第七話 同郷は対峙する
魔力循環の特訓は一向に捗らなかった。
威流しの一撃にしても、あの一撃以降めっきり成功せず。どころか暴発して、足元の地面を爆散させたりと散々な結果である。
私の魔力は非常に大きい。そのこともあり、操作の難易度は高い。
威流しの技術の前に、魔力循環及び魔力操作の技術の習得が必須のようだ。最初の一撃はさしずめビギナーズラックと言うところか。
現在。午後の特訓時間を終え、砂煙に汚れた身体を風呂場で清めた直後である。
髪の毛を拭きながら食堂に向かえば、窓の外に見える巨大狼――狗神の楓の姿だった。
マモンさんが到着したようだ。
丁度、携帯魔導書の簡易魔術について聞きたいこともあった。
外に出る。
庭には既にお師匠様が待機していた。この人のことだ。狗神の気配でも察したのだろう。
止まる行商荷車。
降りてきたのは笑顔を貼り付けた狐の商人、マモンさんだ。どこか警戒を緩めてしまう笑顔は相変わらずだ。
「こんにちわ、マモンさん。一ヶ月振りですね」
「おー。こんにちわやね、アイゼンちゃん。元気しとる? ミカゲの旦那の鍛錬は半端やないからなぁ」
「元気ですよ。マモンさんもお元気そうで」
「ウチは元気よぉ。景気はええし、銭がよう回るわ。かっかっか。商会も規模が更に広がっとるしなぁ。この辺にもそろそろ新しい拠点が欲しい思とる頃よ」
私との挨拶を交わし、マモンさんはお師匠様の元へと歩み寄る。
「おーう、旦那。依頼の品はできとるん?」
「当然だ。俺を誰だと思ってる? ……と、言うかなぁマモン。急に仕事を寄越したかと思えば、一ヶ月で軍用長剣二百本仕上げろ、とかなぁ。うちかドワーフの工房ぐらいしかできんからな?」
一ヶ月で二百本。それに、お師匠様は週に一回しっかり休みを取っているため、実質二十四日間。一日八本の計算だ。しかも午前中のみ。しかもたった一人で。
お師匠様本当に何者なんだろうか。
溜息をついて呆れるお師匠様。マモンさんはからからと笑う。
「だから旦那に依頼したんやろ。うちの狸連中も、商会傘下のドワーフも、どうにも手一杯でなぁ。そこで手が空いとる旦那に仕事を回したんよ」
「お前なぁ。完全に俺を狐狗狸商会に組み込んでるだろ……」
「かっかっか。ええやんええやん。お陰で旦那も食い扶持に困らんし。お互い得する素晴らしい関係やんか。どうや? このまま狐狗狸商会専属の鍛冶師にならん?」
「ならん」
「んもー。相変わらずつれんなぁ。ま、ええんやけど。それより依頼報酬やね。今回は急な依頼やし、旦那の腕も考慮して、色つけて二千四百万でどうやろか」
「一本十二万か。俺的にはもっと安くても構わんが。急拵えだ。量産性を重視したために、その分品質も若干落ちている」
鍛冶師として、少し納得が行かないお師匠様。
「いやいや。これでええんよ。旦那の打った刀剣は、それを踏まえて一級品や。逆に十二万でもやっすいわ。でもそれぐらいで勘弁してもらわんと量産剣にして高過ぎるからなぁ」
「俺は値段的には満足だからいいんだがなぁ。それよりいい鉱石の情報はないのか?」
マモンさんは笑顔で手のひらを前に。
「ん。情報料」
「あーそれなら丁度いいものがある」
お師匠様は言って、工房の裏に回った。
そこにあるのは廃鋼材置き場兼フドーのお気に入りの場所である。
「ア。ゴシュジン」
「おーうフドー。例のものは何処に溜めてる?」
「ソコノウラ!」
「あいよー」
例のものとは何なのだろうか。
お師匠様は廃鋼材置き場の裏に回った。
「え? その子なんなん? 銀色の小竜?」
マモンさんはフドーを見て固まっていた。
そうか。彼女はフドーのことをまだ知らなかった。
「メタリカスライムです。名前はフドー。可愛いでしょう」
「メタリカスライムゥ!? 超希少魔物やないか! しかも喋っとる!! 何? 飼うとんの!?」
「お師匠様が刻撃で使い魔にしました。ちなみに式神憑きです」
「はぁっ!? あの人何しとんの!?」
お、おぉう。マモンさんが荒れてらっしゃる。
「はっはっは。マモンはアイゼンちゃんと違ってメタリカスライムの価値が分かってるからなぁ」
お師匠様が帰ってきた。腕の中には鈍色の玉がたくさん入った籠があった。
あれが例のものだろうか。何なのだろうか、あれ。
「フドーのうんこだ」
うんこだった。って、うんこかよ。
「アイゼンちゃん。露骨に嫌そうな顔しなさんな。フドーの食事は鉱石食いだから、うんこと言えど汚いものじゃない。むしろ超希少だ。メタリカスライムの性質上、食った鉱石は混ざり合い特殊な合金と化す。そのうんこだ。希少素材のうんこだぞ」
「価値は分かりましたが、そう連呼しないでください」
「はっはっは。すまなかったなぁ。で、マモンよ。情報量としてメタリカスライムの糞ってのはいかがかね」
「ええの!?」
凄い食い付き様だ。それほど価値のあるものなのだろう。
私には分からない。
「おう。鍛冶の素材として使えるが、俺はこの通りいくらでも手に入るからな」
「ホンマに!? いやぁ、旦那と付き合うとこういう儲け話があるからええわぁ」
フドーのうんこ、大人気である。
「ナニナニ? フドーエライノ?」
「はい。何だかフドーが人気みたいですよ」
取り敢えず、私はフドーを撫でておいた。
私たちは行商荷車のある庭先に戻る。
お師匠様はマモンさんから特殊鉱石や希少鉱石の情報をもらっていた。マモンさんが「ウチの商会で取り寄せようか」と進言していたが、お師匠様は「自分で取りに行ってこそ」と断っていた。
……いや、そこはお言葉に甘えましょうよ。どうせ私も強制連行でしょう? お金もいっぱいあるんですから、無難に依頼で済ませましょうよ。
お師匠様とマモンさんの会話を続く。
「支払いは現金の方がええかな? それとも金貨にする? どうせMマネーは嫌なんやろ」
「嫌、と言うかなぁ。おじさん、そのへんはよく分かってないんだよなぁ」
「何度目かの説明か分からんが、簡単な話やで? 登録された商店や料理店なんかで使える魔導書ネットワークを利用した料金システムのことや。旦那も魔導書持っとるんやから、大丈夫やて」
「俺はいいよ。そういうのは。半分現金、半分金貨で頼む」
「頭がかったいなぁ。そんなんやから、魔族やのに老けるんやで」
「うるさいぞ。他の連中が若すぎるんだ」
魔族は不老長寿。そのため、魔族は十代から二十代前半の外見が多いと聞くが、お師匠様の外見は三十代前半である。外見年齢は精神年齢に多少左右されるらしいが。よく言えば大人びている。悪く言えば老けている。
「ともかく支払いやね」
マモンさんが手を前に差し出した。金を要求する時と違い、手のひらが下向きだ。
「今回は大金やからね。これでええやろ」
「だな」
その手の下に、お師匠様が手のひらを差し入れた。こちらの手は上向きだ。
互いの手のひら。その上に魔術陣が展開される。見覚えのある魔術陣だ。お師匠様が刀剣を取り出す魔術陣だ。
おそらくは別空間の次元倉庫のような場所と繋げる魔術陣なのだろう。商人と鍛冶師、互いに物を扱う職業。習得していて当然か。
魔術陣の間に金貨が大量に通過する。マモンさんからお師匠様に、じゃらじゃらと音を立てて金貨が落ちていく。
「次は現金やね」
陣が消え、新たな魔術陣が展開する。そして同様、今度は札束が流れ落ちる。
最後の一束が落ち切ったところで、お師匠様はその一束を掴み取る。そしてそこから十数枚引き抜いて取り出した財布にしまった。残りは魔術陣に放り込んだ。
「ん。そやそや。忘れとった。そう言えば旦那にお客人やで」
「客?」
「うん。なんか森の中彷徨っててな、大層な剣士やと思うんやけど……」
「やけど?」
「……見ればわかるわ。おーい、出て来なやー!」
マモンさんの言葉に、行商荷車からよろよろと人影が降りてきた。
黒の長髪が綺麗な美人さんだ。しかし、顔色が悪い。それに足取りも覚束無い。見ていて不安になる。
「んー。森の中で脚竜にも乗らずに何してんやろと思ったが、こういうことやったんやな。彼女、ものの三十分ほどで車酔いしてなぁ。あの有様よ」
「あー……強いことは気配で分かるんだが、何と言うか、残念だなぁ」
「そう、残念なんよなぁ」
黒髪の美人は深呼吸を行い、精神統一。何とか落ち着きを取り戻したようだ。
――途端。空気が変わる。
お師匠様もその気配の変化を感じてか、手に荘厳の戦鎚を顕現する。マモンさんの張り付いた笑顔は相変わらずだが、警戒していることが眼光で分かる。
黒髪の美人が口を開く。
手は既に腰に下げられた刀の柄に伸びていた。
「私はワノクニ出身の侍、八咫織刃と言う者だ。此度はデクーロ卿の助力を求める依頼によりここに参った次第だ。額に角、金色の瞳。貴様が魔工のミカゲか」
「そうだが。それがどうかしたかい?」
デクーロ。忘れる訳が無い。私の元主人の名前。
彼女はデクーロ卿の差し向けた刺客。森の中えお彷徨っていたと聞く。つまり森の魔獣より強い。闘級はB+級以上は確実。おそらくはA級。
私はお師匠様の後ろに回った。
一言一言。場の空気は緊張し、張り詰めていく。
オリハの目が怪訝そうに細まった。
「貴様。自分が何をしたのか分かっているのか?」
「さぁね。おじさんは自分の正しいと思ったことしかしてないつもりだけどなぁ。お嬢ちゃんがデクーロとやらに何を吹き込まれたかは、知らんがね」
「私は大切な家族を拐かされた、と聞いた」
「それが真っ赤な嘘だと言ったら?」
「ふん。あくまで自分は何もしていないと言い切るのだな」
オリハは腰の太刀を引き抜いて構える。
今の私なら視える。彼女の身体と刀に流れる淀みない魔力循環が。そして分かる、彼女が相当の実力者であることを。
「この太刀は妖刀。貴様も鍛冶師。名を聞いたことくらいあるだろう。伝説の十王に数えられる鍛冶師――〝鍛王〟マサムネの名を。この太刀は彼が鍛えたとされる妖刀の一つ、〝叢雨〟。透き通るようなどこまでも白い刃が特徴の妖刀だ。その切れ味は凄まじく、斬鉄すら可能にする……。
我が妖刀の露と散れ。賊が」
「は?」
お師匠様が「何言ってんだこいつ」みたいな顔をしている。
オリハに聞こえないように声を抑えて会話する。
「あー……マモンよ」
「何やぁ? ……言いたいことは大体分かるけど」
「お前の魔眼〝損得勘定〟で視て、あれはどうなんだ?」
「うん。……完全に偽物やで。二束三文の叢雨に似せた模倣刀よ。本物の鍛王の一品に市場価値なんかつけられんわ」
「だよねぇ」
「え? あれ、偽物なんですか? あんなに自信満々に語ってるのに?」
「うん。見事に偽物掴まされてるねぇ」
「かっこ悪っ」
偽物を構える黒髪美人、オリハ。可哀想な子に見えてきた。多分年上だけど。
「な、何をひそひそと喋っているっ!」
オリハは威嚇とばかりに太刀を振るった。地面に走る亀裂。威流しだ。亀裂の先、岩が切り裂かれる。その断面はあまりに滑らかで綺麗なものだった。
彼女の持つ刀は偽物ではなかったのか。
「あれ偽物なんですよね?」
「偽物だよ。でも、あの嬢ちゃん自身の実力が本物なんだ。そのせいで本当に斬鉄が行えてしまう、だから気付いてないんだろう、偽物だってなぁ」
「実力のある馬鹿ってことやね。……しかもその実力は相当のもんや」
お師匠様は私とマモンさんに下がるように指示を出した。
表情は笑っていたが、一貫して目付きは真剣だった。お師匠様の実力でも油断できない相手であるようだ。
威嚇は有効。
空気は緊張を取り戻す。ぴりぴりと身を焼く戦場の雰囲気に飲まれてしまいそうだ。対峙するは自分より格上の強者たち。醸し出す気迫に当てられて手足が震える。
……あのお師匠様が負けるはずはない。
そう思いこそすれど、負けてしまった時のヴィジョンは拭えない。
私はどうなってしまうのか。今度は監禁か。そのまま魔道研究の実験台にされてしまうのか。どちらにせよ、碌な未来は用意されてはいない。
対峙する剣士と鍛冶師。
両者共に実力は闘級A級以上。
「こいつは中々……手強そうだなぁ。しかも同郷ときたもんだ」
「ほう、貴様もワノクニの者だったか」
「おじさん、もう隠居の老兵なんだけどねぇ」
言いながら、お師匠様は工房から距離を取る。それを追ってオリハも続く。私たちを巻き込むまいとするお師匠様の采配だ。
「私は依頼主の言葉を信じているよ。仮に貴様の言うことが事実でも、一度引き受けた依頼を反故するのは我が武士道に反する」
「そうかい。そいつは立派だな」
互いに武器を構えて睨み合う。
沈黙。緊張。私とマモンさんの見守る中、唐突に戦局は加速する。先に飛び出したのはオリハだ。
「これ以上の問答は無用だ! ――いざ尋常に勝負っ!!」
「ったく。若いねぇ……――おじさんも頑張りますかぁ!」
お師匠様は迎え撃つように戦鎚を構えた。
戦闘民族国家ワノクニ。
かの国を代表する強者二人の戦闘が始まる。
両者の武器が激突し、火花が散った。