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    5.7 (火) 8:45

「えー、皆さんすでに、校舎の入り口に掲げられていた垂れ幕で知っているとは思いますが――」


ゴシック調の作りで統一された聖エウセビオ学園の校舎群、中でも礼拝堂を兼ねた講堂は、ひときわ荘厳な趣を見せる。

ステンドグラスの薔薇窓が天然の陽光を天国の祝福の光に変える下、木製のステージの上にぶっきらぼうに立ちすくむ真央と、いつもの柔らかな笑みを浮かべる丈一郎の姿。

「……よう丈一郎、あのおっさん誰だよ……」

真央の耳打ちに対し


「……おっさんなんていっちゃダメだよ……あの人がうちの校長なんだから……」

真央の耳元でのささやきにこそばゆさを感じながら、同じくこそこそと耳打ちを返す丈一郎。


「……ねえねえ! 見た見た? あの二人ひそひそ話していたよ……」

「……うんうん! なんかさ、ああいう格好いい男の子二人がああいうことやっていると、なんだか恋人同士がいちゃついているみたい……」

「……ちょっと、あんたそういう趣味あったの?……」

気持ちよさそうに話す校長を尻目に、講堂フロアに居並ぶ女子生徒たちは、真央と丈一郎の一挙手一投足にその瞳を輝かせた。


「……たっくよぉ、こなことぐれーでいちいち騒いでんじゃねーよ……」

ポケットに手を突っ込み、表情をゆがめてはき捨てる真央。

「関東大会出場くらいで騒いでたらよ、インターハイ優勝とかオリンピック出場と書き間たらどうするんだよ。体いくつあったって足りねーじゃねーか……」


その不満げな表情とは裏腹の、自信に満ち溢れた表情を丈一郎はまぶしそうに見つめる。

「……すごいなぁ、マー坊君は。僕なんか関東大会出場できるだけでも死ぬほど嬉しいのにさ……」

そして小さくため息をついた。

「……もしかしたら、僕のボクシング人生で最初で最後の表彰かもしれないんだよなあ、これが……」


トンッ

「ひゃっ!?」

不意に感じる、わき腹への指先の感覚に身をよじる丈一郎。


「……くだらねーこと言ってんじゃねーよ……」

ふわぁ、真央は退屈そうにあくびをこぼした。

「……お前はもうちっと自分に自信を持てよ……お前にボクシングを仕込んだのは誰だ? ミライのゴー炉度メダリストであり、三階級制覇が予定されているこの俺だろうが……俺の練習にきっちりついてくることができればよ、もっともっと高い頂見せてやんよ……」

へっ、口元をゆがませて不適な微笑をこぼした。


頭上に掲げられた巨大な十字架と荘厳なパイプオルガンの下、その瞬間丈一郎にはまさしく真央が“神の子”のように輝いて見えた。

「……マー坊君……」

身をよじらせながら、丈一郎は真央の目を真っ直ぐに見つめる。

そして

「……そうだったね……僕のチームメイトでボクシングの師匠は、世界最強の天才ボクサーだったね……」


「……そういうこった……」

再び真央はうつむくと、退屈そうにあくびをこぼした。


「――ということでして、えー、私のお話は終わりです。引き続きまして、ボクシング同好会キャプテン川西君、そして秋元君に、歩と子といただきたいと思います。」


ドッ、割れんばかりの歓声と、パチパチパチ、講堂を震わせる拍手の嵐が巻き起こる。


「うぉっ!」

気だるい雰囲気を身に間とっていた真央の目も、その衝撃に目をむいた。

「な、なんだぁ、一体?」


そのとき、真央は初めて自分自身に向けられる輝く瞳の女子生徒の、熱い視線の波に気がつく。

もともと女子生徒の数が圧倒的に多い聖エウセビオであったが、壇上に上がればその数の多さに改めて気付かされる。

どれ程多くの男たちに対峙しても引け目を感じることのない真央であったが、これ程多くの女子生徒達が異性に自分に後期の目を向けてくる経験は、いまだかつて経験したことがなかった。


「……せ、聖エウセビオってよ、こんなに女子の数多かったか?」


そのやや気後れしたような気弱な言葉を口にする真央の様子に、くすっ、丈一郎は小さな微笑を投げかける。

「……いまさら何言ってんのさ……うちはもともと女子校だった伝統が長いから、これぐらいは普通にいるよ……」

そういって、促しに従い校長が退いた演台の元に立つ。

そして、パチリ、真央に小さく目配せをして

「……大丈夫。僕がしっかりスピーチするから……マー坊君は簡単に挨拶くらいしてくれればいいからさ……」

くるり、その首を聴衆の前に向け口を開く。

「……えーっと、先ほど校長先生からお話がありましたように、僕と……」

その瞬間、丈一郎は手招きをして真央を自身の横へと誘導する。


「お、おお……」

その言葉、その指示に従い真央派演台へと足を進める。


丈一郎は、へにゃり、あの柔らかい微笑を浮かべる。


その瞬間、講堂に居合わせる女子生徒から、言葉にならない黄色い歓声が巻き起こる。


その声援を背景に、丈一郎は再び口を開く。

「――僕と、川西丈一郎と秋元真央は関東大会へと出場することが決定しました。これも皆さんの声援と応援のおかげだと思っています。僕は関東B代表ですが、秋元君は関東A代表として、インターハイ出場をかけて戦うことになります。精一杯頑張りますので、応援よろしくお願いします」

そして壇上で深々と頭を下げた。


ドッ、黄色い声援のなかに賞賛の歓声が入り混じる。

女子生徒ばかりではない、数は少ないものの、男子生徒の、男としての尊敬の念が込められた声だ。


その横で、満足そうにうなづく校長。

つい最近まで、奈緒が復活させたボクシング同好会に関心を一切払っていなかったことなど微塵も感じさせないほどのいい笑顔だ。

「それでは、秋元君にも一言いただこうと思います」

丈一郎の後を引き継いで壇上に戻り、真央にも言葉を促す。


「ああん?」

顔をしかめて、威嚇するような視線を校長にぶつける真央だったが


「まあまあ、挨拶だけしてくれればいいんだからさ」

その背中を丈一郎は押し、何とか真央を壇上へ押し出すことに成功した。


「……ったくよぉ、何で俺がこんなことしなくちゃならねーんだよ、めんどくせえ……」

そう言うと真央は、ポケットに手を突っ込んだまま軽く頭を下げ口を開く。

「……あぁーんっ、と、あー……」

ボリボリ、すでにのび始めた、再びもじゃもじゃとしたその輪郭を見せ始めた頭をかく。

「……とりあえず、関東出場程度で終わるつもりねーんで。細かいことはインターハイ優勝してからでいいだろ。またそんときな……」

いつものように、不調法で無作法ながらもどこか愛嬌のある振る舞いと言葉を残した。


すると、今まで以上の歓声が講堂を揺るがせた。

女子生徒の視線の温度が、また一層高まったようにも感じられる。


「……あーん、もう。何であんなに格好いいの! マー坊君って……」

「……でもさー、マー坊君って釘宮さんのところで同棲してるってうわさあるよね?……」

「……けどさ、それってたしか親戚同士で、マー坊君がボクシングのために東京に引っ越したときに同居しているだけだって聞いたけど……」

「……そうなんだー、よかったー。あの釘宮姉妹が相手って、ちょっと不利かなって思ってたから……」

「……それにマー坊君、ああ見えて今まで一度も女の子と付き合ったことないらしいよ……」

「……それそれ! 人って見かけによらないんだねー……」

「……きーめた。あたしマー坊君の初めての人になっちゃおーっと……」

「……初めての人、って……なんかちょっとやらしーんですけど……」


女子生徒の熱っぽい視線は、彼女たちのほのかな、淡い憧れがそのこころに芽吹いた故なのかもしれない。




「……まいったぜ、関東出場決めたくれーでこんなにめんどくせーことに巻き込まれるなんてよ……」

 四号館の屋上、いつものビオトープ、芝生にあぐらをかく真央は肩を落とし呟く。

いつもは待ち望んでやまない昼食時、いつになく疲れた表情がそこにはあった。


書家の到来を告げる日差しの下、真央とボクシング同好会の面々、葵とそして桃はめいめいが弁当を広げている。


「すごかったんですよ、あの朝礼の後の真央君」

平板なトーンと張り付いた笑顔の葵が言った。

「クラス中の女の子に囲まれて、いえ、隣のクラスの女の子のお顔もありましたでしょうか。まあ、真央君も男の子でいらっしゃいますね。大変嬉しそうな顔をなされていらっしゃいましたから」


「ふーん、そーなんだー」

同じく、そのにこやかな表情の内側にいわく形容しがたい情念を漂わせる奈緒の表情。

「よかったねー。最近特にマー坊君女の子にもてるみたいだからさー。マネージャーの私も、鼻が高いよー」


「何でそうなんだよ! 鼻の下なんか伸ばしてねーよ!」

顔を真っ赤にして、口に含んだ握り飯をはき飛ばさんばかりの形相でその言葉を否定する真央。

「だいたいよ、音など裳に囲まれてたのは俺だけじゃねーだろーが! 丈一郎の方がもっと楽しそうに音などもと話し込んでたろうが!」


「君と川西君とでは、ちょっと違うんじゃない?」

サンドウィッチをほおばる桃が言葉を加える。

先の二人とは異なり、やや機嫌の悪そうな表情だ。

「川西君は女の子の扱いに慣れているから余裕の表情だったけれど気味は明らかに顔を真っ赤にして、デレデレしている風に見えたじゃないか。そういうのを鼻の下を伸ばすって言うんだよ」


「まあまあ、皆もうそのくらいで……」

助け舟を出そうとした丈一郎に、三人の美しい少女たちの、その美しさに見合わない鋭い眼光が突き刺さる。

するとその剣幕に気圧されたかのように、苦笑いを浮かべた。

「……ははははは、ご、ごめんごめん、僕が口出す問題じゃなかったね……」


「あ! そ、そうだ、ま、マー坊先輩!」

減量を見越した、その巨体につりあわない小さな弁当箱の中身を大切そうに味わっていたレッドは、何かを思い出したかのようにポケットをまさぐった。

「こ、これなんすけど、ク、クラスの女の子達が、マー坊先輩に、わ、わたしてくれって」


見るとそこには、メールアドレスや電話番号の書かれた何枚かの紙が。


すると


「「あっ、危ない!」」


「あっ! あああああ!」


じょぼじょぼじょぼ、紙を携えるレッドの手のひらに、葵と奈緒が“誤って”お茶をこぼしてしまった。


「ごめんねー、レッド君、私っておっちょこちょいだから」

「いえいえ、悪いのはむしろ私のほうですから。レッド君、気を悪くされないでくださいね」


「……ったく、何をやっているんだか」

見え見えの真意を、いや、むしろ潔いほどにそれを隠そうとしない葵と奈緒の様子に、桃はため息をついた。


「……いやー、相変わらずこの人たちといると退屈しないなぁ」

いたずらな笑顔を浮かべる丈一郎は、やはりこの四人の関係性を楽しんで眺めるのみだった。

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