4.14 (日)8:20
ぽんっ、誰かが肩を叩く。
この感覚、もはやすっかりなじんだ感覚。
口元に微笑をたたえながら、丈一郎は振り返る。
「おはよう、マー坊君」
「よっ、丈一郎」
丈一郎の微笑みに、同じく微笑で返す真央。
「はえーじゃねーか。気合十分だな」
その顔には、一週間の窮屈な学校生活から解放されたすがすがしさが漂っている。
「マー坊君こそ。なんだか“日曜大好き!”って雰囲気がものすごく伝わってくるよ」
すでに隣を歩く真央に対して言った。
「それにしても……」
丈一郎は真央の姿を頭のてっぺんからつま先まで見渡し
「ようやくブレザー、慣れてきたってかんじだね。初めて会ったばかりの時は、学生服だったし」
「俺だってホントはブレザーなんて着たくねーよ」
窮屈そうにネクタイを緩める真央。
「学ランなんか別にYシャツ着る必要すらねーんだからな。日本中どこいったってそんな形かわるわけじゃーねーし。ほんとブレザーなんて金食い虫だぜ。そうおもわねーか?」
「まあまあ、そういわないで。少なくともブレザー着ておけば――」
そういうと、丈一郎は警備員に会釈し、校門をくぐる。
「この聖エウセビオの生徒として、スムーズに学校に入れるわけだからさ」
と微笑んだ。
「何でもいいけどよ」
ポケットに手を突っ込んだまま、面倒くさそうに真央は答える。
「こんなもん普段着にはできねえしよ。俺はやっぱり学ランがいいわ」
そういって小さくため息をついた。
「あはっ、昔の学生服なんて普段着にしてるの、きっとマー坊君くらいだよ」
茶化すようにいう丈一郎。
「しかも代々学生服を受け継ぐなんてさ、いまだにそんなことやってるのって、きっとマー坊君ぐらいなものと思うよ」
ガンッ!
「あだっ!」
いつものように、真央の拳骨が頭に下る。
「あいたたた……」
「うっせんだよ。一言多いんだ、大体おめーは」
ジロリ、と丈一郎を睨みつける真央。
「おめーにはあの学ランの価値っつーもんがわかってねーんだよ。あの学ランはな、なんつってもジンカイザーが一番とんがってた時期に作られた制服でな、裏地の渋さが……」
いつになく饒舌に、くどくどと愛着深い学生服の解説を始める。
「はいはい、そうだったね。あの学生服は、マー坊君にとって数少ない私服みたいなものだもんね」
自慢げに語る真央を尻目に、苦笑いでそれを聞き流す丈一郎。
その様子は、丈一郎には新しいおもちゃを与えられた子どものように無邪気に思える。
見た目などは180度の正反対だったが、真央もレッドも結局は似たもの同士なんだな、やけに饒舌な今日の真央と、同じく理解しがたいような情熱で語る昨日のカフェ・テキサコでのレッドの表情が重なった。
くすっ、真央に見えないよな角度を探し、ひそかに微笑む丈一郎。
しかし
ゴンッ!
「あだっ!」
「てめー、また笑っただろ! 隠したってわかんだよ!」
自分自身でも熱を込めて語りすぎたことが恥ずかしくなったのだろうか、やや頬を赤らめ真央は叫んだ。
「あーもう、痛いんだって、マー坊君のそれ」
頭をこすりながら、やや目を潤ませながら丈一郎は呟く。
「なんか、最近ストレス発散の相手にされているだけのような気もするよ……」
「ったく……これだからお坊ちゃんはよ……」
丈一郎の言葉に耳を貸すこともなく、ポケットに手をつ込んだままぶつぶつと真央はこぼす。
「大体な、なんでお前はあの学ランの渋さがわかんねーんだよ、それが俺には理解できねーよ」
「あははっ、大丈夫だよ」
そういってにっこりと真央に対し微笑む。
「あの学生服が着こなせるの、きっとマー坊君くらいなものだと思うからさ」
「……なんかやっぱり馬鹿にしてねーか、それ……」
そういって真央は忌々しそうに眉をしかめる。
「いやいや、僕は心の底からほめてるつもりだよ」
そういいながら丈一郎は真央と肩を並べて部室への道を進んで行った。
すると
「ん……」
真央は、部室へと続く道に、いつもとは違う違和感を感じた。
レンガの小道に、散乱する緑の芝生。
その芝生には、えぐれたようにところどころ露出する土。
その様子は、まるで野生動物が暴れた形跡のようにも見えた。
「……なんか、おかしくねーか? なあ、丈一郎」
「え……と……」
その言葉を受け、丈一郎も周囲に細心の注意を払う。
「確かに……なんだか……こう……」
そういって目を細めると、あることに気がついた。
「ねえ! なんか跡見えない? 点々と……もしかしてこれ」
動揺する気持ちを抑えるようにいう丈一郎。
「ああ。間違いねーだろ」
真央の口調が、一瞬にしてリングの上における冷静な、ある意味では冷酷なトーンに変化する。
「血だ。それ以外に考えられねー」
眉をひそめながら、周囲を確認する丈一郎。
「……一体何が……」
するとその目に飛び込んできたものは
「ねえ見てマー坊君! あそこに何か落ちてるよ!」
丈一郎が指すが早いか、真央はその方向へと飛び出す。
そして、その場所にしゃがみ込み、それが何であるかを確認する。
「これは……」
そこには、どこかで見たことがるようなバッグ、その記憶を紐解けば
「……これはあれだ、レッドのバッグじゃねーか……」
そしてその横には、その中身と思われるものが散乱していた。
レッドが大切にしている、電撃バップのプリントされたTシャツとハーフパンツ、そして真央が渡して大切に使用しているバンデージ。
それらはすべて、乱暴に踏みにじられ、無残にも靴跡がくっきりと浮かび上がっていた。
「あ! これって!」
丈一郎は、そのさらに奥のところに、こちらも無残に叩き壊されている何かを発見した。
「これって……もしかして……」
“こ、今度、新しいフィギュア、作ります! 電撃バップの! だから、マー坊先輩と丈一郎先輩に、バップイエローとバップブルーのフィギュア、持ってきます! 自分の、せめてものお礼っす!”
昨日のカフェ・テキサコ、嬉しそうに叫ぶレッドの顔が浮かぶ。
間違いない、壊されてはいるが、これは電撃バップの、ブルーバップとイエローバップのフィギュアだ。
真央と丈一郎にプレゼントするために、レッドが作ってきてくれたものだ、丈一郎は確信した。
「……いったいだれが……こんなひどいことを……」
そして、その無残な壊されように、言いようのない不安が胸をよぎる。
「……」
無言でそのバッグと、踏みにじられたレッドの“たからもの”を見つめていた真央は、スクッと立ち上がり、低い、唸るようなトーンで呟くように訊ねる。
「……この辺で、俺みてーな奴らがたむろして悪さしそーな場所教えろ」
その言葉の意味がわからず、混乱する丈一郎。
「え? え? どういう……」
「ごしゃごしゃ抜かすな!」
周囲の空気を切り裂くような真央の声が響く。
「あいつらがレッドを集団でボコすような場所がどこかにないかどうか聞ぃとるんじゃ!」
びくん、魂が破裂しそうなほどに驚愕する。
「え、えと、たぶん……なんだけど」
そして、混乱する頭をフル回転させながら
「うん、きっと、河川敷の、橋脚の下あたりなんじゃないかと思うけど……」
「……そうか……」
そういうと真央は部室のほうへと駆け寄り、ガラリ、無造作に立て付けの悪いドアを開ける。
そしてバッグを投げるようにして放り込む。
「……あと、頼んだぞ……」
丈一郎の方を振り返り、簡潔に言葉を伝えた。
一目散に駆け出そうとする真央に対し
「待って!」
丈一郎が声をかける。
「止めんじゃねえ!」
今度は振り返ることもなく叫ぶ真央。
しかし
「止める? 冗談じゃないよ」
丈一郎も駆け出し、真央の隣に並ぶ。
「止めるつもりなんてさらさらないよ。僕も一緒に行く」
そういって真央の横を併走し始めた。
「お前は残れ」
そういって真央は丈一郎の方をつかんだ。
「こういうのは俺の仕事だ。お前は残って、奈緒ちゃんと練習始めてろ」
すると丈一郎は、その手を振り払うようにして
「君一人を行かせないよ」
すると、グッ、真央は丈一郎の胸倉を掴み諭すように言う。
「来るんじゃねえ。いいか? お前は純粋なボクサーだ。もし俺と一緒に来て拳を振るうようなことになれば、お前の拳がけがれちまう」
そして、突き飛ばすようにしてその手を離す。
「レッドにも、お前にも、そんなことに拳を使わせたくはねーんだよ。お前の拳、純粋なまま残しておきてーんだよ」
真央はそういうと、自身の拳をじっと見つめる。
鶴園が指摘したとおりだ。
真央の拳は、ジムとリングの上だけで作られたものではない、いわば路上でたたき上げられた拳でもあった。
真央は、そのリングの外以外で振るった拳を恥じていた。
後悔していた。
思うが侭に振るう暴力の快感を知る自らの拳を、真央はどこかでけがれたものであると感じている。
だからこそ、同じ思いをレッドや丈一郎にして欲しくはない、真央はそう考えた。
しかし
「……君と一緒なら、行くよ」
丈一郎は襟元を正すと、静かに呟く。
「君と一緒なら、いいよ」
そして、いつものへにゃっとした微笑を返した。
「僕の拳、君に預けるから」
「……丈一郎……」
その丈一郎の微笑みを、真央は真っ直ぐに見つめる。
そして、小さく舌打ちをし、頭をもしゃもしゃとかきむしる。
「ああー、わかったよ、くそっ!」
そういうと、再び校門へと走り出し
「よく考えたらよ、俺その橋がどこにあるかしらねーんだよ! とっとと来て道案内しろ!」
と叫んだ。
すると丈一郎も、その後に続いて駆け出した。
「オッケー! さ、急ごう!」




