第四話 アイゼンの日常
午前五時半。起床。
寝呆け眼を擦りつつ、上体を起こして伸びを一つ。
経費で買ってもらった目覚ましを止め、布団から出て寝巻きから着替える。
幾つかある服の中から、今日の気分に合わせて選ぶ。
私も良い身分になったものだ。自室もある。服も選べる。ベッドも布団も柔らかい。疲労や怪我は魔術効果のある風呂で回復、寝覚めは最高に気持ちがいい。
その上、必要と判断してもらえれば経費で買ってもらえる。服に目覚まし時計。それに私用に女性用洗髪料も買ってもらった。
お小遣いもある。月に一度、五万ゴルドのお小遣い。
正直。使う機会は少ない。一番近いオズワルドの街には危険度極高の魔獣の森を超えなければならない。私一人ではとても無理だ。
時折工房に顔を出す、お師匠様と付き合いの長い商人がいる。彼女の行商だけが数少ない買い物の場である。言っても、日記帳とちょっとした装身具ぐらいしか買ったことはないが。
奴隷時代が嘘のような生活だ。
……いや、ある部分に限っては、奴隷時代よりハードではあるのだが。
着替えを終えた私は、早朝の走り込みへと出発する。時刻は五時四十五分。
自室は二階の隅の部屋。四つあった空き部屋の一つ。唯一窓があり、陽の光が入る部屋だ。部屋を出る。
廊下を行き、階段に差し掛かる。
階段からは、一階二階に渡り吹き抜けになっているお師匠様の鍛冶場が見えた。かーん、かーん、と鉄を打つ音。早朝から仕事熱心なことである。
……私の鍛冶修行はいつになるんでしょうか。
「お早うございます」
「お早う、アイゼンちゃん」
朝の挨拶を交わす。
普段であれば、そのまま階段を下り切り廊下に出るのだが、今日はお師匠様に呼び止められた。
声に振り返ると、放られる何か。弧を描いて飛んでくるそれをを受け取ると手帳サイズの本だった。これは何だろうか。
「携帯魔導書だ。この間マモンから買っておいた。俺とバフォ、一応マモンの連絡先を既に登録してある。何かあったら連絡しな。欲しいものがある時は、マモンの奴にメールでも送るといい。大抵のものは揃えてくれる」
「なんだかハイテクなものですねぇ」
「毎年最新型が出るからな。最近のはすごいぞぉ。通話魔術や伝書魔術は勿論、簡易魔術を幾つかインストールできるからなぁ。おじさんは正直、詳しいことは分からんよ。使い方で分からんことはマモンに聞きな」
「あの狐の商人さん、本当に何でも取り扱ってますね」
「ああ見えて、超やり手商業ギルドの長だからなぁ」
まじか。あの商人さん、そんなに凄い人だったのか。
ただの商売上手な守銭奴狐だと思っていた。
「今日も一日、頑張りな」
「はい。では行ってきます」
再度始まる鍛冶の音を背に、私は廊下に出た。
そのまま廊下を進み、食堂を抜け、食堂側の出入り口から外に出る。
ミカゲ工房は意外と大きく、かなりの広さがあり、巨大亀の甲羅の中は二階構造になっている。
一階には鍛冶場、食堂、大浴場、お師匠様とバフォさんの自室、そして空き部屋は一つある。鍛冶場の面積は一階の五分の一程を占め、一階二階を吹き抜けで造られている。。大浴場に関しては一階の約二分の一を占めるのだから圧巻だ。その上サウナと水風呂もある。
お師匠様曰く、
「風呂場はワノクニの人間として手を抜けない。大浴場は浪曼だ」
との事。
実際。お師匠様は風呂に一時間半以上入っている。
二階には倉庫と各小部屋、そして図書室まである。
図書室は好んで使わせてもらっているが、蔵書の質もかなりのもの。あるのは魔術系統のものばかりで、どれも厳選されたものらしい。今の私ではまったく理解できない内容のものも少なくない。
しかし不思議なことが一つ。
バフォさん曰く、お師匠様自身に読書の趣味はないと聞く。それにしては立派な図書室だ。
何の為に? 誰の為に?
さておき。話を戻そう。
工房は広いゆえに、出入り口が幾つかある。食堂に一つ、火事場に一つ、炊事場の裏に一つ、の計三つ。そのうちの一つ食堂の出入り口から外に出た、と言う話だ。
午前五時五十分。走り込み開始。
走り込みのコースは鉱山をぐるりと一周。距離にして約十キロメートル。
ただ、これが普通に十キロならどれだけ楽か。
最初の関門である。
その道は急斜面の岩壁に挟まれており、岩壁には幾つもの穴が空いている。
深呼吸。呼吸を整え、一気に踏み出した。
駆ける。駆ける。駆け抜ける。背後からは人間程の大きさの大トカゲたちが追い掛けてくる。岩壁に空いた穴は彼らの巣穴。巣穴の前を通った獲物を食べる危険生物だ。全速力で逃げなければたちまち追いつかれてしまう。
第一の関門、〝虹色蜥蜴の巣〟。
駆け抜ける程に増えて行く七色に光る鱗が特徴のレインボーリザードたち。足を休めることは許されない。
更に慣れることも許されない。木剣と同じく、走り込み用の靴は日に日に重たくされているようだ。しかし全力で走れば何とか切り抜けられる。本当に力量ぎりぎりのところを突いた絶妙な重さだ。
お師匠様、いやらしい洞察眼だ。
レインボーリザードの巣を抜けると、比較的まともな道が続く。しかしそれも第二の関門まで。
見えてくるのは植物の蔦が生い茂った道。道の脇には大きなウツボカズラやハエトリグサが立ち並び、獲物を誘う甘い匂いを漂わせている。
第二の関門、〝魔物植物の回廊〟。
ここも一気に駆け抜ける。
獲物の勘付いた魔物植物は我先にと蔦を伸ばして絡みついてくる。私はそれを引きちぎりながら走る。第一の関門と違い、こちらは踏ん張って進む力を必要となる。蔦を引きちぎって進まなければ、次々と襲いかかる蔦に次第に絡め取られ、植物の栄養になってしまう。
最初の頃こそナイフの所持が許可されていたが、フドーとの実戦修行が始まってしばらく、最近ではナイフ所持も禁止となった。
「ぐぬぬぬぬぬ」
栄養になんぞなってたまるか。
私は四肢を振るって蔦を裂き、時に払い、絡みつく蔦をものともせず前に突き進む。
回廊を抜けると、どっと疲労感が押し寄せる。
全ての関門に置いて命懸けであり、火事場の馬鹿力を強要されている感じだ。関門は残り一つ。毎朝これを繰り返しているのだ。嫌でも体力がつくと言うもの。
またしばらく何もない道を行き、見えてくるのは最後の関門。
第三の関門〝間欠泉の広場〟
ここは道ではなく、開けた場所に出る。
ミカゲ工房の大浴場もこれを利用しているが、鉱山一帯には所々マグマ溜りが存在する。第三の関門はマグマ溜りの上を水脈が走っており、熱によって温まった水脈は間欠泉となって噴き出す。噴き出す場所は不確定であり、地盤が脆いためか常に何本も間欠泉が噴出している危険地帯だ。
なんて所を走れせるのだろうか。
ここでは間欠泉が噴き出す場所を予測し、回避しなければならない。その温度は二百度前後。浴びればたまったものではない。
本来慎重に行くべきエリアだが、私は走る。
走り抜けることを指示されている。最初の頃はお師匠様の刻撃での熱耐性付きで、尚且つ慎重に進んで良かったのだが。最近は刻撃も無し。おまけに走ならければならない。
……予測ができずに愛弟子が大火傷したら、どうしてくれるのでしょうか。
しかし悔しいことに予測ができる。神経を張り詰めて、五感を駆使して、ひび割れ、音、匂い、温度などの様々な要因を元に次に噴き上げる間欠泉の位置を推測する。
……私がどれだけ熱湯を浴びたと思っていますか。人間痛い目見ると嫌でも学習するんです。
走り抜けながら、間欠泉を予測し、回避しながら駆け抜ける。
躱す。避ける。そして走る。
回避が甘いようなら、高温の熱湯が降り掛かる。今日も腕に少し掛かった。熱い。とても熱い。ちくしょう。
この関門は神経が磨り減る。
単純に全力疾走、踏ん張りや全身の駆使、そして観察と回避。
これらをこなして、私の早朝の走り込みが終わる。超ハードである。今の私なら大体四十分ほどで走り切る。
午前六時三十分前後。走り込み終了。
そこから午前七時の朝食までは休憩。
今日は腕を少し火傷したので大浴場に向かうことにする。食堂口から入り、廊下を行き、突き当たりを右へ進む。そのまま進むと、トイレがあり、その奥に脱衣所がある。
二十分ほど湯船に浸かり、疲れと火傷を癒した後、朝食。
今日の朝は魚料理だ。バフォさんの調理技術はすごい。ワノクニ料理にフツコク料理にナカバナ料理と何でも作れるらしい。
午前七時三十分。朝食終了。
その後三十分の休憩を挟んで、八時よりフドーとの実戦修行を開始。
実戦修行を初めて二ヶ月が経った。この頃になると、フドーの放つ木剣を食らうことはなくなっていた。フドーは基礎技術の塊だ。この二ヶ月間見て学び、攻撃を受けて学び、打ち合って学び、あらゆる方法で技術を吸収していった。
連続した打撃音を響かせて木剣同士が激しく打ち合わせられる。
しかし、その攻防は対等ではない。わずかではあるが私が優勢だ。何度か私の木剣が鉄御影モードのフドーに叩き込まれている。
フドーは基礎技術の塊であるが、それ以外に応用が利かない。それはフドーの技術が式神によって覚えさせられたものであり、自分で覚えたものではないからだ。ゴーレムのプログラムと一緒だ。
修行開始序盤こそ打ち負けていた私だが、技術を盗み、自分なりに応用を利かせ、成長してきた。
進み続ける私と、停滞したままのフドー。
次第に私が追い上げて行くのも必然だった。
言っても、大きな要因としてお師匠様が直々に相手してくれる午後の修行の恩恵が大きいだろう。
三時間の実戦修行を終え、午前十一時、実戦修行対フドーが終了。
十二時の昼食まで休憩だ。
私は二階の図書室に向かった。
図書室には、最早定位置と言うようにバフォさんがいた。ふよふよと浮いたまま移動し、本の整頓を行っている。
「午前の修行。お疲れ様です。少し見学させてもらいましたが、本当、お強くなられましたね」
「いえいえ。私なんてまだまだですよ。まだ魔獣の森を越えることもできませんしねぇ。
それよりバフォさん、今日はオススメの本とかあります?」
「ふふふ。勉学の方も熱心で。そうですね、でしたら……」
バフォさんのオススメ本を読んで昼食までの時間を潰した。
奴隷時代に少ない時間で本を読みあさった私。速読術程度習得済みだ。
バフォさんからはもう少しゆっくり読んだ方がいいと苦笑交じりに言われるが、私は出来るだけたくさんの本を読みたい。たくさんの知識を詰め込みたい。
あらゆる本が読みたくて仕方ないのだ。
正午。昼食。
昼食はシチューをメインとしたものだった。やはり美味しい。おかわりを二回ほどした。
そして午後の修行だ。
午後一時。実戦修行対ミカゲ師匠。
午前中は鍛冶仕事をしていたお師匠様だが、午後は私の修行を直接相手してくれる。今度は鉄御影ではなく、本物のお師匠様が相手である。フドー相手と違って、敵う気がまったくしない。
「掛かってきんしゃい」
口角を釣り上げて、にやにやと笑うお師匠様。右手はくいくいと手招きを。左手には荘厳の戦鎚を。
私は木剣を振りかぶって気合一閃。当然、防がれる。しかも素手で。怪物め。
そこから連閃に繋げ、手数の多さで攻めようととするも、尽く防がれ、躱され。
大振りの一撃を半身で躱された。
……あ、やばっ。
危機感を感じた瞬間。腹部を戦鎚で穿たれ、叩き飛ばされる。
戦鎚が腹部にめり込んだと同時、私の身体に叩き込まれるのは刻撃〝経験〟。一撃までの流れや、その過程で存在した隙、攻撃の失敗点や反省点。それらが強制的に身体に覚え込まされる。
本当。金属にしろ、人にしろ、この人の固有能力は〝鍛える〟ことに特化している。
刻撃の効果には制限時間があると言えど、それは一撃に限った話。金属を鍛え上げる際に、何百何千と叩き込み、性質が素材に染み込むまで叩き続ける。そうなれば話は違う。深く深く刻み込まれ、染み込んだ性質の効果は失われることはなく、素材そのものを強化し変質させることに近い。
今回はそれを人間で行っているだけの話だ。鍛えられている金属は私。
「打たれて、叩かれて、強くなれ。人は鉄と同じ。叩かなければいずれ錆び付くが、鍛え上げれば名刀にだってなれる。俺は鍛冶師だ、君を鍛えよう。長所を叩き伸ばし、短所を叩き直し、精神を肉体を叩き上げてやる。叩くことしかできない不器用な俺を許してくれ。だけどまぁ、強くなれることは保証しよう。
――おじさん、鍛えることだけが取り柄なんでねぇ」
鈍痛に痛む腹部を押さえて立ち上がる。
「望むところですよ。むしろ鍛え疲れても知りませんからね」
「その意気や良し。それでこそアイゼンちゃんだ」
叩き、鍛え上げられる実践修行は、夕刻まで続いた。
午後五時。修行終了。
打ち身が酷い身体を引き摺って、大浴場で怪我を癒した。この薬効作用のある湯がなければ身体が持たない。大変重畳である。
午後六時。夕食。
肉料理を中心としたボリュームのある品々だった。食事を美味しく頬張りながら、お師匠様と会話する。
「明日から、修行は次の段階に入れそうだな」
「おー。ついにですか」
「明日からは魔力の使い方について教えてやるさ。魔術はもうちょっと先だな」
「まずは基礎から、ということですね」
「そーゆーこと」
午後七時。夕食終了。
ここから就寝までが自由時間である。言っても、図書室に入り浸るだけなのだが。
バフォさんのオススメの本を読み漁り、時折会話を交える。
その中で、何気ない流れから大浴場の話となった。
「お風呂、本当にお世話になってますよ。あの薬効がなければ身が持ちませんから」
「……ふむ。その薬効を生み出すのは湯船中央の魔昌石ですが、ご存知ですよね?」
「ええ、まぁ。すっごく高価なものなんでしょうねぇ」
「おそらくあれは、アイゼン様の為に準備したものだと思いますよ」
「私のために?」
「ええ」
私のために、超高価であるあの魔昌石をわざわざ?
「言っても、正確には弟子の為、ですがね。考えても見て下さい。ミカゲ様は大変お身体が頑丈であります。それこそ、銃弾が効かない程に。更にはあの強さです。高い金銭を払ってまで、湯船に薬効作用を付ける意味はないでしょう」
「……確かに」
お師匠様が怪我をしているのなんて見たことがない。疲れている素振りすら見たことがない。完全生粋の身体能力特化魔族だと認識している。
「あの方も大分不器用ですからね。自分から言うことはないでしょう。修行、きついかも知れませんが、ミカゲ様なりにアイゼン様を心配しているのですよ。お優しい方ですから」
「知ってますよ」
「あの方は本当に不器用なのですよ。ディアナ様の時も……」
「ディアナ?」
「あぁ。いえ、何でもございません。今のは忘れてくださって結構です」
ディアナ。名前からするに女性だとは思うが。
バフォさんもこう言ってることだし、余計な詮索はやめておこう。
「おや。もうこんな時間です。明日もお早いのですし、もう就寝なさった方がよろしいかと」
「うわっ、もうこんな時間。それではバフォさん、おやすみです」
「はい。おやすみなさいませ」
図書室を後に、自室へと戻った。
午後十一時。就寝。
柔らかく暖かい布団にくるまって、微睡みに身を任せた。