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    5.1 (水)16:50

 カァン


 鳴り響くゴングの音。


 バンッ、グローブに包まれた二人のボクサーの拳は、リング中央で軽く触れ合う。

 戦闘準備完了だ。

   

「ふっ」

 マウスピースをかみしめるその航空から通気音が漏れる。

 と同時に、フライ級のボクサーは軽やかにあいさつ代わりの左ジャブを繰り差し、それとともに左へ左へとステップを刻む。


 もう一方、二回り以上体の大きいウェルター級のボクサーは、あえて懐を浅く構え、パリングで丁寧にジャブをさばいていく。

 左へ左へ回るフライ級のボクサーをあえて追うことはせず、じりじりとそれにつきあいながら体を回転させる。

 あえて追うことはないながらも、常に頭を振り、その的を絞らせない。


 パン、パパン、フライ級のボクサーのジャブは次第にスピードを増し、時に一気に間合いを詰めて右ストレートを繰り出す。


 左ジャブをパリングしながら、ウェルター級のボクサーはその右ストレートをスウェーし、半歩距離を詰めて左フックを返す。


 フライ級はそれを瞬時に察知し、こちらをダッキングでかわす。


 そこへウェルターキューが右アッパーカットを繰り出すが、今度はフライ級がスウェーでやり過ごす。


 すると一転、今度はウェルター級がその体格に似合わない、フライ級を凌駕する素早いジャブを繰り出し続ける。


 体重差によるその拳の重さに辟易としながらも、フライ級は身長にそのジャブをガードしつつ、さらに左右のコンビネーションを繰り出し、一瞬たりとも気を緩めることはない。


 しかし、スピード、パワー、そして何よりテクニックで数段優るウェルター級は、左手一本でフライ級をコントロールする。


 フライ級はひたすらに連打を放ちながら、皮膚一枚でもウェルター級に触れようともがく。

 その姿は、さながら深海へと潜るダイバーのようだ。

 ここまですでに5ラウンドが経過している。

 普段、階級維持が難しくなるほどに走りこんでいるフライ級も、ウェルター級の派する無言の圧力に呼吸は乱れ、手足はもつれ始める。

 しかし、何とか足はフットワークを維持し、投資がその連打を放ち続ける。


 相互に繰り出した拳、それが百を当に超えたであろうその瞬間――


 カァン


 3分間終了のゴングがフライ級を緊張から解放した。


「ぷっはあっ!」

 丈一郎はたまらずマウスピースを吐き出し、大きく肩で息を継いだ。

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 数か月前と比べて格段に体力、技術、そして精神力が向上したという確信はある。

 しかし目の前にいる男、自他ともに認める“天才”ボクサー、秋元真央は全くの涼しい顔だった。

「っ、もぅっ、マー坊君とマスやると、それだけでもう、自身、全部、なくなっちゃう、よっ。二日後には関東大会だって、のに、さっ」

 ロープに片手をかけながら、悔しそうな、しかし真央に対する尊敬のこもった言葉が口をついた。


「おつかれさまっ!」

 予定していた6ラウンドのマススパーが終了し、ヘッドギアを外した丈一郎に奈緒はタオルと、ドリンクの入ったスクィージーを渡して言った。

「すごく良かったよ! リーチの差はあるけど、それを何とか地締めようとしたのすっごくよくわかったよ! きっと関東大会も、いい成績残せるねっ!」


「ぎゃははは、まあ、まだまだ俺様にゃあ及ぶべくもねーけどな。まあ、おめーらフライ級が全国目指す本番はインターハイ予選だからな。関東予選は経験瞑って感じで臨めばいーんだよ」

 すでにタオルとドリンクを受け取っていた真央は、朝飯前の表情で言った。

 一週間ほど前の無茶な追い込みも何のその、真央は心身ともに絶好調のようだ。

 そしてスクイージーの口を開け、直接口をつけてごくごくとドリンクを飲み干す。

「んんっ……ぷはあっ! うめーな、おい……まあ、気にすんなよ。もともと階級が違うんだしよ、そもそもが俺は天才だかんな。この間の西山大付属との練習試合では、あの連中と互角にやり合えたんだからよ、あんときのいいイメージ忘れねーようにしときゃいーんだよ。それよりも……」

 そういうと、チラリ、真央はリングの下に目を落とす。


「ふうっ! ふっ、ふっ!」 

 そこには、鏡の前でファイティングポーズをとり、愚直にフットワークと左ジャブを繰り出し続けるレッドの姿があった。

 お気に入りの電撃バップのTシャツは汗にまみれ、もはやその元の色をとどめていない。

 もともとが肥満体であるせいもあろうが、レッドの足元には水たまりのように汗が浮いていた。


「……もうそろそろ、いいかな、っと」

 そう言うと真央はロープをくぐり、レッドのもとへと足を運んだ。




「よう、なかなか様になってきたじゃねぇか」

 

「ふうっ、ふうっ、ふうっ……あ、ま、マー坊先輩」

 汗まみれのまま振り向くレッドの目の前に現れたのは、真央だった。

「い、いや、自分、まだまだっすよ。丈一郎先輩とかに比べたら、まだまだ基本を頑張っていかないと……」

 そう言うと、レッドは再び鏡にまみえる。


「まあそうなんだけどな。“左を制するものは世界を制す”なんて話をしたけどよ」

 すると真央は再びリング上同様のステップを刻むと

 ヒュン、ヒュン、ヒュン、フライ級の丈一郎を完封したジャブを放つ。

「ただ、それだけじゃあ、よっぽど実力差がない限り、リングで相手は倒せねえ。だから、もう一るの武器、それを教えてやるよ。それはなっ」

 すると真央は、ジャブを出した左腕を素早く引き戻すと、その腕を強く胸元に引き込んだ。

 同時に、後ろに引いた右足を親指の付け根から力強くに練ると、その回転をスムーズに膝、股関節、そして腰、そして肩へと伝える。

 そして左手を引き込む力と相乗させ、全体重を右拳へと伝え

 

 ブンッ! 


「っらあっ!」

 真央は渾身の力を込めて右ストレートをまっすぐにつき出した。

「これが右ストレートだ。ジャブってのは、とにかくすばやく出すのが重要だから腰の入ってないパンチだけど、こちはしっかりと体重移動して腰の入ったパンチなんだ。そんでこの、右ストレートと左ジャブで――」

 

 シュ、シュンッ!

 

「って感じでコンビネーションを作る、ってわけだ」


「お、おおっ! す、すごいっす! これが決まれば、い、一発で相手をノックアウトできそうっす!」

 レッドは瞳を輝かせて言った。


「まあ、高校のアマボクのノックアウトの大半はこいつ、右ストレートだって言われるくらいだからな」

 そういって真央は再びファイティングポーズをとり、軽々とステップを踏みながらワンツーのコンビネーションを繰り返した。

「ま、まずはワンツーじゃなくってこの右ストレートにお前の持ってる大樹-をどれだけスムーズに乗せられるかがカギだ。とにかくここしばらくは、右ストレートとの練習に専念しろ。いいな?」


「は、はいっしゅ!」

 



「ふんっ!」

 腹の底から気合いをかけて右こぶしを前に繰り出すレッド。

「あ、あれ?」

 しかし、その気合いとは裏腹に、レッドは自分の拳が真央の言ったような重さや威力を持ったものになったとは到底思えなかった。


「言ったじゃねえか、腰を回転させろってよ」

 真央はれ度の後ろに回り、拳と腰を連動させるように、体を動かしてやった。

「右足がこう……こうやって、回転したひねりをよ、こう……こうやって……」

 レッドの腰を急激にぐいとひねり

「……こう、この動きを方と腕に伝えるんだ。んで、オーソドックスタイルなら方が右奥にあるんだけど、これが左肩を追い越さなきゃ威力も距離も作れねー。肩もきっちり回転させるんだ」


「う、うしゅ!」

 レッドはその言葉通り何度か右拳を繰り出してみる。

 先ほどよりはぎこちなさは取れたものの、それでも思い描いている体の動きであるとは到底思えなかった。


「駄目だよそんなんじゃ。無視一匹殺せねーよ」

 そういうと真央は、レッドの前に立ち、手のひらを差出し

「お前のパンチを、ここまで届かせるにはどうしたらいいか考えろ。そのために必要なのは、右足でしっかりととよく床を蹴ることだ」

 そういうと真央は、とんとんと右足の親指の付け根で床を叩く。

「この親指の付け根の部分からの体重移動も使いながら、肩を回して腕を伸ばすんだ。右ストレートには四つの動きがあるって言われててな、右足の蹴り、腰、肩の回転、そんで右腕の伸ばし、これがスムーズに一体となって動いて初めて尾pもい右ストレートになるんだ。きちんと意識してやってみ? ああ、それと――」

 そして再びファイティングポーズをとり、フォンッ、右ストレートを繰る。

「いいか? 右出したとしても、そこばっかりに意識集中させちゃだめだ。しっかり脇締めてだな、そんで左手で左顎をしっかりガードする、これだきゃあ忘れちゃだめだ。やってみろ」


「は、はいっしゅ!」


 その後の一時間以上、レッドは右ストレートのみを繰り返し続ける。

 真央や丈一郎が軽々と繰り出していたはずの拳、それが自分に置き換えてみるとものすごく難しいものであるとレッドは考えた。

 拳が軽い、それに、スピードも遅い。

 チラリ、レッドは何度もシャドウやバッグを繰り返す真央、そして丈一郎の姿を目で追う。

 なんと素晴らしい、美しいフォームだろう、レッドはいまさらながらに舌を巻いた。

 特に真央、同から制への切り替わりが、何か一瞬の核反応が発生したかのように、パワーが体の内ではじけ飛んでいるようにも思える。

 この拳を頭部にまともにくらえば、おそらくいかなる人間もたっていることはできなくなるだろう。

 レッドはその目指す頂のはるかな高さに嘆息しながらも、それでも尊敬とあこがれの思いで拳を繰り出し続けた。

 真央、そして丈一郎にとっては初の公式戦となる関東大会予選。

 真央の出場するウェルター級では、関東大会に出場することがインターハイ出場の必須条件となる。

 レッドは、この二人ならば間違いなくいい結果を残してくれるだろうと確信した。

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