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    5.7 (火) 15:30

「あ、礼家せんぱーい!」

「礼家せんぱーい、こんにちはー!」


 その声に反応し、くるり、黒髪を翻らせ、礼家葵は振り返る。

「あら、皆さん」

 小走りで駆けよる後輩たちの姿に、春風のように穏やかな笑顔を返す。

「ごきげんよう。皆さんもこれから部活ですか?」


「ええ! よろしかったら、一緒に行きましょう」

 美しく聡明な先輩、礼家葵へ憧れの混じった微笑みで語りかけながら、水泳部の一年生たちは葵を囲むようにして体育館へと連れ立った。


「礼家先輩、もうすぐ東京都予選ですね」

「調子はどうですか?」


「ええ、おかげさまで」

 自分を慕う後輩たちの顔に、その笑顔はいっそう和らぐ。

「なんとか言い成績が残せるように、一生懸命頑張っているところです」


「礼家先輩がそう言うなら、大丈夫ですよね! ところで……」

 そう言うと、急に一人の後輩は顔を赤らめ、もじもじと言葉を選び始める。

 そして、思い切ったように口を開いた。

「……あ、あの、お聞きしたいんですけど……ら、礼家先輩って……あ、あの、あ、秋元真央先輩と同じクラス……なんですよね?」


 ピクン、微笑ましくその顔を言詰めていた葵の表情は、笑顔を形作りながらも一瞬にして硬直する。

「え? え、ええ。秋元……真央君は、私の……クラスメートですけれど……それがなにか?」

 その顔は、微笑みのなかに猜疑心とひそやかな怒りをたたえているようにも見える。


 その後輩の両肩を抱くようにして、また別の後輩が言葉を繋ぐ。


「先輩、この子ったらね、今日の朝礼の秋元先輩を見て、一目ぼれしちゃったんだって」

 そう言うと、肩ごしのその顔を覗き込む。

「ね? そうだよね?」


 肩を抱かれた後輩は、顔を真っ赤にしてこくん、とうなずく。


 肩を抱くもう一人の後輩は、同じく顔を赤らめ、小さく微笑み葵の顔を見る。

「といいつつ、わたしも、ちょっと格好いいかなーって思ったんです。だから私たち、同じクラスの瀬川ってやつにメールアドレス渡したんです。瀬川って知ってますよね? ボクシング同好会の」


 顔を引きつらせながら、それでも葵は笑顔を維持し続ける。

「……え、ええ、まあ。いつもお昼を一緒に食べる仲ですし……」


「その瀬川にお願いして、あたしたち、メールアドレス渡すように頼んだんです。ね?」

 その後輩は再びクラスメートの顔を覗き込む。


 こくん、その後輩はさらに顔を真っ赤にして、無言でうなずいた。


 ““あっ、あぶない!””

 葵の脳裏に、瞬間よぎる昼休みの光景。


「瀬川の奴、秋元先輩にあたしたちのアドレス渡してくれたかなーって、気になってたんです。あいつ、渡してくれました?」

 頬を紅潮させ、はじけるような活発な様子で葵に語り掛けるその後輩。


 しかし葵は空とぼけるように宙を仰ぎ、口元に手を当て、言葉を選びながら答える。

「……えっと……渡してはいたようですが、そもそも真央君携帯電話などお持ちでいらっしゃらない方ですから。たぶん、お渡ししても無駄なことだと思いますよ?」


「「ええー!?」」

 仰天する二人の声が響く。

「いまどきケータイ持ってないんですか?」

「小学生だって持ってますよ? ていうか、礼家先輩も秋元先輩と仲いいんですよね? いつもどうやって連絡とか取っているんですか?」


 ムッ、葵の心に小さな怒りの火がともる。

 葵自身は、直接真央と連絡を取り合うすべを持たない。

 もし取りたければ、桃と奈緒、釘宮姉妹に連絡を取ってもらうほかない。

 後輩たちのその言葉は、釘宮姉妹と比較しての、自分自身のアドバンテージの少なさを改めて見せつけた。

 しかし、コホン、小さく咳払いをして、葵はこころに灯をともした怒りを打ち消した。

「まあまあ、真央君とは大体学校に来れば会えますから。朝から晩まで、それこそボクシングに打ち込んでいらっしゃいますからね。もし用がある場合は、ボクシング同好会のジムに行けば会うことができますもの。それに、真央君は補習などもたくさんこなしていらっしゃいますからね」

 ニコリ、いつもの上品な笑いを浮かべた。 


 三人が、それぞれの思い人への思いを胸に、見た目の上はこの上なくシンプル、しかしその内実は複雑な会話のやり取りをする中




「……いやだからさ、さっきから言ってんじゃん……」

「……いやー、そうは言われましても規則でして、許可のない方のご入校に関しては……」


 


 校門の前の受付、耳慣れた警備員の声に加え、これもまたかすかに聞き覚えのある声が葵の耳に飛び込む。

 



「……許可がないって言われてもな……じゃあさ、あいつら呼んでくれよ! ボクシング同好会の連中……そもそも俺らあいつらに用があってきたんだからさ……そうだな、秋元! ボクシング同好会の秋元真央ってやつか、川西丈一郎、釘宮奈緒ちゃんでもいいからさ……」




「ボクシング同好会?」

 聞きなれた声に耳なじみのある言葉、葵はふとその人物の顔を覗き込む。

 身振り手振りを交え熱弁をふるうその人物、確かに見覚えがある。

「あなたは……」


「ん?」

 身長は160前後、ややきゃしゃな印象を受けるが、くりくりとした目の中に、どこか底を見せない狡猾さも感じさせる。

 葵の存在に気づいたその少年は、やや気障にも感じさせる微笑みを返す。

「やあ、葵ちゃん」 




「……んぁー……んんん……ぎぎぎぎ……」

 苦悶の表情を浮かべ、ガリガリと頭を掻きむしり体を硬直させる少年が一人。

 その手に握られた鉛筆は、ギリギリと指が食い込み、今にも折れんばかりに悲鳴を上げる。


 図書館脇の自習室、真央のために貸し切り状態になったその小部屋には、中学時代まったく鉛筆をとることがなかった自分自身への後悔と怨念が渦巻いていた。


 ガラリ


 スチールの重い扉が開け放たれる。


「解き直しはできたかしら?」 

 グレーのスーツにアンダーリムの眼鏡、クールさの中に最近は大人びたセクシーさを身にまとい始めた岡添絵里奈だ。


「あああああああああああああああああ!」

 真央は鉛筆と消しゴムをほおり投げると、大の字になって椅子の背もたれに体を投げ出した。

「できるわけねーだろうがぁこんなもん! 大体なんでこんなもんやらなくちゃいけねーんだ!? 俺にこんな問題解けるわきゃねーだろうがぁ!」


 髪の毛を耳元でかきあげ、岡添絵里奈は鉛筆と消しゴムを拾い上げる。

「しょうがないわ。今回の中間テスト、全教科平均8点だったんだから。いくら関東大会出場が決まったからって、高校生なんだからきちんと勉強にも力を入れてもらわないといけないもの」

 そういって、真央の隣に腰掛け、その手に鉛筆を優しく握らせた。

「あれだけ真剣にボクシングに打ち込める人が、本気出して勉強すれば解けない問題なんてないと思うわ。だから、自暴自棄にならないで。ね?」


「お、おぅ……」

 岡添の、最近やけに頻繁なスキンシップに戸惑いながらも、真央は素直にその言葉に従った。


「それじゃあ、簡単なところからでもいいから復習していきましょう」

 



「……あの……秋元君、集中してる?」

 数十分間の間英語の文法についての解説を行っていた岡添だが、真央の意識が明らかに散漫になっていることに気が付いた。

「どんなに丁寧な解説をしたところで、当の本人がそんなに散漫な状態では何をやっても無駄になるわ。しっかり集中しなさい」

 やさしさの中に威厳を込めて、真央に教え諭した。


 すると

「い、いやよぉ……ちっとそれは厳しいぜ、さすがに」

 真央はガリガリと頭を掻いた。

「なんつーかさ……あのよ……んだよな……」

 何かを言いかけたようだが、その言葉の語尾は、この男には似合わない小さなものへと変化していた。


「何かしら?」

 眼鏡のブリッジを持ち上げ、岡添は訊ねる。

「何か問題があるのなら、聞かせてほしいわ」


 すると真央は顔を背け、小さく口走る。

「……な、なんつーか、あんたすげーいい匂いするんだな……そう言うことばっか気にしてたらよ、何か集中力途切れちまってな……」


「えっ!?」

 ドキン、岡添の胸は高鳴る。

「そ、そ、そうかしら……生徒に……秋元君にそんなこと言われるの……何か変な感じね……」

 そして、再び無意識のうちに髪の毛をかきあげると、部屋中にそのかぐわしき香りが充満するようにも感じられる。

「あ、あ、秋元君は釘宮……桃さんと奈緒さんと一緒に暮らしているから、女性のこういう香りにはなれていらっしゃると思ったんだけど……」


「ん? んん、まあ、な。だけど……」

 腕を組み、首を傾げ眉をひそめる真央。

「だけど、なんつーか、あんたの匂いの方が、大人っぽい、っつーのかな……なんかこう、ドキドキするっつーか……」

 

「そ、そうかしら……その……」

 うるんだ、熱のこもった瞳で真央を見つめる岡添は訊ねる。

「……あ、秋元君は……ど、どちらが……釘宮さんたちと、私と……どちらがお好みかしら……」


「あぁん?」

 その発言の糸がわからず、顔をしかめる真央。


「い、いや! そ、そういう言う意味じゃなくて……香り……こういう香りが好きなのかなって、それだけ」

 顔を真っ赤にして、両手をぶるぶると振るわせて岡添は言った。


「おお? ん、まあ、両方別に嫌いってわけじゃねーけど……」

 首筋に手をやり、ぐるぐると首を回す真央。

 そして、おもむろに口走る。

「こういう大人っぽい匂いも、嫌いじゃねーよ」


 キュッ、岡添の体の内側から、熱い何かがほとばしるような感覚が広がる。

 じわり、その感覚は体中に広がってゆく。

「……そ、そう。その言葉、すごく……すごく……嬉しいわ……そ、それに秋元君だって……男らしい匂いがして……私も……ドキドキするわ」



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