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    4.17 (水)6:55

「ま、まあ、いろいろ大変だったんだねえ……」

 苦笑いをする丈一郎。

「だけどさ、僕だって結構大変だったんだから。あの女の子たち、特に釘宮さんを説得するなんて僕には無理だよ」

 閃光のような右ストレートで、真央の顔面を打ち抜く桃の姿を思い出し、身震いする丈一郎。

「ははは、マー坊君の言う通り、釘宮さんの右ストレート貰っちゃったら、きっと僕の頭なんて明後日の方向に吹っ飛んでいっちゃうかもしれないよ……」

 

「……確かにな……」

 頬にかすかに残る痛みが、真央にあの衝撃をありありと思い出させる。

「っつうかよ、マジで何で桃ちゃん女のくせにあんなパンチ力あんだよ……やっぱ前世はマウンテンゴリラだな……」


 腕組みをしながら、うんうんとうなずきあう二人。

 二人は連れ添いながら校門をくぐり、そして教室棟へと分岐する地点へと差し掛かる。


「んじゃな、俺こっちだから」

 真央は教室棟とは反対方向の方角を指差す。


「え? マー坊君教室いかないの?」

 という丈一郎の問いかけに対し


「ああ、俺朝練してくわ」

 と事もなげに答える真央。

「二三日謹慎してたしな。体が筋肉痛の感覚忘れちまったみたいでよ。なんか気持ちわりーから体に火、入れとくわ」

 丈一郎を振り返ることもなくそう告げた。


「……」

 その、いかにも自分に対し関心を払っていないかのようなそぶりに、少々むっとした丈一郎。

「僕も行くよ!」

 そう言うと真央の横に並んで歩く。

「僕もマー坊君と一緒に、朝練やるよ!」


「んー?」

 自分の横に素早く並ぶ丈一郎に視線を落とす真央。

「んだよ。お前はずっと練習してたんだから、無理に俺に付き合うことねーんだぜ?」


 しかし丈一郎はその言葉を聞き流すかのようにして

「関係ないよ! そんなの!」

 というと、真央の手をとり引っ張った。

「……僕だって、君の見ている世界を共有したいんだから……」

 その小さな、決意のようなつぶやきに対し


「ああーん? 何か言ったか?」

 と訊ねる真央。


「なんでもない!」

 そう言うとその手に力を込め、ぐいぐいと真央を引っ張る丈一郎。

「さ! 急ごうよ! ゆっくりしてたら朝のショートホームルーム、始まっちゃうよ!」




 どしん、どしん、どしん


「何だぁ?」

 何者かにより開錠された部室のドアの前に立つと、たどたどしくも重々しい音が外部にまで響き渡る。

「誰かいるんか――」

 というと、真央は頭を掻きむしった。

「――つうかまあ、大体わかるよな」


 その言葉を聞くと、丈一郎も口元をゆるめる。

「マー坊君がいない間も、一日も休まずに練習してたんだよ? すごくない?」

 そして、そのふるい、立てつけの悪いドアに手をかける。

「彼は、もう僕らの立派な仲間だよ」


「ああ、そうだな」

 真央もその錆びついたぼろぼろの扉に手をかける。

「先輩とか後輩とかじゃねえよな。あいつは、もう俺たちの仲間、立派なボクサーだよ」


 二人は力を合わせて錆びついた、古ぼけた扉をこじ開ける。

 そこに漂う、懐かしい匂い。

 汗の据えた匂いと、湿気が呼び込んだカビの匂い、そして、ほのかに混じる錆びた鉄のような血の匂い。

 その中で気合と体重を込めた拳をふるい、サンドバッグに向けて汗を流すのは――

 

「ふう、ふう、ふう、あ! じょ、丈一郎先輩! それに……」

 命のように大切なヒーロー、電撃バップのTシャツを身にまとうレッドの姿。


「よっ」

 口元をゆがめ、自分でも驚くほどにクールな表情でレッドに声をかける真央。

「元気してたか? 調子良さそうじゃぁねえか」

 そしてレッドのもとに近づき、左手でぎゅっとその巨大な腹をつまむ。

「なんかよ、ちったあ痩せたみてえじゃねーか。ああ? 俺がいねえ間も、手ぇ抜かねーで努力してたみてーだな。ん?」

 

「ま、マー坊先輩!」

 真央の姿を認めたレッドは、真ん丸に目を見開いて叫んだ。

「て、て、停学期間はもう終わったんですか!?」


「おうよ」

 腹をつまみながら答えた真央は、ニイッと笑う。

「おかげさんでな。ったく、せっかく一週間くらいゆっくりできると思ってたっつうのによ」


 するとレッドは

「ゆ、ゆ、許してください!」

 大きく頭を下げた。

 そして再び顔を上げると

「で、で、で、ですが! 自分は、マー坊先輩の気持ちを――モゴモッ?」


「それ以上は言いっこなしだぜ」

 そう言うと、今度は真央は右手でその唇をつまんでその口をふさぐ。

「もう終わった話じゃねーか。もう忘れようぜ。そんなことよりよ、俺らぁもうじき関東予選なんだよ。だからよ――」

 右手を離し、軽くレッドの腹を叩く。

「これからマジで追い込んでいくからな。お前はまだ一年生で出れねーからよ、奈緒ちゃんと一緒に、俺らのサポートよろしく頼むぜ、バップレッド」


「そうそう」

 その後から、丈一郎がレッドの肩を叩く。

「僕たちのサポートをしながらさ、少しずつボクシングのこと覚えていこうよ。そうすれば、もっとボクシングのこと好きになるし、そうしたら、もっともっと強くなれるからさ」

 そして、その目を見つめて言う。

「リングの上での、そして、人間的な意味での強さ、絶対に見ることができるから。うん」

 すると、丈一郎は真央の腕をおもむろに取り

「マー坊君と一緒なら、そういうすごい景色が見れるから」


「だーっ! 気持ちわりーな!」

 いきなり丈一郎に密着された真央は、慌ててその腕を振り払う。

「俺ぁ男に腕組まれて嬉しいとかそういう趣味はねーんだよ!」


 その言葉に、丈一郎は

「……ってことはさー、女の子になら、例えば誰だったらうれしいのかなぁ?」

 にやにやといたずらな微笑を浮かべ訊ねる。

「ねえねえ、葵ちゃん? 奈緒ちゃん? やっぱり釘宮さん? 意表を突いて岡添先生とか?」


 ゴンッ!


「あいだっ!」


「調子に乗ったこといってんじゃねえ!」

 小学生のように頬を赤らめた真央は、強烈な拳骨を丈一郎の後頭部に見舞う。


「あいててて……あはははっ、ごめんごめん、いやー、最近マー坊君の周囲が、なんとなくお盛んな感じがしてさ」

 頭を押さえながら苦笑いをする丈一郎。


「ったくよお。こういう時はな」

 そういうと真央は、丈一郎とレッドに両肩を組む。

「男同士はな、腕をとるなんて気持ちわりーことはしねーんだよ。こうやってな、肩を組むもんなんだよ」


「……マー坊先輩……」

 尊敬するヒーローからかけてもらった“男同士”の友情の証、少々乱暴ではあったが、それがレッドには男としての階段を一歩あがることができたように感じられた。

 そして、それが何よりも嬉しかった。


「まったく、何が違うのかわからないけどさ」

 小さく微笑みながらため息をつく丈一郎。

 しかし、ずっしりと重い、筋肉質な真央の腕が首に絡みつく感触が、丈一郎にはなんともいえない心地よさとなって現れた。


 そして真央はその腕に力を込め、三人の顔が互いの呼吸を感じられるくらいに近づける。

「今はたった三人しかいないけどよ、俺たちは大事な仲間だ。そんでよ、インターハイでも何でもいいから全国出てよ、俺たちの力見せ付けてやろうぜ」

 そしてニィ、あの余裕を見せ付けるような、不敵な笑みを浮かべる。

「よっしゃ! んじゃぁまー、いっちょ朝から追い込んでいこうかいのぉ」


 ガラガラ、立て付けの悪いドアの、きしむような音がなる。

「……んっと、あれ? みんななにしてるのー?」

 そこに足を踏み入れてきたのは、ボクシング同好会の立役者でありマネージャー、釘宮奈緒だった。

 そのはじけるようなからだと笑顔が、三人を包む。

「もしかして朝練? みんな偉いねー」

 

「おうよ」

 そういって真央はニィッと微笑む。

「奈緒ちゃんこそどうした?」


「だってー、今日からマー坊君部活に復帰なんだもん」

 奈緒の、明るい太陽のような微笑が輝く。

「だからねー、すぐにでも活動できるように、準備しておこうと思ったのー。えへへへへー」


「ちょっと奈緒ー、またあんた自分の体操着とあたしの体操着、間違えて持ってったよ」

 部室の後から、声が響く。

「少しは身の回りのこと気を使えるようになったらどうなんだ?」


「まあまあ、桃さん、朝はあわただしいですからね」

 さらにその後ろからも声が。

「朝ごはんまで自分で作っていらっしゃるのですから、多少慌ててしまっても仕方ありませんよ」


 そこに姿を現した二人の少女。

 モデルのようにすらりとした少女、そしてもう一人は日本人形のようにたおやかな少女。

 桃と葵だった。


「な、なんだ、二人して」

 二人のいきなりの登場に戸惑う真央。


「まあまあ、華やかでいいじゃない」

 こちらは余裕の表情の丈一郎。

「むさ苦しい男の園に、綺麗な花が咲いたって感じじゃない?」


「たた、確かに!」

 顔を真っ赤にしながら、口ごもるように言うレッド。

「す、す、す、すごくいい匂いがするような気がします」


「なんでもいいけどよ、桃ちゃんまで一体何しに来たんだよ」

 警戒の色を隠さずに言う真央。


「別に、ただ奈緒に用があっただけ」

 プイ、と顔をそむけながら言う桃。

「奈緒があたしの体操着、間違えて持ってったから、交換しにきただけだよ」


「……体操着、ねえ……」

 腕組みをして、桃のからだを隅々までチェックする真央。


「……な、何だよ、急に……」

 その異様な視線に、思わず後ずさりする桃。


 すると、真央は

「おお! そういうことか!」

 ポンッ、納得したように手を叩く。

「桃ちゃん胸ペッタンコだからよ、奈緒ちゃんの体操着着たら、ぶかぶかになっちまうもんな! そういうことだろ!」


 更新世の地球上の空気のように、蒸し暑いはずの部室の空気が凍りつく。

 空気だけではない。

 真央、そして桃以外の全員の表情も完全に凍結する。


「「「「あちゃー……」」」」

 真央と桃を除いた四人は顔を抑え、その惨劇をせめて目の当たりにしないようにそむける。


 ぷるぷると、全身を震わせる桃。

 

「ん? みんなどうかしたか?」

 取り返しのつかない地雷を踏んでしまっている事に気付かない真央は、わけもわからずきょろきょろと周囲を見回す。

「なんだよ。いったい……ん?」

 背後に感じる、恐ろしいほどのさっきにかがついた真央は、恐る恐る振り返ると――


「ふざけんなぁぁぁぁぁああああ!」

 怒鳴り声とともに

「あんたはっ! いい加減にっ! 本当にっ!」

 桃は右拳を振り上げる。

「デリカシーってものを覚えなさいよょおおおおおおおおっ!!」


 メキキキャッ


「はがっ!」

 桃の体重の乗った、拳がめり込んだ。


「「「「ははははは……」」」

 右拳が見事に真央の意識を断ち切る瞬間、その瞬間を四人はは引きつった笑顔で見つめていた。


 学校が始まって一週間、新しい仲間が加わり、紆余曲折を経ながらも彼らは一つになった。

 そして、初めて感じる気持ちに戸惑う三人の少女と一人の女性。

 広島から来たこの不思議な少年は、その環境の変化に戸惑いながらも、少しずつその輪の中に打ち解けている、かのように見える。

 一陣の風のような少年、彼はそもそも何者なのだろう。

 彼を取り巻く人間達が、その中で少しずつそれが見えてくるのだろうか。

 やはり、あの日見た月だけが知っていることなのかもしれない。

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