ううん、間違いなくあの日とは紫なんかよりいろんなことに気がついていると思うから」


「そっか」

 あくまでも手の内を晒すことを拒むようなトーンで、丈一郎は紫のその背中に語った。

「じゃあ、何も心配は要らないかな。きっと、うん、釘宮さんに任せておけば問題ないから」


「そう」

 小さくそういうと、紫は丈一郎を振り返ることもなく足を速めた。

「じゃね。また秋元に見つかると、うるさいから」


「またね」

 丈一郎はその背中に小さく手を振った。


 紫のその姿が階段の曲がり角の彼方へ消えた後


「おう、なにこんなところで呆けてやがんだ」


 丈一郎の背中から響いた野太い声の主は、秋元真央のものだった。


「あ、ああ、ちょっと、ね」

 丈一郎が振り返ったその先にある真央の表情――

「……どうしたの、マー坊君。ものすごく顔が恐いんだけど……」


「あぁん? そ、そうか?」

 気がつけば真央は、自分自身の眉間に固く、深いしわが刻まれていることに気がついた。

「へっ、俺らしくもねぇな。ところで、あのションベンガキはどこいった?」


「もう帰っちゃったよ」


「そか、んじゃあ俺も帰るわ」

 そういうと真央は、怪訝な表情で見つめる丈一郎を尻目に、校門への足を速めた。





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