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    3.8 (土)22:30

「あー、いいお湯だったー」

 風呂から上がったばかりの奈緒がリビングに入ってきた。

 白い肌にあかねが差し、その健康的な雰囲気をいっそう引き立てる。

 そして冷蔵庫からトニックウォーターを取り出し、きゅっと一口含む。

「あー、しあわせー」

 うっとりとした表情で頬を押さえた。

「うに?」 

 ふと気がつくと、無言のままソファーにうなだれる真央の姿が。


「おう、奈緒ちゃん」

 真央も奈緒の存在に気がつき、そして声をかけた。

 その声は力なく、こころなしか震えているようにすら思えた。


「? あれれー?」

 桃の異変に気がつく奈緒。

 それはその雰囲気だけではない。

「マー坊君、寝不足? 目の下にくまができてるよー」

 くまというよりも青あざという方がふさわしいその拳の痕跡に、奈緒も気がついたようだ。

 

「ああ、奈緒ちゃんも気をつけたほうがいいぜ」

 やはり力なく笑う真央。

 

「それに鼻にティッシュつめてるけど、どうしたの?」

 きょとん、として尋ねる奈緒に対し 


「いやあ、ちょっとのぼせて、鼻血出ちまった」

 その目を見ることなく俯いた。

 

「やだマー坊君、子どもじゃないんだから」

 奈緒がけらけらと、あくまでも無邪気に笑った。

 

「ははは……」

 一方の真央は、またも力なく笑うより他なかった。


 ガチャ、リビングの扉を開ける音が。

 

「あ、桃ちゃん!」

 奈緒はまたも無邪気に姉を迎え入れる。

「そうそう、なんかねー、マー坊君体調悪いみたいだよ」

 と真央の体調を気遣い、それを姉に伝えるが


 奈緒の顔には目もくれず、真央の顔をきっと睨む。

「悪いのは頭じゃないの?」

 湯冷めしかねないような冷たい一言。


「……」

 無言のままうなだれる真央。

 何も言い返せるはずはない、何よりも自業自得なのだから。

 “でりかしー”といわれるものを身を持って体験した真央が、この釘宮家で学んだ一番重要なことだった。


 情況を飲み込めない奈緒は

「やっぱり、変な桃ちゃん」

 そういって首をかしげる。

 その視線の方向に、大きな壁掛けの時計が見えた。 

 時刻はもうじき11時を回ろうというところだろうか。

 すると奈緒は

「あ! 忘れてた!」

 急に叫び声を上げた。

 

 びくっ、不意を疲れた桃は体を反応させる。

「ちょ、ちょっと奈緒。いきなりへんな声ださないでよ」


「だってだって、忘れてたんだもん!」

 あわてたような声を上がると、真央に向かって叫んだ。

「今日、WEWWEWのアグレッシブマッチの放送日だよ!」

 

「本当か?」

 がばっと真央は顔を起こした。

「この家もWEWWEW加入してんのか?」

 

「うん! しかも今日はフェザー級のタイトルマッチだよ!」

 興奮した様子で話す奈緒。


 フェザー級のリミットはおよそ55から57キロ、ライト級以下の軽量級の中でも人気の高い階級だ。

 そのため動く金もこの階級から格段に跳ね上がる。

 ボクシングの本場アメリカにおいても、その注目度は相当に高いといえるだろう。


 ニカラグアの英雄、“貴公子”アレクシス・アルゲリョや、ファイティング原田と死闘を繰り広げた“黄金のバンタム”エデル・ジョフレも最終的にはこの階級でベルトを手中に収めている。

 多くの名王者を輩出した、伝統のある階級だ。


「そうか!てことは……」

 真央はパチン、と手を叩いた。

「WBC世界チャンピオン、チャド・フェルナンデスの防衛戦か!」


「うん!」

 大きくうなずく奈緒。

「おお!」

 拳を握り締め興奮する真央。

 真央と奈緒、二人は手を取り合って飛び跳ねた。


 その様子を覚めた目で眺める桃は

「ちょっとお二人さん」

 さめた言葉を浴びせかけた。

「チャドだか誰だか知らないけど、明日は急がしいから早く寝たほうがいいんじゃないのか」

 コクリ、よく冷えたミネラルウォーターを一口飲み、これまた冷たい一言。


「お願い桃ちゃん、この試合見たら必ず寝るから!」

 そういうと、奈緒は伝家の宝刀を貫いた。

 桃、いや誰もが絶対に逆らうことのできない、小動物のような頼み顔。

「せっかくマー坊君がコーチ引き受けてくれたんだよ? 今日だけでいいから! ね? お願い!」


「俺もお願いします!」

 真央も両手を合わせて桃に拝み倒す。

「じいちゃん家WEWWEWはいってなかったから、海外ボクシングの試合、リアルタイムで見たことないんだよ! しかも今日は、チャド・フェルナンデスの防衛戦だろ? 絶対見逃したくねーんだよ!」

 そういって、情けないほどに頭を下げ続けた。


「……まったく……」 

 二人の懇願に、桃は苛立ったように爪を噛む。

 桃は、奈緒にこれ以上ボクシングに関わって欲しくない。

 しかし、いかにしぶしぶとはいえ、同好会のマネージャーを認めたのは自分であり、真央のコーチ就任を認めたのも自分だ。

 もしここでボクシング観戦を認めなければ、自分で自分の言葉を翻したのも同然だ。

 そして、耐えかねたように言い放った。

「勝手にしなよ。あたしはもう寝るからな」

 そういうと桃はリビングから出て行った。




「……まったく、二人で好き勝手してればいいだろ」

 ぶつぶつとこぼしながら廊下を歩いていたが、リビングから聞こえる二人の声に桃の歩みは止まった。

 

「……そっか、桃ちゃん見ないんだって……」

 ささやくような奈緒の声。

 ただでさえ甘ったるい声が、リビングのドアを通しているせいか、いっそう甘いものに聞こえる。


「……また俺怒らせちまったかな……」 


「……まあまあ。じゃあマー坊君、二人で一緒に見ようよ。ね?……」

 

「……んー、でもなんか悪いし……」


「……いいからいいから、二人で、ね? ……」




 ドンドンドン、廊下を早足で歩く大きな音が。


 ガチャ、リビングに戻ってきた桃の視線の先には、仲良く二人でソファーに腰掛ける真央と奈緒の姿。


「あれー? 桃ちゃん、寝るんじゃなかったの?」

 きょとんとして訊ねる奈緒。

 その表情は、無邪気そのものだった。

 

「うっさいな! あたしの勝手でしょ!」

 そういうと桃は、ピッ、テレビの電源をつけWEWWEWにチャンネルを合わせた。


 桃の頭に、先ほどまでの光景が浮かんぶ。

 奈緒の下着を見た真央。

 裸で主の前に仁王立ちになる真央。


 そうだ、これは奈緒を守るためなんだ。

 本人にそのつもりはなくても、このデリカシーのない男といれば、アクシデントとはいえ奈緒の実に何か危険が及ぶやも知れない。

 桃は自分自身を納得させて二人の間に体を挟んだ。


「やっぱりやっぱり、変な桃ちゃん」

 先ほどより見せる、普段は見せることのない桃のとっぴな行動に首を傾げる奈緒だった。

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