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    5.12 (日)  2:10

「こ、こら、マー坊! 確かに! なんでも言えとはっ! 言ったけどっ!」

 桃は密着する胸と胸との間に、強引に腕をねじ込みその拘束から逃れようとする。

「ん! そ、そんなことまでっ! 許可した覚えはっ! な、ないんだぞっ!?」

 胸元に滑り込ませた手でぐいぐいと真央の胸元を押すが

「んんんんんんっー!」

 その鍛え上げられた筋力の戒めを振り解くにはいたらなかった。

「……はあっ……駄目か……」

 いかに桃とて、やはり女の子だ。

 ウェルター級の体躯を誇る鍛え上げられた、しかも互いの鼓動が認識できるほどに密着した体を引き剥がすには、その力をもってしても無理であろう。

 いや、例え真央と同体型の男性であったとしても、それは至難の技というものだ。

 桃は諦め、真央のなすがままに体を任せるほかなかった。

 

 すうっ、すうっ、すうっ――


 真央は深い、心地よい寝息を立てる。


 そしてその深く熱い寝息は、細くしなやかな桃の首筋と耳元をくすぐる。 

「やっ、あ――」

 桃の口からは、甘いと息が漏れた。

 その熱い吐息を手のひらで防ごうと体をねじり、腕を首筋へと滑り込ませようとするが、やはりその戒めを振り解くまでにはいたらなかった。

 しかも、くすぐったさに任せて複雑に体をよじらせたため、ますます真央の体は桃の体の奥にまで滑り込んできた。

 すると

「!?」

 桃のしなやかな両腿の間に、真央のゴツゴツとした丸太のような太い足が侵入してきた。

「―-ちょ、っと……あっ……」

 抵抗を試みるも、ときすでに遅し。

 もはや真央のその足を排除するにはいたらなかった。

 桃のこころ、そして体を、今まで経験したことのないような感覚が支配する。

 痛いような心地良いような、硬いような柔らかいような、快と不快、相反する二つの勘定が水と油のように混在した不思議な感覚。

 拒絶すべきか受け入れるべきか、その不思議な感覚は、徐々に桃の思考、そして肉体から力を奪い去る。

「……マー坊……」

 ほぼ一つに重なった二人の体に、桃は何一つの抗う意思というものを喪失した。  

 二人の鼓動が、一つに重なりハーモニーを奏でるかと思えば、再び離れて不協和音を奏でる。

 その音に、今度は桃自身が催眠術にかけられたように自分自身を見失う。

 二人の絡み合う体は、まるでヒエロニムス・ボスの寓意画のようだった。


「……んっ、んん……」

 一瞬苦しそうな声を上げたかと思うと、真央は体を入れ替えるかのように寝返りを打つ。


 その動きに、すでに真央のなすがままの桃の体もつられる。

 すると

「……あ、ん……やあっ……ん……」

 今度は、真央が桃を抱きすくめてその体に覆いかぶさるような姿勢になった。

 真央の大柄な肉体は、更に重みを増して桃の体にのしかかる。

 真央の両足は力なく開かれ、その間に無遠慮な真央の両足、そして下半身がもぐりこむ。

 ビクッ!

 桃の体が今まで感じたことのない感覚に軽快し、緊張する。


 何かを求めるような真央の右腕が、まさぐるように桃の背面を這いずり回る。


「……だ、め……だよ……マー坊……だめだったら……」

 気管を圧迫する真央の体の重みは、桃のその浅い呼吸をいっそう激しくする。

 

 左手は桃の背中を徐々に移動しそしていつの間にか力強く桃の頭を掴み、そして更に力強く引き寄せる。

「……マー坊……ったら……」

 もとより体が抵抗する力を失っていた桃は、耳元に触れる真央の薄い唇の硬さと、自身の体重によりいっそう激しさを増す真央の呼吸に心身ともに支配された。

 桃は、もはや目を開けてはいられなくなった。

 頬を染め、不思議な感覚に包まれる自分自身に戸惑い、恥じらい、それを認識するのを拒むかのように。


 その瞬間だった。


「……ん、んんん……」

 心地よく連続する真央の呼吸に、わずかな乱れが生じた。


 その変化に桃は瞼を開き、そして横目でその表情を確認すと。


「……っあ……あ……こ……あ……こ……あ……こ……」

 苦しそうに額にしわを寄せ、そしてその口からは乱れた浅い呼吸とともに、聞きなれない言葉が連続した。

 

「……あ……こ……?」

 その疑問に桃は正気を取り戻し、再び蘇った全身の力で真央とベッドの隙間から体を這い出させた。


 桃の体に、先ほどまでの不可思議な感覚の余韻が居座り続けたが、煩悶の表情を浮かべ、何度も同じ言葉を連呼する真央の姿がそれをかき消した。

 火照りをやめない体、鼓動を高鳴らせる心臓を、深い呼吸で沈めながら、桃は気恥ずかしいそうに髪の毛を書き上げ、そして手櫛でそれを整える。

 そして、千々に乱れる心と体を何とか纏め上げ、そして再び真央の傍らに座り、真央の体を回転させて仰向けの姿勢をとらせる。

 その真央の顔はと見れば、再び熱が上がってきたのだろうか、激しい汗が玉のように浮かんできた。

 桃はベッドの下に散らされた花びらのようになったタオルを取り、その額を丁寧に拭いた。


 しかし真央の表情は、いっそうの苦悶を形作る。

 もはやその口からは一つの言葉がこぼれることもなく、中空をぱくぱくと力なく動くのみだった。


 そしてその瞳からは、一筋の涙がこぼれる。

 桃は、再びそっと手のひらを額に当てる。

 焼けるような熱さに、いっそうの体温上昇を確信する。


 しかしその煩悶、苦悶の表情は、果たして単純な熱の上昇によってもたらされたもののみといえるのだろうか。

「――あ――こ――」

 桃は、見知らぬ町の地図を確かめるかのように、真央が口にした中でかろうじて認識することのできた言葉を復唱する。

 同様の動作を何度か繰り返してみたが、やはり何一つ桃のこころに思い浮かぶものはなかった。

「……マー坊……」

 一つ屋根の下、まるで家族のように過ごしてきてはいながらも、それでもこの少年のそれまでの人生について何一つ知らなかったことを、改めて桃は思い知らされた。


 ベッドの上、苦しそうな真央の表情を見ると、桃のこころは締め付けられるように思われた。

 疲労を溜め込みすぎた肉体の悲鳴、それのみならず、こころが同様に悲鳴を上げこの少年をさいなんでいる、何一つの根拠はないが、桃にはそうとしか思えなくなった。


 すっ、桃の心と体は、一瞬で通常のその状態へと戻った。

 すると桃は、今度は自分から真央の状態へと体を近づけ、今度は姉のように、母親のように、しかし強く、そしてきつく、真央の上体を抱きしめささやいた。

「……もう大丈夫……大丈夫だから……」


 すると真央の口から少しずつ苦しそうな声が消えてゆき、その表情は和らぎ、体の硬直は失せていった。


 桃は洗面器の中で、足元に落ちていたタオルを良く洗ってきつく絞り、そして汗を拭きながら丁寧に額へと添えた。

 ふうっ、桃は小さなため息をつく。

 真央の状態は落ち着いたようだが、先ほどよりの疑問が桃のこころから離れなかった。

 春休みの終わり、真央が釘宮家に居候することが決定した日、真央に対し直接投げかけた言葉を再び桃は口にする。

「……君は……君は何者だ?」


 ふと桃は、ベッドの奥にあるウッドデスクに目をやる。

 誰も使っていなかったこのベッドルームにすえつけられた、イタリア製の大きながっしりとした机。

 それを真央の学習机として提供したが、その上には無造作に教科書類や筆記用具、洗濯物が散乱していた。

 そしてその脇に、初めての出会いの瞬間に真央が抱えていたあのボストンバッグ。

 桃は輿を上げると、ゆっくりとそのそばに足を進める。

 誰もが、本人以外が知る由もない、この不思議な、強くそして繊細な少年の過去。

 この机の引き出し、そして古びた大きなバッグの中に、それは見つけられるのかもしれない。

 桃はゆっくりとその引き出しに手を伸ばし、そしてその持ち手に指をかけ――

 ふっ、桃はその瞬間力を抜き、そこから指を離した。

 再び真央の傍らに腰をおろすと、その顔を見つめる。

 普段のいかめしいイメージからは程遠い、子どものような、いやむしろ子犬のような表情。

 それを見ると、桃の表情は緩んだ。

 今度は真央の首筋に、その長く美しい手の甲を当てる。

 しっとりとぬれた皮膚からは、やはり炎のような熱さが伝わってくる。


 しかし、ここまで熱が上がるということは、もうそろそろ体温が下がり始める証拠だといっても良いだろう。

 桃は額のタオルを濡らしきつく絞ると、微笑みながら真央の額に置いた。


 そして静かに腰を上げると、ゆっくりとドアノブに手をかけ、そして廊下へと続く扉を開けた。

「……おやすみ……マー坊……」

 ほんの一言の余韻だけを残し、カチャリ、小さく乾いたドアの音が室内に響いた。 




「……う……ん……」

 純白のカーテンの隙間からこぼれる陽光が、硬く閉じられた真央の瞼を貫き、その意識を呼び起こす。

 ゆっくりと上体を起こせば、わずかに残る痛みが軽く頭の中に響く。

 体は再びぐっしょりと汗にぬれていた。

 体中がサンドペーパーにかけられたようにざらついた痛みを残す。

 真央はようやく、自分自身が昨晩高熱にうなされていたことを思い出した。

 がりがりとと頭をかくと、自分の枕元に転がる白いタオルを手に取った。

 それはもはや完全に熱を吸い取り、乾いた感触を真央の手に伝えた。

 真央派上体を伸ばすと、布団をゆっくりと剥ぎ取る。

 ふと、真央派自分自身の傍らに、目の覚めるような色使いの、くしゃくしゃと丸まったような布きれの様なものを目にした。

「……なんだこれ……」

 指に摘み上げ、丹念にそれを点検すれば、それには見覚えがる。

 それは、真央が桃にプレゼントした、色とりどりのシュシュのうちの一つだった。

 きゅ、真央はそれを愛おしそうに握りしめる。

「……桃ちゃん……」


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