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    5.21 (木) 7:50

「……っくそ、ろくなことがありゃしねえ……」

 そこは聖エウセビオ学園のカフェテリアの正面、われらが秋元真央はブラックの缶コーヒーを片手にため息をこぼす。

「……大体なんでいっつも俺がこんな目に合わなきゃなんねーんだよ……」


「……あははは、なんとも僕には言いようもないけれど……」

 こちらはスポーツドリンクのペットボトルを含みながらの丈一郎。

「でもいいじゃん。両手に花どころかさ、あんなかわいい子が追加されたら、それこそ花壇、っていうか、もうほとんどハーレムじゃん。いっそさ、ありがたく受け入れてしまえばいいんじゃない?」


「そ、そ、そうっすよ、マー坊先輩!」

 鼻息荒く、こちらは麦茶のペットボトルをこぼれんばかりに握りしめるレッド。

「あ、あ、あんなお美しい釘宮姉妹に加えて、よ、よ、幼女と一緒に同棲ができるなんて! 世界中の男たちが、追い求めても絶対に実現できないような境遇っすよ!」


 ゴンッ! ガンッ!!


「「あいだっ!」」


 しゅうしゅうと音がせんばかりに拳を握り締める真央は叫ぶ。

「うすらくだらねえことばっか言ってんじゃねえ! 見ろや!」

 そういうと真央は自分の左ほおを指し示す。


「「ん!?」」

 二人はその瞳を向いてその指の指し示すところを見ると

「「あー……」」 

 苦笑いして顔を寄せ合った。


 そしてまた


 ゴンッ! ガンッ!!


「「あいだだっ!」」


「人の不幸をにやにや笑うんじゃねえっ!」

 鬼の形相で真央は叫んだ。

 その指さした左ほおには、それと分かるような大きな青あざが浮かんでいる。

「……ちくしょう……なんであの女のストレートだけはよけられねーんだ俺は……中間距離の攻防なら、ぜって―負けねー自信があんのによ……」


「……ま、まあ、相手が女の子だって言う油断もあるからだと思うよ。ねえ、レッド君?」

 取り繕うかのようにして助け船を出す丈一郎は、レッドにその言葉の同意を求める。


「え?」

 その言葉に、慌ててレッドも相づちを打つ。

「そ、そ、そうっすよ! それに、何といっても相手はあの、スポーツ万能の釘宮先輩っすから!? そ、そ、その人が本気で出したパンチなんて、じ、じ、自分だったら、間違いなくクリーンヒットで意識飛んじゃいまふ!」


「……確かにな……ほれ、俺だって前から言ってんだろーが。桃ちゃんを女だと思っちゃいけねーってよ。前世……いや、間違いなくあいつぁ現在進行形のメスゴ――」


「あっ!?」

 その真央の言葉を遮るかのように発せられた丈一郎の言葉に


「うぉっ!?」

 本気でおびえて体を反応させる真央。

「な、な、なんだよ! また桃ちゃん来たのかよ!?」


「ちがうよ、ほら――」

 丈一郎が指さしたそこには――


「ど、どうしたの急に!? 何かあったの?」

 同じく不意を突くような真央の言葉に、体を硬直させる一人の女性の姿。

 その大人の色香を身にまとう女性、真央と丈一郎のクラス担任、岡添絵里奈だった。


 ゴンッ!


「まぎらわし-んだよ、てめーは!」

 冷や汗を額に浮かべつつ、真央は豪快に丈一郎の頭を殴りつけた。


「そ、それよりもあなたたちは朝練? 試合も近いものね。お疲れ様」

 多分に引きつりを見せる笑顔を浮かべ、岡添は三人に朝の挨拶をした。

「まだ時間に余裕はあるけれど、そろそろ着替えないと一時間目の授業に遅れちゃうわ。早く着替えた方が……って、えっ!? 秋元君、左ほおに青あざがあるけど、どうしたの? 練習中の怪我?」


「ほうらみろ、先生ぁお前らと違って観察力があっからよ、こういう些細な変化にも気が付いてくれんだよ」

 そう言うと、ニィ、真央は微笑みを岡添教諭に返した。

「まあ、いろいろあってよ……カルロス・モンソンばりの右ストレート、もらっちまったってところかな……」


「あー……」

 その言葉とその表情に、皆まで言わずとも岡添には合点がいったようだ。

「それにしても痛々しいわね。いくら殴られ荒れているからって、きちんとした手当くらいはしたほうがいいと思うわ」

 そういうと心配そうな、うるんだ瞳で真央の右ほおを見つめる。

「それにしても、いったい何があったの? またデリカシーのないこと言って、釘宮さんを怒らせちゃったのかしら……」


「ははは、先生大正解」

 岡添の言葉に、大きく笑って口を挟む丈一郎。


「ほっとけ!」

 苦虫を噛み潰したような表情で、丈一郎に言い返す真央。

「……なんつーか、わけのわからん事情でよ、釘宮家に一匹ガキが転がり込んできてよ……そんで……まあしっちゃかめっちゃかだわ……」


「し、し、しかも、すごくかわいらしい女の子っす!」

 またも鼻息荒く、興奮を隠せないレッドが応える。


「え?」

 再び体を硬直させる岡添。

「あ、あ、あ、秋元君と一緒に暮らす女の子がまた増えたの?」


「ああ! 面倒くせえから3お前らはよけーな口挟まんでいーんだよ!」

 もしゃもしゃと、すでに伸び始めた頭をかきむしる真央。


「あれー? 先生もしかして、ちょっと動揺しました?」

 いたずらっぽい微笑みで、からかうように徐一郎が言った。

「まあ、マー坊君を取り囲む女性が増えたなんて、やっぱり気が気じゃないって感じですよね?」


「い、いえ!? わ、私は別に!」

 そういうと、慌てて取り付く投下のようにコホン、と咳を一つ。

「え、ええと……担任として、顧問として、生徒の心身の状態はしっかりと把握しておかなくては、と思っただけです」


「そこまであんたに迷惑かけるつもりはねーよ」

 頭を掻きむしりつつ、つっけんどんに真央は答えた。

「ほら、あんたも前見たろ、あのビデオ。あの神崎桐生、あいつの妹だよ。なんかしんねーけどよ、あいつがどういうわけか家に転がり込んできたんだよ」


「え? そ、そうなの?」

 驚きの声を上げる岡添。

「唐突な話ね。なんで対戦相手の、しかも男性の家に上がり込もうだなんて……なんだか……すごく自由な子なのね」


「こっちゃあ、たまったもんじゃねぇけどよ……」

 真央は大きくため息をつき、頭を抱えた。 

「あのガキが来てからペース崩されっぱなしだぜ……」


「……良く分からないけど……たいへんなのね」

 岡添は眉間にしわを寄せ、めがねの位置を人差し指で直した。

「それよりも、きちんと向こうのご家庭とは連絡取れてるの? さすがに、女の子がほぼ見ず知らずの、しかも男性の居る家に泊まるなんて、心配すると思うんだけれど……」


 その言葉に、真央は一瞬無言になり何かを考えているような表情を見せた。

 そして、ぐい、と手に持った缶コーヒーを一気に飲み干し

「うらっ」


 カランッ


「ナイシュッ」

 バスケットのシュートのようなフォームで空き缶をくずかごに投げ入れた。

「しらねーよ、神崎んちの家庭環境なんてよ。紫とかいうあのガキが、神崎のやろうとどういう関係化とか、興味すらわかねーよ。けどよ」


「けど?」

 小首を傾げる丈一郎に対し


「けどよ、自分の付き合っている女のためにリングに上がろうなんて奴に、負ける気なんざ一ミリたりともねーよ」 

 その越えに振り返ることもなく真央は言った。

「俺ぁ、俺のためだけにリングに上がってるんだよ。三階級制覇のチャンピオンになることが目標なんだよ。そんな女といちゃつきながらグローブはめてる野郎に負けてたまっかよ」


「か、か、格好いいっす! マー坊先輩!」

 興奮したように、鼻息荒くレッドが拳を固めて立ち上がった。


 そしてその言葉に、こちらは赤く頬を染める岡添絵梨奈。

「え、え、えと……そ、そうね、レッド君の言うとおりね。そうよね、そう。うん。秋元くんは、女の子目当てにリングに上がるような人じゃないものね。そういうところが……秋元くんらしいって言うか……すごく……男らしいって言うか……その……」


 赤らむ頬、そしてすこしずつか細くなるその言葉のトーンに、丈一郎はにやりと、いつものあのいたずらな微笑を浮かべた。

「そうだ、ねえ岡添先生。マー坊君のことが心配だったらさ、先生の家にマー坊君をしばらく泊めてあげればいいんじゃない?」


「へゃっ!?」

 不意をつく、思いもよらない丈一郎の言葉に、岡添は情けない声で返答する。

「ど、どうして、そんな、私が? た、確かに私はボクシング同好会の顧問で秋元君の担任だけど……で、で、で、でも、私の家一人暮らしのマンションだから、く、く、く、釘宮さんの家と違って、お、お、お、同じ家で寝泊りすることになるし……いくら教師と、せ、せ、せ、生徒だからといって、同じ部屋の中で、け、け、け、結婚する前の男女が一緒に暮らすだなんて……べ、べ、べ、別に私はいいんだけれど、そ、そ、そ、そんなのまだ早すぎると思うし……そういうことはきちんと手順を踏んでから、その……心の準備というか、体の準備も……」


「くだらねえ事いってんじゃねーよ」

 しどろもどろに取り乱す岡添の様子に紀を留めることなく、しかめっ面で丈一郎を睨みつける真央。

「んなことより、さっさとシャワー浴びに行くぜ。ったくよぉ、その辺のホースでかまわねーっつーのに、桃ちゃんがきちんとシャワールームで浴びろ、なんていうもんだからよ……おら、レッドもさっさと行くぜ。こんなことで遅刻の回数増やしたくねーんだよ」

  

「はいはい、分かりましたよ。それよりも、聞きたいんだけどさ」

 にっこり笑い、尻を払って立ち上がる丈一郎。 

「マー坊君は、今まで誰かのためにリングに上がりたい、って考えたことはないの?」


「くどいんだよ」

 再び顔をしかめ、ポケットに手を突っ込んでバッグを肩に開けた。

 そして、まだ頬を赤らめたままぶつぶつと呟く岡添絵梨奈を振り返ることもなく、シャワールームへと歩みを進めた。   

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