4.15 (月)12:10
ガラッ
先刻の騒然とした空気を引きずる教室のドアを、荒々しく開ける男の姿。
「よっす」
――ザワ、ザワ、ザワ――
またもや教室全体が騒然となる。
「……ねえ、やっと帰ってきたよ……」
「……よかったー! 何があったかはわからないけど、ずいぶん明るいから、ひとまずは何もなかった見たいね……」
片方の眉を吊り上げ、ふてぶてしい面構えのその男は誰であろう、先ほどから話題の中心にあった秋元真央だった。
「よう、わりーな授業中断させてよ」
砕けた調子の、敬意など全く感じさせない敬礼を教壇の教員に向かって示した。
「あ……あ、ああ……」
なぜ真央が呼び出されたのか、その理由を知っている男性教員は、後ずさりするようにして言う。
「そ、そうだ……ですね……じゃあ、早く支度をして……」
次第にその語尾が小さく聞き取れなくなって行った。
「へいへいーっと」
ポケットに手を突っ込んだまま、軽快な足取りで机へ向かう真央
「ん」
こちらに心配そうな視線を向ける丈一郎と葵の姿に気がつくと
「ぃよお」
こちらも軽い会釈でその視線に答えた。
二人の顔が明るくなる。
葵は胸をなでおろした。
真相を知る丈一郎は、真央がうまく説明をして切り抜けることができたのだと確信した。
とにかく、これですべてが終わったのだ、そう考えた。
足取りも軽く、自分の席に戻る真央。
その様子を、桃も心躍らせながら眺めていた。
心配することなど、やはり何もなかったのだ、桃は真央が自分の心に答えてくれたことを、少し嬉しく、くすぐったくも感じた。
思わず、クールなその表情もほころんだ。
「ん?」
そのいつもとは違う表情に、真央も気がつく。
「どうした? 桃ちゃんもやけに機嫌よさそうじゃねーか?」
真央の言葉に、気付いたように表情を硬くする桃。
そしてその形のいい眉をひそめ、ぷいとそっぽを向いた。
ふぅ、小さくため息をつき、髪の毛をもしゃもしゃとかき乱す。
また“でりかしー”のないこと言っちまったか、真央はそう考えた。
「ま、いーか、んじゃ」
そういうと真央は――
「?」
「真央君?」
「マー坊?」
困惑する仲間をよそに、真央はバッグを取り出して鼻歌交じりに机の中の教科書類をつめ始めた。
そしてそのあらかたを梱包し終えると
「ほんじゃ、な」
機嫌よさそうに桃に挨拶をした。
「何それ? どういうこと?」
桃が困惑を隠すことなく真央に訪ねると
「おぅ、決定が下るまで、自宅謹慎だとよ」
こともなげに、むしろ公認で授業を受けなくてもよいことを喜ぶ真央の言葉が返ってきた。
「わりーな、丈一郎。まあ、体育だけは受けたかったんだけどよ。部活のほうは、とりあえず対人はやらんで、ロードとシャドウ、バッグしっかりやっといてくれや。俺がいねーからって手ぇ抜くなよ」
そして
「あ、あと、奈緒ちゃんとレッドにはよろしく言っといてくれ」
「え? あ、うん……ていうか、なんで……」
その丈一郎の言葉は
「HE~EEY YAHHH~ HE~Y YAHHH~」
アウトキャストの「ヘィヤァ!」の鼻歌にかき消された。
そして葵のもとに近づき
「わりーわりー、つぅことで今日一緒に飯は食えねーんだけどよ、よかったら弁当もらえねーかな?」
“謹慎”という言葉とは裏腹の明るい表情に困惑しながらも、葵は
「……え、あ、はい!」
請われるままにバッグから弁当箱を取り出し渡す。
にんまりとした心地よい笑顔を作る真央。
そして、くしゃくしゃと葵の美しい髪を撫でて言った。
「ありがとな。葵の弁当くわねーと、なんか最近調子でねーんだよな、へへへ」
その思いもよらぬ言葉に
「え? え、っと……あ、ありがとう……ございます……」
慌てて髪に手櫛を入れながら、顔を赤くしながら俯いた。
周囲の仲間の動揺をよそに、真央は心底嬉しそうに見える。
「んじゃ、せんせー、ガッコの命令なんで仕方ねーよな。あんたの授業、楽しみだったぜ」
こころにもない言葉を教員にかけ、大げさに落胆するようなそぶりを見せた。
「んっじゃな、A組の諸君、俺はおとなしく自宅謹慎としけこむぜー」
そして足早にドアを出てゆく。
「HE~EEY YAHHH~ HE~Y YAHHH~」
口ずさみながら、両手を前方でひらひらとさせながら。
クラスメイトは、そして教員はただ呆然としてその後姿を見送るほかなかった。
「あ、レッド君!」
昼休み、群がってくるクラスの生徒たちを払いのけながら、丈一郎は一年生の教室棟へと向かう。
ただ葵だけは、何度も髪の毛を手櫛で梳かし、先ほど真央に頭を撫でられた余韻を反芻していたが。
すると途中で、最近は恒例となっているビオトープでの昼食のために屋上へと足を運ぶレッドと出会うことができた。
「あ! 丈一郎先輩!」
前方から足早に向かってくる丈一郎の姿を認めると、レッドは気をつけをして深々と礼をする。
「おつかれさまっす! そんなに急いで、どうかいたしましたかっ!?」
すると丈一郎は、ぐいとレッドの袖を掴み、廊下の隅に連れ出して耳打ちをする。
「君は大丈夫だった? 授業中に呼び出しなんて受けなかった?」
すると、レッドの表情が張り詰めたものに変わる。
「え? い、い、一体、何があったのでありますかっ!?」
すると丈一郎は、周囲の様子を確認しながらレッドの耳元でささやく。
「……昨日の事件、学校にばれちゃったんだよ……」
「えええっ!?」
驚愕の声をあげるレッド。
「声が大きいって!」
慌ててその口をふさぐ丈一郎。
「先生の話によると、あの林田ってやつが傷だらけで帰宅したのを見て、林田の親が学校に訴えたんだって。それで、マー坊君と僕の名前が挙がって、今日の二時間目に取り調べを受けたんだよ……」
「……じ、自分のところには、先生とか誰も来ませんでしたが……」
顔をしかめるレッド。
いったい何が何だかわかっていない様子だ。
「……たぶん、なんだけど……」
丈一郎は腕組みをして言った。
「もし君の名前が出たら、林田たちが君をいじめていたことが明るみに出ちゃうからね……だから、きっと君の名前は出さずに、一方的に僕たちが悪いことにしたんじゃないのかな……」
「そ、そんな! だったら自分が先生たちに!」
その理不尽な言い分に、レッドはついに教員へ自分がいじめられていたことを訴えようと申し出たが
「それは、絶対にやめてほしい」
丈一郎は強い口調で押しとどめた。
「なぜ僕が無罪放免になったと思う? あの事件が起こった時点で、マー坊君は全部自分が責任をとるつもりでいたのさ」
拳を固く握りしめ、歯ぎしりをしながら言う丈一郎。
「マー坊君はね、レッド君、君が先生に言わずに自分の力でいじめに立ち向かうって決めたのを見て、それを最大限に尊重しようって考えていたんだ。結果、君はいじめに立ち向かえるくらいの強い人間になれた。だけどね」
ふう、ため息をつき、自分自身を納得させるかのように丈一郎は言う。
「マー坊君は自分がけしかけたせいで、結果君があんなに袋叩きにあったんじゃないかって、心のどこかで考えていたんだと思う。それにね、ああ見えてマー坊君、絶対にリング外で無益な暴力なんか振るわない人なんだ。だから、全部自分の責任にして、自分で自分を罰しているつもりなんだ」
そう言うと丈一郎は、コンクリート製の壁を勢いよく殴りつける。
「本当にバカだよ。大バカだよ。だけどね、僕はそんな彼が大好きなんだ。心の底から、本当に大好きなんだ。男として、好きなんだ。だから、彼の男を立ててあげようよ。それがきっと、マー坊君が望んでいることなんだ」
「……わかりました……」
レッドは俯きながら呟いた。
すると、きっと顔を上げて言った。
「けど! 自分も男です! それに自分も、マー坊先輩が大好きです! 自分も! 自分も自分の男を立てさせてもらいます!」
そう言うとレッドは、カバンを抱きかかえると、一目散に教室へと駆けていった。
「……レッド君……」
その後姿を、丈一郎はただ眺めるしかできなかった。
「ねえ、川西君」
食堂裏で、一人ぼっちで弁当をつまむ丈一郎に話しかける女性の姿。
「あ」
その姿を見上げると
「釘宮さん……」
丈一郎の目に飛び込んできたのっと、は、釘宮桃の姿だった。
「よいしょ、っと」
丈一郎の横に座る桃。
「いったい何があったんだ? マー坊のブレザーの、血みたいな染みと何か関係があるの?」
と問いかける。
「……釘宮さん……えっと……その……」
言葉を濁す丈一郎に対し
「あたしは、マー坊を信じてもいいんだよね?」
毅然とした態度で桃は訊ねた。
「あいつは、本当にバカな奴だ。頭じゃなくて、感情だけで動いている奴だもん。だけど」
桃はぎゅっと拳を握りしめ、言った。
「あいつは、少なくとも自分のために拳をふるうような奴じゃない。あたしとあいつが初めて会った時も、か弱いおばあさんのために拳をふるったんだ。あのスパーリング大会の時も、川西君とあたしのために拳をふるったんだ」
クールな桃の姿が、今はどこか儚げに見える。
「だから、あたしはただあいつを信じればいいんだよね?」
「……釘宮さん……」
その様子を、真っ直ぐに見つめ返す丈一郎。
そして、丈一郎はフッ、と笑って言った。
「釘宮さんって、本当にマー坊君の事大好きなんだね。なんだか妬けちゃうな」
その思いもよらぬ、はぐらかすような返答に
「え? えええええ!? な、なにいってるの?」
と桃はしどろもどろになった。
「わ、わけのわからないこと言って、ごまかさないでよ!」
その様子を見て、丈一郎はいつものへにゃっとした微笑みを返す。
「大丈夫だよ。釘宮さんは、しっかりとマー坊君の事を信じてあげてよ」
そして、柔らかい笑いがどこか見透かすような笑いへと変わる。
「だけど、気をつけてね。あれだけかっこいい男だもん。ライバルはたくさんいるって思っておいた方がいいよ」
「ええええええ? い、いったい何のことだよ!?」
困惑気味に返答する桃に対し
「それは……自分の胸に聞いてみた方がいいんじゃない?」
そう言うと丈一郎は手早く弁当を包み、席を立った。
「それじゃーね。5時間目体育だから、そろそろ着替えておいた方がいいよ」
小さく手を振り、教室へと戻って行った。
「……まったく……」
その後姿を見送りながら、爪を噛む桃。
「……いったい何なんだよ……あ、あたしの気持ち……って……」
そして、頬をわずかに赤らめながら、艶やかな美しい髪をかきあげた。




