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    4.10 (水)12:35

「いっただきまーす」

 元気な声で、無邪気に手を合わせる奈緒の声が響く。


 四号館の屋上は、ビオトープとして生徒に開放されている。

 中央にモーター循環式の小川が流れ、その周辺によく手入れの行き届いた芝生が敷き詰められている。

 その芝生には、いくつかのベンチがしかれており、いくつかのグループがめいめいの食事を囲んでいる。


 真央たちもその片隅に空間を見つけ、そして芝生の上に腰をかけていた。


「さ、真央君、お召し上がりください」

 最上級の微笑みで、バックから取り出した包みを開ける。

 そして

「お口に会うとよろしいのですが」

 大きな弁当箱のふたを恭しく開けた。


「「うぉおおー」」

 真央と丈一郎、二人の男性人が驚愕の声を上げ、目を丸くする。

「すごいね! これ奈緒ちゃんが作ったの?」

「うまそーじゃねーか! しかも、すげー量だな、おい!」


「いえいえ、それほどのこともありませんよ」

 にこにこと笑う葵。

 葵自身は本当にになんてことはない、心の底からそう思っている。

 しかしそれは明らかに謙遜にしか捕らえられない、料亭の仕出しのような代物だった。

「職人さんの朝のまかないの詰め合わせですから。お気になさらずに」

 まさしくそれは、朝からの激しい労働に耐える職人たちを満足させるだけの内容だった。

 見た目にもからりとした衣の感触が伝わってくる鳥のから揚げ、ふっくらとそしてみずみずしい出汁巻き卵、つかり具合も完璧なきゅうりの漬物と梅干、香ばしい皮のこげも嬉しい紅鮭の焼き物。

 そして何よりも

「おにぎりも、たくさん作ってきましたから」

 あえて“おにぎり”を強調する葵。

 それは当然、昨日桃が真央にあげたという、“偶然炊きすぎたご飯で作ったおにぎり”を意識してのものであることはいうまでもない。


「うぉー! まじか!」

 真央の口中に、大量のよだれがあふれ出る。


「いじきたないな、君は」

 顔をしかめて呟く桃。

 そして葵の方を見て

「本当にごめんね葵、この男のためにこんなことまでさせちゃって」

 すまなそうに言った。


「あら、桃さんがそういう風にお思いになる必要はないですよ」

 そういうと、包みの中から品のよい塗り箸を取り出し、真央に渡した。

「朝と夕は釘宮家が、そしてお昼ご飯は私、礼家家が担当する、ただそれだけのことですよ」


「……いや、そういわれるとなんかわりーな。一銭も払ってねーってのによ」

 ある意味ではこの少年らしい、遠慮がちな言葉を呟くが


「さっきも言ったじゃありませんか。お気になさらずに」

 そういうと葵は真央の右手をとり、優しく塗り箸を真央のその指に絡めた。

 そして真央にしなだれかかるようにして

「私の家では本当にたくさんの食事をつくっておりますし、いつも余らせてしまうほどなんです。さ、遠慮せずに召し上がって」

 

 葵の思わぬ密着に、やや顔を赤くして後ずさりする真央。

「……あ、ありがとうな、葵……」


「ぶぅうー」

 その様子を、頬を膨らませて睨みつけるように睨み付ける奈緒。

 そして桃の制服をぐいぐいと引っ張る。


「ちょ、何だよ奈緒、服が伸びるじゃ……」

 迷惑そうにその手を振り払おうとするが


「だめだよ桃ちゃん! このままじゃ、葵ちゃんのペースになっちゃうよ!」

 奈緒はひそひそと桃の耳元でささやいた。


「はあ? あんたねぇ、自分が何言ってるか……」

 戸惑う桃に対し


「もう、わかってないなぁ桃ちゃんは。このままじゃあマー坊君、葵ちゃんに取られちゃうんだから。友達の子にきいたもん。“男は結局胃袋で掴むもの”なんだから」

 そういってひそひそと、しかし語気を強めながら奈緒は言った。

 すると奈緒は

「えへへへへー」

 あの人懐っこい、子犬のような笑顔で

「わたしもマー坊君の横座るー!」

 そういって無理やり丈一郎を押しのけ、その横に席を作った。

 そして

「はい、マー坊君。マー坊君の好きなウィンナーだよー。食べて食べてー」

 とおもちゃ箱のような弁当箱からフォークで口元に差し出した。


「お、お……」

 真央はさらに体を緊張させる。

 奈緒の、葵のお弁当以上にボリュームにあふれる胸元がぐいぐいと真央に押し当てられていた。

「……悪ぃ、奈緒ちゃんも……お願いだから……その……」


「やれやれ」

 押しのけられ、隅に追いやられた丈一郎はため息をついた。

「……ま、こういうのを傍から見るのは面白いんだけどさ……」 

 ふと、三人の脇に目を移す。

 そこには、無表情でそっぽを向いたままひたすらに、作業のように弁当箱をかき込む桃の姿。

 ニィッ、真央のようないたずらな微笑を浮かべると

「あれぇ? 釘宮さんはマー坊君にお弁当、あーん、しなくていいの?」

 と訊ねたが


 ジロリ、体が凍りつきそうな視線が桃から返ってきた。


「ははは、ごめんごめん」

 ちょっとやりすぎちゃったかな、1の反省と99の好奇心を胸に丈一郎は呟いた。

 

 

 

「いやー、うまかった!」

 真央は再興の笑顔を浮かべ、ばしんと腹を叩いた。

「これで今日の午後はしっかりと授業受けられるぜ」


「どうだか」

 突き放すようにいう桃。

「そんなにおなかいっぱい食べちゃって、とても君が睡魔に勝てるとは思えないんだけど」


「まあまあ、釘宮さん」

 そういうと丈一郎は、バッグの中から銀色の水筒を取り出した。

 そしてこぽこぽと、その中身を注いで真央の差し出す。

「よかったら飲んでよ。眠気覚ましにはなるんじゃないかと思うけど」

 そこに立つ白い湯気と、まどろみかけた脳を覚醒させる香ばしい香り。


「おお! コーヒーか!」

 真央は奪い取るようにそのカップを受け取ると、その香りを堪能し、そしてそれを一口含む。

 一瞬、完全な無口になった後

「ああー」

 唸り声のようなため息をついた。

「うめえよ、丈一郎。やっぱ持つべきものは友達だわ」

 そして、これもまた渾身の笑顔で微笑んだ。


「いやいや、お口にあって何より」

 そういうと、へにゃっとした微笑を真央に返した。


「「……」」

 今度は葵と奈緒が無言のままその二人のやり取りを見つめている。

「……なにげに、丈一郎君って女子力高いよねー……まさか……」

 二人の目には、丈一郎の表情がやや赤らんでいるようにも見えた。

「……ええ。私たちのお弁当の余韻、全部もっていかれたような気がします……ありえませんけど……」

 まさかとは思うけど、たぶん絶対にありえないような不安が二人の胸によぎっていた。


「ん?」

 二人の胸騒ぎをよそに、銀色のカップに口をつけていた真央の視線の先に

「いよぉ。レッドじゃねーか」

 

「あ! マ、マー坊先輩! 川西先輩、釘宮さんも!」

 そこにあったのは、レッドの姿。

「……え、えと……こんにちは、っす……」

 その様子は、いつにもましておどおどとしたものだった。

 両手には、コーラをはじめ、数本の缶類を抱えている。


「……おめえ……」

 真央は、レッドの目を、真っ直ぐに凝視する。

 それに応えられずにその瞳をそらす様子に、真央のこころが何かを感じとる。

 すっくとその場を立ち上がり、ずかずかとレッドのもとへと歩み寄る。


「マー坊君、どーしたのー?」

「どういたしました? その方は、お知合いですか?」

 状況をうまく呑み込めない奈緒と葵は、不思議そうな表情でその様子を眺める。


 しかし真央はそれをいっこうにきにかけるようすもみせず、レッドのもとに歩み寄る。

「おめー、まだこんなことやらされてんのか。断り切れなかったんか?」

 静かに、抑揚もつけずに、真央は言う。

「強くなるには、きちんと自分の思っていることを言葉にして伝えなきゃなねーって言ったよな?」


 その言葉に、レッドはおびえたような表情で言う。

「……す、すんません……自分、勇気が出なくて……」

 真央の、殺気のこめられたような鋭い視線に、レッドは縮み上がった。

 自分の尊敬するこの人の前で、強くなると誓ったはずなのに。

 こんな嫌な使い走りを、断りたくても怖くて断れなかった自分がいる、もしかしたらこのまま見放されてしまうかもしれない、そう考えるとレッドの両眼に涙がにじんできた。


 すると真央は表情を和らげ、レッドの頭をもしゃもしゃと乱暴に撫で

「辛かったな」

 そういうと

「サンキュサンキュ、ぎゃはははは」

 と豪快に笑った。

 そして、レッドの腕から冠をすべてひったくり

「いやな、せっかく葵から昼ご飯作ってもらえるって聞いたからよ、お礼を兼ねておめーらにジュースでもおごっとこうと思ってよ。そんでおめーら驚かせようと思ってよ、レッドにこっそり頼んどいたんだよ」


「マ、マー坊先輩!」

 驚愕の声をあげるレッド。

 絶対呆れられると思っていた、嫌われると思っていた、しかし、真央は弱い自分を受け入れてくれた。

 そう考えるとレッドは、自らの瞳に、さらに涙がにじんでくるのがわかった。

 ぶっきらぼうだが暖かい真央の優しさが、レッドの心いっぱいに広がっていくのがわかった。



「そーなんだー、マー坊君って意外と義理堅いんだねー」

「何度も言ったじゃないですか、お気になさらずともよろしいって」

 真央の言葉に、事情を知らない奈緒と葵は驚きの声をあげる。


「んだよ、俺ぁこーみえて、結構気ぃ遣う人間なんだぜ? な? 丈一郎」

 そう言うと真央は、丈一郎に小さくウインク。


 その目配せに、丈一郎も状況を把握する。

「そ……うん、そうそう。昨日の部活の後、マー坊君が、釘宮さんたちも含めてもっとお礼しなきゃって言ってたんだよね。うん。そうそう……」

 取り繕う様に真央をフォローした。


 しかし

「……」

 桃だけが、睨み付けるような表情でそのやり取りを見つめていた。


「ぎゃははは、そうだ、忘れてた」

 再び豪快に笑うと、真央はポケットからしわくちゃの紙幣を一枚取り出し

「んーと、これでいーだろ。釣りはパシらせ代として取っとけ」

 そしてそれをレッドの胸ポケットにねじ込んだ。


「え? あ、いや、でも……」

 そう言って紙幣を返そうとするレッドに対し


「どうせ金なんて貰ってやしねーんだろーが」

 真央が耳元でささやいた。

「この缶コーヒーは、俺がおめーから買い取ったんだ。それでいーんだよな」

 そして、再び振り返って言った。

「ひいふうみい……6本か、丁度人数分あるな。好きなのひとつづつ選んでくれよ。レッド、おめーのもだ」


「じ、自分もっすか?」

 驚いて自分自身を指差すレッド。


「おうよ」

 ニィッ、口角をあげ不敵な笑みを真央は浮かべた。

「おめーも座れよ、レッド。一緒にのもーぜ」

 そして

「桃ちゃんと葵は初めてだったな。こいつはレッド。本名はどうでもいーから、とにかくレッドって呼んでやってくれ」

 

「初めまして、レッド君。私は礼家葵って言います」

 日本人形のような、美しい微笑みをレッドに向けた。


「……よろしく……」

 心の中でのわだかまりを隠すこともできず、桃はぶっきらぼうに言った。


「へへっ、とにかくここに座れよ、レッド」

 真央の促しにレッドはその輪の中に座り込み、和気あいあいとした断章は続いた。


 しかし、その平穏を引き裂くどなり声が。

「おいコラ! ブタぁ、てめえジュース買う程度の事で、いつまで時間食っていやがんだあ!?」

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