第二話 式神憑かせ
眼前。ぶにょんぶにょんと動く銀色の球体、鉱石スライム。銀色と言うより鈍色と表記したほうが正確か。少し重たい色の銀色だ。それは、怯えてるのか、警戒しているか、その場から動く様子はない。
……鉱石のスライム?
疑問符を浮かべる私に、お師匠様からの説明が。
「そのままの意味だよ。鉱石、鉱石が変質して生まれた魔物だ。本来、スライムってのは水分が魔物化したもんで、それは湖の水分からだったり、樹木の水分からだったり、毒沼の水分からだったりと様々だ。しかし、どういう訳か、固体である鉱石がスライムになっちまう事が極々希に存在する。それが連中――鉱石スライムさ」
「強いんですか?」
「強いぞー。スライム種ってのは、統一して模倣の習性を持つ。普通のスライム種ならば、模倣されたところで身体を形成する素材が軟弱だから、大した脅威ではないんだが……」
メタリカスライムが動き出す。
身体が大きく波打ち、変形し、形は人型に近づいて行く。
「素材が素材なもんで、下手な冒険者連中じゃまず相手にならない。要は全身が鋼鉄版の自分と戦わなけりゃァならんからな」
メタリカスライムのいた場所に、鈍色のお師匠様が立っていた。
「おー。流石に細部の造形ははっきりしてないですが、確かにお師匠様です」
「はっはっは。上手いもんだろう。さしずめ鉄御影ってとこだな」
「鉄御影。いいですね鉄御影」
鉄御影の手にはご丁寧に戦鎚まで形作られている。
「つっても、見た目だけの模倣であって、技術を完全に模倣できるわけじゃないけどなー」
言いながら、お師匠様は私を後ろに引かせた。
鉄御影が戦鎚を振りかぶって襲いかかってきた。お師匠様は振るわれる戦鎚を素手で容易く受け止める。鉄御影は力を込めているようだが、戦鎚は掴まれたままぴくりとも動かない。
「メタリカスライムは強い。スライム種ってのは身体のどこかに核が存在する。それが流動体の身体を制御してるんだが、コイツの場合、その核が強固に守られてやがる。斬鉄ができないようじゃ完全に殺すのは難しいだろうな」
斬鉄て。そんな高等技術、使える方が極小数でしょうに。
「そんな顔するな。対処法はある。それは強烈な打撃攻撃だ」
お師匠様は掴んでいた戦鎚を振り払う。勢い良く払われた戦鎚に体勢を崩した鉄御影。間髪入れずにお師匠様は鉄御影の腹部を蹴り抜いて、無理矢理距離をとらせた。
鉱石が変化した魔物だ。重さも相応にあるだろう。それを数メートル軽く蹴り飛ばすお師匠様。お師匠様の脚力の強さが伺える。
お師匠様は戦鎚を構えた。
「強烈な打撃攻撃を以て、核に衝撃としてダメージを与えるんだ。そうすりゃ気絶する。気絶すりゃ硬化も止まる。そうなればただの重たいスライムだな。それと、もう一つだけ注意すべきことがある」
蹴り抜かれ、転がった鉄御影。
そのまま起き上がると思ったが、彼は倒れた体勢のまま。そしてその状態のまま、戦鎚を持った腕を振り被り、
「それがこれだ」
なんと腕が伸びた。それはもう人の手の形ではなく、言うなれば触手。極太の金属の鞭だ。
触手が横一閃に振るわれる。お師匠様は私の頭を押さえて屈ませ、私たちの頭上をかすめて鈍色の鞭が風を切って通過した。
通り過ぎた腕は、そのまま周囲の鍾乳石を破壊する。メタリカスライムは全身が流動体の金属なのだ。金属の鞭となった攻撃は、一撃一撃が必殺の重さを持つ。
見ればメタリカスライムは鉄御影の姿を解き、元の球体の姿に戻っていた。
「スライム種は流動体の身体を持つからな。こういった攻撃が可能だ。模倣状態の動きだけを警戒してると、不意の一撃目を避け損ねるぞー」
「初めから、流動体を活かして戦った方が強いんじゃないですか?」
「いや、模倣状態の方が動きが安定するんだよ。連続した動きが可能になるしねぇ。流動体で攻撃を始めるってことは最後の悪足掻きってことさ。攻撃も輪に掛けて単調だ。そら、また来るぞ。よく見りゃアイゼンちゃんでも簡単に躱せる」
振り被り、叩きつける。
実に単調な上に、非常に大振りだ。タイミングを測れば確かに躱すのは容易だった。よっぽど慌てない限り、子供でも躱せる。縄跳びを飛ぶのと何ら変わり無い難易度だ。
ただ、当たれば致命傷と分かっている状態で、どこまで落ち着いていられるかという話である。私は胆力に自信があるので問題ない。
「メタリカスライムの最大の武器はその防御力だ。大抵の奴はそこを看破できずに模倣状態の彼らにやられちまう。ある程度のダメージを核に与えると模倣も解けるんだが……ふむ、最初の蹴りがそれなりにダメージを与えたらしいな」
「そりゃ人間大の大きさの鉄の塊を蹴り抜く衝撃ですからね。相応のものでしょうよ」
本来はもっと苦戦し、何とかここまで持ってくるのだろう。
普通は戦鎚を全力で振るったとしても、数メートルも鉄塊を飛ばせない。それを蹴脚で行ったお師匠様が凄まじいのだ。
「それじゃ、授業も終わり。さっさと倒しますかねぇ」
お師匠様は迫る触手を軽々躱し、メタリカスライムの本体へと一気に踏み込んだ。
飛ぶような速度で向かってくるお師匠様に、メタリカスライムは圧倒的な戦力差を感じてか今更の逃亡行動に出たが、間に合わない。
真上に振り上げられた戦鎚は、メタリカスライムの頭上から勢いよく振り下ろされた。
どごん、と一撃の音が地底湖に響く。戦鎚の一撃は、叩き殴られたメタリカスライム下の岩盤に亀裂を走らせる威力だった。
「こんな感じで衝撃が逃げないように、真上からぶっ叩くのが有効だ。威流しの応用で衝撃を浸透させるって手もある」
メタリカスライムは動かなくなった。
そりゃあんな一撃を喰らえばそうなるだろう。動いた方が怖しい。
「これ、死んだんですか?」
「いや、これでも死んでない。メタリカスライムは核に大ダメージが及ぶような状態になると全身を圧縮する防御反射に出る。一瞬だけだが、その硬度は鍛え上げられた刀剣を遥かに凌ぐ」
「本当に防御力が凄まじい魔物ですねぇ」
「ま、それも気絶させてしまえば問題ない。アイゼンちゃんもこっち来て触ってみな」
私はお師匠様の元へと駆け寄り、その足元で気絶するメタリカスライムに触れる。
その質感はひんやりと冷たく、ぶにょんぶにょんとして本来のスライムのような柔らかさだ。しかしずっしりと詰まって重たい感触だ。
「こうなればナイフでも通る。それでも死なないのがスライム種だが、核を破壊してしまえばそれまでさ」
「これ、どうするんですか。流石に食べれないとは思いますけど」
「メタリカスライムの身体はそれ自体が超希少素材だ。こいつらの主食は鉱石だから、その身体には様々な鉱石が混ざり込んだ混合素材となっている。流体から個体に変質する性質はあらゆる分野で役に立つ。が、俺は今回そうはしない」
「逃がすわけでもないですよね」
逃がすのなら、先のメタリカスライムのとった逃亡行動の時に逃せばいい。私に対処法を教えるために逃がさなかった、という考えもあったかも知れないが。
お師匠様の回答は、私の予想の外にあった。
「こいつは俺の使い魔にしよう。模倣能力はアイゼンちゃんの修行に使えるし、いい訓練相手になる」
「大丈夫ですかそれ。相手は金属の塊な上に魔物ですよ? 私、下手すると死んじゃいません?」
「そこは手加減させるさ」
「……そこまで知能が高いようにも見えませんが」
「大丈夫大丈夫。こいつには〝式神〟を憑かせる」
また知らない単語が出てきたぞ。
「シキガミ、とは?」
「若干ニュアンスが違うが、一般的には〝ゴーレム〟と言った方が分かり易いかね」
「あぁ。そっちならば知ってます」
「本当に学があるよねアイゼンちゃん。どれだけ掃除さぼって本読んでたんだか」
私は元奴隷だが学がある。
高名な貴族だった元ご主人様の図書室は様々な書物や本が置いてあった。本がよほど大事だったのか、一日に一度は掃除させられた。掃除をさせられる度に読み漁ったものだ。そのお陰で私の頭には、魔術の基礎理論から、大戦時代の歴史の詳細、各国の特徴や伝説と幅広く知識が及ぶ。数年の奴隷生活で図書室の大半の本を読み尽くした。
無論。事が露呈しなように、最低限かつ完全に、掃除は手早く済ませていたものだ。
このことを話した時のお師匠様の呆れ顔は記憶に新しい。
そして図書室にある隠し部屋の存在を見つけてしまった私。そこにたった一冊の本が置いてあった。
その本こそ、私を逃亡に至らせた原因である。
話を戻そう。
ゴーレム。
無機物や無生物に命令文を打ち込み、命令文の通りに行動させる魔術だ。単純な動作であれば簡単に命令文を作ることが出来るが、本当の生物のように動かすには複雑極まりない命令文を組み上げなくてはならない。
そして、原則として生物に使用できない。
生物には既に意思があり、それが命令文の邪魔をする。そのため、生物をゴーレム化させるのは理論上不可能である、とあったはず。
メタリカスライムも魔物と言えど、生物だ。
それとも〝式神〟と呼ばれる魔術はゴーレム魔術にできない〝生物のゴーレム化〟を成し得た魔術なのか。
お師匠様にそれを問うと、返ってきたのは否定だった。
「できないよ。そこはゴーレムと同じ。不可能さ。普通はな」
言って、お師匠様が掲げて見せたのは自身の戦鎚である。
お師匠様の固有能力である戦鎚。能力は刻撃。あらゆる性質・特性・効果を叩き込むこと。
「あっ」
「……理解したかい。式神も陰陽術に含まれる術だ。言った事あるだろ、陰陽術は俺の能力と相性がいい、と。それはこの式神が占めるところが大きい。俺の刻撃は生物だろうが無生物だろうが関係なく性質を叩き込める。それを利用し、〝式神を性質として叩き込む〟。そうすれば生物のゴーレム化――もとい式神化が可能だ」
「お師匠様まじぱねぇ」
「ふっふっふ。だろう。おじさんは半端じゃないのだ」
正直に凄いと思う。
戦闘と鍛冶以外にもできることがあったんですね、お師匠様。魔術も戦闘特化な感じとばかり思ってました。
お師匠様は気絶して動かないメタリカスライムに向き合うと、戦鎚を持って右手を前に突き出す。戦鎚は水平に構えられ、空いた左手は軽く添えられる。
深呼吸一つ。そして紡ぐ祝詞。
「――魔要戦鎚。真理歪曲、通我道理。式神憑依、主我徴兵――」
一拍。
「――刻撃重重、〝知恵〟、〝知識〟、〝感情〟、〝主従〟〝武術〟――急急如律令」
七色の光を見せて、魔力光が戦鎚の頭部に収束する。
と、言うか。
「武術って何ですか。そんなのありですか。でしたら私にも刻撃で叩き込んでくれればいいのに」
「いいけど、効力時間過ぎたら元に戻るよ」
「メタリカスライムもすぐ元に戻るんですか?」
「いや、そっちは式神として〝憑かせる〟から大丈夫だ。ちなみに、アイゼンちゃんには式神は憑かせないよ」
「なぜです?」
「アイゼンちゃんじゃなくなっちまうからさ。式神の性質に上書きされちまって、アイゼンちゃん本来の意識が出てこれなくなる。下等な生物を式神で引き上げると、上等な生物を式神で上書きするのは違うのさ。
俺が欲しいのは弟子であって、何でも言うことを聞く式神じゃない」
「そういうものですか」
「そういうものです。それに、刻撃は〝強く叩けば叩くほど強く刻み込める〟と言う性質もあってだな。式神を憑かせるほどとなると、かなりの威力でぶっ叩くことになるが……」
「やっぱり遠慮させていただきます」
お師匠様の言う、かなりの威力、だなんて人間の私に耐えられる訳が無い。
しかもそこまでやって、自分の意識が式神に上書きされるなんて良い事が何もない。やはり地道に努力して頑張って行く他ないようだ。
「そうそう、アイゼンちゃん。こいつ、ちょっと揺すったりして起こしてくれないかね。このままぶっ叩いたら爆裂四散しちまうよ。かなり強く叩いて式神を叩き込むから、もう一度防御反射をしてもらわなきゃならない」
「起きるんですか?」
「起きる起きる。スライム種は構造が単純ゆえに回復も早いからな」
式神魔術を込めた戦鎚振り被るお師匠の足元、動かない鈍色の球体を揺すったり軽く叩いたりしてみる。
しばらく続けていると、不意に表面が硬くなった。
「起きたぞ。アイゼンちゃん、急いで離れな」
「言われるまでもなくっ」
私は急いで距離を取る。当のメタリカスライムは目を覚ましたばかりで状況が理解できていないのか、その場に留まっている。
お師匠様がメタリカスライム目掛けて戦鎚を振り下ろす。
「――刻撃〝式神憑依〟――」
本日二度目。振り下ろしによる大きな打撃音が響く。
地面の亀裂は更に広がり、割れた岩盤が数箇所めくれ上がっていた。
短い時間で二度も防御反射をさせられたメタリカスライムを、少し不憫に思った。