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    5.7 (火) 17:00

「……すんません、内野さん……見苦しいとこ見せちまったかな……」

 拓洋大学ボクシング部、そして上毛商業高校ボクシング部OBである内野の背中に、神崎は頭を下げた。


「まあ、しょうがねえよ。お前の中学校までの悪さのつけだろうよ」

 神崎のやや前を歩む内野は、ポケットに手を突っ込んだまま振り返らずに言った。


「……因果なもんだな……」

 神崎は唇をかみしめ、忌々しそうにこぼす。

「……あのころ、ガキが調子こいてさんざ暴れまわってよ。もう二度としねえ、って誓ったと思えばああいう連中がまた絡んでくるんだからよ……」

 ぎゅっ、ポケットの中で、その拳は石のように固く握りしめられていた。

「……俺は、あの頃の俺が大嫌いだ……よええくせに、強いつもりで粋がっててよ……今、あの日の俺が目の前にいたら、俺はどうしているかわかんねえくらいだよ……」


「だが、今のお前は違う」

 勝手知ったる卒業校、内野は一切の迷いもなく歩みを進める。

 そしてガチャリ、上毛商業高校ボクシング部の部室の扉を開ける。


 ジム中に響くのは、シャドウに取り組む息遣い、ヘビーバッグを殴る打撃音、ミットから発する破裂音。


「? しゃっす!」

「しゃす!」

「しゃっす!」


 数名の部員たちが、練習の手を止め内野の前に集まり、礼儀正しく頭を下げる。


「よおっ、関東近い中悪かったな。ってもまあ」

 苦笑しつつ、後ろに控える神崎を振り返る。

「関東本戦に出れるのは、こいつくらいなもんか」

 そして、きょろきょろとジム内を見渡すと

「……もしかして、部員また減ったのか?」


「……ええ、すいません……」

 部員の一人はうなだれて頭を下げる。

「……山田なんすけど、山田んち、親父さんリストラされちゃったみたいで……卒業だけはするつもりだけど、もう部活なんかやってる余裕ないみたいっす……」


「すんません、内野先輩」

 もう一人の後輩も続いて頭を下げる。

「もしこれ以上部員減っちまうと、下手したら廃部、よくて同好会格下げに……」


「気にすんなよ。お前らのせいじゃない」

 ポン、内野は二人の肩をたたき、励ますように声をかけた。

「もともと日本でボクシングなんてそれほど競技人口の多いスポーツじゃねえしな。聞いたところだが、人数確保で四苦八苦しているボクシング部も多いみたいだからな。それに――」

 ぐい、内野はややつま先立ちで、背の高い神崎の肩を荒々しくつかむと後輩たちの前に引き出した。

「――それによ、今のお前らにはこの男がいるじゃねーか」


「……神崎さん……」

 力強いスキンシップに、神崎は戸惑いの表情を見せるが


「そうっすね!俺らには、桐生先輩がついてるんだもんな!」

「そうだよな! 桐生先輩なら、きっとまたインターハイ優勝決めてくれるよ!」

「桐生ォ、頼むぜ! ばしぃっとインターハイ出場決めてよ、そんで俺ら上毛商業ボクシング部が有名になれば、入部希望者だって学校の扱いだってどんどん良くなるんだからよ!」


 にやり、うちのは神崎の顔を見つめ耳元でつぶやいた。

「“守るものがある”、それが今のお前にとってのボクシングだったよな。だったら守って見せろよ。お前の人生も、こいつらの笑顔も、両方を」


 その戸惑いの表情の中に、フッ、照れたようなほのかな微笑みを作った。

「……うす……」




 ヴィ――ン……ジィィィ……

「……んで……じゃ、行きます」

 息苦しく音を立てるDVDプレーヤーに、一枚のディスクが飲み込まれていく。

 そして後輩の一人が、ピッ、再生ボタンに軽くタッチする。


 内野、神崎、そして上毛商業ボクシング部の部員たちは、古びたTVスクリーンを取り囲む。

 そして内野がおもむろに口を開く。 

「こいつはこの間内の大学の後輩たちに取らせた、関東一帯の関東予選の決勝戦の様子だ。当然神崎、お前の戦った群馬県予選のVTRもある」 


「……わざわざそんなことのためだけに来たんすか……」

 神崎は内野に訊ねる。

「……今更自分の試合を映像で見たところで、って感じなんすけど……」


「面白いやつを見つけたんだ」

 後輩から受け取ったリモコンを操作しながら、内野は口を開く。

「もしかしたら、こいつがお前のインターハイ連覇を阻む存在になる、なんて気がしてな」


「……聞き捨てならないっすね……」

 ピクン、神崎眉間にしわが寄り、その氷のようなまなざしは一層険しくなる。

「……当然タフな試合ばかりでしたが、選抜でもインターハイでも今後俺の前に立ちはだかるであろう、なんて野郎はいなかったっすよ。いくらあんたでも、内野さん、俺はなめられるようなことを言われるのは我慢ならねーっすよ……」


「そうだな、それはそうだろう」

 なだめるように苦笑する内野。

 しかしその後、急に真剣な表情に切り替わる。

「だからこそ、だ。お前のいう“守るべきもの”、そのためにも盤石の構えが必要だ。だからこそ、ほかの地区の出場者のことを知っておくのは、決してマイナスにはならないだろうよ」


 憮然とした表情で、しかしうなずくほかない神崎。

「……うす……」


「俺だって、ん、お前のインターハイ連覇……ここかな……微塵として疑っちゃいねえよ」

 ピッ、早送りの後、意図した場所に差し掛かると再びうちのは再生ボタンを押した。

「お前の方には、俺の愛すべき上毛商業ボクシング部の未来がかかってるんだからよ。かわいい後輩たちのためにも、何としてもインターハイ優勝を果たしてもらわんとな」




――“ミッナガワッ! ミッナガワッ! ミッナガワッ! ミッナガワッ! ミッナガワッ!”――

 TVモニターの中、耳慣れた大歓声が鳴り響く。

 会場全体を揺るがす皆川コール。 

 会場中のあらゆる観客が、その一人のボクサーを後押しするかのように。




「これ、どこの県の決勝っすか?」

 後輩の一人が訊ねる。


「東京のだ」

 内野は短く答えた。

「見てほしかったのは、この東京都の決勝のVTRだ」

 

「東京っていうと、西山大学付属っすね」

 内野の後輩、そして神崎の同級生のボクシング部員が続けて声を上げる。

「あの鶴園監督が直接に教えている、東京の強豪っすね。そういえば、合同練習で見かけたウェルター級やつ、結構いいボクサーでしたよ。っと、たしか――そう、こいつだよ、皆川ってやつ」


「……そういや、俺も覚えてるよ……」

 けだるい表情で神崎が答える。

「……まあ、確かに悪いボクサーじゃなかったよ。ウェルターの東京代表がこいつなら、まあ順当勝ちってとこじゃねーのかな。ただ、こいつ相手に内野さん、あんたが大騒ぎするような必要性もねーんじゃねーのか……」


「こいつ相手なら、そうだろうな」

 腕組みをし、うなずく内野。

「だがな、問題はこいつじゃない。そう――」

 うちのは、顎でしゃくるようにしてモニターを指した。


 その方向を、神崎をはじめ上毛商業高校ボクシング部員は注視する。

 そこには聞きなれない学校の名前、見慣れないユニフォームを着た一人のボクサーの姿があった。

 小さなTVモニターからは、ヘッドギアから覗くその表情はうかがい知れなかったが、どこか根拠のない自信にあふれ、ふてぶてしい表情を浮かべていることが直感できた。


「……だれだ、こいつ……」

 表情一つ変えずに、相変わらずのけだるい表情で神崎はつぶやく。

「……“セイエウセビオ”……ペドロサみてーな名前だな。聞いたことねーよ……」


 画面上では、西山大学付属の皆川、そしてセイエウセビオのボクサーがそれぞれリングインしてそれぞれのコーナーで待機している。


「よくわかんないっすけど、結構いかつい感じっすね」

 個配の一人が、そのたたずまいに対して感想を漏らす。

「結構タッパありそうだし、肩回りの盛り上がりとか見ても、かなり鍛えこんでる感じっすね」


「かんけーねーよ、フィジカルなんて」

 神崎の同級生が、その後輩の言葉を打ち消すように言葉を重ねる。

「いままで、桐生が倒してきたボクサーの中には、これくらいの奴いくらでもいただろうが。それに、ボクシングはボディビル大会じゃねえんだ。フィジカルだけで強くなれるんだったら、延々バーベルでも挙げてればいいんだよ」


 しかし、その画面上のボクサーの放つ一種異様なたたずまいは、神崎をしていっそう寡黙にした。

 神崎には、そのボクサーの視線が西山大付属の皆川に対して向けられているようには到底思えない。

 その視線は明らかに皆川の向こう、関東大会、そして群馬県代表の自分自身に向けられているようにすら感じられる。




 カァ――ン

“ウェルター級準決勝、両選手の紹介をいたします”




「ここからだ」

 内野は呟く。

「神崎、よく見とけよ。このVTRからお前が何を感じ取れるか、それはお前次第だ」




 会場内に、高田学園の女子マネージャーの声が響きわたる。

“赤コーナー、皆川君。西山大学付属高校高校”


 どっ、会場に大きな声援が響く。

“ミッナガワッ! ミッナガワッ! ミッナガワッ! ミッナガワッ! ミッナガワッ!”

 会場中に響き渡る皆川コール。

 西山大学付属高校の、そしてそれ以外の観客も含めての会場を一体化したかのような巨大な声援だ。



「たまんねーだろーな、この声援」

 後輩の一人が、顔をしかめる。

「桐生先輩の時もそうだけどさ、対戦相手こんなどでかい声援が送られるんだからさ。こういう時ほど相手の選手に同情するときはねーよ」


 しかし、相変わらず神崎は沈黙を守り続ける。

 その視線は微動だにすることなく




“青コーナー、秋元君。聖エウセビオ学園高校”

 


 自分同様、巨大な声援に真拓の精神的揺らぎを見せることなく、不敵な様子で自分自身を画面上から挑発し続けるような真央の視線を受け止め続けていた。


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