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    4.21 (日)13:05

――ガタ、ガタガタ、ガタ――


 春の嵐は、都会の空の暖かな空気を大げさにかき回す。

 湿り気の強い風と雨が、昨日以上の勢いを見せる。

 昨日のカフェ・テキサコ、ミキより指定された場所に、指定時間どおりに現れた真央。

 そこは、真央たちの澄む街からさらに20分ほど電車に揺られた都心の、さらに巨大なビル街のストリートに面した、瀟洒なレストランだった。

 真央はいつもどおり、広島時代より着慣れた学生服に身を包み、その場違いな場所に居心地悪そうに席を取った。


 そのレストランの店員は、まるで都会に迷い込んだ野生動物を見るような目で、春の嵐にからだを濡らした真央に声をかける。

 その笑顔は、複数持ち合わせている営業スマイルの、場違いな人間に対して普段用いているであろうそれだった。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか」


 その警戒感と軽蔑を混じらせた営業用の微笑みに、無意識の反感を覚えながら

「二名。待ち合わせだ。どっかテーブル席用意しろ」

 睨み付けるように言った。


「かしこまりました。それではこちらへどうぞ」

 その真央の視線に一切の反応を見せることなく、ウェイターの中年男性は、真央を目立たない、奥のボックス席へと案内する。

 プライドの高いこの男性は、明らかに客層の違うこの少年を、他の客の目の届かないところへと追いやりたかったのだろう。


 真央はそれに従い、案内されたボックスシートへと腰をおろす。

 そしてウェイターから受け取ってメニュー表を一瞥し

「ブレンド」

 と、あえてふてぶてしい、挑発するような態度で言った。


「かしこまりました」

 表面上の慇懃さを見せながら、メモを採ることなくウェイターは繰り返し、そして柔らかに姿を消した。


 店内に静かにかかるBGMは、真央がいまだかつて耳にしたことのないクラシック。

 おそらく禁煙ブームが始まる以前のテンポなのだろう、ソファーには宿命的なタバコの脂の匂い。

 先ほど一瞥したメニューリストに示された金額は、軽く真央の一日分の食事代をオーバーしそうなものばかりだった。

 何を頼んでもよい、といわれてはいたが、いかに他人のサイフとはいえこんな無駄なものに金を払うのはばかばかしい。

 なんとなく、本当に何気なくブレンドコーヒーを注文するしかない。




 約束の時間、それをおよそ15分ほど過ぎた。

 煮出したようなブレンドコーヒーは、コーヒーカップのそこで乾いて地層のようにこびりついていた。

 コーヒーカップを置いて以降、先ほどのウェイターはおろか、他の店員誰一人真央の席に寄り付こうとはしない。

 おそらく、真央のような厄介そうな脚を、ある意味で閉じ込めておくために使用されている席なのだろう。

 底意地の悪さに嫌悪感を感じながらも、居座れるだけ居座ってやろう、真央は考えた。

 すると


「おまたせ」

 声をかけてきたのは、ミキだった。

 カフェ・テキサコでのラフな姿とは違い、

「ごめんね、遅れちゃって。あれ? 君コーヒーしか頼んでないの? 好きなもの頼んでいいって言ったじゃん」


「別にいいよ。こんなとこでなんか食いたいって気持ちになれねーからな」

 約束時間に遅刻したことを不問にふし、真央は答えた。

「それよりもよくこの席の位置がわかったな。こんな座敷牢みてーな席、絶対に人目につかねーようにできてるだろうからな」

 と自嘲気味に呟くが


「君が店に入る姿、見てたもん」

 あっけらかんとミキは言った。

「私、君より先にこの店にいたんだから」


「んだと?」

 怪訝な表情の真央。

「だったら声かけてくれればいーじゃねーか。大体よ、この時間帯まで何やってたんだ? 俺の骨折り損にしかならねーじゃねーか」


「ごめん、だけど、君に声をかけるわけには行かなかったんだ。私も人にあってたから」

 そういうとミキは、灰皿を手前に寄せ

「ごめん、タバコ」

 メントールのタバコに火をつける。


「意味わかんねぇよ」

 鼻をつくタバコのにおいを払うようにしながら真央は言った。

「俺を待ち合わせに呼び出し解きながら、一体誰と会ってたんだ? つか、そもそも、なんで俺をここに呼び出したんだ?」


「会ってたのはね、彼。あたしの彼。正確には、数分前までだけど」

 そして、真央の顔に煙を当てないようにして煙を吐く。

「今日で別れたの」


「……」

 その言葉を聞くと、真央の表情は固まった。

 そして、再び疑問が真央の心を捉える。

「……なんでそんなときに俺を呼び出したんだ?」


 しかしミキは、その真央の様子にもかまわず一方的に真央を見つめて話す。

「彼ね、ていうか、元彼か。彼、大学の准教授なんだけど、家庭があるの。結婚してるの」

 そして、人差し指と中指の間にタバコを挟み、なおも真央に語る。

「大学に入学して以来ね、付き合ってたの。彼に奥さんがいることも知ってたしね。だけど渡し彼のことが好きだったし、もしかしたら、奥さんよりもわたしのことを好きだって思ってくれて、私のほうにきてくれるかと思ったの。馬鹿げてるよね」


「……」

 真央は、眉をひそめてその言葉に耳を傾ける。

 

「だけど、奥さんに子供ができちゃって、彼から関係を清算したい、って言われたの。だから、あ、この店ね」

 そういって、タバコを挟んだままの指で天井を指す。

「二階以降は、ホテルになってるの。最後の晩餐、って言ってもわかんないか」

 そういって、シニカルな笑みを浮かべる。

「私たちね、昨日一晩、最後の一晩を一緒に過ごしたの。私、最後の思い出として、彼と寝たの。彼に抱かれたの。君にもわかりやすいように言えば――」


 ガシャン、真央は両の拳でテーブルを叩き、怒鳴りつける。

「くっだれらねえこと聞かせてんじゃねえよ! そんなくだらねぇもん聞かせるために俺を読んだってのか? ふざけんじゃねえ!」


「それもあるけど」

 そういうと、再びタバコに唇をつける。

「君がムカついたの。君の、その純情そうなところが。私、こんなに悩んで傷ついたって言うのに、君は全然女の人に対してそういうそぶりを見せないで。男なんて一皮向けば同じなのにさ。自分だけきれいごとばっかり言って。君のそういうところが、私を傷つけたのよ。だから、せめて君に私のしたことを聞かせて、少しでも君のことを汚してやりたくなった、それだけ」

 口元を歪め、その美しい顔は悪魔のような微笑に変わっていた。

 しかし、その目元から、急につぅ、大粒の涙が流れ出てきた。

 そしてその勝ち誇った高飛車な言葉は、嗚咽に変わった。

「……大好きだったの……他の女の物だってわかってても……それでも気持ちが抑えきれなかったの……あの人を手に入れられるなら……他のどんなものも犠牲にしていいって思ってた……だけど……彼の気持ちは……愛は……奥さんのものだったの……だったら……彼がそれで幸せだって言うなら……私から別れようって……そういうしかないじゃない……」

 そのまま、ミキはテーブルに突っ伏してなき続けた。


 真央は、一人の少年は、目の前で鳴き続ける年上の女性に対し、何一つかける言葉もなく、その様子を直視することもできず、ただその場にいることしかできなかった。




「ごめんなさい」

 店を後にした二人は、人影まばらなビルの陰を歩く。

 真央のやや後ろ、真央の傘に入りながら真央に声をかける。


「いや、気にしてねーさ」

 真央は振り返ることもなく応える。


「軽蔑したでしょ、こんな女。軽蔑してよ、ねえ」

 そういうと、真央の背中に覆いかぶさるように抱きついた。

 いやむしろ、取りすがった。

「ねえ、軽蔑してったら」

 そして、真央の体の前方に腕を預けようとするが


 真央は無言でその腕を振り払った。

「……そんなもん、俺に言うんじゃねえよ……あんたを軽蔑するつもりはねえよ。あんたはあの男を好きで好きでどうしようもなかった。ただそれだけのことじゃねえか……だけど、俺にそういうこと言ったって、何にもできねえよ……俺、人を好きだとかそう言うの、何つうか、よくわからねえんだ……」

 そして、ミキを振り返って言う。

「だから俺には、あんたの寂しさを紛らわしてやるようなすべは、もってねえよ。悪ぃな」

 そういってミキに傘を差し出した。

「……俺にはわからねえよ。わからねえんだ……」


 そういうと、真央は傘も差さずにずぶぬれになりながら通りをひとり進んだ。


 その後姿を見送るミキは、傘を取り落とし、これも雨に打たれながら地面に崩れ落ちた。

 そして、顔を押さえて一人泣き崩れた。


 それを気配として感じながらも、真央は振り返ることもなく、いつものようにポケットに手を突っ込んだまま駅への道を一人、歩を進めた。


 春の嵐の一日だった。

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