4.27 (土)13:45
「……リラックスしろ、ってもよ……」
先ほど桃のかかとがめり込んだ顔面を押さえながら、真央は為すところなく、あてどなくじゃぶじゃぶと水をこぐ。
「……どうすりゃいいんだ?」
時折水に顔をつけては毛伸びで体を這わせ、そして仰向けになって体をぷかぷかと浮かべる。
真央の思考は、いつの間にか一週間程前の、マキとの出来事へと向かう。
あの時、自分は何と言葉をかければよかったのだろう。
優しく励ますべきだったのか、それとも、厳しく叱り飛ばすべきだったのだろうか。
女性の生々しい心に触れた経験の少ない真央にとって、どうすることが正解だったのか答えを出すのは難しかった。
それだけではない。
例え既婚者であろうと一途にその気持ちを持ち続け、しかし相手の幸せを考え自分から身を引く、その考え方に真央は戸惑っていた。
人を好きになった経験のほとんどない真央にとって、それは理解しがたい感情だった。
浮かんでは消えるその感情に、真央は再びがむしゃらに泳ぎだし、また走り出したくなる。
しかし、今日のところはそれを押さえねばならないだろう。
桃たちの言うとおり、最近自分自身でも追い込みすぎ、ナーバスになっていることには気付いていた。
くるり、真央は仰向けになり、背泳ぎの姿勢のままぷかぷかと身体を水に解放した。
すると、とんっ
「きゃっ」
真央の頭に何かがぶつかる感触が。
体を返し、プールに立ち上がると
「あ! マー坊君だ」
「マー坊君リラックスできてるー?」
「そうそう! わたしたち、マー坊君をリラックスさせるために呼ばれたんだからねー!」
水に戯れる、クラスの女子生徒の一団だった。
「あぁ!? お、おぅぅ……」
不意を疲れたように、真央は体を硬直させる。
中学にはほとんど足を運ばず、高校も底辺の男子校に通っていた真央にとって、これだけ多くの女子生徒に囲まれた経験、これもまたほとんどないと言ってよかった。
一方の女子生徒は、普段同じ教室にいながらも、ほとんど会話をすることのない真央に、その深深と積もらせた興味を向ける。
「ねえねえ、マー坊君って、呼んでいいんだよね?」
「お、おう。まあ、それは自己紹介で言ったとおり……」
ぼそぼそと、呟くように答える真央。
普段の底なしの元気な姿とは別人のようだ。
「じゃあ、あたしたちもそう呼ぶね!」
「うん! いまさらだけど、よろしくね! マー坊君!」
その精神的距離と同様、身体的距離も縮めていき、体を密着させる女子生徒たち。
「あ、ああ……」
びくっ、体を反応させ、硬直する真央。
そして、絡められたその腕を、恐る恐る抜こうとする。
しかし
「あー、もしかして、あたしたちから今逃げようとしたでしょー!?」
「ちょっとそれ、ひどくない!? いっつも釘宮さんとか川西君と一緒にいるんだからさー、たまにはあたしたちと一緒にいてもいいじゃーん」
不服そうな声を上げ、その体に再び密着してきた。
「……い、いや、そういうわけじゃねーんだけどさ……」
再び密着する、その柔らかいふくらみに、さらに体を硬直させ、表情を強張らせる真央。
「あれ? マー坊君、もしかして緊張してる?」
「そういえば、マー坊君って前の学校、男子校だったんだよね?」
「だからなの? もしかして女の子とかとあまり絡みとかなかったりするのー?」
体を強張らせる真央の様子を目ざとく見つけ、さらに質問を浴びせかける女子生徒たち。
「あぁん、と……まあ、そうだけど、な」
またもゆっくりと腕を抜く作業を試みる真央。
その様子を見て、女子生徒たちは顔を赤くして歓喜の声を上げる。
「まじー!? あたしたちに囲まれて緊張しちゃってるんだ! ちょーかわいーんですけど!」
「ねえねえ、広島にいたんだよねー!? 広島いったことないんだけど、どんなとこー?」
「じゃあさ、広島の友達にあたり、連絡とったりすることとか、ないのー?」
そのはしゃぎように、なぜそれほどまでに女子生徒達が興奮しているか理解のできない真央は、またも混乱しながら
「あ、ああ、友達あんまいなかったしな……それに俺、携帯とかスマホとか、もってねーし……」
その回答に、驚嘆の声を上げる女子生徒たち。
「まじでー! いまどきそんな高校生いるんだー!」
「ええー、じゃあ、マー坊君とアドレスとか、交換できないじゃんー」
「でもさ、そんなんじゃー、カノジョとか大変じゃない? カレシと全然連絡取れなくって、不安にならないのかなー?」
その言葉に、真央はマキとの出来事を思い出し、いつものようにぶっきらぼうに
「いねえよそんなもん。今まで一度もいたときねーよ」
と答えた。
すると、女子生徒たちは瞳を輝かせ
「え? マジで!? カノジョいないの? っていうか、一度もいたときなかったの!?」
「うっそー! 絶対嘘でしょ! マー坊君がもてないなんて、絶対ありえないと思う!」
「じゃあさじゃあさ、マー坊君と付き合ったとしたら、マー坊君の最初のカノジョになれるってことじゃない!?」
「……ってことは、あたしが最初の……」
かしましい声がプールに響く中
パンパンと手を叩きながらよってきたのは
「ほらほら、マー坊君、女の子に囲まれちゃ手緊張しちゃってるよ?」
へにゃりとした微笑を浮かべた丈一郎だった。
丈一郎は、手馴れた感じで女子生徒たちに語りかける。
「君たちに囲まれてリラックスできるほど、マー坊君は女の子に慣れていないんだよ。あんまり密着しちゃうと、特に君たちみたいにかわいい女の子に囲まれるのに慣れてないから、マー坊君逆に興奮しちゃうからさ。だから、この辺で解放してやってよ。ね?」
その洗練された、自分自身の美点を最大限に生かした物言いと笑顔に、女子生徒たちはうっとり。
「……か、かわいい女の子なんて……ねえ……」
「……そ、そうだよね……今日は、マー坊君をリラックスさせようって、そのために集まったんだもんね……」
「……ごめんね、川西君とマー坊君……なんか、はしゃいじゃったみたいで……」
「い、いや、別に気にしてねーから!」
真央は慌てて腕を引き抜くと、ざぶりと水面に体を滑らせ、一気にプールの対岸へと泳ぎ着き
「……っぷふぁっ!」
水面に浮き上がると、ごしごしと顔を拭いた。
「リラックスできてるー?」
隣のレーンから声をかける少女。
その少女の言葉と笑顔に、ようやく真央は緊張を解いて笑顔を作る。
「ぃよぉ、奈緒ちゃん」
「リラックスできてるみたいだねー」
太陽のように、明るい大きな微笑で奈緒は言った。
「何か悪かったな、また気ぃ使わせちまった見てーで」
照れたような微笑を浮かべる真央。
「それはそうと、桃ちゃんと葵は何やってるんだ? それと、レッドの野郎はどこ言ったんだ?」
「えへへへー、えっとぉ……」
苦笑いをして頬を欠く奈緒。
そして、一番端のレーンをレーンを指差す。
「こら! 言ったじゃないか! バタ足をするときは足を曲げちゃだめだって!」
気が着けば、プールに入って腕組みをして叫び声をあげる桃の姿が。
「ぶはわぁ! ふわ! ふぁいっ!」
顔面を蒼白にし、菱の表情で足をばたつかせるレッド。
「葵! きちんと細かく指導して! このままだとレッド君、一生泳げないままなんだからな!」
そして桃は、レッドの足を細かく矯正する葵にも大きく声をかける。
「……はい……」
暗い顔をして、恨めしそうに真央たちのいるレーンを見つめる葵。
どうやら、泳げないというレッドのコーチングに対し火のついた桃に、半ば無理やり水泳のコーチをさせられているようだ。
「……まあ、あんな感じかな……えへへへ……」
熱血指導を続ける姉の姿に対し、奈緒は苦笑いを浮かべるより他なかった。
「……同情すんぜ……葵とレッドによ……」
自分自身のプールトレーニングの時を思い出し、真央は顔をしかめた。
そして奈緒に向かい
「ところでよ、ありがとな」
と語りかけた。
「んー? 何のことー?」
気持ちよさそうに、ぷかぷかと体を水面に横たえながら奈緒は応える。
「なんか、また余計な気ぃ使わせちまったみてーだしな」
そういうと、ざぶん、真央はラインをくぐると
「ぷっはぁ!」
奈緒のいる隣のコースへと移動した。
「自分でいうのもなんだけどよ、やっぱ最近、俺おかしかったんかな。なんか、馬鹿みてーに体動かしとかねーと、逆にぶっ壊れちまいそーでよ。だから、なんかむちゃくちゃなことやっちまったんかな」
その言葉を聞いた奈緒は、うん、と覚悟を決めたようにうなずき、口を開く。
「……え、えーと、ね、マー坊君……マー坊君が最近、ナーバスになってたのって、何か理由があるのかな? もしよかったら、教えてくれないかなー、なんて、えへへへ……」
奈緒はごまかすようにして語尾を笑いに変えて言った。
すると真央は
「……」
表情を一転させ、無言のままうつむいてしまう。
その様子に気がついた奈緒は
「あ! あ、あ、いいの! 気にしないで!」
ぷるぷると小さく両手と首を振る。
「べ、別に、ちょっと気になっただけだから! こっちこそなんだかごめんねー、えへへへへー」
「……奈緒ちゃん……」
自分を気遣い、かわいらしく尋ねるその様子に、真央のこころは動いた。
これ程かわいらしい、愛らしい少女が自分を心配し、その気持ちを和らげようとしてくれた、女性との接点がほとんどなかった真央にも、その意味は理解できた。
真央は、くしゃくしゃと奈緒の頭を撫で
「……ありがとな、奈緒ちゃん……」
ニィッ、といつもの微笑を口元に浮かべた。
「ちょ、ちょっと、痛いよ、マー坊君ー」
大げさに痛がる振りをする奈緒だが
「えへへへへー」
やや元気を取り戻したように見える真央の笑顔に、つられて笑顔になった。
「……たいしたことじゃねえんだ。ただ……一つ、聞いていいか?」
今度は真剣な表情で奈緒に相対し、そして訊ねる。
「奈緒ちゃんって、好きな男とか、いるか?」




