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    4.9 (火)14:20

「皆さんはじめまして。聖エウセビオ学園ボクシング同好会会長の川西丈一郎です」


 やや小柄だが、スマートで引き締まった体。

 さらさらと風に流れる髪の毛と中性的な顔立ち。

 そしてへにゃりとした、柔らかい微笑み。

 どこからどう見ても、美少年の範疇にくくられる少年。


 会場に、小さく黄色い歓声が響く。

 先ほどの美少女マネージャーの後に続くこの少年の挨拶で、再び会場の雰囲気は元に戻った。


「えーっと、ちょっと前置きが長くなりましたが、論より証拠! ということで、簡単なボクシング部の活動について、ここで実演させてもらいますね」

 そういうと、丈一郎はミットを腕にはめる。

「いろいろな練習がありますが、普段はロードワークやシャドウをした後、こうやってミット打ちを行います。じゃ、お願い」

 そういうとマイクスタンドから離れ、リングの上で行うとおりにミットを構える。


 そして構えたミットが向くその先には

「うっしゃ、いくぜ丈一郎!」

 180近い身長、発達した肩回り、身にまとったタンクトップがはち切れんばかりに盛り上がった筋肉、ウェルター級の体躯を誇る我らが秋元真央だ。


 ほぉっ、今度はうなるような声が響く。

 真央の屈強な肉体は、それだけで十分な雄弁さを持ち、ボクシングという競技の一つの看板たりうるのだ。


「オーケー! いいよ!」

 丈一郎も準備万端と迎え撃つ。


「ふっ!」

 よどんだ空気を切り裂くような左ジャブが、ミットを心地よく切り裂くような音を講堂に響かせる。

 キュッキュッ、講堂の床にこすれるリングシューズの音はあくまでも軽快であり、ミット音との調和はそれがいかにも無駄のないものであると素人にも認識させられる。


「ふっ! ふっ! ふっ!」

 そしてそのグローブを装着した拳を、絶妙なタイミングで叩き返す丈一郎。

 もともとの才能に、それまでの努力、そして真央の指導のたまものだろう、もはや完全に真央のパートナーを務められるほどに技量は向上していた。

 

 ジャブにストレートにフック、そしてそれらを多彩に織り交ぜたコンビネーション、そのスピードと正確な動きは、会場に集まる新入生の目をくぎ付けにした。

 そして時折丈一郎から繰り出される反撃に、これまた的確に反応する真央。

 ウィービングにダッキング、あえて大げさな動きを見せることで、いっそう会場の新入生の注目は増した。


 およそ一分間の実演が終了する。

「ふぃー」

 小さく肩を揺らす真央。


 そして再びマイクスタンドの前に立つ丈一郎。

 彼もあんた小さく肩で息をしている。

「え、っと、これが、ミット、打ち、です」


 ドッ、会場が大いに沸き返り、大きな拍手に包まれる。




「まあ、そこまではいいだろう」

 腕組みをする桃も、その実演が素晴らしい内容であったことは認めている。

「だけど、問題はそこじゃないよな? それはわかってるな?」


「……まあな……」

 不貞腐れた様子で呟く真央。

「でもしょうがねえじゃねーか。あんなもん」




「それでは、これから――」

 マイクスタンドに立ち、にこやかにほほ笑みながらヘッドギアを装着する丈一郎。

「これから、簡単ではありますが、スパーリングの実演を行いたいと思います。僕は大体、体重50㎏前後で、フライ級って階級です。そしてこちらは――」

 そう言って、真央を紹介するように手のひらで指示し

「会員権コーチを務めます、秋元真央君は60㎏台後半のウェルター級という階級に属しています。だから体重はかなりミスマッチではありますが、まあ、いつも二人でスパーリングをやっています」


 その言葉を聞きながら、真央もヘッドギアを装着し、16オンスの大ぶりのグローブを装着する。

 そしてその二つのグローブを、いつものようにバシンッ、と胸元にたたきつける。


 そして同じく、丈一郎も16オンスのグローブをつけ、同じく胸元で叩きあわせる。

 そして、マネージャーの奈緒を振り返り

「――じゃ、奈緒ちゃん、よろしく」

 と合図。


 それを見た奈緒はうなずき、丈一郎に代わってマイクスタンドのもとに立つ。

「それではご覧ください。よーい、スタート!」


 カァーン、というゴングの音は響かないが、真央、そして丈一郎の心は完全にリング上でのそれへと切り替わる。


「しッ!」

 ヒュンッ、風を切り裂くような丈一郎のジャブ。

 

 それをいとも簡単に左手でのパーリングで防ぐ真央。


 ビリビリと震える空気の波が、講堂一帯に広がってくのがわかる。

 新入生、いや観客たちのボルテージが少しづつ上がってくる。

 丈一郎が、真央が、目にもとまらぬ速さで拳を交錯するたびに、どよめきが会場いっぱいに響き渡る。

 それは、あたかも不気味な海嘯、もしくは地鳴りのようだ。


 そしてその空気は、ステージという名のリングに立つ二人の少年たちにもピリピリと伝わる。

「ぅっらぁ!」

「はぁあっ!」

 二人の拳がぶつかり合う破裂音が、地響きの重低音と調和し、交響曲のような調和をもたらす。


 パシィッ!


「ッ!」

 丈一郎の左フックが、真央のヘッドギアの右こめかみで破裂音を奏でる。

 それに対し真央は

「ッらっ!」

 空き気味になった左わき腹にボディーフックを叩きこむ。


「ッぐっ!」

 丈一郎の体は、小さく前のめりに折れる。

 しかし

「はっ!」

 左の連打を放った後、右フックを繰り出して距離をとる。


 会場に、観客たちのため息が漏れた。

 ほとんどの人間が、せいぜいがテレビ画面を通してしか目にすることのないであろうボクシング。

 そのテレビ画面を通しても否応なしに伝わってくる痛み、そして攻撃性。

 聖エウセビオ学園というカトリック系の進学校に入学してくる生徒にとっては、まさか自分はこの協議にかかわることなど、一生を懸けても思いもよらぬものだ。


 しかし、それが目の前で展開されている。

 確かに、人間同士が顔面を殴り合う、それは野蛮なことなのかもしれない。


 しかし、観客たちの手は、汗に濡れる。

 心臓は、言い様のない興奮に高鳴る。


 人と人とが殴り合うことが、これほどまでにスキルフルなステージにまで高められれば、どれほどの芸術性を帯びるものなのだろう。

 会場のボルテージは、否応なしに高まった。




「すごいですね! 二人とも!」

 葵も興奮気味に声をあげる。

「見てください! あの真央君の野性味あふれる動き! それに川西君の軽快な動きも!」


 しかし、桃だけが冷静にこの成り行きを見つめ続ける。

「……二人とも、ちょっと熱くなりすぎじゃないのか?……」




 ステージに立つ二人のボクサー。

 これほどの観衆の中で殴り合うことは、今までに一度もなかったことだ。

 プロボクサーが、どれほどみじめに叩きのめされようとリングに立ち続けるのは、この光景がまさしく中毒性を帯びるほどに快感であるからなのだ。


 もはや、二人は完全にプロボクサーの心地だった。

 徐々に二人の拳にこもった力が増加し始める。

 お互いの拳は、ダイレクトにお互いのヴァイタル・ポイントを狙い始める。


 そしてその瞬間――

「ふわぁあっ!」

 丈一郎の渾身の右ストレートが、真央の鼻先をピンポイントに打ち抜く。

 

 はずだった。

「!!」


 その拳を、真央は寸前でヘッドスリップ。

 そして体重移動のまま突っ込む丈一郎の顔面に

「っらあ!」

 

「! ライトクロスだ!」

 奈緒も興奮した声が、マイクを通し盛大に会場に響いた。




「……」

 桃は無言で右こめかみを抑え、そしてうつむいた。


「……」

 同じく葵は、目の前で起こった出来事に、身動き一つできず固まった。




「っしゃあ!」

 拳を振り上げる真央。


 そして会場は、祝福の、歓喜の声で包まれる――


「……あらっ?……」


 しぃ……ん


 誰一人として声をあげるものもいない。

 一番手前の席に座る女子生徒は、口を抑え顔面蒼白の呈。

 その隣の男子生徒は、顔をしかめて目を背ける。


「……」

 恐る恐る足元をのぞくとそこには

「うぉおおおおお! じょーいちろー!! しっかりしろー!!!」


 霧のように鼻血を拭き出した丈一郎が、白目をむいて倒れていた。




「君たちは調子に乗りすぎだ! 会場全体ドン引きだっただろ!」

 桃は鬼の形相で怒鳴る。

「あのあと、生徒会役員みんな悲鳴を上げてへたり込むわ、泣き出す女子生徒は出るわの大わらわだったじゃないか!」


「いや、大丈夫だよ、釘宮さん。ヘッドギアつけてたし」

 右鼻に突っ込まれたティッシュは、新しいものに取り換えられたせいか、まっさらな色だった。

「なんだかんだでマー坊君、力は抜いてくれていたみたいだしさ。こんなの練習じゃしょっちゅうだよ」


「それに、すぐに奈緒ちゃんが応急処置してくれたしな」

 差も当然だといわんかの様子の真央。


「「「ねー」」」

 三人はにこにこと見つめあって言った。


「そういう問題じゃない!」

 ドン!

 再び床を踏み鳴らす桃。

「おかげでこの後の部活動紹介、中止になっちゃったじゃないか! あたしたち陸上部の紹介、どうしてくれるんだよ!」


「まあまあ、桃さん」

 苦笑しながら、とりなすように葵が言葉を挟む。

「あくまでも延期になったということだけですから。陸上部の紹介はその時でもいいではありませんか。陸上部は毎年多くの部員が集まりますしね。ですが……」

 葵は床に正座させられている三人を一瞥し、辛い現実を言葉にする。

「……さすがに、この騒動のあとですから……ボクシング同好会……もしかしたら、新規会員獲得は……」


「「「……うぅぅぅ……」」」

 三人はその言葉に、悲しげにうつむいた。


「自業自得だろ、そんなの」

 腕組みをしたまま、一切の慈悲を込めることなく切り捨てる桃。

「いい教訓になったじゃないか。調子に乗りすぎると、必ず失敗してしまうんだ。これに懲りたら、もう二度とこういう事が起こらないようにしっかりと反省すること! わかったな!?」


「「「……はぃ……」」」

 見るも哀れな同好会の三人の姿。

 一人でも多くの会員を獲得するための努力が、一瞬にして無駄になってしまった。


 しかし、それでも一縷の望みをかけるしかない。

 一人でも多くの会員を獲得し、部に昇格させなければならない。

 今回は失敗してしまったが、それでも三人は前に進み続けるしかないのだ。

 頑張れ、聖エウセビオ学園ボクシング同好会。

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