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    5.20 (水)20:20

――ピチョン——カラン——


 密閉度の高い、しかし広い空間、天井からは水滴がしたたり落ちる。


——チャポン——

 

 釘宮家の二階のバスルーム、大きな大理石のバスタブにくゆる白い湯気、その奥に揺れる影。

「ふうっ」

 その人影は、完全にバスタブに身を沈めると、肩までを湯に浸し身も心も解放させたリラックスしたと息を漏らす。 

「ん、んんんっ!」

 その少女、釘宮桃は両手を組むと、体をそらせて思い切り体を伸ばし

「はあっ」

 再び大きな、心身ともにくつろいだため息を漏らした。

 そして体育座りをするように両ひざを組み、そしてそれを抱えるように両腕を組む。

 くぷぷぷ、水面に接したその口から、小さな泡が立つ。

 今日もいろいろあったな、桃はこきこきと首を揺らして、騒がしかった、ある意味ではいつも通りの一日を顧みた。

 関東大会へ向けて集中を重ねる自分と真央、その目の前に現れた、真央の対戦相手の妹神崎紫、そしてその紫が反発しながらも保護者として名を挙げた女性。


“綾子、って呼んでもろうていいんよ。堅苦しい言葉も、使わんでええから”


 その言葉の訛り、群馬県のものであろうか、いやそうではない。

 そのイントネーションからしても、明らかに関東の訛りではない。

 桃の心から、言い様のない胸騒ぎが消えようとしない。

 すると


——ガラリ――


「え?」


 遠慮のない様子で、バスルームの扉が開けられる。

「どーもー、桃姉さん」

 そこから顔をひょこりとのぞかせたのは、今桃のその心を悩ませるそのきっかけを作った神崎紫だった。


「ちょ、ちょっと! ゆ、紫ちゃん! いったいどうしたんだ!?」

 桃は慌てて体を隠すように身をよじる。


 紫はにやりと笑顔を作り、後ろ手でガラガラとバスルームの扉を閉める。

「いやー、あのですね。お世話になるお礼として、背中でも流そうかと思って」

 そう言うと紫は桃が身をゆだねるバスタブのもとに腰掛ける。

「それに紫ね、桃姉さんとちょっといろいろ話してみたいなあって思ったんだ。いいでしょ?」


 桃の目の前に、痛々しいほどにきゃしゃな肢体と、ヘアゴムをほどき背中にまで垂れ下がった美しい髪の毛が飛び込む。

 はあ、先ほどのリラックスしたものとは程遠い、悩ましく深いため息をつく桃。

「……ったく、どうぢて内にはこういう訳のわからないことをする人間ばかりが集まってくるんだ……」

 人差し指で目じりを抑える。

「勝手にしろ!」


 その剣幕に一瞬の怯えを見せながらも、表情はいっそう明るくなる紫。

「やったー! じゃあ一緒にお風呂だね! 紫兄貴と暮らしてるから、一度こうやって女の人とお風呂入ってみたかったんだよね!」

 そして、急に表情を曇らせ

「……まあ、綾子さんと入るつもりなんて毛頭ないけどさ……」




——チャポン——


「ねえねえ、桃姉さん——」

 体を流し、頭にハンドタオルを巻いた紫が桃の横に体を寄せる。

「改めてだけど、本当にありがと。桃姉さんがいいって言ってくれなかったら、紫本当に行くことなくなちゃってたし」


「もういいよ、そんなことは。けど、もうこんな危険なことしちゃだめだよ。見ず知らずの人の家に泊まりこむなんて、ありえないんだからな」

 ぱしゃぱしゃ、両手に湯を救い、顔に叩くとフルフルと顔を振る。

「――ふう、まあ君のいら立つ気持ちもわかるけどさ。神崎君も……お兄さんも心配してるよ」


 すると、湯船に上気した紫の赤い頬がぷうと膨らむ。

「……そんなことないよ。兄貴なんて、あたしがいなくなって大っぴらに綾子さんを家に引っ張り込んでよろしくやれるからむしろ喜んでるよ……」

 そして両手で頬を抑えて口を開く。

「……この間なんか、遅く帰ってきただけで兄貴にビンタされたし……きっと兄貴はあたしなんかより綾子さんと一緒にいた方が楽しいんだ……」


「下らないこと言うんじゃないよ。君はお兄さんに甘えているだけさ」

 視線を天井に泳がせたまま、強い口調で桃は言った。

「自分の妹がかわいくない兄……あたしは姉だけどさ、そんな人いないよ。きっと、お兄さんは不器用なんだよ。君を大切に思っているっていう気持ちが、うまく伝えられないだけなのさ……まあ、ビンタされた手のはかわいそうだとは思うけど、それも愛情の裏返しだって取ってあげなよ」


 くぷくぷくぷ、湯船に顔をつけたまま無言でその言葉に耳を傾ける紫。


 その様子を見て、柔らかく微笑みかける桃。

「君だって、なんだかんだ言ってお兄さんの事大好きだってことはわかるよ。だから君も、お兄さんのこと理解してあげなよ。それにさ、ほら男って女より不器用だから。その違い位はしっかり認識してあげないと。ね?」


 その言葉に、ゆっくりと湯船から顔を上げる紫。

「……そんなことはわかってるよ……紫だって……」


 その顔に、柔らかい微笑みを返す桃。

「じゃあきまりだな。帰ったら、ちゃんと話をするんだぞ」


「……うん……けどね……」

 すると、体の向きを変え桃に相対する紫。

「紫がこの家に来たのは、それだけが理由じゃないもん。一番はね……あいつ、秋元真央がどんな男か良く知りたかったからなんだもん」


「……それはさっきも聞いたけど……一体あの男のどこがそんなに気になったわけ?」

 眉をひそめ、困惑した表情を見せる桃。


「えっ? 桃姉さんはあの男の事気にならないの?」

 目をまん丸にして、驚きの声を上げる紫。

「結構格好いいじゃん! ちょっとバカっぽそうだけどさ、あいつのボクシング、すごい見ててわくわくするんだよね。兄貴のボクシングもそうなんだけど、それよりもっとこう……荒削りだけど分かりやすいって言うかさ」


 その興奮した様子に、鼻白むように口を開く桃。

「はいはい、じゃあその言葉本人に言ってあげな。きっと胸張って“ったりめーだろ? 俺はなんたって大天才だからな”なんて自慢げに話すに決まってるから」


 その桃の様子を、まじまじと見つめていた紫は

「……ねえ、桃姉さん。聞きたいことがあるんだけど……」

 パシャッ、立ち上るとバスタブに腰掛け、そして訊ねた。

「……桃姉さん、実は秋元のこと好きだったりする?」


「はあっ!? な、な、なにわけの分からないこと言ってるんだ?」

 バシャン、思わず立ち上がり紫を見下ろす桃。

 その顔は、長湯のためなのだろうが、それ以上に紅潮し、すの引き締まった美しい裸体からは文字通り湯気が立ち込めている。

「は、話したと思うけど、あたしとマー坊はいとこ同士だからな? れ、恋愛感情とかそういうのは、一切ないぞっ!?」


「いとこ同士だって、結婚はできるじゃん。それくらい紫も知ってるもん」

 さも当たりも絵の事を、といわんかのごとく桃を見上げて紫は言った。

「それにあのおっぱい女……奈緒は明らかに秋元に惚れてるじゃん。桃姉さんが秋元のこと話してるの見ると、なんかちょっといつもと感じ違うし」


 “おっぱい”という言葉に、無意識に桃は胸元に手をやると、がぽん、振った湯船に体を隠した。

 そして、ふう、とため息をつくと口を開いた。

「……確かに……ボクシングをやっているときのあいつは……一般論として格好いいと思うし、応援もしてるよ。だけど、異性として好きかというか、そういうのはないよ。ただ……まあ、いろいろあいつに関しては……うまくいえないけど、引っかかるところもあるから」


「そっか」

 そう言うと、紫は大きく微笑んだ。

「じゃあ、桃姉さんは、奈緒とか……例えば、紫が秋元と付き合ってもかまわないってことだよね!?」


 その言葉に、桃は目じりを押さえ、眉をひそめて返した。

「……まあ、勝手にしなよ。あたしには関係ないし。むしろあのボクシングバカの世話を焼いてくれるような彼女でも居れば、あたしは肩の荷が下りるってもんだよ……」


「了解ー!」

 満面の笑みを浮かべ、親指を立てる紫。

「まあでも、紫も付き合うとかそういう気持ちはないし、ただ純粋に兄貴の対戦相手ってやつがどんな奴か確認したかっただけだから、安心していーよ」


「はいはい、わかったわかった」

 紫の言葉をあきれ気味に受け流す桃。

 そして、口元に小さな微笑みを作り口を開く。

「けど、ちょっと安心したかな。なんだかんだ言って、君もお兄さんのこと好きなんだな」


「はあっ!? 何言って……」

 こちらも勢いよく立ち上がった紫だが、ザボン、拳の振り下ろし先を失ったかのように湯船につかり、再びくぷくぷと水面に半分顔をうずめた。


 その様子を見て、桃は優しく微笑んでその肩に腕をかける。

「奈緒とあたしもさ、奈緒が君みたいな年齢の時よくやりあったもんだよ。口でも力でもあたしの方が強かったから大体奈緒の方が泣き寝入りするみたいなことになっちゃってたけど。君見てると、あの頃の尚を思い出しちゃうんだよね」


 その言葉に、むっとした表情で桃を睨みつけた紫は


「え? あ、ちょ、ちょっと!」


 その細く華奢な体を桃の背後に滑り込ませ

「うりゃっ!」

 わきの下から手を伸ばすと、子ぶりながらも形のいい桃の胸をわしづかみにした。


「え!? やっ、ちょ……あっ……なにすんだ!?」

 桃は体を反転させると紫を突き飛ばし、そして両手で胸元を隠した。

「どういうつもりだ! わけの分からないことするんじゃない!」


 すると紫は、いたずらな微笑をたたえたまま桃に近づき

「いやいやいやー、小さいですがなかなか感度のいいモノをお持ちのようで……もしかして、そんなにお美しいようですが、カレシ居なかったりするんですかねえ?」

 にたにたと目を三日月にして口を開いた。


 すると桃は、胸元を押さえたままふるふると体を震わせ

「君の知ったことか! いい加減にしろ!」

 と、顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。



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