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    5.12 (火)  17:20 

 パキィッ


「あがっ!」

 その小さな、断末魔にも似た言葉を残し、一人のボクサーがリング上に倒れこむ。


「おぅらあ! たった一発で伸びてんじゃねえ! こっちゃあ病み上がりで本調子じゃぁねえんだからよ!」

 もう一人のボクサー、たった一発のアッパーカットのみを放った秋元真央は、その言葉と16オンスのグローブにいら立ちを込めた。


「大丈夫か? 湯上!?」

「湯上! しっかりしろ!」

 西山大学拳闘部とかかれたジャージーに身をまとう男たちは、何度かその倒れた男を揺さぶった。

 しかし

「……あちゃー、だめだこりゃ。完全に伸びてるぜ……」

「……マジかよ、去年インターハイライトウェルター級とった湯上が、こんなあっという間に……」


 その様子を忌々しげに、抑えきれないいら立ちを隠そうともせずに言葉を吐きすてる真央。

「何がインターハイ優勝者だ! ぬるぃ練習ばっかやってっから、どっかで感覚腐らせちまったんじゃねえのか?」 

 

「「「……なんだと」」」

 不遜なその表情、その言葉に、アマチュアボクシング界の名門西山大学付属ボクシング部の面々も表情をこわばらせる。

 自らの腕で進路を勝ち取り、そしてこの名門ボクシング部で血反吐を吐くような練習を積む大学生にとって、その言葉は聞き捨てならないものだった。

「おいこのガキ! てめえ俺らのことなめてんのか?」

「てめえが連取相手いねぇからって、鶴園先生と山本の依頼でわざわざ一階級下の、ライトウェルター級の湯上が相手してやったんだろうが!」


「おい山本!」

 一人の大学生が、後輩にあたる山本に怒鳴りつける。

「もう少しこのガキにきちんとした言葉遣い教え込みやがれ!」


「……やれるもんなら、とっくにやってるっつーの……」

 ほう、投げやりなため息をつくとリングに上がり、そしてロープにもたれかかった。

「すんません先輩、こいつ元々うちの西山大付属の生徒じゃなくて、合同練習の相手先の聖エウセビオ学園の生徒なんでね。ええ。だから自分がそういうとこ注意したところで、まともに入るはずないっすよ。それに――」

 顔をしかめて眉間にしわを寄せ、頭の中に合同練習での苦い経験をよぎらせながらせながらちっ、舌打ち交じりに吐き捨てた。

「――それに、このガキ黙らせたいんなら、力づくでその鼻へし折って実力認めさすしかないんじゃないすかねぇ」


「上等だ、コラ!」

 その言葉に、名門を誇る西山大の学生たちの心に激しい怒りの炎がともる。

「このガキ、やりやがったなあ!」

「高校生だと思って手加減してやりゃあいい気になりやがってよ! おい! 梶山!」


「……うす……」

 その声に反応し、鏡の前で黙々とシャドウをこなしていた一人の学生がリングへと足を運んだ。

 坊主頭につぶれた鼻、疵だらけの顔。

 その風貌からはそれまでのボクサーとしてのこの青年、梶山のタフな生き方を無言名ままに現していた。

 ミシ、ミシ、ミシ、西山大学附属のジムの古い板が悲鳴を上げるかのようにきしむ。


 その屈強な肉体を目の当たりにした西山大の学生は、口元をゆがめニヤニヤとほくそ笑む。

「お望み通り、手加減なしで相手してやるぜ。おい梶山! このガキとスパーしろ!」

 

「……うす……」

 その学生は言葉少なにヘッドギアをつけ、そして口にマウスピースをねじ込んだ。

 ぐい、悠然とロープをくぐり、リング中央部で真央と並ぶ。

 その身長は真央を凌駕し、更に腕や胴回りも一回りほどに太かった。


 西山大の学生は腕組みをし、そして胸を張った叫ぶ。

「おっし、スパー開始すんぞ! おら、さっさとゴングを――」


 すると

「はーい!」

 にこにことかわいらしい笑顔を振りまく奈緒がぴょこんと手を上げ、それに答える。


「「……ご、ごんぐおねがいっしまぁーす」」

  やはり男子校に通っていた時期の名残だろうか、まるで自分自身の年の離れた妹を見るようなえびす顔を奈緒に向けた。


 その様子を見て、苦々しそうにはき捨てる真央。

「……ったくよお、鄭といい山本といい、西山大の連中ってーのは、皆なんでこんなに年中女に盛ってやがんだ?」


――カァン――


 奈緒の手により、ゴングが打ち鳴らされる。


「……へっ、大学ボクシングの恐ろしさ、あのガキに一から叩き込んでやろうじゃねえか……」

 両腕を組み、ニヤニヤと不敵な笑みをこさえる学生。

 勝利を確信しているのだろうか、目を閉じ、そして自慢げに語りだす。

「ま、あいつは全国区大会での実績はないに等しいが、今年からミドル級、場合によってはライト・ヘビーにまで階級上げるつもりで今体作ってるところだからな。いくらあのガキが――」


「……越本さん……」


「ま、あいつの、梶山のサイズなら、苦労せずにライトヘビーまで上げられるだろうしな。我々西山大学も――」


「……越本さん……」


「だーっ! うるせーんだよ、山本!」

 越本と呼ばれたその学生は、その横で何度も自分自身に足し声をかける山本に苛立ち、その胸倉を掴んで叫ぶ。

「今いい気分で俺ら西山大学拳闘部の未来について、じっくりと――」


 その先輩の怒号に一切の感動を示すこともなく、山本はちょいちょいとリングを指差す。

「終わりましたよ。スパー」


 その指のさす先に目を配る越本は、何度も目をこすり、そしてその光景が幻ではないことを確信する。

 その目に見えたものは――

「あああああああああああああああ! かじやまぁああああああああああああああ!」

 泡を吹き、白目で天井を見つめ大の字で倒れるる後輩、梶山の姿だった。


 その梶山を一瞬でナックアウトした真央は、苛立ちのあまりに寝そべる梶山の胸倉を掴んで起こそうとする。

「うぉらぁ! でかい体してるくせに勝手にねっころがりやがって! とっととおきてかかってこいやぁ!」


「ちょ! ちょっと、マー坊君!」

 ロープスキッピングを続けていた丈一郎が、慌てて真央と梶山の間に割ってはいる。

「だめだって! こっちは向こうの善意に甘えて合同練習させてもらってるんだからさ!」


 同じく真央の体を全身で食い止める奈緒。

「そ、そうだよマー坊君! わたしたちはあくまで練習に参加させてもらってる側なんだからー! そ、そんなにかっかしちゃだめだよー!」


 その様子を、ロープを肩にかけながら眉をひそめ、そして顔をしかめて眺める鄭。

 ふう、あきれたようなため息が漏れる。

「……ったく、相変わらずだよ、秋元の奴……神崎みたいに技を交換しあうくらいの余裕くらい持てっつーの……おーい、レッド君」


 鄭の呼びかけに対し、一心不乱に、周囲に目もくれることなくヘビーバッグを叩き続けていたレッドが反応し、その場に駆け寄る。

「ふっ! ふっ! ふぁいっ! お、及びでしょうか、鄭先輩!」

 今までのジムワークの成果が出てきたせいであろうか、その首元からは少しずつ鋭角なシルエットが現れつつあった。 


「……あれ、さ。あれ。わかる?」

 くい、と顎でリング上でもみ合う聖エウセビオ学園ボクシング同好会のオリジナルメンバーたちをさす。「……小柄な奈緒ちゃんと川西じゃあ、ああいうときあの秋元のバカ押さえられないからさ。今後はこういうとき、率先して止めに言ってやんなよ……」


「!? あああ!」

 レッドの目の前には、奈緒と丈一郎が必死で食い止めてもなお二人を引きずりまわさん場ありの勢いの真央と、そしてその真央に対峙し一触即発の形相を作る大学生たち。

「マ、マ、マー坊先輩! お、お、落ち着いてくださいっ!」

 そう叫ぶと、レッドはドスドスとリングに向けてその巨体を走り出させた。 


「……しょうがねえなあ、あいつも……」

 鄭は眉をひそめ、顔をしかめながら、タオルを首にかけてそのさらさらとした汗をふき取る。

 そして、ロープにもたれかかりながらその一部始終を無表情で眺める山本の元に足を運ぶ。

「山本さん、止めないんすか?」


「イラついてんだろ。神崎桐生っつー、初めて相手にする自分と同格以上の相手との対戦控えてるからな」

 鄭の方を見下ろすこともなく、騒然としたリング内を見つめ続ける山本。

「……お前も知ってるだろ。ああなったらあのバカ、聖エウセビオのあのでかい女連れてこない限りは止まりようがないってよ……」


「ま、まあ。確かに」

 苦笑する鄭の脳裏に、大山を引退に、そしてあの生まれ着いての反骨の相の持ち主秋元真央を失神に追い込んだという釘宮桃の姿が思い浮かぶ。

 鄭の顔には、引きつったような苦笑いが浮かぶ。

「見た目あんな可愛いんすけどね……本当に奈緒ちゃんと血が繋がってんのかな……」


「ま、暴れさしたいだけ暴れさせたほうがいいだろ。案だけハードな練習したくせに、エネルギーがありあまってんだよあいつは」

 そう言うと、ポケットに手を突っ込んだまま、ストン、とリングサイドから飛び降りた。

「なんだかんだであいつもボクサーだ。リングでだけはおかしな真似はしないだろうよ。一応むこうさんの顧問の先生にだけは知らせときゃいいだろ」


「ま、確かに」

 山本の言葉に同意した鄭は、肩にタオルをかけたまま、廊下に繋がるドアへと足を運ぶ山本の背中につき従った。




「ほう、そんなことが」

 ボクシングジムの奥にある体育教官室、鶴園はその髯の蓄えられた顎をゆったりと撫でた。

「……見た目どおりというか、なかなかに彼も男気のある人物なのですなぁ」


「そうですね」

 小さく微笑み、こくりとうなずく岡添絵梨奈。

 関東大会についての話をしていたはずが、その話の内容はいつの間にか真央の、そして先日真央が学園で引き起こした“あの騒動”に関するものへとシフトしていた。

「不器用というかなんというか……本当に不思議な子なんですよ、彼は」

 そういって、鶴園の差し出したコーヒーを一口すすった。


「確かに……本当に不思議な子です。路上上がりのボクサーであるとは予想していましたが……いやはや」

 同じくコーヒーカップに指をかける鶴園。

「しかし、気にかかることがあります」

 ズズ……コーヒーを一口すする。

「どこかこう……荒々しい、屈強さばかりが目立つのですが……うまく表現はできないのですが、別な何かを感じるときがあるのですよ」


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