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    4.27 (土)14:05

「奈緒ちゃんって、好きな男とか、いるか?」


 どきん、目の前にいる意中の男性の思わぬ言葉に、心臓が止まりそうなほどに驚く。

「え? それってどういう……」

 そして急激に高鳴る鼓動を一生懸命押さえつけながら、奈緒は震えるような声で訊ねた。


「……俺さ、人を好きになるって気持ちが、よくわかんねーんだ……」

 競泳用のキャップをとり、ガシガシと髪の毛を掻きむしりながら真央は言った。

「俺、子どものころから両親いなくてさ、ずっとじーさんと二人暮らしだったから、愛し合った男と女の姿っつうのか? それがどういうもんかよくわかんねーんだ」

 そして、小さくため息をつく。

「この学校に来て、同年代の友達らしい友達がようやくできたなって感じるんだけどな。桃ちゃんに奈緒ちゃん、葵、丈一郎、んでレッド。一緒にいて楽しいと思った同年代の連中なんて、俺の人生じゃそうはいなかったしな。だから、今の生活すげー楽しいし、奈緒ちゃんとか、仲間はすげー大切に思ってる。けどそれと、男が女を好きになるって感情、どう違うんかな」


「ま、マー坊君は……女の人を好きになった経験が……ないってこと?」

 ゆっくりと、その真意を問いただすように奈緒は言った。

「今まで……今まで一度もなかったってこと?」


 その言葉に、真央は奈緒の顔をじっと見つめる。


 奈緒はその視線に自身の瞳を重ね合わせた。

 いつも感じている、底抜けに明るく力強い真央の視線とは違う、その奥に潜む何かを奈緒は感じ取る。

 それは、奈緒もどこかで感じたことのある色をしている。

 いとしい真央の視線に体中を射抜かれるような、眩暈のするような感覚にとろけそうになりながらも、奈緒はその何かを探る。

 そして、デ・キリコの絵のような不確かさの中に奈緒は一握を得た。

 “孤独”、真央ほどではないにしろ、父親との死別、そして長らくの母の不在の中で暮らしてきた少女、奈緒の感じていたそれよりもさらに大きな寂しさを真央の心に感じ取った。


 すると、真央は寂しそうな笑いを口元にたたえた。

「ない、なんて言っちまったら、スカした野郎みてーだよな。ねえ、っつうか、“あったけど気づかなかった”って言うべきなんだろうな」

 そして、手のひらを見つめて呟く。

「なんつうかさ、俺って要領わりーんだろうな。当時はこれが“好き”って感情だとは気づいてなかったのかも知んねーな。いまだって、その感情が本当に好きだって感情だったかどうかはわかんねえよ」

 そしてゆっくりと肩を下ろし、プールの水に沈める。

「けど、俺今んなって後悔してるのかもな。本当にその気持ちが、男としてそいつを好きだったかどうか、ってことを確かめもせずに済ましちまったことをさ」


 その言葉に、奈緒は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 自分の好きな人が、ほかの女性をもしかしたら好きだった、少女の小さな胸に、その言葉はずきんと響く。

「……だったら……だったら、今からでも遅くないと思う……今から出もその子にあって、自分の気持ちを確かめた方が、いいんじゃないかな……」

 締め付けられ、苦しい胸を抑えながら、かろうじて奈緒は言葉を口にした。


 しかし、真央は

「遅いんだよ。なんもかんもがさ」

 と、これも力なく言った。


「そんなことないよ!」

 胸を抑えながら、絞り出すように奈緒は言う。

「好きって気持ちが本当なら、今すぐにだって伝えるべきだよ! 私たちとの生活なんか捨てちゃっていいから、今すぐにでも広島に戻って気持ちをはっきりさせるべきだよ!」


「奈緒ちゃん……」

 自分よりも小さい少女だとばかり思っていた奈緒が、真央の前で始めて見せた少々大人びた表情。

 その表情は、一週間ほど前の、かなわぬ恋に泣き崩れるマキの姿と重なり、そして広島での思い出の女性との重なった。

「ありがとな、そう言ってくれて。だけどな、言ったじゃねーか。もう遅いって」


「……その女の人って、どんな人だったの?」

 自分の思い人がかつて思いを寄せていた女性、その女性がどのような女性であるか、奈緒はそれが知りたくなった。

「その人は、マー坊君にとってどういう人だったの?」


 真央は、水面に体をぷかぷかと浮かべながら応える。

「そいつはさ、俺の尊敬していた、世話んなった人の妹なんだ」

 天井に向かい、自分自身の記憶の糸を解きほぐすかのように、ゆっくりと真央はつぶやく。

「俺さ、中学校の時、ちっとばかし悪ぶってた時期があってよ。親がいなかったせいなんだろうかな。学校にほとんど行ってなくてさ、いっつも夜の街をほっつき歩いては、野良犬みてーに喧嘩ばっかして回ってたんだ」

 

 奈緒は、その言葉にいっそう胸が締め付けられる思いがした。

 初めて知る真央の広島時代、その言葉のトーンから感じられる孤独と寂しさは、子どものころに自信が感じたものと同等の、いやそれ以上の重さを感じさせた。


「その頃世話んなってた人がいて、その人の家に入り浸るようになってさ。その人の妹に色々と世話んなったんだ」

 淡々と、意図的に感情を押し殺すようにして真央は続ける。

「今まで女の人の作った飯とかも食ったことなかったしさ。じーさんにはわりーけど、なんかそのきょうだいが、俺にはホントの家族なんじゃねーか、ってくらい仲良かったんだ」


「……じゃあ……じゃあ、ちっとも遅くないよ……今からだって十分……」

 水面に浮かぶ真央の横がを置眺めながら、小さく奈緒は呟くが


「言ったじゃねーか。なんもかんもが遅いってさ」

 同じ言葉を、真央は繰り返した。

「世話んなった人、その兄貴な、死んじまったんだ」

 事実を事実として解説している、そんな風に、感情を交えず淡々と真央は言った。

「その兄妹も二親いなくてさ、身寄りない中暮らしてたんだけど、それで妹の方、天涯孤独になっちまった。当時17歳だったんだけど、学校やめてどっか遠くの親戚頼っていなくなっちまった」

 バシャッ、姿勢を起し、髪の毛をかきあげて顔をこする。

「ふうっ……そんだけだよ。俺とあの女の関係は。いまどこにいるのかも、なにをしているのもわかんねえ」


「……やっぱり……その女の人のこと、好きだったの?」

 初めて耳にする真央の孤独な半生に、奈緒は心を動揺させながら訊ねる。

「大切な人だって……ずっと一緒にいたいって、思っていたの?」


「大切な人……って言われれば、まあ、そうだったかもしれねー。けどな――」

 真央は両手でプールの水を掬い取ると、バシャバシャと顔を洗う。

「わかんねーよ……俺には……片寄せあって生きるその兄妹に、自分と似たようなものを感じていただけなのかもしれねー。要するに、お互いの寂しさ、傷をなめ合うようにしていただけなのかもしれねー。もう一度会うことができればわかるのかもしれねーが、それも不可能だろうな」


「……わたしもよくわかんないんだけどね……わたしも男の人と付き合ったこと……ない、し……」

 奈緒は頬を赤らめ、尻すぼみの声で言う。

「……だけどね、きっとマー坊君はその女の人のこと、好きだったんじゃないのかな? って思うんだ。好きでもない人のこと……そんな……そんな優しい表情で話すことできないと思うもの……」

 切ないこころが、表情に隠すことができない。

 奈緒は瞳を潤ませていった。

「……その人とはもう……会うことはできないかもだけどね……その人に感じた気持ち、同じ気持ちを女の子に感じることができたなら……うん、きっとマー坊君はその女の子のことが好きだってことなんじゃないのかなー。えへへへへー」

 徐々に、その口調はいつもの明るい、症状のかわいらしさを持つ奈緒のものに変化していた。


「……そうか……そうかもな……」

 真央もその大きな、かわいらしい笑顔に包まれ、つられて笑顔になる。

「けどよ、俺もいつかは結婚すんのかな? 結婚して、子どもが生まれて、そんでじじいんなるまで生きてくんかな? 何か想像もつかねーぜ」


「あー、確かにー」

 納得したかのように、手をポンと叩く奈緒。

「……じゃあさ……そ、その……マー坊君が……いい年になっても一人のまんまだったら……わ、わたしが……お、お、お嫁さんになってあげる……から、ね……」


「あ? あ、ああん、と」

 その言葉を聞くと、真央は顔を真っ赤にした。

「……い、いや、そういうのは、やっぱ、奈緒ちゃんの本当に好きな人とした方が……」


 その言葉に、奈緒の表情はむすっとなる。

「やっぱり、桃ちゃんみたいなスタイルいい子とか、葵ちゃんみたいなおしとやかな子の方がいいの?」


「い! いや! そういうわけじゃ……」

 慌ててその言葉を否定する真央に対し


「マー坊君から見て、わたしって魅力ない? 子どもっぽすぎるの?」

 そういって、うるんだ瞳で真央を見つめる。

「確かにそうかもしれないけど……わ、わたし、ね……桃ちゃんとか、葵ちゃんよりも……」

 そう言うと、ギュッと胸元を右手で抱えるようにして押さえて言う。

「……お、おっぱいね、おっきいんだよ? あの岡添先生よりも、きっと大きいと思うよ?」


「ば、バカなこと言ってんじゃねえよ!」

 真央は顔を真っ赤にして叫ぶ。

 とは言いつつも、その大きさは、何度か奈緒が腕にまとわりついてきたときに感じ取っていた。

 しかも今は、より形をはっきりと強調する水着に包まれたたわわなふくらみが、嫌が応にも真央の視線に飛び込んでくる。

 真央は、そのふくらみから一寸たりとも視線をそらすことができなくなった。


 奈緒は、熱っぽい、しかし恥ずかしそうにうつむきながら言う。

「……もしマー坊君が、どうしても触ってみたいって言うんなら……その……触ったって、いいんだから……」


 真央の思考は爆発した。

 これ以上、この状況に耐えることはできない。

 ザブン!

 真央は再び水面へともぐりこみ、一心不乱に泳ぎ始めた。


 その様子を見送る奈緒。

「……もう……照れ屋なんだから……けど、嘘じゃないんだからね……」


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