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    5.4 (土)10:45

「ん? なんかおかしーか?」

 じょりじょりと短く刈り上げられた坊主頭を撫でて見せる真央の姿に


「……え、えっと、あの、その、ずいぶん短く……されたの、です、ね」

 と表情をこわばらせる葵。

 それもそのはずだ。

 もとからの鋭い目付、いかつい風貌に加え、短く刈り上げられたその坊主頭は威圧感十分だ。

 きの弱い子供なら引付すら起こしてしまいかねないほどに。


「葵、はっきり言ってやっていいんだよ。怖すぎるって」

 ずいと、葵の縦になるかのように真央との間に体を割りこませる桃。

 そして真央の顔をにらみつけ

「君みたいな男が丸坊主にしたら、みんな怖がっちゃうだろ。だから言ったんだ。丸坊主にするのは禁止って」


「いやー、僕も本当は丸坊主にするつもりだったんだけどね。西山大のみんなもそうしてるし。けど……」

 頬をかきながら、苦笑いする丈一郎。

「けど、このマー坊君の坊主頭見たら、僕はやらない方がいいかもなって、そう思ったんだ」


「んだよ。おめーらなんでそんなに俺のこの頭気に食わねーんだ?」

 そう言うと、真央は再び心地よさそうに頭をじょりじょりと撫でつける。

「この髪形なら1000円くらいで済むしよ。それに、威圧感出るっつうんなら、それこそこれからリングに上がるにはもってこいじゃねーか。それに髪の毛なんざ、一週間もすればまた伸びんだからよ」

 

「えへへへー、ま、まあ確かにちょっと怖いかもだけど」

 頬をポリポリとかきながら奈緒は言う。

「だけど、どういうわけか、これすっごく似合ってるような気もするんだよねー。慣れれば、ってことなのかもしれないけど、わたし、結構好きだよ」


「そう言われてみれば……」

 奈緒の言葉に触発され、まじまじと真央の顔を見つめる葵。

「確かにちょっと怖いかもしれないですが、でも真央君はもともと整った顔立ちをされていますから、どんな髪型をしても似合うと思います」

 といってにっこり笑った。


「……まあ……確かに……変にちゃらちゃら髪の毛を伸ばすのよりかはいいとは思うけど……」

 桃も、徐々に尻すぼみになる言葉を口にした。

「けどもう完全な丸坊主は禁止! クラスのみんなとかが今の君を見たら、みんな怖がっちゃうんだからな! わかった!?」


「まったく、桃さんは素直じゃありませんね」

 葵は口元に手をやりくすくすと笑った。

「にあっていると思うなら、似合ってるってはっきりおっしゃればいいのに」



 

「……ったく、葵も奈緒も、みんなマー坊に甘いんだから」

 やや頬を紅潮させながら、桃は腕組みをしてこぼす。


「まあまあ。そうおっしゃらずに」

 葵はなだめるように桃の肩に手を置き微笑んだ。

「ほら、もうじき川西君のデビュー戦、フライ級の一回戦が始まるところですから、しっかりと応援いたしましょう」


 制服姿の二人が腰を落ち着けたのは、高田学園の補助体育館、関東高等学校体育大会ボクシング競技東京都予選会会場に設置されたパイプイスだ。

 数百を数えられるであろうパイプイスには、出場者の父兄をはじめ関係者であろうか、まばらではあるが既に数名の観客が席を占めている。

 なるほど、桃の言うように、そう簡単に座席に座れなくなることなどなさそうだ。

 パイプイスで囲まれた空間のその中央には、様々なボクサーたちの生を彩る舞台となったリングが設置されている。


「私、ボクシングのリングを見るのはこれで二度目です」

 葵は改めてリングをじっくりと見つめた。

 木製の床からせり出した、およそ50センチメートルほどの高さのステージ状のリングの四隅には、しっかりとした鉄製の柱がすえつけられ、そしてそれを四本のロープがぐるり取り囲んでいる。

 そして、ステージ上のリングの上は、キャンバス地のマットでおおわれている。

 ふと、葵は何かに気が付く。

「あの……あのマットというか、キャンバス地のリングの上の……濁りというか、何か点々としたものって……もしかして……」


 その言葉に、コクリとうなづく桃。

「ああ。間違いないよ。間違いなくあれは血の跡だ」

 

 自分自身でもうすうす感づいてはいたが、桃の言葉にそれは確信へと変わった。

 葵の背筋は、何か言い知れようのない不安が襲う。

「……やはり……間違いないのですね……なんだか丈一郎君や真央君と接しているとついつい忘れてしまいがちですが、やはりボクシングというのは危険なスポーツなのですね……」


「そうだね。もはやスポーツとも言えないスポーツだよ」

 桃は吐き捨てるようにつぶやく。

「人間にとって最も重要な頭部をさらけ出して、お互いに殴り合うんだ。普通の神経じゃない。それに――」

 一呼吸置き、そしてあたかも預言者のごとく桃は言った。

「――それに、いくら安全の配慮をしているからといって、リングの上のボクサーはいつ人が死んだっておかしくない状況と隣り合わせなんだ。しかも、それがルールの中においてであれば、合法化さえされてしまう世界なんだ」


 ぞくっ、桃の表情とその言葉に、葵は背筋が凍りつくような思いがした。 

 まさかそんなことはないと思うけれど、という不安が葵の心をよぎる。

 葵はいつの間にか、普段学校で行っている例はいのように小さくその手を組み、祈るような姿勢を作っていた。




 桃と葵の座る席から向かい合わせの役員席に、同じく座る一組の影。


 左手に座る初老の人物は、西山大学付属のジャージーを羽織った初老の男性だった。

 その男性は隣に座る、スーツ姿の若い女性に話しかける。

「高校ボクシングの仕事、大変でしたかな? いやいや、岡添先生のような若い女性が役員を手伝ってくれるなどかつてなかったことですからな。いや華やか華やか」

 と好々爺然とした笑顔を見せた。


「いえ、そんな……」

 自身の母親がマネージャーとしてサポートを行っていたという鶴園監督の言葉に、少々困った笑いを見せる岡添。

「でも、色々と教えていただいて本当に助かりました。それにほら、うちの生徒も――」

 そういって岡添は、リングサイドで西山大付属の新入生たちと忙しそうに動き回るレッドの姿を指差す。

「西山大付属の生徒さんにいろいろサポートしていただいて、本当に御礼の言葉もありません」

 と小さく頭を下げた。


「ほほほ」

 その様子に、鶴園は目を細めた。

「さあ、それではフライ級の第一回戦ですな。となると、いよいよ……」


「ええ」

 きゅっ、岡添の拳にいつの間にか力がこもる。

「たった二人の聖エウセビオからの出場者、フライ級の川西丈一郎君のデビュー戦です」


「対戦相手は……と」

 鶴園は手もとに控えた組み合わせ表に目を通し

「そうですな、都立北台の選手、同じく2年生ですな……確か昨年のインターハイ予選では3位に入ったほどの選手です。これはなかなかのものですな」


 その言葉に、岡添の胸はかき乱される。

「ということは……優勝候補の一人ということでしょうか」

 と不安そうにつぶやいた。


 しかし鶴園の表情は相変わらずの柔らかだ。

「ほほほ、まあそうですな。しかし、この数か月間何度もうちの高校に足を運んで、何度もスパーを繰り返してきましたからな」

 その言葉は暖かく、岡添の不安を払拭すかのようなものだった。

「バンタム級に上げた杉浦との一戦、結果的には彼の敗北となりましたが、しかし名門西山大付属で一年間厳し鍛錬を積んできた杉浦を実力の上では圧倒していましたからな。私は、柄にもなくワクワクしていますよ」

 そして、岡添に対してにっこりとほほ笑んだ。

「彼の、川西君の成長した姿を目の当たりにするのが、ね」



 カァ――ン

 会場を震わせるゴングの音に引き続き

“フライ級準決勝、両選手の紹介をいたします”

 会場内に、おそらくは高田学園のマネージャーなのだろう、女子生徒の声がスピーカーより響く。

“赤コーナー、鹿屋君。北台高校”


 どっ、会場に大きな声援が響く。

 チームメイトなのだろう、勇壮な声がこだまする。


 赤コーナーの紹介に引き続き

“青コーナー、川西君。聖エウセビオ学園高校”


 まばらな拍手が鳴り響く中

「川西くーん! がんばってー!」

「リラックスだぞ! 精一杯な!」

 北台高校ほどの迫力はないものの、それに負けない気迫のこもった桃と葵の声が丈一郎の背中を後押しする。


 赤コーナーの鹿屋、そして青コーナーの丈一郎がそれぞれのコーナーポストにもたれかかる。


「いいか、緊張するんじゃねーぞ? この俺がセコンドについてるんだからな」

 コーナーサイドで、ヘッドギアを装着した頭を叩き丈一郎にはっぱをかける真央。

「この間のスパーリング大会のこと思い出せ。お前なら間違いなく勝てる。わかったな」


 その言葉に、丈一郎は無言でうなづいた。


 赤コーナーを回ったレフェリーが、今度は青コーナーの丈一郎のもとに近づいてくる。

 ヘッドギア、マウスピース、そしてファウルカップが問題なく装着されているかどうかをくまなく点検すると、レフェリーは小さくうなづいて、リング中央へと足を運んだ。

 そしてその指示に従い、鹿屋、そして丈一郎も同じくリング中央へ足を運び、そこで初めての対峙の時を迎えた。

 二人とも、レフェリーの注意を聞きながらも、意識は常にお互いのもとへと注がれていた。

 一ミリたりとも視線をそらすことはない。

 そしてレフェリーの指示のもと、二人はグローブを合わせる。


 ボンッ!

 

 その瞬間、二人の心に火がともる。

 二人はくるりとたがいに背を向けると、それぞれのセコンドの待つコーナーサイドへと戻っていった。

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