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    4.10 (水)8:50

 やわらかな春の日差しが窓からこぼれ、朝から追い詰められた真央の体を暖かく包む。

 そしてじわじわと、春の陽光は真央の脳髄へと染み渡るように広がり、その意識をまどろみへといざなう。

 

「……ん……君……」


 真央の体が左右にゆすられる。

 柔らかい手が、まるで子どもをあやすかのように。

 ぶらぶら、ゆらゆら。

 暖かい光に抱かれ、まるで真央は赤子のようにすやすやと夢の世界へ。


「……こういう……るんです……」

 その声は誰の声だろう、懐かしい声にも、初めて耳にした声のようにも聞こえる。


「……こういうときは……」

 遠い平原から、風に乗るように漂う声。

 その声の主は誰だろう、細かく記憶を辿っていく。

 懐かしい声ではあるが、それほど昔から知っていた声ではない。

 そうだ、つい一ヶ月ほど前に、初めて耳にした声だ。

 その声は――


「こうするんです」

 バキッ!


「あがっ!?」

 真央の右わき腹から、全身に強烈な痛みが広がっていく。

 安らかな真央のまどろみは、最悪な形で終了した。

「ぎっ、ってーじゃねぇか! どこのマウンテンゴリラだこのやろう!」

 と後を振り返れば

「……げっ……」


「誰がマウンテンゴリラだ」

 拳を握りしめ、真央をじろりと睨みつける視線。

 ふわりと揺れるポニーテールに、やや釣り目がちの美しい瞳。

 そしてそれに似合わぬパワーと、寸分狂わずに肝臓を狙い打つ技術。

「まだ一時間目じゃないか。そこまで堂々と居眠りする人初めて見たよ。さ、これ以上痛い目見たくなかったら、さっさと起きるんだな」

 釘宮桃、その人だった。


「いや、助かりましたよ釘宮さん」

 安堵の表情を浮かべる若い女性教員。

 その手には、世界史の教科書が。

 自分自身も女性であり、長らく女子生徒ばかりの空間にいた教員にとって、明らかにこの学校とは異なる空気を醸し出す真央が堂々と居眠りしているのを目の当たりにし、どうしていいのかわからずに困り果てていたところだった。

「さ、秋元君。しっかりノートをとりましょうね」


 それ所ではない、明らかに自分は暴行を受けたといっても同然の状況だと主張したいところだったが 

「……くっ……」

 真央がこの世で最も恐れる人物が自分の真後ろにいて睨みを利かせている。

 もはや真央に選択の余地はない。

「……わかったよ。真面目に受けりゃあいーんだろうが……」

 しぶしぶ、といった様子で真央は素直に鉛筆を握りしめた。


――ザワザワザワ――

 

 真央の堂々としたい眠り具合と、桃の重いもよらない右フックに、教室は静かにどよめいた。


――ヒソヒソヒソ――


 教室の大半を閉める女子生徒達が、その様子を見て呟きあう。

「……ねえねえ、あの二人って、すっごい仲いいよね……」

「……うんうん。いとこ同士なんだっけ? あんまり似てないみたいだけど、二人ともスタイルいいし、そういうところは似てるかもね。美男美女だし……」

「……でも、釘宮さんって、ああいう人だったんだね。もっとすごいクールな人だと思ってたんだけど……」

「……あんたもそう思う? なんか、秋元、じゃないや、マー坊君といるとせいなのかな?……」

 女子生徒たちは、世界史の授業そっちのけで十代の女の子らしいひそひそ話に花を咲かせていた。


 その頃真央は、必死で睡魔と戦っていた。

 無理もない。

 小学校中学校を含め、まともに授業を聞いた経験がなく、授業で机に向かえばいつの間にか寝てしまうように脳が条件反射で記憶してしまっているのだ。

 こうなってしまえば、その条件反射から逃れるのは相当難しいといわざるをえない。

 体から、嫌な汗が吹き出る。

 暖かくなった手のひらから、じっとりと汗がにじむ。

「……やべえ……寝ちまう……」

 実施の思いで戦いをいどむ真央だったが、巨鯨に挑むアリの如くに真央は無力だった。

「……こうなりゃ……」

 すると真央は

 

 ガキィッ!


 びくっ!

「あ、秋元君? 一体何が……」


「アンでもねーよ!」

 教員に対しそう答える真央の頬は、真っ赤にはれていた。

 そして再び、眠気覚ましに自身を殴りつけた拳を解き、鉛筆を握りしめる。


「「「……理解できない……」」」

 教室中の生徒たち、そして教員は、一様に突拍子のない真央の行動に唖然とせざるを得なかった。




「真央君、大丈夫ですか?」

 授業の合間の休憩の時間、クラス代表を務める葵が真央の席に足を運び訊ねる。

 当然それは頬のはれのことではない。

 もっとも苦手であろう事は青いも重々承知している、授業における疲労についてだ。


「……ああー……」

 わずか一時間でしかないはずなのだが、すでに体中の体力を消耗しきった真央はうめき声。

「ちくしょう、体動かせっつったらいくらでも動かせんのによ、なんで勉強ってこんなに体力使うんだよ」


「こういうのはまた、違う体力を使うからね」

 今度は丈一郎がいたわるように真央に声をかける。

 子どもの頃から勉強にはしっかりと取り組んできたせいだろう、なんてことのない表情だった。

「とにかくマー坊君は体力はあるんだからさ、何とか頑張って目を開けていれば、きっと寝なくて済むんじゃない?」

 

 ふと気付けば、すでに二時間目の始業まであと一分足らず。

 そして真央が机の上でうだうだとしている間に、倦怠を切り裂くようなチャイムが鳴り響く。




「……秋元君、君は一体何をしているんだ?……」

 二時間目の数学の時間、またもやあきれたように中年の男性教員が声をかける。


「ほっとけよ。寝なきゃー文句ねーだろーが」

 そういう真央は、両の親指と人差し指で無理やりまぶたをこじ開け、絶対に睡眠に陥らないように自分自身の肉体の欲求と戦っていた。


「「「……ぜんっぜん、理解できない……」」」

 教室中の生徒たち、そして教員は、一様に突拍子のない真央の行動に再び唖然とせざるを得なかった。




「……起立、気をつけ……」


 教室に響く、葵の号令。

 

 そのとき真央は、睡魔との戦いに完全敗北し、野戦病院に収容された敗残兵のごとく机上に転がっていた。


 すると

 

 ガンッ!

「らっ?」

 真央の椅子が後から蹴飛ばされた。

 もはや、振り向くまでもない、そこには

「……」


「……ねえ、秋元君、号令の時くらいは、しゃきっと立った方がいいんじゃない?」

 そういう桃の表情は、この上のないほどにいい笑顔だ。

「もうお昼休みなんだし」


「昼休み!」

 その言葉を聞くと、急に元気を取り戻し、がばっと飛び起き起立をする。


 びくっ!

 その突飛な行動に、またも教室中が驚きに包まれる。


「せんせー! ありがとーございました! っと!」

 真央は小学生のように生き生きと、そして飄々と頭を下げた。

 ようやくこの息苦しい空間から開放される、真央は心の底からの開放感と嬉しさ、喜びを爆発させた。




「よう、丈一郎、メシ食いに行こうぜ」

 にこにこと、それまでの倦怠が嘘のように、元気いっぱいの表情で丈一郎の背中を叩く。

「学食だ学食! さっさと支度しろよ!」


「いたっ! いたいって、マー坊君」

 不満そうな言葉だ他が、しかしその声のトーンは嬉しさを感じさせる。

 それもそのはず、この日は、ある意味では丈一郎にとって待ちに待った日でもある。

「忘れたの? 今日からはほら、学食使う必要ないじゃん。だって――」


「お疲れ様、真央君」

 ポンポンと真央の肩を叩く手が。

 それはもちろん、丈一郎以上にこの日を待ち望んでいた葵の手だ。

「朝練も頑張られていたようだし、お腹が空かれたのではないですか? さっそく、お昼にしましょう」

 そういって葵は、大きなバッグを真央に見せる。

「職人さんたちのお食事の詰め合わせですが、お口にあうと嬉しいです」

 そういって少々頬を赤らめた。


「おお! そうだった!」

 真央は目を輝かせる。

「いやー、またあのちゃちな定職食わなきゃならねーと思ってたからよ。そうだ、葵が弁当作ってくれたんだよな」


――ザワザワザワ――


 またも騒然とする教室。

「……あの礼家さんが、男の子にお弁当?……」

「……まじで? 礼家さんって、そういうことするタイプに見えなかったんだけど、実は意外と大胆?……」

「……てゆうか、これって……」

 そういうと、女子生徒たちは、恐る恐る桃に視線を移す。


 喧騒をよそに、桃は頬杖をついて窓の外を眺めている。


「……まあ、釘宮さんはいとこだから、そういう関係にはならないか……」

「……でも、ちょっとは気になってたりして……」


 女子生徒たちが浮ついた様子でひそひそと話し合っている中


「おつかれー!」

 元気いっぱいの様子で教室に飛び込んでくる影が。

 その無邪気でかわいらしい、あどけない表情。

 誰あろう、桃の妹釘宮奈緒だった。

「桃ちゃーん、お弁当もってきたよー!」


「な、奈緒さん!」

 葵は驚きの声。

「い、一体この教室に、何のようですか?」


 一方の桃は、憮然とした表情のままそっぽを向いている。


 二人の驚きと無関心にもかまわず

「んーとね、桃ちゃんがお弁当忘れちゃったから、持ってきたんだー」

 同じく、バッグを振って見せる奈緒。

 そして、全く白々しい話ではあるが

「あれー? 葵ちゃんもお弁当なんだー。あたしたちもね、お弁当なんだよー、えへへへー」


 すると、丈一郎の瞳の置くが鈍く煌く。

 へにゃっ、柔らかいいつもの笑いを作ると

「そうなんだ。じゃあさ、みんなで一緒にお昼にしようよ。ね?」


「……わ、私は別に、かまいませんけれど……」

 苦虫を噛み潰したような、引きつった笑顔をどうにかしてこさえる葵。


 相変わらず桃は無表情で、頬杖をついたまま窓の外を眺めている。


「うん! じゃあ、けってーい、だね!」

 元気はつらつ、してやったりの満面の笑顔で奈緒は飛び跳ねた。

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