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    5.4 (土)11:40

“セコンドアウト”

 赤コーナーのポストから、真央が降りるとほぼ同時に


――カァン――

“第一ラウンド”


 試合開始を告げるゴングとアナウンスが鳴り響く。

 その音に、まるで発作のように体を反応させ、ばねが反り返るごとく時コーナーから飛び出す二人のボクサー。


 青一色のエキップメントに身を固めるのは、都立北台高校の鹿屋選手。

 対する赤のサイドは、聖エウセビオ学園川西選手、我らが丈一郎だ。


 二人は軽快にステップを刻みながら、距離を測りつつもそれを埋めていく。



「「「ゴー、ゴー、カッ・ノッ・ヤッ、ゴー、ゴー、カッ・ノッ・ヤッ、」」」

 地鳴りのような低い声援が、古ぼけた体育館に響く。

「「「ゴー、ゴー、カッ・ノッ・ヤッ、ゴー、ゴー、カッ・ノッ・ヤッ、」」」

 今では数少なくなってしまった高校ボクシング部の古豪、都立北大高校のボクシング部の声援は、力強くも殺気立った何かを感じさせる。


 一方の、真の意味での古豪、鶴園修吾現西山大学付属中学高等学校ボクシング部総監督を輩出した聖エウセビオ学園は

「ファイトです! 川西君!」

「いけいけ! 川西君!」

 会場の熱気に包まれ、冬用のブレザーを脱ぎ捨てた桃と葵の、力いっぱいの声援は、かき消されることなくその存在を主張する。



 先に仕掛けたのは、経験に勝る鹿屋だ。

 素早くジャブを繰り出し、正確に距離を確かめた後、瞬時に距離を縮め右フックを繰り出す。

 

 ボンッ!


 ナイロン製のグローブとギアが叩かれ合う鈍い音がこだまする。


 ドォッ

 その一発に、北台高校のボクシング部員の声が爆発する。


「きゃっ!」

 葵は思わず肩をすくめる。

「す、すごいですね……軽量級とは言いつつも、やはり男の人が力を込めて殴ると、ものすごい音がするのですね」



 さらに鹿屋は左フックや左アッパー、ボディー、と上下左右にお手本のようなコンビネーションを繰り返す。

 丈一郎はそれをガードしつつ、体を入れ替えて再び距離を作る。



「鹿屋君は中学時代、Uジュニアの時代に44キロ級で東京都の代表にもなったことのある試合巧者です」

 鶴園は、先ほどとは一転した真剣な表情で言った。

「やはり一筋縄ではいかない様ですな。何一つ上滑りする様子が見えない」


 葵同様、目の前で繰り返される荒々しい光景に、体を硬直させた岡添は

「……や、やっぱりちょっと……すごいですね……」

 と弱弱しくつぶやく。

 ふと、赤コーナーのリングサイドに目をやる。

「と、ところで、ま……秋元君と、釘宮さんはなぜあそこに座ったままなのですか? 声援なり、アドバイスなりを送るべきなのではないかと思うんですけど……」


「観戦者と競技者、関係者との間には厳然とした区別が存在します。我々役員も含めてですが」

 鶴園は眼鏡の位置を直しながら言った。

「アマチュアボクシングにおいて、セコンドら関係者は口をつぐんでいなければならないのです。まあ、このような形で言葉を交わす程度ならば問題もないのでしょうが。メインセコンドの秋元君も、サブセコンドの釘宮さんも、ともに所定の場所で控えていなければなりません」

 

 その言葉の通り、ジャージー姿の真央も奈緒も、両拳を固く握りしめながら、歯を食い入るように、眉間にしわを寄せてリングを注視している。

 自分自身の中に芽生える衝動を全身で押さえつけているかのようだ。

 よく見ると、口中で真央は何かを呟いているようにも見える。


 その心を代弁するかのように鶴園は言った。

「メインセコンドに唯一許されたアドバイスの時間、インターバルの一分間に何をアドバイスすべきか、今一生懸命まとめておるのでしょうな」

 そして、岡添に向き直り言葉をかける。

「リングの上のボクサーは孤独です。試合を決定するのはボクサー自身です。しかし、リングの外には共に戦う仲間が存在します。彼らもまた、リングの外で戦っておるのですよ」


 

 リングの上では、軽量級らしいスピーディーな攻防が展開される。

 共に距離をとりつつ、隙を見ては距離を詰め、息つく暇もなく拳が交錯する。

 2分3ラウンド、プロが泥沼のマラソンマッチだとすれば、高校ボクシングはまさしく中距離走だ。

 二分間、休むことなく拳を繰り出さなければならない。

 ただポイントを稼ぐだけではなく、拳の強さ、どれだけラウンドを支配できたかが採点の基準となる。

 リング上の二人は、冷静な頭脳と熱いハートを最大限までぶつけあっていた。



――カァン――

「ストーップ!」

 第一ラウンド終了のゴングが響く。


 と同時に

「っしゃ、いくぞ!」

「うん!」

 真央と奈緒、二人のセコンドはコーナーポストへと飛び出していた。


「「「カッ・ノッ・ヤッ、カッ・ノッ・ヤッ、カッ・ノッ・ヤッ、カッ・ノッ・ヤッ」」」

 インターバル中も、相手選手への激しい声援が会場にこだまする。

 

 真央が素早くロープをくぐると、息のあった様子で奈緒が椅子を差し出し、それを受け取った真央が丈一郎を座らせる。

 そして真央は丈一郎の口をこじ開け、マウスピースを取り出しロープ外の奈緒へ渡す。

 そしてタオルで汗を拭きとり、丈一郎の口に水を含ませ、うがいをさせながら

「よし、いい調子だ。上出来上出来。深呼吸しろ、リラックス、リラックス」

 と声をかけ

「まあ、このラウンドは相手のもんだ。力が抜けてるんはいいが、少しガードが低すぎる。出はいりをもっと速く。お前の左ストレート嫌がってるから、どんどん出せ。いいな?」

 きわめて簡潔に、的確にアドバイスを伝えた。


 ぐちゅぐちゅと水を含み、奈緒の差し出す水受けにそれを捨てる丈一郎。

「うん」

 呼吸を落ち着けるため、こちらの簡潔に意思表示した。


 そして真央は丈一郎に大きく激しく深呼吸をさせ、そしてタオルを大きくふるって風を丈一郎に集めた。


 セコンドアウトの瞬間、真央は奈緒から受けったマウスピースを丈一郎の口に押し込み

「いいな? 出はいりだぞ出はいり」

“セコンドアウト”

 最後に一番重要なポイントを念押ししてコーナーサイドから姿を消した。


――カァン――

“第二ラウンド”

 第二ラウンド開始を告げるゴング、そしてアナウンスが鳴り響く。


 それを合図に、再びコーナーから勢いよく飛び出す、二人のフライ級ボクサー。


 この回、先手をとったのは




「速い!」

 声を張り上げる桃。




 タンッ、ヤマネコのように軽快に距離を詰め、シュンッ、素早い左ストレートをクリーンヒットさせる丈一郎だった。

 その左ストレートが鹿屋のガードをこじ開けると、左ボディー、そして右フックをさらに鹿屋の体にめり込ませる。

 そして一気に距離を離し、再び距離を詰めさらに上下にコンビネーションを叩き込む。



「「「ゴー、ゴー、カッ・ノッ・ヤッ、ゴー、ゴー、カッ・ノッ・ヤッ、」」」

「鹿屋ぁ! 距離つぶせ! やばかったらくっついちまえ!」

 外野の席から声援とアドバイスが飛ぶ。


 

 リング上の鹿屋も、その言葉通りにタイミングを見て距離をつぶし、そしてカウンターを叩き込もうとするが



「おせえよ」

 手に汗を握る真央は、小さくつぶやく。


「練習では何センチも長いリーチの相手とスパーしてきたんだもん」

 同じく、興奮を隠しきれない様子で、しかし小さくつぶやく奈緒。

「よほどのことじゃ捉えられないよ」

 


 鹿屋の拳は、いよいよ前後の動きを速める丈一郎の姿をとらえきれずに空を切る。

 時折届いたその拳も、柔らかな上体がガードとともにその拳の勢いを殺す。

 前後へ、そして右へ右へと回るその動きに、徐々にペースを失いつつあった。

 そして


 ゴッ



「よっしゃ!」

「やった!」

 セコンド二人の歓声。


「よしっ!」

 ガタンッ、興奮して飛び上がる桃。

「きゃっ!」

 小さな悲鳴、しかし瞳はしっかりとリング状にくぎ付けになった葵。

 そして会場中に悲鳴と完成、両方が入り混じった声が鳴り響く。



 距離を詰めようと繰り出された鹿屋の拳をバックステップでかわした丈一郎が、冷静に左ストレートを顔やのあごに叩き込んだ。

 鹿屋は足をもつれさせたかのように後退すると、そのまましりもちをついた。


「ストーップ!」

 試合を断ち切るレフェリーの声。

 申し分のないタイミングで叩き込まれた左拳と倒れこむ鹿屋の体、一切の偏見も入り込む余地のないダウンだった。


「はあっ、はあっ、はあっ」

 興奮と疲労に、肩を大きく揺らす丈一郎。


 レフェリーは丈一郎をニュートラルコーナーへと離し、間髪入れずにカウントをかける。

「ワン、ツー、スリー……」


 一瞬のことに呆然としていた鹿屋は、その声に引き戻され、慌てて立ち上がる。


「シックス、セブン、エイト……」


 エイトカウント共に鹿屋は拳をあげ、そして再びファイティングポーズをとる。


 その姿に続行可能を判断したレフェリーは

「ボックス!」

 試合を再開させた。 

 

 それを合図に、再びリング中央で拳を交える二人。

 流れを取り戻すため、鹿屋は必死で拳を振り回し続けるが、丈一郎のスピードは緩まることを知らない。

 鋭い出はいりに、左ストレートの閃きが上乗せされる。

 まさしくそれは、一か月前に真央がダメージの残る丈一郎に対し練習するように指示した、あの左ストレートだった。

 しなやかにぐんと伸びる、そして一寸のぶれもない左ストレートが、鹿屋のガードをこじ開け、顔面に突き刺さる。



「すごいね! 丈一郎君!」

 声援、アドバイスとは受け取られない程度の大声で、奈緒は叫ぶ。

「タイミングといいスピードといい威力といい、申し分のないパンチだよ!」


 にやり、口元に不敵な笑みを浮かべ、真央は言う。

「上体が全くぶれずに一足飛びに体が移動して、そんでこれもぶれのない左ストレートだ」

 そして、パシン、もはや自分自身の出番が待ち切れないかのように拳を掌にたたきつける。

「体感的には丈一郎のリーチ以上の伸びを感じるだろうよ。はっ、あの鹿屋ってやつ、なんでこんなシンプルなストレートをこんだけ貰っちまうか、理解すらできねーかもな」


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