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    3.8 (土)21:00

 ガチャリ、桃はバスルームの扉を開けた。

「じゃあマー坊、ここがお風呂だから」

 

「色々すまねーな」

 その後についてきた真央は、バスルームに入るなり

「まあ、予想はしてたけどな」

 とこぼれるため息。 

 広々とした脱衣所は、これまたまるでホテルの大浴場のようだ。

「なんだろうな、銭湯でも開こうってのか?」


「まあ、お母さんの趣味かな」

 桃も常々思っていることだ。

 そして、棚の中に新しいマットを引き出しながら

「別に人一人着替えるだけだからここまで広くなくてもいいとはあたしも思うけど。

 

 その桃の言葉を聞くと、真央はふと、先ほどの奈緒の言葉を思い出した。


――ボクサーを見るたびに、どういうわけか、思い出なんてないのにお父さんを思い出しちゃうんだ――


 しばらく逡巡した後

「あのさ、桃ちゃん」

 真央は口を開いた。


「なに?」

 棚の中を丁寧に探りながら、振り向きもせずそれに答える桃。  


「やっぱ桃ちゃんって、ボクシング嫌いなのか?」

 言葉を選びもせず、ストレートに思っていることを口にした。


 その言葉を聞くと、一瞬桃の手が止まる。

 そして小さくため息をつくと

「ごめんね。君がどうとか、そういうことを言うつもりはないんだけど」

 婉曲的表現ではあるが、その心中が吐露された。

「奈緒がボクシングに関わるたびに、すごくつらい思いがする。あの子、父親の記憶がほとんどないくせに、ボクサーの姿に父親の姿を重ねちゃってるんだ」

 

 こくり、小さくうなづく真央。

「聞いたよ」

 

「そっか」

 短く返す桃。

「ボクシング同好会なんてものを立ち上げてマネージャーをするなんて言い出したとき、すごく反対した。だけど止められなかった。あんなに自己主張するあの子を見るの、初めてだった」

 いつでも姉の言うことを聞き、素直に従う奈緒。

 その奈緒が、生まれて自分のやりたいことを、自分を曲げることなく主張したのが、ボクシング同好会の立ち上げだった。

「正直、まだ認めたくない。父親のことだけじゃない。何ラウンドもかけてわざわざ人間同士が頭や体を殴りあう、何人もの死人が出ているスポーツに関わるなんて」

 そういうと、真央を振り返った。

「ごめんね。気を悪くしたかな」

 

「いや」

 その言葉を聞くと、真央は頭をわしわしとかきむしる。

「言いも悪いもねーよ。それがボクシングだ」


「ただね」

 そういうと桃は小さく微笑んだ。

「君のことは認めてあげる。少なくとも悪い人じゃなさそうだし。デリカシーはないけど、おばあさんのために引ったくりを追いかけるような、正義感のある人間だしね」

 そういうと

「えいっ」

 

「うぉっ?」


 ファサッ、桃はバスタオルとマットを投げ渡した。

「さあ、さっさとお風呂入っちゃって。他に二人、女の子が控えているんだからな」

 小さく笑うと、出入り口のドアノブに手をかけた。

  

「いいのか?居候の俺が先に入っちまって。こういうときは普通遠慮するべきもんなんだが」

 一番風呂は、その家の住人であるべきだ。  

 真央なりの礼儀を見せたつもりだったが

 

「いいの。先に入っちゃって」

 背中を向けたまま桃が言った。

 

「でも、やっぱわりーよ。じゃあ奈緒ちゃんに先に入ってもらえば」

 それでも遠慮する真央に対し

 

「いいの! さっさと入れ!!」

 バタン、桃は勢いよくドアを閉めると桃は脱衣所から出て行った。


「? 何であいつあんなに怒ってるんだ?」

 デリカシーのかけらも無い真央は、なぜ桃が怒ったのか理解できなかった。

「やっぱ女って、わけわかんねーわ」

 困惑しながらも、あっという間に服を脱ぎ、ガラガラガラ、扉を開けてバスルームへと入っていった。

 



 キュッキュッ

 

「とは言いつつも」


 ジュジュジュ、ショワー

 

「やっぱお湯は汚したくねーからな、っと」

 真央はシャワーを勢いよく放出した。


 バスルームが瞬く間に白い湯気に包まれる。

 真央はそのまましばらく心地よいシャワーのマッサージに全身を委ねていた。


「さってと」

 真央はシャワーの下の棚に目を配る。

「ん?」

 真央は洗剤の入ったポンプを色々と見比べた。

「どれがシャンプーだ?」

 そのうちのひとつをとって手につけ、泡立ててみた。

 しかし何の反応も無い。

「これ、リンスか?」

 もうひとつのポンプから液体を出し、またもや泡立ててみたが、これも反応がない。

「ていうか、石鹸がねえじゃねえか」

 真央は周囲をきょろきょろと見回す。

 真央が広島の祖父の家で使用していた固形の石鹸はどこにも見当たらなかった。

「この家の人間は体あらわねーのか? いや、まさかな」

 

 その時

 

 コンコン

 

「入るよー」

 桃の声が脱衣所から響いた。

「大丈夫? ちゃんとシャワー使えてる?」


「おお、桃ちゃん!」

 真央は胸をなでおろした。

「シャワーはいいんだけどさ、シャンプーと石鹸がみあたんねーんだよ」


「ああ、シャワーの右側の鏡が扉になってるから」

 はりあげた桃の声がバスルームにも響く。

「そこに入ってるの適当に使って」

 

「わかった!」

 その声が届くように、こちらも大きく声をはりあげる真央。 

 ガチャッ、言われた通りに扉を開ける。

 しかし

「なあ、やっぱり石鹸入ってねーんだけど!」

 

「あのな、君はいつの時代の人だ?」

 桃はため息をついた。

「ボディーソープって書いてあるのを使えばいいんだよ」

 

「ぼでぃーそーぷ?」

 聞きなれない横文字に戸惑う真央。

「なんだそら? そんなもんで体洗えんのか?」

 

「液体石鹸のことだと思えばいいよ」

 と桃が返事を返すや否や

 



 ガラガラガラ

 


 

 ごく当たり前のトーンでバスルームの扉が開け放たれた。


 


「なあ桃ちゃん、これ全部英語で書かれててわかんねーんだよ」

 その両手には、二つのソープボトル。

「どれ使えばいーんだ?」

 

 そこにあったのは



 全身ずぶぬれで腰にタオルを巻いている




 筋肉質の裸体だった。


「い、い、い」


「い?」


「いやぁあああああああああああああああ!」


「ちょ、ちょっと落ち着けって!」

 この“でりかしー”というもののないこの男は

「え? あ? そ、そっか!」

 ようやくその悲鳴の原因が今の自分の格好そのものにあると気がついたようだ。

「ちゃんとタオル巻いてんだろ?別にはずかしくねーだろ!? ほらあれだ、プールで水着着てるのとなんら変わりはねーんだから!」

 この男なりの理論で、桃をなだめ、落ち着かせようとしたが


「君は!」

 桃は右拳を硬く握り締め

「少し!」

 脇を占めながらもそれを大きく振りかぶり


「少し、何?」


「デリカシーってものを覚えなさいよぉ!!」


 バキィッ!


 見事な右ストレートが真央の左顔面を捉えた。

 不意を突かれた真央の頭は大きく揺さぶられ、その意識は一瞬で断ち切られた。

 その薄れ行く意識の中で、かろうじて浮かぶ事実。

「やっぱ女ってめんどくさい生き物だ」




 スタスタスタ


「ほえ?」

 入浴の身支度を整えた奈緒は、一階廊下を歩く桃への違和感に二階から声をかける。

「桃ちゃん、顔赤いよ。熱でもあるの?」


「……」

 桃はその声に全く反応を示さない。


「あれま」

 そして小首をかしげ

「そういえば、さっき叫び声が聞こえたんだけど、気のせいかなー? ねー、何かあったー?」


「……」

 またもや反応がない。


 スタスタスタ


 無口なまま通り過ぎていく桃。


「ぷうぅ」

 その様子を怪訝な様子で眺める奈緒。

「変な桃ちゃん」

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