4.30 (火)7:10
はぁ、すがすがしい朝にそぐわない、陰鬱なため息が漏れる。
桜は散り、また葉となり、暖かな日差しがやや強くなる中、釘宮桃はクラブバッグを抱えてうつむきながら学校への道を歩く。
ポンッ
「ひゃっ!」
何者かが桃の肩を叩いた。
ちいさな、そのクールな雰囲気にそぐわないかわいらしい声をあげた桃が振り返ると
「おっはー、桃」
そこには陸上部のマネージャー、桃の親友の一人、日向文緒が立っていた。
「どうしたの桃、元気ないじゃん」
胸をなでおろし、桃はようやくその表情を和らげる。
「もー、びっくりさせないでよ文緒」
「何言ってんの、普通に声かけただけじゃん。それがマネージャーにかける言葉?」
やや不満げな、ふくれっ面で文緒は言う。
「もしかして疲れたまっちゃってる? 無理もないか。都大会も近いし、昨日も相当追い込んでたからね」
すると、にぃ、小さく口をゆがめ、笑いながら
「……それとも、あれかな? ドーセーしてるっていう、あのマー坊君と眠れないくらい頑張っちゃったりしたのかなー?」
「ばっ、バカなこと言うんじゃない! 文緒まで変なこと言わないでよ!」
桃は顔を真っ赤にして否定した。
「あ、あいつはいとこなんだよ? 大体奈緒も一緒だって言うのに! 文緒まで一緒になってあたしをからかわないでよ!」
しかし、文緒はにやにや笑いをやめることなく
「ええー? あのクールな桃さんにしてはやけにムキになっちゃってますなぁ? もしかして、熱心に否定しなければならないほど、親密な関係になっちゃってんですかぁ? んん?」
芸能記者のように、マイクを差し向けるしぐさをしながら文緒は訊ねた。
ふう、再びため息をつき、右手でその手を払いのける桃。
「……ったく、文緒のところまでメールが回ってるだなんて信じられないよ。昨日の休日もそうだけど、クラスのほとんど口を聞いたことのないような子からまでメール来ちゃったんだから。しかも、あたしのこと“桃ちゃん”って呼ぶようになってるし。信じらんないよ……」
「いいじゃんいいじゃん、同じクラスなんだし。桃はただでさえ話しかけづらいんだから、それくらい砕けた感じでいた方がいいんだって。“釘宮さん”以外であんたを呼ぶの、わたしと葵くらいなもんなんだからさ」
けらけらと明るく笑いながら文緒は言った。
「それに桃ちゃん、なんてかわいくていいじゃん。わたしなんて、いっつも声に出して呼ばれると、男の子と間違われやすいんだからさ。少なくても、桃ちゃんと呼ばれて男の子を連想する人はまずいないでしょ」
「……そうなんだけどさ……」
そう言うと桃はしょげ返るようにしてうつむいた。
「……ああもう、あたしも文緒たちと同じクラスに行きたいよ……そうすればこんなバカバカしいことにイライラさせられなくても済むのにさ。なんであたしと葵だけ特進クラスなんだよ……」
「なにいってんの。ふたりとも私と違って学校のホープなんだからさ」
そういって文緒は桃の腕に自身の腕を絡ませる。
「わたしは二人と違ってあまり勉強できないし。それにいいじゃん。葵だっているし、それに川西君だっているんだからさ。わたしにはその方が羨ましいもん。カッコいーよねー、川西君」
そして、頭一つ分大きい桃を見上げるようにして
「それに、愛しの秋元君だっていることだし」
「文緒っ!」
桃は慌てて腕を引き抜く。
「何度も言うけど、あたしたちはいとこ同士なの! あんたらが想像しているようなことは、何一つないんだからね!」
「まあまあ、そう興奮しなさんな」
なだめるように、そして茶化すようにして文緒は言った。
「それにしても、春休みの時川西君と一緒にいたあの男の子が桃のいとこだなんて思わなかったし。転校してくるなんて思っても見なかったよねー。てかずるいよ。うちの学年の男子、かっこいいのA組みしかいないじゃん。不公平だよ」
心底嫌そうに、文緒はこぼす。
「やっぱりわたし、外の学校受験しとくべきだったかなー。うちの女の子も男の子も、どこか引っ込み思案な子が多いし。それになんといっても、イケメンが川西君と秋元君くらいなんだもんなー」
「はいはい、わかったわかった。さっさと卒業して、どこかいい大学でいい男見つけなよ」
文緒の、ある意味では年頃の女の子らしい言葉を、桃は軽くあしらった。
「そんなことよりも、あたしは今日学校でみんなになんていわれるかの方が気が重いよ……もう何通メール来たかわからないくらいなんだからさ……」
二人は校門をくぐり、何年間も通いなれた校地の小道を歩く。
部活の道具を置くため、毎朝必ず部室へと足を向けることになっている。
何人かの女子生徒が、さわやかな朝の空気の中をすがすがしく歩いていたが、桃の姿を見つけると、その姿を横目で身ながら、頬を赤らめ何事かささやきあっているのが見える。
しかもそれは一人や二人ではない。
自意識過剰になっているせいもあるのだろうが、通り行く人通り行く人すべてが桃には噂話をしているかのように感じられた。
そのたびに桃は、氷のような視線でそれを跳ね返すのだが、桃が姿を消せばその後からこそこそとした話し声が再び聞こえてきた。
「いいじゃん桃、有名人になれてさぁ」
人事のように、そのシチュエーションを楽しむかのような文緒の表情。
「それに前々から噂になってるんだけど、桃と葵と奈緒ちゃんで秋元君を取り合ってるってホント?」
「ふ、ふざけるな! 一体どこからそんな話が出て来るんだよ!」
激昂して叫ぶ桃。
その顔は紅潮し、針でつつけば破裂してしまいかねないほどだった。
「えー? でも同棲疑惑が出る前から結構噂になってたんだよ?」
こともなげに文緒は応えた。
「葵が秋元君のためにお弁当作ってきてるみたいじゃん。それに川西君も奈緒ちゃんも加わって、桃も入れて5人で一緒にご飯食べてるんでしょ?」
そしてニヤニヤと目を細めて、興奮を隠し切れずに
「あの男に興味とか全然なかったはずの葵と桃が男と一緒にご飯食べてるんだもん。そんなの何にも想像できないって方が嘘じゃん」
「……あのさ、川西君はともかくとして、なんでみんなマー坊みたいな男ちやほやすんのさ」
顔をしかめ、桃は呟く。
「まあ確かに、あいつは背は高いし、スタイルとかはいいかもだけどさ。頭悪いし、運動以外何にもできないし。なにより、あいつ全然デリカシーないし」
「デリカシー?」
その言葉に何かを感づいたのだろうか、興奮した様子で鼻息荒く文緒は言う。
「ねえねえ、もしかして、マンガみたいなシチュエーションあったりするの?」
「はあ?」
困惑した表情の桃。
そして目じりを押さえ
「あたし、あんたの言ってること、ぜんっぜん理解できないんだけど……」
「だーかーらー!」
そういうと文緒は瀬帯をして、桃の耳元でささやく。
「男の子にとってラッキーなこととか起こったりしないの? 例えばハダカ見たり見られたり、下着姿見られたり、うっかりキスしちゃったりとかだよ!」
その言葉に、桃は二週間ほど前の真央の自室絵の来訪の出来事が思い浮かぶ。
桃の顔が再び一気に紅潮し、もはや叫ぶこともできなくなる。
その様子に、すべてを悟った文緒。
「ったく、わかりやすいんだから。まあ、年頃の男女が一つ屋根の下にいて、何も起こらないわけないか」
さらに、畳み掛けるようにして
「……で、どこまでいったの? キス? ハグ? それとも……」
「い、い、い、い、いいかげんにしろ!」
ようやく気持ちを立て直し、桃は叫ぶ。
「あははは、ごめんごめん、調子に乗りすぎちゃった」
ぺろりと舌を出し、おどけるように頭を叩くそぶりを見せる文緒。
「でもさ、秋元君も偉いよねー。桃みたいなさ、美人でスタイルいい子とか、奈緒ちゃんみたいにおっぱいでっかい子と一緒に住んでるのに。あの年齢だから、秋元君も相当我慢してるんじゃない? ちょっとわたし秋元君に同情しちゃうくらいだよ。大丈夫? 本当は襲われちゃったりしてない?」
「あのさあ、今日の文緒下品すぎ」
顔をしかめて桃は応えた。
「…まあ、たしかに日常生活を送る上でトラブルがない、ってわけじゃないけど……けど、そういうのは心配しなくてもいいよ。確かにあいつデリカシーないけど、なんていうか、逆に女の子に対する免疫も全然ないから。まず女の子にそういうことをしようって言う考えがないと思うよ」
すると桃の脳裏に、先週の公園で心地よさそうに葵に抱きすくめられる真央の姿が浮かぶ。
桃は忌々しげに
「……少なくとも、自分からはね……」
「ふーん、そうなんだー。見た目じゃわかんないもんだねー、男の人って」
小首をかしげながら文緒は呟く。
「ちょっとやんちゃそうだし、女の子の扱いなんか手馴れてそうに見えるんだけどなー」
バシャバシャバシャ、部室へつ続く道の奥で、何か水の跳ねる音がする。
「なんだろ? 雨?」
「まさか。こんなに晴れてるのに?」
桃と文緒は怪訝な表情で、やや歩みを早める。
すると二人の目の前に見えたもの、それは――
「ぶっはぁっ!」
朝練終了後、部室前のホースを使って、パンツ一丁で豪快に水浴びをする真央の裸体だった。
そのあまりにもワイルドすぎる光景に、桃と文緒の体は固まった。
「ん?」
ざぶざぶと頭から水をかぶる真央は、その二人の姿にようやく気がついた。
「よお、桃ちゃん。それと……誰だっけ? クラスのやつか?」
能天気に話しかける真央に対し
「ふざけんなー!」
桃は顔を赤らめ叫び、そして
ドスッ!
「うげっ!」
桃が投げつけた重いエナメルのバッグが真央の顔に直撃した。
「シャ、シャ、シャワーくらいきちんとシャワー室使えっ!」
はあ、はあ、怒りに打ち震えながら叫ぶ桃。
一方――
「……あら、まあ……おいしそう……」
頬を赤らめつつも、その美しい肉体に興味津々の文緒だった。




