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    4.10 (水)16:50

「……っらあっ! 歯ぁ喰いしばってとにかく走れぁ!」

 もはや完全に後ろへと体重を預けているレッドの体を、顔を真っ赤にしながら押す真央。

「ランニング終わる前に、部活終わっちまうだろーがぁ! ギャグだぞ、そんなもん!」


「……すんませんっす……今日は朝から筋肉痛で、ただでさえ体中が痛くって……」

 ハアハアという息切れも途絶えがちなほどに苦しそうな様子のレッド。

「……い、い、一生懸命には……やって……るんっすけど……」


「ド、ドンマイ! レッド君!」

 むしろこちらが歯を食いしばっているというべきだろう、丈一郎は真っ赤をとり越し、その顔色は真っ青にも見える。

「き、筋肉痛になるって、ことは、さ、君の体が確実に強くなっているって証拠だから! だ、だから、その痛みを繰り返して、君は強くなるんだから!」


 ふと、丈一郎は初めて真央と会った日の事を思い出す。

 シャワールームで、自己の貧弱さを嘆いていた丈一郎。


 “その擦り傷、青あざ、その一つ一つがお前が努力した証拠、強くなった証しだと思え。それを毎日積み重ねていけば、間違いなくお前は昨日のお前よりも強くなってるんだ”


 その真央の言葉、何度も自分の中で噛みしめている。

 もはや、毎日体中が筋肉痛だ。

 すり傷やあざも、いつこさえたものかもわからないほどに日常茶飯事となっている。

 最近では痛みを体に強いることが、むしろ快感とさえなっている。

 きっとレッドも、自分と同じような無力さを味わっているはずだ、しかし、それはきっとみんなが通る道なんだ。


 そう思うと、何としてもレッドを強くしなければならない、丈一郎はそう心に誓った。

「さぁ、レッド君! 自分に負けるな! 強くなるんでしょ!? ファイトファイト!!」

 一層の力を込め、レッドに奮起を促した。




「おつかれさまー!」

 坂を上り終え、そして部室の前でへばるレッドにタオルを渡す奈緒。

「きちんと水分補給してね。もう本格的にあったかくなってるからね」


 タオルを首にかけ、休まずにシャドウを続ける二人を見つめながら、情けない表情でレッドは呟く。

「……すんません、自分、全然動けなくって……」


 その言葉に、奈緒はにっこりと、励ますように笑いながら言う。

「そんなに早く強くなったら苦労しないって―。丈一郎君だって、今ではあんなにすいすいシャドウしてるけど、初めてマー坊君と練習した時は、今のレッド君よりもヘロヘロだったんだからー」


「そ、そうなんっすか?」

 目を真ん丸に見開き、驚きの表情で奈緒を見つめる。

 そして、あっけにとられたように、涼しげな表情で丈一郎に目を移す。

「とてもそんな風には見えないっす!」


「んしょ、っと」

 チョコン、と奈緒はレッドの横に腰を下ろす。

「知ってると思うけど、この同好会ね、わたしが立ち上げたんだー」

 そして体育座りをしながら、空を切り裂くような音を立てる二人を見つめる。

「丈一郎君だけが、わたしにつきあってくれたんだー。だけど、やっぱりコーチしてくれる人がいなかったから、結局自己流でやるしかなかったんだ。そんなとき――」

 右手で胸を抑えるようなしぐさで、少し伏し目がちになりながら

「そんなとき、現れたのがマー坊君なんだー」


「釘宮さん……」

 そのあどけない、しかし、少しだけ大人び始めた奈緒の横顔をレッドは見つめる。


 尊敬と憧れ、そして隠しきれない想いのこもった言葉を口にする。

「もちろんそれまでの丈一郎君の努力もあるけど、マー坊君と練習したおかげで、明らかに丈一郎君強くなったもん。だから、ね」

 そしてレッドの顔を見つめ

「焦らないでいいから。とにかく今は自分と、それにマー坊君と丈一郎君を信じて頑張ろうよ。ね?」

 とにっこり笑った。

 

 すると、レッドは無言ですっくと立ち上がり、見よう見まねでファイティングポーズをとった。


「お? レッド、やる気満々じゃねーか」

「その意気だよレッド君!」

 二人の少年は、さらなる励ましの声をかけた。


 その様子に、奈緒は柔らかい微笑みを浮かべた。

 そして

「……レッド君にとってだけじゃないよ。マー坊君は……私にとっても、ヒーローなんだから……」

 誰にも聞こえないであろうトーンで、その胸の内を言葉にした。




「だめだだめだ! そんなんじゃ話になんねーぞ! 死にてーのか!」

 鏡の前で叫ぶ真央。

 そして同じく鏡のレッドの横で、お手本通りの構えを作る。

「いーか? 右手顎につけてなかったら、おめーの右顎、相手の左で狙いたい放題じゃねーか!」

 そう言って素早くレッドの前に割り込み、ポンと拳をその右顎に当てる。

「おぅら、返事! しゃっきり返事せぇ!」


「お、おっす!」

 腹の底から声を張り上げるレッド。

 そして真央の指示に従い、慌ててその右拳を引き上げる。


「上げすぎだ! ばァか!」

 そして真央は、今度は右横腹を叩く。

「あのな、拳上げすぎても死ぬぞ!? うらっ!」

 すると、真央はレッドのレバーに拳を当てた。

「ここ叩かれっと、顎いわすよりもキッツいことになんぞ!? 地獄見んのはてめーだからな! 死にたくなかったらもう少し拳と肘を下げろ!」


「おっす!」

 遮二無二レッドは叫んだ。




「んじゃあな、これからお前がリングの上で生きていくうえで一番重要な武器を教える」

 心地ないながらも、少しづつ形になっていくレッドの構えを見て、真央はそう宣言した。

「とにかくこの構えとこの武器だけを、何度も死ぬほどしつこく繰り返せ」


「お、おっす!」

 リングで生きていくための武器、その言葉にレッドは燃える。

 いったいそれは何か、レッドは歓喜と金武町の中で声を張り上げる。


 すると


 ヒュンッ



 フッ、一瞬の風がレッドの前髪を跳ね上げたかと思うと

「……え?」

 気が付けば、レッドの目の前に真央の左拳がぴたりとすえつけられていた。

「こ、これって……」


 にい、その厳しい表情をゆるめ、拳を下ろす真央。

「名前くらいはおめーも知ってんだろ。これが、ジャブだ。ボクシングで、これさえ身につけときゃぁまず間違いねーってしろもんだ」


「こ、これがジャブっすか」

 ようやく状況を把握したレッド。

 レッドには、真央がいったい何をしたのかさえ分からなかった。

 見ることができない、反応することすら能わないその拳、もしそれが顔面にめり込んでいたとすれば、自分は何をされたかも理解することができずにその場へ倒れこんでいただろう、そう考えるだけでレッドは身震いした。


「このパンチはよ、いろんな使い方ができるんだ。たとえば――」

 ややレッドから距離をとり、軽やかにジャブを繰り出す。


「え? えええ? っちょ、っちょっと」

 その速射砲のような手の動きに、体を固くして顔に手を多いかぶらせるレッド。

 すると


「すきあり、ってやつだな」

 またもや軽やかに、ボディ、フック、そしてアッパーを叩きこむしぐさを見せる。

「こうやって相手のファームを崩せば、めちゃくちゃ隙が生まれるんだ。そんで、これを右の拳につなげる。ジャブっつーのはな、コンビネーションの起点になるんだ。わかったか!?」


「お、おっす!」

 あっけにとられながらも、心の底からの感動を交えて返事をするレッド。


「よっしゃあ、その意気だ。とりあえず、さっきの要領で構えろ」

 そういってレッドに促す。


「おっす!」

 その言葉に従い、ぎこちなくも一生懸命に構えを作るレッド。


「お前の目の前に、お宝があると思え」

 そのように、真央はレッドの想像力を掻きたてる。

「そのお宝を、素早くひっつかんで自分のものにするつもりで拳を出して、それ以上のスピードで自分のものにするんだ。たったそれだけの動きが、お前をボクサーにするんだ。やってみろ」


「お、おっす」

 はやる心を抑えながら、言われたとおりにレッドは拳を前に繰り出した。

 腕が重い。

 構えで疲労が蓄積していたこともあるが、頭の中に思い描いた、真央の繰り出した軽やかなジャブとの間の落差に、レッドは愕然とした。


「そんなんじゃダメだ! 真っ直ぐだ! 脇を閉めろ!」

 すると真央は、軽やかにステップを踏んで、まるでダンスを踊るかのように舞い、そしてジャブを繰り出す。


 その軽やかなことといったら!

 重力というものが、真央の周囲にのみ半減してしまったかのようであった。


「いいか? 脇空いたら、さっきの構えの時とおんなじだ! 相手にスキを丸見せにすることになんぞ!」

 独特の言い回しで、しかしなぜかすんなりと入り込むような言葉でレッドに注意を促す。

「肘曲げんな! いいか? 相手との最短距離を、最短スピードで打ち抜くにはどうしたらいいか考えろ! 真っ直ぐ打ち抜くのが一番はえーに決まってんじゃねーか! いいか? 俺がいいというまで、しばらくずっと鏡の前でフォームチェックとジャブ、フットワークだけを繰り返せ! リズムを体に覚えさすんだ! わかったら返事!」


「ぅお! ぅぉおっしゅ!」

 眉間にしわを寄せ、呼吸を乱しながらも必死に拳を繰り出し続けるレッド。




「あほんだらぁ! そんなにカチカチに力入れてどーすんじゃぁ!」

 気合が入りすぎたためだろう、レッドの何十倍も素早く軽やかに、フットワークとジャブを繰り出し続ける真央は、自身の言葉が御国訛りになっていることにも気が付かない。

「いいか? 相手に利かすことよりも何よりも、スピードとリズム! とにかくこんだけぁ絶対に脳みそにたたきこんどけ! ええの!?」


「ぅおおっしゅ!」

 レッドの気合は、まるで牡牛の方向のようでもあり、何よりも大きな音となってジム全体に響き渡っていた。


 その雄叫びに、丈一郎も、そして真央も気合を奮い立たせ、だれよりも強くなるために、自分自身へと没入していった。

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