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叡智という名の少女

 満天の星空に白く冴えた月がぽっかりと浮かぶ、今宵は満月。

 肌寒い夜気が通り過ぎ、少し身震いする。騒然とした街並みは眩いネオンに溢れている。往来を行く娼婦も客もどこか垢抜けた表情をしていた。

 歌舞伎町。それは夜が深まるほどネオンの輝きを増す街であり、女もドラッグも金も酒も違法売買の魔法食などが全て集まる街でもある。

 電子掲示板に描かれた半裸の女性が挑発的なポーズをネオンで煌めかせ、夜の街を彩る。

 娼館通りは、左右に派手な電飾で彩られたビル群が重なり合うように建ち並び、その間には重層的な隘路が広がる。一度迷い込めば二度と出て来られないような路地裏の暗闇で、欲望に塗れた瞳を炯々と光らせる人間たちがいる。

 路上には娼婦が溢れて、上客を捕まえようと猥雑の様相を呈しながら競い合うように声をかけている。その人波に紛れる仕事は帰りのサラリーマンは、酔客もいれば素面もおり、皆一様に赤ら顔で理性の乏しい緩みきった表情を晒している。

 そんな雑然とした人ごみの中を、肩で風を切って歩く男女がいた。男は古ぼけた漆黒のレザーコートに、同色のシャツとパンツ。金属装備は皆無だが、その素材は吸湿発熱繊維によって織り込まれた特注品で、肌寒い外気から使用者を守る。左腰には一振りの刀。

 そして男の右隣を歩く少女は、超然とした雰囲気を全身から醸し出し、無意識に周囲を圧倒している。無地のTシャツの上に少し濃いカーキ色のジャケットを羽織り、ゆったりとしたカーゴパンツを履いている。白く細い首は砂漠色のマフラーに隠され、歩く度にマフラーの穂先が尻尾のように揺れる。

 少女は享楽に溺れる世界を無愛想に睨み、少年はやつれた顔で力なく眺める。甘ったるい香水と媚薬の匂いが混ざり合う娼館通りの空気を、鈴乃は顔を苛立たしげに左右に揺らして振り払った。

「お兄ちゃん! マナと遊んでいきませんか!」

 不意に正面に飛び込んできた金髪の女性が、機龍の右手を手に取り艶めかしく指を絡める。鈴乃は眉を顰ませて機龍の腰元のベルトを引っ張り、後退させる。

「兄さんに触れないでいただけますか? 婦人」

 抑制された声ではあるが、その表情は凍て付くように冷たい。娼婦は気圧され顔を僅かに青褪めさせたが、ふいっと視線を機龍の手首に振ると急に顔を引き攣らせる。

「そ、そっか~。、ま、また今度遊ぼうねお兄ちゃん」

「はぁ……」

 気のない返事をした機龍は、傍らの鈴乃に引き摺られるようにして歩みを再開させられる。鈴乃はカツカツと苛つくようにブーツで路面を叩く。その顔には静かな憤怒に染まっている。

 途轍もなく機嫌が悪そうな鈴乃に、機龍は意を決して話しかける。

「なあ、鈴乃。そんなに怒ることじゃないと思うぞ? 俺は全然気にしてないし」

 その遠慮気味な声に鈴乃がピタリと足を止める。振り返り、猫を思わせる蒼い両目に憤慨の炎を燃え上がらせ、噛み付くように吠える。

「兄さん! なんであなたはそうなのですか。あんな情けない父親に功績を全て横取りされて悔しくはないのですか!? 私は腸が煮えくり返る思いです。無属性魔法も『プロパティ・ミックス・システム』も全て兄さんの功績なのに! 本来なら兄さんが脚光を浴びるはずなのに!」

「ちょ、ばっか! 声が大きいって」

 瞬時に周囲を見渡した機龍は、鈴乃と共に素早く一本の路地に入り込む。暗闇の中で蒼銀色の髪を苦労して撫でて宥めさせようとする。

「ハードを担当したのは鈴乃だろうが。それにソフトウェアの方は俺と竜嶺の合作だ。俺一人の力で開発したものじゃない」

「確かにそうです。だから尚の事許せません! あの父親は何もしていないではありませんか! ただ開発費と機材と場所を提供しただけです。それなのに我が物顔で特許を取るなんて……!」

 こちらを見上げて顔を怒りで歪め、悔しそうに唇を嚙み締める。華奢な肩を震わせる鈴乃に、機龍は目を細め優しく語りかける。

「それがあったから発明できたのも事実だ。少しでも恩返しができたなら俺はそれで十分なんだよ。……だから鈴乃が気に病む必要はない」

 こちらを見上げる鈴乃は泣きそうな声を漏らしながら、顔を機龍の胸に埋めた。その瞳からは、今にも涙が零れ落ちそうだった。

「兄さん……。私は……私は……!」

 そこから先はほとんど実際のボリュームを伴わず、微小な振動として機龍の耳に届いた。それから数分、鈴乃は堪え切れない嗚咽を漏らし続けた。



「どうしたんですか、それ」

 路地から出た二人は待ち合わせ場所の袋小路前に到着した。機龍は唖然とそう問い掛け、隣の鈴乃は目を丸くして軽く呆然としていた。

 そんな二人を尻目にレンガ造りの壁に背中を預けていた鳳凰は、こちらに気付き平素と変わらない調子で答えた。

「あ、これ? よくあるのよ、こういうの。慣れてるから心配しないで」

 あっけらかんと言う鳳凰の周囲には、数人の男どもが地面に突っ伏していた。皆一様に白目を剥いて失神しており、その体に微かな電磁の尾を引いている。鳳凰の右手には銀色の拳銃型GDが握られていた。

 周囲の人波もその異様な光景に奇妙な眼差しを向けつつ、恐れをなして足早に歩いていく。鳳凰を中心に半円状に広がって倒れている男たちの間を縫うように二人は進む。

「さ、行きましょ」

 そう言って鳳凰は踵を返し、袋小路に足を踏み入れていった。機龍と鈴乃は顔を見合わせ苦笑し、後に続いた。苔むした赤褐色のレンガ壁を左右に歩き、最奥の行き止まりで足を止める。

「すずのん、お願いね」

「任せてください」

 鳳凰にぽんっと肩を叩かれた鈴乃は頷き、入れ替わるように壁の前に立ち、微かに湿った壁面に手を当てる。そしてぶつぶつと呪詛の如く数字を呟いていく。

「0……8……5……6……3……2……4。次、2……1……7……6……4……8……9。これも違う、4……6……7……8……9……

0……4」

「特異体質による探索に加え、解錠アンロックといった捜査能力もある、か。兄としては鼻が高いわね」

 隣からこちらを覗き込むようにしてにっこりと微笑む鳳凰に、機龍は苦笑を返す。ちらりと集中している鈴乃に目をやり、その漆黒の瞳に複雑な色を浮かべる。

「ええ、ホントに自慢の妹ですよ……」

「……劣等感とかあったりするの?」

 眉を僅かに下げ、遠慮気味にそう問い掛けてくる鳳凰に、機龍は肩を竦めてみせる。

「劣等感があるくらいが丁度良いんですよ。ある程度の自尊心がなきゃ魔法技能は向上しませんから。先輩が気遣う必要はありませんよ」

「そう。……あのさ、その口調と呼び方やめてくれない。なんだか差別されてる気がするわ」

 目を細めた鳳凰は、途端に刺のある声音でそう告げてぷいっと顔を背ける。心なしか頬を膨らませてご立腹のようだった。機龍は虚を突かれ、訳が分からず訊き返す。

「あの、なにかしましたっけ?」

「その態度が気に入らないって言ってるの! いい、今この瞬間から敬語は禁止、わたしのことは名前で呼ぶことっ!」

 形の良い眉をむっと寄せつつ、こちらにビシッと人差し指を突きつけてきた。鼻先に指先を向けられ思わず首肯しようになってハッとする。

「いや、先輩ですしそれは。鳳凰家の令嬢にそのような態度なんて……」

「キミも黒乃家の御曹司でしょ。そういう特別扱い、もう辟易としてるのよ! わたしが良いって言ってるんだから素直に同意しときなさい」

 我侭のようなことを言うと、鳳凰の右手が閃いた。

 視認不可能の速さで機龍の顔面にGDを照準した。魔法陣を展開していない

にも関わらず、銃口から金色の稲妻漏れ夜の闇に鋭く爪痕を残す。

 顔面を蒼白にした機龍は、何故か両手を上げて降参のポーズを取りつつ何度も首肯した。

「わ、分かったよ。……琴音……さん」

 その反応を見て琴音は、ゆっくりと銃口を下げてにんまりと満足げな笑みを見せる。

「うん、よろしい」

「あはは……。……あ、それって……スカーレット・ビヨンドですか?」

 乾いた笑い声を漏らす機龍はそこで、琴音のGDを詳細に眺めた。メタリックシルバー塗装の拳銃型GDは、特攻術型の中でも有名なモデルだった。

 そう問われ、琴音は得意げに胸を反らしながら講釈を垂れる。

「ええ、そうよ。魔法工学機器メーカー『ロッキード・ボーイング・システムズ』が開発したフルカスタマイズされた特攻術型GDのモデル名ね。プロパティ・ミックス・システムに最適化されたデバイスで、警察は元より陸・海・空の全ての軍関係者の中で、途轍もなく重宝されているのよ。しかもこれは、通常のスカーレット・ビヨンドより銃身の長い限定モデル。手に入れるのにどれだけ苦労したことか……」

 その経絡を思い出したのか、打って変わってげんなりとした表情を浮かべる琴音に、機龍は曖昧な笑みを返した。

 特攻術型GDの銃身にあたる部分には術式の照準補助システムが組み込まれており、長い銃身であるほど機能が充実している。

 黒乃家の現当主、黒乃源狼が開発本部長を勤める通称LBSは、国内GDメーカーの一つで、スカーレット・ビヨンドの開発により一躍GDメーカーとしての知名度を増した。

 魔工技巧師は、デバイスがなければ魔法を発動できない記憶魔法師と比べて、需要が高い。表向きは源狼と鈴乃が奇跡のGDエンジニアとされ、僅か一年の間に特攻術型GDのソフトウェアを十年は進歩させたと称えられる天才技術者コンビである。ソフトウェアは源狼が担当し、ハードを鈴乃が担当するといった役割分担をしているとされている。

 プロパティ・ミックス・システム、通常のGDは一個で一つの属性魔法しか発動できないが、このシステムを導入したスカーレット・ビヨンドは術者の演算規模キャパシティが許す限り、最大四属性まで魔法を発動することができる。

 このシステムは理論的には以前から可能とされ、世界中の魔工技巧師が躍起になって研究・開発していたが、試験段階でも二属性までしか展開できずにいた。黒乃親子は世界で初めてプロパティ・ミックス・システムを実現した天才プログラマである。

 あの食堂の件で、雷属性魔法を得意とする琴音が無属性魔法を展開できたのは、このGDのおかげだったようだ。

「それにしても、なんでスカーレット・ビヨンドって名前なんだろ? 限定モデルは銀色なのに……。ねぇ、なんですずのん?」

 不思議そうに小首を傾げた琴音は、疑問を開発者である鈴乃に投げる。風神会のアジトの入り口の解除に集中している鈴乃は、僅かに言い淀んでから背中を向けたまま素っ気なく答える。

「……さあ。私が名付けたわけではないので、知りません」

 その表情をこちらから窺うことはできない。鈴乃の返答に特に気分を害した風もなく、琴音は「そっかぁ」と呟き右手のGDを腰の後ろのホルスターに収める。後ろ腰にはもう一挺スカーレット・ビヨンドが収められており、綺麗に交差されている。

 その鮮やかな銀色を見つめた途端、脳裏に過去の1シーンが映された。


『機龍。なにこれ? 見たことないデバイスね、綺麗な緋色……。もしかして作ったの!?』

『ハードを担当したのは鈴乃だけどな。モデル名はスカーレット・ビヨンド、竜嶺の髪の色と同じだ。き、今日は君の誕生日だったろ? だ、だからその、プレゼントなんだけど……。受け取ってもらえるかな?』

『機龍……。ぐす……』

『え!? そ、そんな泣くほど嫌だったか!?』

『ううん、違うの。その、嬉しくて……。初めての誕生日プレゼントだから。……機龍、ありがと。大事に使わせてもらうね』


 出会って五年目、初めて見る涙だった。泣き笑いのような表情で受け取ってくれた彼女を、忘れることなどできるはずもなかった。

「それにしても、キミ。そんな外見じゃあ、刀振ってても勇ましさに欠けるよね」

 うっ、言葉に詰まる。竜嶺にも同じことを言われたものだった。

 腰には黒鞘に黒い頭、赤い下緒の真剣が吊るされている。

 その時、何を思ったか鈴乃が氷属性魔法を発動させ、ぱきりと空気が音を立て機龍の正面に氷の板を形作った。傷一つない氷の板はぴかぴかと磨かれたようでまるで鏡であった。そこにあったのは――。

 大人しいスタイルの、黒い髪。少し長めの前髪の下の、柔弱そうな漆黒の両目。顔立ちは線の細い、それでいてどこか鋭さを感じる容貌をしている。

 その顔を機龍は顔を顰めて見詰める。忌避してやまない顔がそこにはあった。

「どうせ、俺は格好良くないですよ」

「拗ねないでよ、もう。……わたしはその顔、好き、だけどな……」

 口を尖らせる機龍を見かねて、琴音は仄かに頬を染めつつ言った。はしばみ色の瞳が真っ直ぐにこちらを見詰めてくる。その表情に目を奪われる機龍の耳に刺々しい声が突き刺さる。

「解除、完了します」

 その声に同期して空中に浮遊する氷の板が儚く砕け散る。見詰め合っていた二人は慌てて視線を滑らせる。

 依然とこちらに背を向けたままの鈴乃が片手を触れさせるレンガ壁に、青い電流が迸る。レンガの隙間を網目のように走った光が消えた直後、埃と苔で汚れたレンガ石の表面がぼこぼこと音を立てて浮き上がり、全てのレンガ石面が裏返ったそこは取っ手のついた木製の扉に変化していた。

「さあ、行きましょう」

 振り返って不機嫌そうな表情でそう声をかけてくる鈴乃に、機龍は苦笑を返す。そこではた、と気付く。正面の鈴乃も隣に立つ琴音も、心なしか張り詰めた面持ちである。

 そこで思い至る。鈴乃は勿論のこと琴音もひょっとしたら実戦経験は多くないのかもしれない。今までのやり取りも緊張を紛らわすためのモノだったかもしれなかった。ここは自分がしっかりせねばと気合を入れる。

「琴音、鈴乃。常に防御魔法を展開していてくれ、二人の記憶粒子パレティクル保有量ならきっと戦闘終了まで持つ。俺がまず斬り込んで突破します」

 慢心ではない、自信に裏打ちされたその力強い言葉を二人は黙って聞いていたが、やがて真剣な表情で頷く。それを認めた機龍は歩み出て、両手で木製の扉を開いて一息に踏み込んだ。

 世界が一変した。

 正面五十メートル先には寺院を彷彿とさせる古びた大門。そのさらに奥には巨大な本殿が構えている。石畳の両脇には背の高い青々とした竹林が雑然と荒れ放題に茂り、ガチャガチャとうるさいクツワ虫の鳴き声が降り注ぐ。澄んだ夜空には三日月が浮かび、骨に似て白く冴えている。数瞬後に吹き降りた風は少し冷たく、初秋の山の香りを運んでくる。

 据え置き型の特殊なデバイスを用いて展開した空間拡張術式。しかしそれだけではない。

「VR技術を応用していますね。あくまでこの景色はバーチャルリアリティであり、ここは言わば室内です。室内全体が特殊ゴムで構成され、実弾及び各種爆薬、攻撃魔法まで使用可能の空間です。恐らく琴音さんの雷属性魔法でも撃ち抜けません。直径は……一キロのキューブ状空間と推定されます。高レベルな再現度ですね、どんな人間がプログラミングしたのか」

 一瞬遅れて足を踏み入れた鈴乃が説明する。魔法と科学力が融合した結晶が視界に広がる光景らしかった。右隣の琴音が僅かに息を呑む気配がする。機龍は夜気を吸い込んで夜闇に響き渡るような大声を張り上げる。

「鳳凰家統括・自由騎士の紅露ノ機龍だ。自由騎士契約に従い《風神会》のメンバーを拘束する。我が愛剣『秋月』に斬り伏せられたくなかったら俺のように魔法師手錠をかけて投降しろ」

 自由騎士の流儀に倣い、名乗りを上げる機龍の両手首には手錠がかけられていた。両側の二人が思わず嘆息する。

「機龍くん、全然締まってないわよ」

「それはよく分かってるから鈴乃、早く手錠を外せ。もうどこにも逃げないから」

「あまりにも自然だったので手錠の存在を忘れていました。兄さん、宣戦なんてするから先制攻撃されるのですよ」

「一応、決まりだからな。ちゃんと逮捕した犯人から確認を取るからクエストの評価にも影響するんだよっと。よし」

 両手が自由になった機龍は、再び緊張を張り詰める。耳を澄ませてみたが、クツワ虫の鳴き声とサラサラと風に揺れる竹やぶの音以外、反応は――。

「来る」

 五十メートル先、大門の奥から黒装束で口元まで隠した男たちがぞろぞろと猛進してきた。その数は加速度的に増えていき、漆黒の大群が大音量の足音を轟かせ、押し寄せてくる。石畳の床を大きく鳴動させて、半円状に拡散して正面から突進してくることで、びりびりと地面に振動が伝わってくる。その数は軽く五十は超えている。

「人海戦術……!」

 琴音が軽く目を見開いて息を詰める。すかさず鈴乃が右手を翳す。細い薬指に塡められたデバイスが淡い鮮紅色の光を瞬かせる。機龍は左腕を翳して鈴乃を制すると、静かにしかし熱の込められた声で告げる。

「まずは俺が斬り込むって言っただろっ!」

 掛け声と共に移動魔法を発動。両足の黒いブーツから赤い光が放出され、そして青く輝く魔法陣が出現した。地面を踏み締め爆発的な踏み込みで、猛全と猛り狂う敵軍に突っ込む。ブーツの底から火花が飛び散り、切り裂かれた空気が耳元で重く唸る。

 機龍と敵勢の距離が相対的なスピードで縮んでいく。正面の一人が赤い攻撃色を閃かせて、曲刀で突き技を放ってくる。緑色の魔法陣を通過したけ剣先から一直線に切断力を有した風の斬撃が突き進んできた。

 それを機龍は身を捻って躱す。翻るコートの端を鋭利な突きが擦過していったが、布地に一切の傷はない。防刃仕様のこのコートはその程度の攻撃、意にも介さない。

 鯉口を切り刀を鞘走らせ、抜きざまに一閃する。高速の居合いで逆袈裟に敵を切り払い、敵群の中央に躍り出る。疾走を停止した敵勢力は瞬時に輪をかけて機龍を取り囲もうとする。間合いの外、急制動からの包囲、なるほど理想的な展開速度である。だが。

 甘すぎる。

 パレティクルをブーツに流し込み術式を構築する。無属性魔法から第一に派生した振動系術式――その名は、



「《超振動ジェットストリーム》ッ!!」



 世界が揺れた。驚天動地。

 両足が同時に踏み締められた瞬間、機龍の脚部を中心として、石畳を揺るがす局地的にして驚異的な地震が発生した。

 凄まじい振動の震源である機龍の足元には全く変化がなく、ただ球状に放たれたその振動波はびっしりと敷き詰められた石畳を巻き上げ、大気を激烈な衝撃波へと変じさせた。豪風とその《波》が竜巻めいて渦巻き、竹林の葉が盛大に吹き飛び、暴力的に敵を襲った。

 あまりの衝撃に包囲網を完成させようとしていた敵はよろめき、散弾銃の銃弾めいた石畳に激突し昏倒寸前に追い込まれる。そこに刹那の間が生まれた。

 そしてこの距離における「刹那の間」というのは、機龍に連撃の予備動作を与えるほどの隙である。術式を出力、刀身が鳴った。

 紅覇流抜刀術の攻の型、『鬼哭啾啾』の構えから放たれる剣舞。

「『虎振り』ッ!」

 前方に踏み込み、極端な低姿勢での踏み込みは敵に一瞬「消えた」と錯覚させる。敵の視界外から跳ね上がる斬撃から始まり、そこから舞うように足を滑らせ流れるように刃を見舞う。中段に斬り払い、下段から斬り上げ、半円を描く斬撃の軌道で斬り捨て、振り抜かれた慣性を殺さぬまま円軌道に舞って両足で地面を嚙み、曲芸めいた捻りで背後の敵を斬り裂く。

 ほんの数秒の間に高速で繰り広げられた剣撃は、二十撃目で段平の大剣を背負った巨漢を斬り伏せて終わりを告げる。そして思い出したように血霧が噴き散り、続々と男たちが倒れていく。

 刹那の静寂、高性能な特攻術型GDシリーズ「黒刀」のチューンナップモデル「秋月」の乱刃大逆丁字の刀身が月明かりを反射して、ぎらりと輝いた。

「そ……そのガキを刈り取れええええッ!!」

 硬直から回復した一人が金切り声を上げ、その叫びに触発された三十人近い仲間たちが各々のGDから鮮紅色の閃光を迸らせる。四方八方から腕輪型、拳銃型のデバイスに照準される機龍の顔に一切の焦りはない。

 その時、機龍の背後の人垣から男が一人飛び出し、刀剣型のGDに火属性の火焔を纏わせ振り下ろしてくる。

 しかしその燃える刀身は唐突に出現した氷の壁に阻まれる。それを皮切りに機龍の体を器用に避けた限定空間を冷気で封じ込める。流動する冷気の霞は急速に圧縮され、内部にいる敵がみな凍り付いた。

 氷属性による空間そのものに作用する空間支配系術式《永久氷獄ゼロフィル》。物体、あるいは物体の構成物質の運動を停止させる、空間そのものに作用する魔法である。

 全身をびっしり霜で覆われた男たちが傾ぎ、倒れていく。大気中の水分が一瞬で凝結して濃密な氷霧と化す中、気絶した敵の声無き断末魔が満ちた。

 黒乃兄妹は僅か十数秒の間で風神会の構成員、五十人を捕縛した。

 機龍は刀身に付着した血飛沫を切り払いで吹き飛ばし、視線を転じる。視線の先には鈴乃が右手を翳したまま停止し、隣の琴音は唖然としたように棒立ちでいた。

 殆ど間を置かない連続演算のせいで、こめかみの奥が鈍く痛む。こういうところで自分が未熟であることを痛感する。微かに眉根を顰めつつ二人の元へ歩み寄ろうとして、

「死に晒せええええっ!!」

 両脇の竹林から十人ほどの伏兵が飛び出してきた。鈴乃が僅かに目を見開いて驚愕する。上手く気配を隠していた強者たちだった。機龍は咄嗟に加速魔法を展開しようとするが、短時間での連続した演算のせいで処理速度が落ちていた。即座に生身のまま前方に踏み込むが如何せん、距離が遠すぎる。

「鈴乃っ!」

 焦燥を孕んだ短い叫びが響いた直後、瞬時に視線を走らせた琴音の両手が閃いた。その細い両腕が腰の後ろに回された――と思う間も無く、両側から五人ずつ宙に躍り出た敵は正確無比に脇腹を金色の光線に撃ち抜かれていた。

 穿たれた黒い穴から鮮血が迸り、空中で体勢を崩す男たちの体を爆発的に拡散した冷気の手が侵食する。白い霞がかった冷気の塊が敵を氷結させた。さらさらと鳴る葉の音のみが響く空間に、次々に落下した敵が発生させた硬質な音が木霊した。

 両腕を大きく左右に広げたまま静止していた琴音は、細く息を吐き二挺のスカーレット・ビヨンドを後ろ腰に交差させたホルスターに収める。目にも留まらぬ早撃ちだった。銃口を向け、照準を定め、引き金を引くまでの一連の軌道が機龍の目にはまるで視認できなかった。

 つまりそれは、術者の「処理速度」「演算規模」「干渉強度」が凄まじく超越していることを示していた。干渉強度では鈴乃に軍配が上がるが、あとの処理速度と演算規模では琴音が群を抜いている。

 驚愕の抜け切らないまま機龍は二人に駆け寄る。琴音はこちらににこりと微笑んでから、さらりと桜色の髪を搔き上げると傍らの鈴乃に向き直り、教師のような口調で厳しく叱咤する。

「すずのん、油断は禁物よ。犯罪者を全員検挙してブタ箱にぶち込むまでがお仕事なんだから」

「はい……肝に命じておきます」

 鈴乃は一瞬言葉を詰まらせてから首肯する。「よろしい」と言って微笑む琴音に機龍は苦笑混じりに声をかける。

「今のは振動系術式を混ぜていたよな? じゃなきゃ防護膜を張った敵を貫通できない。それと、ブタ箱ってお嬢様が使っていい単語じゃないだろ」

「そうよ、プロパティ・ミックス・システムの効果ね。この場で発言したところで風評被害には合わないからいいの! そういうのやめてって言ったでしょ」

 琴音はぷりぷりと怒った様子で両手を腰を当て、つんと顎を反らせるような仕草を取った。副会長の時とのギャップが可笑しくて苦労して笑いを呑み込む。

 周囲を見渡して敵の気配を探る。相手は自由騎士を八人も殺しているギルドだ。これで終わりだとは思えない。周囲に気を配りつつ二人に声をかける。

「まだ敵が潜んでいるはずだ。頭領の疾風の姿も見受けられない、警戒を怠らないでくれ。防御膜を展開してくれ」

 真剣味を帯びた機龍の声に二人は頷き、それぞれのGDから緑色の光が洩れ一瞬だけ二人の姿が歪む。これで余程集中展開した振動系術式でもない限り、この二人の防護膜は破れないだろう。

 いざ進軍しようとした機龍を、琴音がコートの裾を摑んで引き止める。訝しげに振り返る機龍の額に、琴音の額がピタリとくっつけられた。可憐な顔が視界を覆い、目を白黒させる機龍に鈴乃が憤激の込められた視線を投げる。

 はしばみ色に輝く瞳が真っ直ぐに機龍を見詰めた時、二人の体が白光に包まれる。ややあってその光は収束し、琴音は名残惜しそうな顔を見せつつ額を離すと、間髪入れずに今度は鈴乃と額をこっつんこさせた。今度は鈴乃が目を見開く番だった。

 一瞬で顔を赤面させる鈴乃と愉快そうな笑みを浮かべる琴音を見ていると、あらぬ妄想をしてしまいそうになり機龍は慌ててかぶりを振った。同じように二人は数瞬だけ白い光に包まれた。訳が分からず疑問符を浮かべる黒乃兄妹に琴音は不敵な笑みを見せた。

「今のがわたしの特異体質、《五感共有センシズ・ジョイント》。効果はまあ……使ってみてからのお楽しみということで。さあ、行きましょ」

 釈然としないがまだ仕事は終わっていない。三人は再び気を引き締めると、先に機龍が身を翻し本殿へ向けて駆ける。その後に二人も追随する。古びた大門を抜けて本殿の湿った地面に足を踏み入れた瞬間。

 周囲を囲む高い塀の上から複数の敵が飛び出してきた。そして一斉に弧を描く鋭利な風の斬撃が三人に殺到した。爆発音と共に派手に土が巻き上がり濛々と土煙が立ち込める。本殿から飛び出してきた他の仲間がそこに間髪入れず灼熱の波状形態の火焔が放出し、続いて数十本の氷の槍が煙を割いて突き刺さり、追随するように圧縮された水がレーザーのように射出された。

 四属性魔法による一斉攻撃。攻撃の継ぎ目がコンマ一秒にも満たない高速の連携。

 しかしその攻撃が防御・対抗された。まず機龍が右手を閃かせ振動系術式を展開した刀で、縦横無尽に連撃を見舞い全ての弧状の風刃を相殺した。続いて琴音が二挺拳銃で多数の氷の槍を迎撃し、最後に鈴乃が水圧カッターの射線上に氷の板を重層的に展開して勢いを減衰し、その隙に水の刃と火焔を丸ごと凍結させた。

 こちらもとても即席のパーティーとは思えない見事な連携だった。言葉を交わすことなく、そして互いの動きを阻害しないように洗練された最小限の動作だった。

 三人の五感は共有されていた。別々の場所から身を躍らせ魔法を発動させる敵勢を正確に認識し、視界が封じられれば聴覚で敵の位置を予測して、レーダーのように敏感になった触覚で敵の殺気を感じ取り迎撃した。

 そして同時に三人の知覚も加速され、時間の流れが緩くなるような感覚を味わい、敵の全身の動きが精緻なまでに視認できた。これが特異体質の副作用なのか、それとも人間本来の能力なのかは判らなかった。

 しかし三人が傷一つ負うこと無く全ての攻撃魔法を迎撃したのは事実だった。数瞬、敵軍の間に驚愕が満ち、刹那の間隙が生まれる。その隙が致命的だった。

「把ッ!!」

 短い裂帛の気合と共に琴音が前方に踏み込み、両手を宙に走らせる。即座に敵を照準した二挺のスカーレット・ビヨンドが稲妻の軌跡で空気を灼き、銃口の正面に金色の魔法陣を展開。そこから雷光を迸らせつつ神速のいかずちを射出させた。

 音速を超える初速の、大気を震動させる雷鳴の発射音の、認識さえ追い付かない雷撃の掃射を、まず二人の黒装束が受けた。光速の弾丸で的確に片足を貫通させられたその二人が瓦塀の上から無残に落下して、受け身を取れずに全身を地面に打ち付ける。

 そこから雷霆の琴音による遠隔射撃系術式《雷電ライジング》が、鬼神の如き暴力を発揮した。華麗にその細身を躍らせ滑るように照準を敵に据え、引き金を引く。再びの轟音が聴覚に届く時、塀の上の敵は次々と銃撃されていた。銀色の拳銃は残像すら残さんばかりに閃き、そのアギトから轟音を伴う雷撃を発射させる。

 脚部、脇腹、肩口と標的の急所を避けた致命の掃射を、雨あられと見舞う。悲鳴や絶叫を上げる敵のあらゆる攻撃魔法を舞うように、時には地面ギリギリの滑空するような踏み込みで躱す。紙一重の回避の中でも、その獰猛な光を湛えるはしばみ色の瞳は敵の姿を捉え、射角内に収め続ける。

 既に戦場は乱戦模様にあった。木製の本殿、高い塀を飛び越え敵が人海戦術で四方八方から襲撃する。機龍と鈴乃は射手である琴音の「眼」となりつつも、戦鬼のように応戦、もとい殲滅する。

 今の機龍たちに死角なんてモノは存在しなかった。巧妙にそれぞれの背後に視線を走らせ、視覚を共有させることで全方向を知覚した。琴音が桜色の髪を躍らせながら軽やかに身を捻り、疾風迅雷と形容するしかない動きで的確かつ高速に敵を撃破する。

 そして戦闘不能に陥った仲間を治癒魔法で回復させようとする敵ごと、鈴乃が地面に縫い付けるように氷結させる。機龍と琴音を上手く避けた限定空間は支配した周囲の気温を、一瞬で氷点下まで急激に低下させる。

 爆弾めいた冷気が爆発的な速度で拡散し、空気中の水分を凝結させて氷の網を形成する。その展開された空間は、一つの絶対的な法則に支配されている。

 停止だ。

 冷気で閉じ込めた人間の時間を停止させる。直接的な攻撃力は持たないが、その代わりに凶暴なまでに広範囲の「場」そのものに作用する。

 永久氷獄ゼロフィルの神髄は、発動するだけで敵の動きの大部分を制限する優れた空間掌握力にある。

 混戦の様相を呈する戦場で四人の男が軋むような音と共に細氷を砕け散らせつつ、四方から鈴乃に突撃する。四方に目を走らせる鈴乃の頭上を五人目の敵が取った。地上と空中、五人の敵のデバイスから赤の攻撃色の光が洩れ、それぞれ火、水、風、土、雷の属性魔法の魔法陣が展開される。

 五つの魔法が斉射されようとした時、炯々とサファイアの瞳を煌めかせる鈴乃の唇から冷徹な声が洩れた。

「遅すぎです、あくびが出るほどに」

 ばき、と空間に巨大な亀裂が走る音が轟いた。一瞬の後、敵は活目した。何故なら瞬き一度にも満たぬ一瞬で、大量の小さな氷のつぶてと錐のように鋭い氷柱が忽然と空中に生まれ、自分たちの大腿部や両肩を貫いていたのだから。

 地上を猛進する四人は勢いそのままに何回転もしながら地面に転倒する。空中にいた一人は苦痛の呻き声を洩らしながら、重力に従い落下する。鈴乃は片手に切っ先が鋭利に尖った長大な槍を生み出し、頭上に落ちて来る敵を一瞥することなく斬り捨てる。

 切られた男は落下軌道を逸らされ、鈴乃の正面に仰臥するように落ちた。鈴乃は宙を舞う敵の血液を氷の板で防ぎつつ、冷酷にその男を睥睨する。

「ヒッ!!」

 恐れ慄いた男は短い悲鳴を上げる。その男を鈴乃は無感動に見下ろし、他の四人も合わせて同時に凍結させる。氷の彫像と化した敵たちはあたかも鈴乃にひれ伏しているようだった。

 不意に鈴乃の冷めた瞳に哀切の影が過ぎり、端正な顔が沈痛げに歪む。

「こんな奴等でも魔法力では兄さんに勝る……。なんて、嘆かわしい……!」

 きゅっと唇を嚙み悲しみを殺し切る。一度伏せられた瞳には、もう哀切の色はない。氷結の鈴乃はその華奢な体に戦意を漲らせ、極寒の冷気を拡散させて精巧に操作する。

 この戦場は今や彼女の庭と化していた。


 刃の高周波振動に伴う異音が、徐々に可聴域を超えたクリアなそれに変化する時、機龍は戦場の鬼と化す。攻の型『鬼哭啾啾』の構えから放たれる連撃、『虎振り』は最大で二十撃繰り出すことができる。

 機龍の両目には拡張現実(AR)を視界に投影するコンタクトレンズが付けられている。視界上部には二十分のタイムリミットの数字が示され、斬撃を見舞うごとに十秒ずつ減少していき、空中からの大上段を一人の敵に振り下ろしたところで、残り時間が十五分を切った。

 このタイムリミットがオーバーした時、機龍の体は一時的に戦闘不能に陥る。並外れたパレティクル保有量を持つ機龍であってさえ、振動系術式は扱いが困難である。記憶粒子が枯渇すれば体調不良に陥るため、こうして逐一残量を確認する必要があった。他の二人の魔法は燃費が良いため確認する必要もない。

 機龍はとぐろを巻いて襲いかかる火焔の渦に飛び込む。灼熱の業火は唐突に軌道を逸らされ、漆黒の剣士のコートを掠めるに留まる。如何なる魔法であろうと機龍の体に命中することはない。

 故に機龍は防御魔法を必要としない。というより並列処理ができないので、防御膜を展開したところで剣撃を放つ度に解除しなければならないため、邪魔にしかならない。

 熱風に煽られつつ移動魔法を行使することなく、体術のみで敵の懐に飛び込む。敵の顔面に恐怖の色が満ち、その戦慄く口から金切り声の悲鳴が迸る。

「な、なんで魔法がっ!? ば、化け物!!」

「化け物で結構だ」

 斬り上げからの一閃で相手を沈める。瞬時にその男は冷気によって地面に貼り付けにされる。鈴乃のおかげで敵の捕縛が容易になったことにより、機龍はソロの時より精神を磨り減らすことがなくなった。

 機龍は決して殺戮嗜好を持つ男ではない。故に毎回の如く捕縛を優先して愚直に投降を呼びかけ、その度に殺されかけ重傷を負ってきた。

 やはりソロでは限界がある。しかしそれでも機龍はこの修羅の道への歩みを止めるつもりは毛頭なかった。

 瞬時に思考を切り替え次の敵を斬り込む。下段を払ってからの流れるような軌道で袈裟斬りを放つ。顔面に血飛沫が付着することも構わず黒刀を振るい続け、足腰が悲鳴を上げるのも厭わず体を捻り、背後から斬りかかる敵を薙ぎ払う。

 水平に切り払われ体を崩れるように倒れさせる敵を、左手で押しのける。視線の先には完全に包囲された琴音の姿。地面を踏み締め駆け付けようとしたその時。

「なっ……!?」

 視界の端の本殿、そこの板張りの廊下の上に整列に並ぶモノが黒光りした。合計十門あるそれはM2重機関銃だった。対戦車ライフルにも用いる強力無比な五〇口径弾をフルオート連射させる大型の銃器である。

 魔法が発展した現代においても銃火器が廃れることはない。その理由は至極単純、デバイスさえあれば発動できる魔法であっても、才能がなければまともに術式を出力できないからだ。才能のない者が武力を保持しようとすれば、必然的に銃火器に辿り着く。

 しかもあれは本来、装甲車破壊や航空機撃墜に使用する代物である。堅牢な防御魔法を展開している記憶魔法師が相手といえど、オーバーキルは必至。

 漆黒の敵たちが巨大な重機関銃のコッキングハンドルを引いて、弾を発射可能にし一斉に渦中の琴音に照準する。その動きに合わせるように射線上の人ごみが崩れる。開けた人垣の先にあるM2機関銃を機龍の視覚も合わせて視認した琴音が驚愕に目を見開く。

 機龍は即座に急制動をかけ地面を滑りながら黒刀を鞘に収め、焦燥に駆られつつ短く叫ぶ。

「琴音っ! 集中を切らすな! あれは俺が片付けるッ!!」

 滑走を中断させ左手を黒鞘の上部、撃発のためのトリガーに触れさせる。左足を引き半身に近い体勢を取る。神経を研ぎ澄ませ鞘型GDで爆裂術式を構築し、右手で軽く黒い柄に触れる。鈍く輝く重機関銃が一門、機龍に銃口を向けた。敵が引き金を引き切るより速く、ふっと鋭い呼気を吐く。

「紅覇流抜刀術弐番式――」

 トリガーを押しこみ刀身を撃発。射出された柄を摑み取り刀を鞘走らせ、瞬時に振動系術式を構築し展開。鞘鳴りを伴い雷閃の如き速度で刃が抜き放たれる。

「『八相発破』」

 重機関銃の備えられた木製の床が真一文字に裂けた。足場を失くした銃と射手は無残に地面に落下する。即座に地面が氷結し冷気の波が銃と射手を纏めて氷漬けにした。振り抜いたままの体を無理やり捻り、地面を蹴ってその包囲網を抉じ開ける。血の花を咲かせつつ斬り払いの乱舞で人垣を切り崩しながら猛然と突進し、人の輪の中央に躍り出る。

 視界の中央にいる琴音は体の前で腕を交差させ、二挺拳銃を凛然と構えていた。全身から闘気を迸らせるその姿はまさに錦上添花、一分の隙を見出だせない。

 怒号、絶叫、悲鳴、咆哮が大音量で飛び交う地獄絵図の中、背中合わせになった機龍に琴音が叫ぶ。

「数が多すぎる、これじゃキリがない! 疾風の姿も見えないし、このままではジリ貧よ!」

「…………地面をぶち壊す! もしかしたら地下があるのかもしれない! 取り敢えずやるしかない!」

「分かった! まずはこの包囲を瓦解させる! 機龍くん、すずのん伏せて!!」

 機龍が崩した人垣の外で氷塊を生成させていた鈴乃が咄嗟に地面に伏せ、機龍も瞬時に身を屈め肩越しに見た光景に驚嘆を禁じ得なかった。

「一掃するっ!」

 凛とした叫びを迸らせ、琴音はその場で華麗に身を捻り一回転する。その動きに合わせ雷鳴と共に極太の雷撃が二挺から放出された。金色のレーザーめいた巨大なエネルギーの奔流が、空気を灼き戦場を舐め尽くす。

 防護膜を展開した大量の敵勢がその規格外の質量に、突風に煽られたボロ切れの如く吹き飛ばされ、何回転もしながら宙を舞った。円軌道に放たれる雷光は木製の本殿を赤々と燃え上がらせ、八メートルはあろうかという高い塀を溶解させた。

 雷砲とでも言うべき金色の光線が収束した頃には、戦場は一変していた。敵陣は瓦解し喚き声を上げながら逃げ惑う、または戦意を失くし茫然自失とする者が多数、しかしまだ戦意を漲らせている者もいる。

 機龍は素早く立ち上がり、微かに顔に疲労の色を浮かべる琴音に早口で囁きかける。

「飛ぶぞ」

「分かった」

「鈴乃!」

 再び冷気の猛威を奮う鈴乃と視線を見交わすだけで意思疎通し、三人は同時に移動魔法を展開して大きく跳躍した。風を切り裂き空中に躍り出て機龍と琴音は月明かりの逆光を背負い、片やコートを翻し片や桜色の髪を躍らせる。

 機龍は黒刀を鞘に収め、琴音は二挺拳銃を真下の地面に照準する。二人の深い呼気で荒れ狂う戦場の空気が一瞬にして張り詰めた。銀色の拳銃の銃口前方に出現した金色の魔法陣が帯電し、捻くれた電光が夜闇に爪痕を残して消えた。黒鞘が爆裂し刃が高速で射出され、ガラスを引っ搔いたような騒音に紛れて澄んだ鋼の鞘鳴りが響いた。

「――――『金翅鳥王剣こんじちょうおうけん』――――斬れ、秋月ッ!!」

「――雷霆の二挺・電翔っ!」

 雷鳴の咆哮が世界を震わせた。

 続いて無数の鳥の囁きにも似たスパーク音が轟き、暴風のようなエネルギーの奔流が稲妻の如く二筋落ち、太い亀裂のような雷光を刻む。境内の石畳と地面に砕き裂かれ、土煙がとぐろを巻いて立ち込める。数瞬後にヒュオンという斬撃音が物理現象の範囲を超越した災厄を引き起こした。

 パキピシという氷柱がかち割れるような快音を伴って、境内全域の地面に縦横に切断線が刻まれる。続いて破滅的な崩落音が轟いた。文字通り地面がぶち壊れた。

 砕かれた地面の先には底の見えない暗闇が広がっており、やはり地下が存在したようだ。重力方向に引っ張られた敵の大群が喚き声を上げながら崩落に巻き込まれ、真っ暗闇に落下していく。

 機龍たちも気持ち悪い浮遊感を味わいながら地下に落下していく。風圧で髪が靡き、耳元で空気が鋭く唸る。

「……ッく!」

「兄さん、琴音さん!」

 鈴乃が短い叫びと共に己も含めた三人の落下軌道上に、薄い氷の板を縦に重層的に重ね合わせる。三人は板を砕き細氷に塗れながら減速し続け、リノリウムの床に着地した。機龍は周囲を見渡し細く息を吐いた。

 背後に瓦礫の山が聳え、周囲には気絶した敵や瓦礫の破片などが散乱している。崩れた天井からは月光が差し込み、正面には等間隔に照明がちらつく薄暗い通路が伸びている。それは少し先で三叉路に枝分かれしていた。

 そこまで認めたところで不意に眩暈がし、急に全身の力が抜けて体が傾ぐ。

「機龍くんっ」

 倒れかけた体を琴音が支え、機龍はもたれかかるように体重を預ける。はしばみ色が不安げに覗き込むようにして見詰めてくる。機龍は強張った笑みを浮かべつつ囁く。

「……ごめん、大丈夫だ。ちょっと抜刀術を使い過ぎた」

 紅覇流抜刀術を研鑽する機龍は、射程距離のある斬撃を弾丸の代わりにし、それに振動系術式を織り込むことで防御魔法に対抗できる剣閃へと昇華させた。しかしこの技は機龍の処理能力では膨大な演算を必要とする。

 まず鞘で爆裂術式を展開し、刃が射出されたと同時に振動系術式を出力するという二段構えなのだ。それに加え抜刀に凄まじい精神集中を要し、その度に神経を研ぎ澄ましている。

「兄さん」

 少し刺のある声に機龍は体を離し鈴乃へ向けて手をひらひらと振ってやる。それに若干不機嫌そうな表情を見せたものの、その蒼い瞳には気遣うような色彩が浮かんでいた。

 機龍はそんな妹の頭を撫で付けつつ、気を取り直して提案する。

「道は三本、手分けして疾風を探そう。発見次第、携帯端末で連絡を取って他の二人の合流を待って仕掛けるって感じでいこう」

 三人はクエストの待ち合わせのためにプライベートナンバーを交換していた。鈴乃は気持ちよさそうに猫のような目を細めながら頷いたものの、琴音は不承不承といった感じで首肯しつつじとっと兄妹を見詰めている。

「……どうかしたか、琴音さん?」

「べっつにー。ずいぶんと仲がよろしいことで、アイコンタクトで気持ちが通じ合えるほどの仲良しさんなのね」

 嫌味のようにそう言って、むすっと頬を膨らませてツンと顎を反らせる。苦笑する機龍の傍らで鈴乃が恍惚とした表情で自信ありげに呟く。

「私と兄さんは拈華微笑の仲ですから。具体的にはベットをご一緒して朝まで可愛がってもらえるほどの仲です」

「へ、へぇ。そ、それは小さい頃の話よね?」

「いえ、昨夜の出来事です」

 顔を引き攣らせていた琴音がその台詞で硬直した。そして「ははは……」と乾いた響きの笑い声を洩らしつつ、じろりとこちらを睨んできた。機龍は背筋を凍らせつつ強張った笑みを浮かべた。

「あ……あ、俺は中央の道を辿ってみるわ! それじゃ、二人とも気を付けろよ」

 そう言って一目散に遁走した。背後で「あとで詳しく聞かせてもらうからね!」と憤怒の込められた声が響き、薄暗い通路を殷々と反響していった。



 硬質な音を反響させながら機龍は薄暗い廊下を進んでいく。一直線に続く廊下の左右の壁にはずらりと個室が並んでおり、扉は固く閉ざされ長い廊下に無表情に連なっている。扉の横の覗き窓から中を覗くが、暗闇で視認もままならない。

 打ちっぱなしの壁が寒々しいが、それでもこの通路はどこか既視感を感じる。しばし思案して思い至る、この廊下はまるで病院の患者棟を連想させる。角を曲がると、何度か更に下へ降りる幅広の階段に行き当たった。恐る恐る警戒しながら幾度と無く降り続け、やがてその空間に行き着いた。

「なんだ、ここは?」

 異様なまでに広い。奥行きのある長方形の空間は、天井がドーム状になっており、まるで実験室と研究室を加味したかのような場所であった。

 そこで音もなく右手を柄に添える。部屋の左側、隣接した小部屋のような建物が壁から出っ張っていた。その入口と思しき扉の窓から仄かな光が洩れ出している。周囲に気を配りながら足音を殺して近づいていく。 

 ドアノブに手を掛け勢いよく開けると同時に、鯉口を切る。内部に人はいないようだ。しかし、気配を消して隠れている可能性もあるので抜刀の姿勢を取りつつ部屋に侵入する。

 右の壁側に情報端末が所狭しと設えられ、一箇所大きなガラス窓があった。ここは実験のための管制室といったところか。奥行きのある部屋の左の壁に沿って、人間が入れるほどの高さ二メートルを超えるカプセル型の最新装置が整列と並んでいる。

 内部には透明の液体が満たされ白く発光している。先程、入り口の窓から見えたのはこの光だったようだ。見渡せば数は二十と下るまい、一個ずつ検分していく。

「違法な研究でもしているのか?」

 そう一人ごちつつ慎重に歩を進め、培養槽と思しきカプセル群の中間に差し掛かった時。

「……女の子?」

 今までの空っぽだったカプセルとは違う。内部に年端もいかない女の子が一糸纏わね姿で手足を伸ばして眠っていた。歳は十代前半くらいか、艶のある黒髪が腰ほどまで伸び生まれてこの方、太陽を知らないかのような真っ白な肌、気品のある眉と高い鼻に桜色の唇、、あるでお伽話のお姫様のような寝顔をしている。

「……ソフィア。この子の名前か?」

 少女の収まるカプセルの下部に貼られた金属プレートに《ソフィア=64》と記されていた。機龍は気付けばカプセル表面のひんやりと冷たい窓ガラスにぴたりと手を当て、その少女の寝顔を見詰めていた。

 美しいと思った。恐ろしいまでに完璧な造形をしていた。人間離れした美貌であった。その顔は水晶のように透き通り、また人形のような硬質さを併せ持っていた。もはや人間とは思えない。 

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