4.9 (火)19:00
ガチャッ、白亜の豪邸の、その地中海風のリビングの扉が開け放たれる。
「うぃーっす」
とけだるそうな声の真央に対し
「たっだいまー!」
今日一日の喧騒もなんのその、奈緒は元気いっぱいな声で手を振る。
「あ、奈緒とマー坊か。おかえり」
クールな微笑で出迎える桃。
すでに征服から着替えて、ジーンズとTシャツのラフなスタイル。
その手には、開けたてのトニックウォーターのボトルが。
「もうご飯で着てるから、早く着替えて……って、ちょっとぉ!?」
その瞬間、奈緒は一目散に駆け出し、飛びかかるようにして桃に抱きついていた。
「やったよー! 桃ちゃん! 今日ね今日ね! やったんだよー!」
ぎゅっと桃に抱きつきながら、すりすりと頬ずりをする。
「あたし信じてたんだもん! 絶対うまくいくって! そしたら、こうなんだよ!」
「ちょ、ちょっと! わけがっ! わかんないって!」
顔をそむけながら、力づくで奈緒を引っぺがそうとする。
「一体何のことなんだ!? 落ち着いて話せって!!」
そして真央のほうに視線を移し
「ちょ、ちょっと、何とかしろ! 一体何のことか、説明しろ!」
「おぅ、なかなかいいじゃねえか」
ニイッ、歯を見せてからかうように笑う真央。
「仲良きことは良きことかな、だったか? きょうだい同士、仲良くしろよ。微笑ましいぜ、傍から見ている分にはよ」
「こら! 二人ともいい加減にしろ!」
何とか強引に、興奮する奈緒を引き剥がすことができたのは、いよいよ奈緒がその唇を桃のほうに押し当てようとするその寸前だった。
「そうか、よかったな」
きゅっ、心を落ち着けるように、一口とニックを口に含む。
「絶対に新入生が入部するなんて、ありえないと思ったんだけど」
そういって耳元の髪をかきあげ微笑む。
「あれだけの大失敗やらかして入部してくれるなんて、その瀬川、君……レッド君? に感謝しなきゃな」
「えへへへへー、確かに」
頬を赤らめ、ごまかすように微笑む奈緒。
「強くなりたいんだって。マー坊君と丈一郎君みたいに強くなりたいんだって、そういってたよ」
奈緒はコップに入れたジャスミン茶に全く手をつけることなく、興奮仕切りの様子だ。
「ほとんど運動したことねーっつてたけど、まぁ、本当見てーだな」
真央は気だるそうに頭の後ろで手を組んだ。
「結局あいつのペースに合わせて練習する羽目になるからよ、それに丈一郎と違って一から全部教えなきゃなんねーからな。一人で練習するよりも何倍も疲れるぜ、ありゃぁよ」
そしてコキコキと首を鳴らす。
「ま、どれだけ持つかわかんねーけどな。やめるんだったらさっさとやめりゃいーんだよ。キツイしいてーし。三ヶ月持てばほめてやるよ」
「そんなこと言ってー。マー坊君だって嬉しいくせにぃ」
ニヤニヤしながらばしばしと真央の膝を平手で叩く。
「長年使ってたバンデージあげちゃうんだもん。マー坊君だって仲間が増えて嬉しいのは知ってるんだから」
「へー、意外」
大きく目を見開いて桃は言った。
「君って意外と、面倒見がいいんだね」
「んなこたねーよ」
無表情を装い、ぷいと顔を背ける真央。
「言ったろ? 俺は新しいバンデージ買う予定だったからよ。リサイクルだ、リサイクル」
「まったく、意地っ張りなんだから」
苦笑する桃は、再びとニックウォーターを口に含んだ。
「陸上部ももう10人以上体験入部きたし、まあ、今日は良い一日だったのかもな」
「いーなー、10人も新入生来るなんて」
頬を膨らませて不満を口にする奈緒。
「攻めてそのうちの一人でもうちに来てくれれば、同好会も部に昇格できるのに」
「いやー、今年はこれで十分だろ」
と応える真央。
「関東予選控えた時期に、あんま人数増えられても教えきれねーしな。それにことし俺と丈一郎がインターハイ出れば、それだけでいい宣伝効果だ。来年には間違いなく部に昇格できるだろーよ」
「あいかわらず、すごい自信だな」
と苦笑する桃。
「そんな簡単にインターハイなんて出れるのか? たしか、ウェルター級とミドル級は、選手層の関係で関東ブロック大会で勝たないとインターハイに出られないって言ってたじゃないか。本当に大丈夫なのか?」
「うーん、マー坊君なら大丈夫だと思うけど……」
やや不安そうな声を上げる奈緒。
そしてバッグの中から
「これ。丈一郎君から借りたんだー」
「高校ボクシング界の新星、ウェルター級王者、神崎桐生、か」
その記事に目を通した桃は、それを口に出して呟く。
「天才って、あまり使いすぎるとすごくチープな感じになるけど、彼は本物の天才なのかも知れないな」
「かんけーねーよ」
吐き捨てるように言う真央。
「その記者連中は、本物の天才にあったことがねーからそう書くしかねーだけだろ。俺がきっちりぶっ潰して、インターハイ優勝してやんよ」
そして、もじゃもじゃ頭をまたわしわしとかきむしって言った。
「それより早く飯にしよーぜ。昼飯もあんま食ってねーからよ、腹減ってしょうがねーぜ」
ピクン、その言葉に反応する桃。
「……そういえば、君、明日から葵がお弁当作ってくれるって言う話し聞いたけど……」
じとり、睨みつけるような視線で訊ねる。
ぴくん、同じくその言葉に反応した奈緒。
にこにこと笑い、しかし少々顔を引きつらせながら
「……どういうことかな? マー坊君……」
ビクン、その姉妹の言いようのない迫力をもった剣幕に、体を硬直させる真央。
「お? おお。実はな――」
「……へー、そーなんだー……」
にこにこしたまま呟く奈緒。
「確かに、マー坊君の食べっぷりから言ったら、うちのカフェテリアのご飯って、少ないかもねー。うん。いいんじゃない?」
「ん、まあな。席もほとんど埋まってたし。今日も結局一人で学食裏で飯食ったんだよ。そしたら、な?」
そういうと、奈緒の隣の桃に目配せをし
「偶然桃ちゃんが通りかかってよ、そんで今日余ったメシでつくったっつー握り飯三つくれたんだ」
「ちょ、ちょっとマー坊!」
慌ててその言葉を打ち消そうとする桃だったが
「へーそーなんだー。みんな楽しそうでいーなー」
にこにことした表情を崩さずに抑揚のない平板な声で奈緒は言った。
「じゃあさ、今度からみんなで一緒にお昼ご飯食べよーよ。マー坊君と丈一郎君と葵ちゃん、それからわたしと……桃ちゃんも!」
「ひぇっ!?」
その思いもよらぬ提案に、素っ頓狂な声を上げる奈緒。
「な、な、な、何であたしまで一緒にお昼ご飯食べなくちゃいけないんだよ?」
「いいじゃん、なにか会ったとき、桃ちゃんがいた方が心強いし。マー坊君も、いいでしょ?」
そういって真央に訊ねると
「あ? 俺は別に全くかまわねーけど」
こともなげに真央は応えた。
奈緒は、桃のTシャツを掴む。
そしていつもの、子犬のような甘えるような声と表情で
「だめなの……?」
「うっ……」
もはや桃のこころは奈緒に見透かされているかのようだ。
この表情とこの声で頼まれれば、桃は奈緒の申し出を断ることはできない。
その子とを弱みとして利用されているのは、十二分に知っているのだが
「……わかったよ……しょうがないな……」
「やったー! 桃ちゃん大好き! 愛してるよー!」
奈緒は桃に飛びついて頬にキス。
「ちょ、ちょっとやめろって! 気持ち悪いじゃないか!」
取り乱し、再び奈緒を引き剥がそうとする桃。
「ちょっと! 君も見てないで早く助けろ!」
そういって真央に助けを求めるが
「いやいや、いー眺めだぜ。しばらく拝見させてもらうとするわ」
そういってニヤニヤ笑いながら言った。
二人のあまりの自由な様子に桃はフルフルと体を震わせた。
そして
「こらー! あんたらいい加減にしろ―!!」
その後、二人の頭に桃の拳骨が振ったのは言うまでもない。




