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    5.13 (水)  17:00

「――ってわけなんだー」

 新緑の緑深まるグラウンドの外、白いスティールで作られたベンチに腰掛けながら口を開く奈緒。

「だから、またこの間みたいに桃ちゃんに相談しよう、と思ったんだけど……」


「うん。僕からもお願いしたいんだ」

 その奈緒の対面、小さなテーブルをはさんだスティールのベンチに同じく腰掛ける丈一郎。

「……僕はまだ、川西大付属で、例えば鄭さんとかとスパーできるんだけど……正直、川西大付属でも川西大のボクシング部でも、マー坊君のスパーリングパートナー務められる相手いないんだよね」


「ま、まあ、マー坊先輩が強すぎる、ってのもあるんですけど……」

 肩にかけたタオルで、汗をふきふき言葉を付け加えるのはレッド。

 ベンチに腰掛けることもなく、あせあせと身振り手振りで説明を加える。

「さ、最近、マー坊先輩すごくナーバスな感じになっていまして……お、お相手を、す、すぐ壊してしまって、練習にならないんすよ……」


「……なるほど、ね」

 桃は奈緒の隣に腰かけ、腕を組み右手をあごに当てて唸る。

「……スパーリングパートナーのいない中で、あの“天才”神崎桐生に勝つための実践的なトレーニング、か……」

 先刻までは、まさしく文緒の表現するところの“禍々しいオーラ”を芬々に発し、渾身の右ストレートをふるった桃。

 しかし、すでにその怒りはどこかに消え失せ、今は一人の、トレーナー志望のアスリートとして興味深そうに三人の言葉に耳を傾けていた。

「けど、今まで川西君がスパーリングパートナーを務めていたじゃないか。川西君とある程度力加減しながらマススパーの回数増やしていくとかできないのか?」


 熱く湿った風の吹く中、長さを増した髪の毛をかき分けながら丈一郎は口を開く。

「それなんだけど……さっきも言った通りさ」

 ふう、大きなため息をつき、眉間にしわを寄せる。

「最近のマー坊君、ちょっとナーバスになりすぎててさ。まあ、僕がマー坊君のパートナーを務めきれないのが悪いんだけど……」

 すると、チラリ、木陰に目をやると、ふう、再び重いため息をつく。

「正直、手加減を忘れつつあるマー坊君とスパーリングするなんて、自殺行為だよ。一応彼も力を抜いている、って風には言ってるんだけど……」


「そうなんだよねー」

 ぎゅ、と腕を組み、同じくため息をつく奈緒。

「なんだかさー、自分の中にいるもう一人の自分を抑えきれていないっていうかさー。それがいつ顔を出すかわからないから。丈一郎君だってB代表だけど関東大会控えてるし。怪我しちゃったら大変だもん」


「むっ」

 その奈緒の姿を見る桃の目に、知らず知らずに殺気がこもる。

 ぎゅっと組んだ奈緒の腕は、そのはちきれんばかりの巨大な胸をいっそう強調する。

 先ほどまで文緒と話していた時のやりきれない思いが再び桃の頭をよぎる。


「? どーしたのー、桃ちゃん。そんな怖い顔して」

 きょとん、不思議そうな顔を浮かべ、おっとりとした口調で訪ねる奈緒。

 そのかしげる国日に合わせ、そのたわわな果実は、みずみずしくぷるると揺れる。


「? え? え……っと、べ、別に何でもない!」

 奈緒の表情、言葉に我に返る桃。

 こほん、と喉を鳴らすと、気を取りなお明日かのように落ち着き払って口を開く。

「……まあ、ウェルター級の選手層の薄さ考えれば、当然なんだろうけど……けど、それってあの神崎桐生も同じじゃないのか?」


「まあ、それはそうなんだろうけど……」

 こちらも腕を組み、丈一郎は頭を悩ますかのように唸り声を上げる。

「はっきり言って、アマチュアのリングでのキャリアが全然違うからさ。神崎選手はきっと冷静になすべき練習を淡々とこなしていると思う。それに、神崎選手を欲しがっている拓洋大学が全面サポートしているらしいから、二人の技術レベルが互角だとしても、バックグラウンドレベルではかなり差がつくと思う」


「き、聞いた話ではあるのですが、こ、この試合です」

 そういうトレッドは、肩にかけていたバッグの中からスマートフォンを取り出す。

 そしてするすると画面をフリックし、とんっ、と親指でモニターをたたき桃の前に見せる。

「こ、これはこの間のマー坊先輩の試合なのですが、た、拓洋大学の学生たちがこの動画を撮っていまして、神崎選手のもとに渡っているらしいっす」


「……アマチュアのリングでのキャリア、サポート体制、何から何まであっちにアドバンテージ……」

 がりっ、無意識のうちにいつもの癖、親指の爪を噛む癖が出る。

「……さらに動画もわたっているから、こちらの手の内は丸裸、か……」


「ま、相手の動画を持っているっていう点では、こっちも同じなんだけどね」

 両腕を股の間に挟み、視線を中空に泳がせる奈緒。

 その胸元は、張り詰めた風船のような緊張感を蓄える。

「そうなるともろにキャリアと環境の差が出ちゃうんだよねー」


 桃はそのふくらみに再びざわつくこころを抑えながら

「……で、あの川西大付属の先生……鶴園先生は何かアドバイスをしてくれなかったのか?」 


「……まあ、ないわけじゃないんだけどさー」

 頬を人差し指でかきつつ、奈緒は不安そうな表情で木陰を見つめる。

「“今はとにかくあせってはいけない。とにかく自分自身を押さえて、淡々と今までやってきたことを繰り返すしかないだろう”だってさ。今のマー坊君の精神状態じゃ……うん、きっと自分自身を抑えきれないよ」 

 その言葉、様子を確認した桃は、おもむろに立ち上がり、奈緒の目の前に仁王立ちになる。

 そして

「……」


「きゃっ!? ちょ、ちょっと桃ちゃん?」

「? くくく、釘宮さん?」

「せ、せ、せ、先輩? 一体全体……」


 桃は無言で、わしわしとたゆんと揺れる妹の胸をもみしだく。


「ど、どうしたの!? いや……ん、ちょっと桃ちゃん?」

 顔を真っ赤にした奈緒は、慌ててそのたわわな胸を桃から隠す。


「「……」」

 その様子を、二人の若き男性ボクサーたちは顔を真っ赤にして言葉少なく眺め続ける。


 すると桃はその手のひらを丹念に確認し、何度も握っては話すを繰り返した。

「……不公平だ……」

 そう言うと、がっくりと肩を落とし、ふらふらと再びベンチに腰を下ろした。


 三人はわけもわからずにそのうなだれる桃のうなじを眺めるほかなかった。


 しばらくの間、力なくベンチに腰掛けていた桃だったが

「おっしゃ!」

 大声を張り上げると、頬をバシバシと叩く。

 そして

「わかった! これしかないな!」


「!? 桃ちゃん、引き受けてくれるの?」

「本当に? 釘宮さん!?」

「そ、そ、それは本当に助かります!」


「うまくいくかはわかないけど、まあ、やってみる価値はあるかな」

 そこに姿を見せたのは、いつもの自身に満ち溢れた桃の姿。

 “男らしく”堂々と胸を張ると、口元に力強い微笑みを浮かべる。

「あたしもまだ練習あるから、今すぐに教えようと思うけど、ついてこれるか?」


「「「……」」」

 その言葉に三人の表情は固まり、その視線はゆっくりと木陰へと移ってゆく。

「「「……それは……自分たちにはわかりません……」」」


「生ぬるい!」

 両手を腰に当て、三人、いや四人に言葉を叩きつける桃。

「さっきも言ったけど、あたしもまだ練習が残っているんだ! 本当にやる気があるんだったら、そこに寝ている軟弱ものを叩き起こすんだ!」


「「「イ、イエッサー!」」」

 三人はまるでアメリカ海兵隊のようにユニゾンした敬礼でそれに答えると

「マー坊君! マー坊君、起きてー! 寝ている場合じゃないよー!?」

「早く起きてよマー坊君! 早く起きないと……もっととんでもないことになるよ!?」

「そ、そ、そ、そうっす! 起きてくださーい! マー坊先輩!」

 必死の形相で真央を揺さぶる三人。


「……う……う……う……」

 その体に伝わる振動は、少しづつ彼方へと消え失せていた真央の意識を呼び戻す。

 そして

「うおおおおおおおお!?」

 まるでばねの伸縮のように、真央は叫び声を上げて跳ね起きた。

「な、な、何だ? 一体俺は――」


「マー坊君! よかった! 生きてこっちに帰ってこれたんだね!」

「マー坊君、いいニュースだよ? 釘宮さんがコーチ引き受けてくれるって!」

「ぜぜぜ、」善は急げらしいっす! 今からすぐにトレーニング開始っすよ!?」


「あがっ!?」

 気が付けば、真央の左頬、そして鳩尾に割れる様な強烈な痛み。

 その痛みに、ようやくその直前までの記憶を取り戻す。

「ってーじゃねーか! 何度も言わせんじゃねえ! これ顔見知り同士じゃなかったら暴行じゃど!? 訴えたら、俺ぜってー勝てっからな!?」

 御国訛りと標準語がごちゃ混ぜになった言葉を吐いた。

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