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    5.4 (土)12:48

――カァン――

“第三回、最終回です”


「スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ!」

「いいぞー! 杉浦ぁ! 手数だ、手数ゥ!」

「止まんな! 足とめねーでどんどん動けェ!」

 リング上で繰り広げられる激しい打ち合いと、観客席から上がる歓声が、20フィート(6.1メートル)、基準いっぱいの広さのリングを収めた小さな体育館を揺らす。


 その炸裂音と怒号のひしめく会場、カクテルパーティーでの会話のように、桃と葵、二人の少女はお互いの空間の中にいた。


 “あたしは、どんな時だってあたしのままでいたいんだ”、その言葉が何度も頭の中でこだまする。

 前を向き、そう断言した桃の横顔を葵はじっと見つめる。

 すると

「本当に、桃さんは桃さんなんですね」

 ふっ、とはかなげに笑った。

「本当に強いんですね。けど、私はそんなに強くはなれません。教育者としての立場を全うしようとする岡添先生のように、毅然とすることもできませんし」


「……うーん、と……」

 その葵の言葉に、桃は目じりを押さえ、小さく頭をコツコツと叩くようなそぶりを見せる。

「……あたしだって、強いわけじゃないよ。今はたまたまそういう考えだ、ってだけに過ぎないのかもしれないし。けど、少なくとも、男のせいで自分が変わってしまうような、そういう自分にはなりたくない、ってだけの話」


「スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ!」


 大歓声の中、桃はまるで二人きりで葵と相対するかのように語る。

「きっとあたしなんて、男の人から見たらかわいげがなくって意地っ張りなだけの女にしか見えないんじゃないのかな。けど、あたしは変わるつもりはないし、きっと一生変わらないんだよ」

 

「そういう風に言い切れるところが、桃さんは本当に強い女性だなあって思えるところなんですよ」

 ふっ、またもや葵は口元を緩める。

「私も、人を好きになるってことが、こんなにもせつなくて苦しいものだなんて思いもしませんでした。それでも、そのせつなさや苦しさの奥に、本当に大きくて暖かいものが隠れているんです。もしこの思いが成就するのであれば、この暖かさがせつなさや苦しみを吹き飛ばして、その暖かい何かと一つになれるんだと思うと、何を引き換えにしたところで、私は一向にかまいませんもの」

 

「買いかぶりすぎだよ。あたしは不器用なだけ」

 桃は、葵の言葉を突き放すように、クールに言った。

「あたしは、奈緒や葵みたいに、男の人にかわいい顔できるほど器用じゃないんだよ。前に奈緒にも言ったことがあるんだけど、あたしにはあんたたちのそういうところ、すっごくうらやましい時がある。けど――」


「スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ!」


 リング上では、杉浦と相手選手が激しい拳の応酬を繰り返す。

 バスッ、ボスッ、破裂するような打撃音が、両者のいっそうのヒートアップを物語る。


「いけー! そこだァ杉浦ァ!」

「杉浦先輩ファイトっすー!」

「スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ! スッ・ギ・ウラッ!」


「あたしはこれでいい。誰かを好きになるために自分が変わるくらいなら、あたしは一人でいい」

 リング上での二人のボクサーの動きに注視しながら、桃はきっぱりと断言した。


「桃さん……」

 すると葵は、隣に座る桃の手を、きゅ、と握りしめる。

「……桃さんが男の人だったら、さぞ女の人にもてたのかもしれませんね」

 と柔らかく笑った。


「へ、変な事言わないでよ」

 桃は頬を赤らめ、その手を振りほどいた。


 その様子に、葵は再び頬を緩めて笑う。

「……ですが、もし……もし、そのままの桃さんの、そのままの姿のまま受け止めて、受け入れてくれる男性が現れたら、どうしますか?」 


「えっ?」

 体をぴくんと反応させ、桃は目を見開いた。

「え……っと……」

 桃は小さく目じりを人差し指で押さえ、そして言った。

「あたしみたいなめんどくさい女うけいれるって、そんな男いないと思うけどね」


「そうでしょうか」

 桃の目を見て、葵は口を開く。

「例えば、真央君。真央君ほどこころの大きい人ならば、桃さんだって受け入れてくれるのではないんですか?」


 ふうっ、ため息をつきながら、またもや目じりを押さえる桃。

「あのさ、奈緒もそうだけど、みんなあたしとマー坊のこと誤解してるって。あたしには、あたしの中にはあいつのことどうこうとか、そういうのないんだから」


「……そうなの……ですか?」

 と口を開く葵。

「でも、一つ屋根の下で暮らしてらっしゃいますし……やはり、あのときのように、真央君の気持ちを理解してあげられるのは、やっぱり桃さんなんだと思います」

 すると、葵は自嘲気味に笑った。

「ごめんなさい。なんだか変なこといっちゃって。けど、やっぱり気になっちゃうんです。前にも言いましたけど、私……私、真央君のことが好きなんです。誰にも渡したくないくらい。例えそれが、大好きな桃さんや奈緒さんが相手でも、です……」


――カァンカァンカァンカァン――

“試合終了です!”

 アナウンサーを務める女子生徒は、それでお手を止めないリング上の二人のファイターに対し、興奮気味に声を上げる。

 レフェリーの「ストップ!」の声も耳に届かぬリング上の両者。

 最終ラウンドの二分間が経過したことに思いもよらず、二人は張り付きあった粘着テープのようにびりびりと引き離された。


「あのさ、いっつも疑問に思うんだけど、葵にも、奈緒にもだけど」

 ややあきれたような表情で言う桃。

「そんなにあいつのことが好きなら、さっさと告白しちゃえばいいじゃないか。葵は美人だし、性格もいいしさ。あいつだって、というか、男だったら葵のことほっておける奴なんていないよ」


「でも、この関係が崩れてしまうのも嫌なんです」

 真剣な表情で桃の言葉に葵は反論する。

「私、真央君を独占した言って気持ちは強いんですけど、けど、それ以上に、こうして桃さんや奈緒さん、川西君やレッド君たちと仲良く一緒に過ごすのも好きなんです。きっとそれは、奈緒さんも同じじゃないかな、って思うんです」

 そういうと、にこり、大きな笑顔で言った。 

「そういうの、ちょっと苦しいんですけど。けど、こんなに仲良く、深くお付き合いできたお友達手、ほかにいなかったんです。だから、今はもう少しだけ……もう少しだけ、気持ちに鍵をかけておきたい、と思うんです」


「両者、中央へ!」

 レフェリーは手馴れた手つきで二人のボクサーを中央へと招き寄せる。


 祈るような表情で両チームの観客、そしてトレーナー達が見守る中、やはり桃と葵は二人だけの世界にいた。


 その葵の言葉に、桃も大きく笑って答える。

「そっか、そうなんだ。あたしもそう思う。こんなに深く付き合える友達できたのはじめてかもだし。葵とも、以前よりもっと仲良くなれた気がする。そういう意味では、あのボクシングバカたちに感謝かな」


“ただ今の試合の結果、青コーナー、西山大学附属、杉浦君の勝利です”

 レフェリーは高々と杉山の腕を掲げる。

 杉浦は、声に鳴らないなにかを叫ぶ。


「「やったぁ!」」

 そのアナウンスに、桃も葵も飛び上がっての歓喜の声。

 会場中に、拍手と歓声が響き渡る。

 

「けどね、あたしは恋人とかのレールには最初っから乗ってないから。奈緒にも話したけど、あたしも、あいつのこと好きだよ」

 そしてストンッ、桃は再び椅子に腰掛ける。

「けどそれは、異性として、恋人としての好きじゃない。『ラブ』じゃなくって、『ライク』の好きだって。断言できるよ。だから、あたしはあいつとそういうことになるって、絶対にないからさ」

 こんどは、同じくいすに腰掛けた葵をからかうように肘でつつきながら 

「あたしより、奈緒のこと心配したほうがいいんじゃない? あの子こそ、マー坊に本気で惚れてるみたいだしさ。それにほら、こないだのプールの一件以来、うちのクラスの女子もちょっとづつマー坊との距離がちぢまってきたみたいだしさ。今まで見たいにのんびりできないんじゃないの?」


 その言葉に、やや照れたような表情の葵。

「そうかもしれませんね。けど、私、例え奈緒さんが相手でも、負けるつもりはありませんし、真央君のことが誰よりも好きだって自信はありますから」

 と胸を張って言った。

「もし真央君が私を受け入れてくれたら、そのときは真っ先にご報告いたしますね」


「ああ」

 桃は葵に大きな笑顔を返した。

「そうなると、いいな」


 ぬっ、大きな影が二人に差し込む。


「「!?」」

 その影に、桃と葵は体を硬直させる。


 おおかな影は、おもむろに口を開く。

「なにが、そうなるといいんだ?」

 

「ま、マー坊じゃないか!」

 その影の人物を認めた桃は、大声で叫んだ。

「い、一体こんなところで何をしてるんだ!?」


「そ、そうですよ!」

 葵もおろおろとして言葉を重ねる。

「い、い、いつからいらっしゃっていたのですか?」


「ああん? 何わけのわかんねーこといってんだ? 俺も杉浦のこと応援してたのに決まってんじゃねーか」

 まるでこともなげに、あっけらかんとした様子で答える真央。

「んーと、そうだな。ニラウンド目くらいから。岡添先生がいなくなた辺りからずっとここで応援してたぜ」


 大声援の中に時折混じる掛け声は、真央のものであったことが判明した。


「んで、さっきから二人して、何話し込んでたんだ?」

 無神経に、ある意味では真央らしい口ぶりで訊ねると


「なんでもないっ!」

 桃は大声で真央に怒鳴りつけた。

「大体もう杉浦君の試合は終わったんだ! こんなところで油売ってないで、とっととアップでもしにいったらどうなんだ!?」


「へいへぃーっと。んだよ、そんなにあせる必要ねーのによ」

 ぶつくさとこぼした真央は

「んじゃ、いこーぜ、丈一郎」


「「!? 川西君も!?」」

 更に驚愕の声が重なる桃と葵。


「そっか、じゃあそろそろ行こうか」

 そこに表れたのは、思いもよらない丈一郎の姿だった。

 にやり、丈一郎は何か腹に一物を秘めたような笑顔で桃と葵に微笑みかける。

「……どんな話をしていたか、僕にも後で聞かせてよ。っていうか、もしかして聞く必要ない感じ?」


「「川西君っ!」」

 再び重なる二人の声に


「やっぱり聞くまでもなかったじゃん」

 柔らかく、しかしそれでいて小悪魔のような微笑を浮かべる丈一郎だった。

「さ、いこうよ、マー坊君」


「? お、おお」

 わけもわからず、首をかしげる間だけが話題から取り残されていた。

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