表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

勝利という名の財貨

「ごめんなさい、兄さん……」

「鈴乃が謝る必要はないさ。俺が自分の意思で招いた結果だ」

 小作りなガラステーブルの上にマグカップを二つ置く。仄かに湯気が立ち、鈴乃は短く礼を言ってそのカップを掌で抱える。

 クリーム色のカウチソファに腰かける妹の隣に、五十センチほど離れて座る。機龍は自分の分のコーヒーを一口飲み、ほっと一息つく。

 時刻は二十二時。赤神悠真との模擬戦は明日の放課後に設定された。あの後すぐさま会長と風紀委員長による取り決めが行われた。会長が模擬戦を正式な試合と認めた上で、風紀委員長が校則で認められた課外活動であると承認した。

 これは模擬戦を校則で禁止された暴力行為、つまり喧嘩沙汰にしないための措置である。双方にCADの使用を許可し、ルールは明日に生徒会長から発表されるらしい。

 記憶魔法師世界は実力主義であるため、口よりも力での決着が推奨されている節がある。それでもAクラス生徒とDクラス生徒の試合は前代未聞であるらしいが。

 この部屋はマンションの一室であり、機龍の自宅である。機龍と鈴乃は同居しておらず、鈴乃の自宅はこの部屋より二階上の部屋だ。これもまた情報統制を完璧にするための処置であり、また鈴乃の安全を保証する意味も兼ねている。

 機龍は鈴乃の義理の兄であると同時に、ボディガードでもあった。次期当主を命がけで身を挺して守るための道具、それが黒乃家での機龍の扱いであった。

 両手でカップを抱え慎重にこくこくと甘いココアを飲んだ鈴乃は、カップをテーブルに置いて吐息を一つ。鈴乃が機龍の家を訪問するのは入学式の前日以来だった。

 今日に至り久々に顏を合わせた二人は、しばらく沈黙した。静かな時間が流れ、機龍は心の中で吐息した。別に気まずいとかそういう訳ではなく、あまりにも居心地が良くて思わずため息を吐いたのだった。心なしか冷たい印象を与える室内が暖かく感じられる。

「……そ、そうだ兄さん。私、その、チーズケーキを作ってきたので……お茶にしませんか?」

「え、ああ、そうしようか」

 唐突に腰を上げそんなことを言った鈴乃は、予め機龍宅の冷蔵庫で冷やしておいたケーキを皿に分けテーブルに置き機龍に差し示した。機龍は短く礼を言いつつフォークを手に取り、いざ口にしようとした時に隣から視線を感じて思わず停止する。

「あの、鈴乃。そんなに見つめられると食べづらいんだが」

「あっ、ご、ごめんなさいっ」

 じーと機龍を凝視していた鈴乃は慌てて顏を正面に向ける。しかしそれでも時折チラチラとこちらの様子を窺っている。必死に悟られぬようにしているところが妙に可愛らしく、機龍は微笑みを苦労して呑み込みケーキを口に運ぶ。まろやかな口溶けで程良い甘さ、機龍の好みど真ん中であった。

「うん、美味しいよ」

「そ、そうですか。わざわざ感想を仰らなくても良かったのですけど」

 視線を逸しながら素っ気なく呟くように言う鈴乃の頭を撫でる。さらさらと細い蒼銀の短い髪にするりと抵抗なく指先が埋まっていく。一瞬ぴくりと頭を揺らした鈴乃はややあって猫のように目を細める。仄かに頬を染め、口許にかすかな微笑を浮かべつつ素直にされるがままになっていた。

 兄である自分の前だけでは素直でいてくれる、その事実が機龍の心を暖かくした。 

 気持ちそさそうな表情をしていた鈴乃は口をもぐもぐとさせた。ああ、と察し手を離すと鈴乃は少し残念そうに目を伏せながらもフォークを手にしケーキを咀嚼した。食欲には勝てなかったらしい。

 その様子を目を細めて観察した機龍はもう一口ケーキを咀嚼する。

「兄さん、その、また迷惑をかけてしまって……」

「謝る必要はないんだけどな。嬉しかったけどな、鈴乃が俺のために怒ってくれたこと。まあそれでも、魔法を暴発させるのは頂けないな」

「うっ……。精進します」

 意地悪い声音でそう指摘すると鈴乃は一瞬言葉を詰まらせ、そして真剣な顏で頷いた。魔法の暴走は未熟者の証であると同時に、卓越した才能の証でもある。

 四つある魔法高校の内、最難関の桜峰高校を首席で合格し尚且つすでに学校内でトップ4と称されるほど頭角を現している鈴乃は、それで慢心することなく実直に魔法技能の研鑽を続けている。才能に溺れることなく努力を怠らない妹のことを誇らしく思う一方で、その才能に羨望と嫉妬をしていることを機龍は自覚していた。

 しかし何よりも気に病むことは、優秀な妹のことを兄として自慢できないことだった。機龍は表向きは名門黒乃家の分家、現当主の弟の息子という扱いになっている。つまり従兄妹関係とされており、義理とはいえ兄妹であることを公言できない立場に置かれている。何とも歯痒い気持ちだった。

 しかしそれも自分の魔法力が低すぎるが故である。妹と肩を並べたい、妹と同じ視点に立ちたいという想いは、機龍が命がけの自由騎士の権限を得た理由の一端であった。

 虚空を見つめて思考していた機龍に、鈴乃が優しげな口調で指摘する。

「兄さんはすでに私よりもお強いです。過小評価も大概になさってください」

「はは、鈴乃の特異体質は精神感応テレパスじゃなかったはずだけどな」

「兄さんの考えてることなんてお見通しです。兄妹ですから」

「まあ、義理だけどな」

 何の気なしに口走った台詞を受けて鈴乃は小皿にフォークを置き、こちらに向き直る。その澄んだ碧眼には真摯な光があった。

「やはり血が繋がっていないことを、気にしておられるのですか?」

「いや、そんなわけ――」

「嘘です。知っていますか? 兄さんは嘘をつく時に視線を逸らす癖があるのですよ」

「……はっ、なんとも分かりやすい癖だな。……まあ、気にしていないと言えば嘘になる。五才の頃に父さんが俺を孤児院から引き取って養子してくれたことは感謝してる。恩を感じているとも言っていい。鈴乃とも幼い頃から兄妹をやってきているけど、それでもたまに……この人たちと自分は他人なんだと思う時がある」

 長めの前髪の下の虚無映す黒い両目は一点に固定され、無限の深淵から響いてくるような重苦しい声音が口から流れる。どう努力したところで本当の家族にはなれない。そのことで嘆き悲しんだことはないが、それが心の隅で刺のように突き刺さっていたのは確かだ。

 鈴乃はその小さい顏に沈痛な色を滲ませ、その白い左手を機龍の肩に静かに置いた。少しだけ肩を震わせ機龍は強張った顏を鈴乃に向ける。

 鈴乃は開いた右の掌を自分の胸に当て、真っ直ぐな視線を投げつつ慈愛に満ちた声音で機龍に囁く。

「……私は……兄さんと血が繋がってなくて良かったと思っていますし、癪ですけど父親が私と兄さんを表向きでは従兄妹の関係にしているのには感謝しているのです」

「ど、どうして……?」

 まさかこれが噂に聞く反抗期なのかと、内心で戦々恐々としている機龍を尻目に、鈴乃は右掌を左手に重ね合わせて自分の胸にぎゅっと当てて、頬に紅を差しつつ唇を綻ばせる。

「だってそれなら恋人にもなれますし、何なら結婚もできます」

「ぶっ!」

 思わず噴き出してしまった。軽く咳払いしつつ抗弁する。

「いや、実際は従兄妹じゃなくて兄妹なんだが」

「けど表向きは従兄妹です。従兄妹同士は法律で結婚が認められています。黒乃家の権力を行使すれば世間に兄妹だってことは露見しませんっ」

「鈴乃、お前は家の力を使うのは嫌ってなかったか?」

「それとこれとは話が別です。私は自分の欲望のためならばあらゆる手段を用いて成就に努めます」

 何故か胸を張って妙に格好いい台詞を宣言する鈴乃。機龍はこめかみに手を当てて肩を竦める。昔から兄の後をちょこちょこ付いてくるような妹ではあったが、まさか結婚に飛躍してしまうほど愛情が深いとは。何だか複雑な心境である。

「兄さんはどう思っているのですか?」

 ずいっと身を寄せて来る鈴乃は覗き込むような上目遣いも合わせて、真剣な声音で問い掛けてくる。妹とはいえど可憐な顏が至近距離にあるとドギマギしてしまう。

「どうって……可愛い妹だと思っているが」

「やっぱり兄さんは……胸の大きい女性が好みなのですか?」

 ムッと形の良い眉を寄せぷくっと頬を膨らませる。微かに甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 あと、どういう訳か鈴乃は家の中での服装が露出が増える傾向にあり、今も丈の短いスカートからすらりと綺麗な脚線を覗かせ、襟ぐりの広いセーターを着用しているため、胸元がチラチラと視界に入り込み仄かな色香が漂っている。

「何故、そんなことを……」

「だって兄さん、お昼の時に琴音さんの胸をチラチラ盗み見ていましたから」

「み、見てない! それは鈴乃の勘違いだ!」

「う~~、怪しいです」

 鼻先数センチの距離から蒼い瞳がジト目で見つめてくる。嘘は言っていない、たまたま視界に入っただけである。

 ぱき、と空気が音を立て鈴乃の髪を縁取るようにちらほらと雪が散る。室内の温度が数度低下し、暖房が作動する。次第に周囲に結晶まで漂い始め、機龍は焦って弁解する。

「ホントだ、ホントに見てないって! そ、それよりまた暴発しそうだぞ!」

「……一応、納得しときます。あと、これは意図的に発動しています」

「尚更タチが悪いぞ!」

「てへっ」

 慌てる機龍を愉快そうに眺めた鈴乃は、可愛らしく片目を瞑ってみせる。鈴乃は二人っきりの時、たまにこうやって戯れで魔法を発動させたりする。本人は遊びの一種のつもりかもしれないが、機龍にとっては毎度肝が冷える。気温の低下が収まり暖房も停止する。

 鈴乃の右手薬指には蒼く煌めく指輪が塡められている。指輪型のGDであり、肉弾戦に支障を来すというデメリットはあるが、片手で操作できるという面から両手が塞がることを嫌う現場肌の上級魔法師に好まれているタイプである。

 何だかアウェイな空気が漂っており、少々居た堪れない感じがするのでコホンと咳払いして口を開く。

「そ、そろそろ自分の家に帰ったらどうだ? 送っていくぞ」

「え? 私、今日はここにお泊まりしますよ」

「何でそんな決定事項みたいな口調なんだ!」

 何故かこちらが不思議がられた。鈴乃はすっくと立ち上がり、ソファの陰から一つ大きな鞄を取り出す。ちゃっかり準備していたらしい。この流れだと一緒に寝るとか言い出す感じがするので、機先を制することにした。

「と、取り敢えず俺はソファで寝るから、鈴乃がベットで寝てくれ」

「折角兄さんと久しぶりに一緒に寝れると思ったのに……兄さんは、私と寝るの嫌、なんですか?」

 鈴乃はしゅんとした雰囲気を醸し出しながら、蒼く輝く双眸で機龍を見下ろしてきた。機龍は言葉に詰まりしばらく唸り続けたが、妹のその眼差しには勝てなかった。

「はぁ……。分かりました、一緒に寝ます……」

 機龍はとことん妹に甘かった。鈴乃はかすかに微笑し嬉しそうに機龍の右腕に自分の腕を絡めた。上機嫌に鼻歌を口ずさむ。そんな妹を見て機龍は自然と笑みを浮かべていた。



 翌日の放課後。

「あの、この騒ぎは何ですか? 普通こういうのは非公開するものじゃないんですか?」

「わたしはちゃんとそう進言したのよ。けど会長が……」

 何故か模擬戦は演習室ではなく、小体育館――通称「闘技場」で行われることとなったらしい。名は体を表すと言うが、闘技場は円形に造られておりまさにローマの闘技場を彷彿とさせる。聳え立つ巨大なコロシアムに足を踏み入れた機龍は現在、その闘技場に面した小さな部屋の石材で作られた椅子に腰かけていた。観客がすでに入っているようで、歓声が唸りながら届いてくる。

 機龍から非難の視線を送られた鳳凰はあはは、と笑って誤魔化している。試合前ですでにげっそりしている機龍に、傍らに座る鈴乃が追い打ちをかけてくる。

「観客動員数はおよそ全校生徒の半数といったところですね。赤神風紀委員長の爆裂系術式を間近で見れる経験は中々できませんから、この客数は予想の範疇です兄さん」

「はぁ……。もう、帰ろうかな……」

「それはそれで、機龍くんに悪評が付いて回ると思うけど……。けど帰りたいって行っても帰らせないからね、絶対! そうなったらわたし、赤神風紀委員長とパーティー組まないといけなくなる……。それだけは絶対に嫌よ!」

 鳳凰は不機嫌さも露に胸の前で両腕を組むとツンと顏を背ける。機龍はげんなりしつつも何となく返答する。

「ずいぶん仲が悪いんですね。地位に容姿、実力を鑑みても才子佳人なお二人だと思いますけど……」

「悪い冗談ね。誰があんな人と……!」

 機龍をじろりと睨みつつ憤怒も露に傍らの石柱を蹴飛ばす。しかし痛かったようで、体を蹲らせていた。昨日と随分キャラが違うなと思いつつ、これが本来の彼女の姿なのだろうかと考察する。

「兄さん、現実逃避をしても無駄ですよ。ここまできたら腹を括るしかありません」

「すずのん、いつになく厳しいわね。けど、なんかごめんね機龍くん。わたしもまさかこんな大事になるとは思ってなくて」

 激痛から回復したらしい鳳凰がこちらに歩み寄り、申し訳なさそうに眉を下げてぺこりと頭を下げる。機龍は身振り手振りで気にしていないと伝える。

「いや、先輩が謝ることじゃありませんよ。最終的に模擬戦を申し出たのは俺の方ですし、謝るのはむしろこんな大事にした会長さんのほうであって」

「あらら、もしかして悪いことしちゃったかなー。そうだとしたらなんかごめんね」

 控え室入り口から無邪気さを漂わせた声が流れた。そこには一人の女子生徒が腕を組んで直立していた。昨日のあの生徒会長である。

 ――確か名前は……。

「琴音ちゃんと同じ二年の紫音杏奈だよー。いやーあんな公衆の面前で模擬戦申し込まれちゃったら非公開にするわけにもいかないでしょう。それに良い機会じゃない、これで機龍ちゃんが赤神の御曹司ちゃんに一泡吹かせればどのクラスも競争心が高まってよりよい技能向上に繋がるんじゃないかなー」

 快活にそう持論を展開する女子生徒が今期の生徒会長の紫音杏奈。海軍と空軍を取り仕切る紫音家の令嬢。美少女なルックスに長身で均整の取れたプロポーションに相まって、いっそ毒々しいとも言える蠱惑的な雰囲気を醸し出している。

「猛毒の杏奈……」

「おお、少年! その異名を知ってくれているとは。いやーなんか嬉しいねー。けどそこはあたしの美貌を褒め称えて妖精女王ティターニアと呼んでほしかったなぁ。んー、マイナス二十点っ!」

 朗らかに笑いつつ機龍の正面まで近付くと、わしゃわしゃと髪を撫で付けてくる。ずいぶんと砕けた印象を受ける女性だった。しかしその口調に対し、体は妖艶さを漂わせており今も視界の端に抜けるように白いしなやかな脚が映り込んでいて、慌てて視界から外す。

「あの、手を離してもらっていいですか?」

「どうしよっかな~」

「うぜぇ……」

 途轍もなく面倒くさい人だった。強引に頭を上げてその手から逃れる。隣にちょこんと座っている鈴乃が目を丸くして紫音に感嘆の声を送る。

「紫音会長、そこまで考えて模擬戦を承認したのですね」

「騙されちゃ駄目よすずのん。この人は面白さ追求で人生を謳歌してるから」

「琴音ちゃんひどーい。あたしそんな自由人じゃないよ、まあ面白そうと思ったのは事実だけどね」

 心底愉快そうに笑いながら堂々と薄情する紫音を見て、イメージとのギャップに内心で驚いていた。

 紫音杏奈。毒属性を司る紫音家は「難攻不落」の異名を持つ黄昏家の次に防御魔法を得意としており、その戦法は「確乎不抜かっこふばつ」と呼ばれている。自分の体の表面に膜状の防御魔法を展開し、相手の攻撃を防ぎつつ周囲に毒属性魔法を散布し敵をじわじわと弱らせていき、その様を安全地帯で見物するという残忍な戦い方である。

 彼女は紫音家でも類を見ない才女であり、校内でも古今無双の生徒会長として羨望と畏怖を集めている。恐らく制圧力なら鈴乃の上をいくだろう。

 天真爛漫といった体の紫音は途端に真剣な顏になると、腰に両手を当てずいっと顏を寄せてくる。嫌な予感がしたので思わず仰け反る。

「ところで機龍ちゃん、勝算はあったりするのかな?」

 息遣いの聞こえる距離で、囁き声で問い掛けられる。近すぎるその距離に鈴乃が柳眉を逆立て、鳳凰が何故か冷たい視線を降り注いできた。

 視界の全てを魅惑的な顏が覆う。小ぶりな鼻に艶のある紅色の唇、ほんのり赤い頬に尖るような顎先。吊り上がった切れ長の瞳は鋭く、アメジストのような輝きを放っている。誘惑的な甘い匂いが鼻腔を刺激する。

「赤神ちゃんの種子島での実績はあたしも知ってる。当校でも四本の指に入る遣い手、爆裂系術式は集団戦向きだけど、個人戦はあくまで苦手ってレベルだよ。一対一で勝てるヤツはここにいる美少女三人くらいかしらね」

 語尾にハートマークが付いていても不思議ではない口調だった。機龍は苦笑しながら返答する。

「まともに戦っても勝ち目がないことは理解しています。あと自分もちゃっかり美少女に入れるんですね」

「そりゃあたしは山紫水明な美少女だし」

「杏奈会長、紫が入ってるからって引用しないでください。あとくっつきすぎです」

 鳳凰が眉を顰ませ、硬い口調で指摘しつつ力づくで紫音を引き剥がす。「やんっ」とやたら扇情的な声を出した紫音は、にやにやと悪そうな笑みを浮かべる。

「あらら、もしかして鳳凰ちゃんヤキモチかなぁ。機龍ちゃんモテモテだねぇ、これは明日から枕を高くして眠れないね。知ってる? 鳳凰ちゃん、あんまりにも可愛いものだから無数のファンがいてね、中には偏執的に崇拝する人とかストーカーまがい、反対に敵視する人もいたりして色々と苦労しているのだよ。多分赤神ちゃんもその口じゃないかなぁ」

 「琴音ちゃん可哀想っ!」なんて叫んで紫音は鳳凰に抱きつく。鳳凰は鬱陶しそうに拘束から逃れようとするが、あまりにも紫音がしつこいので半ば諦めている状態だった。そこで不意にはしばみ色の瞳が機龍を見つめた。その瞳の奥に縋るような色を見た気がして、僅かに息を呑む。

「兄さん、見つめ過ぎです。不愉快です」

 数秒間ほど見つめ合ったところで鈴乃が止めに入る。刺のある声音が耳朶の叩き、機龍を目を逸らす。そして吹っ切れたように思い切り立ち上がる。何だか俄然負けたくなくなってきた。

「審判は紫音会長がなさるんですよね? 公平なジャッジをお願いします」

「もっちろん! 不正があればすぐに麻痺毒で力づくで止めるから!」

 鳳凰に抱き付いたままビシッと敬礼する紫音に頷き返す。生徒会長印の押された許可証と引き換えに取ってきた刀剣型のGDを握り、四角に切り取ったような光の中へ歩みを進める途中で、鳳凰の肩をぽんと叩いた。そして力強く囁く。

「絶対勝ちますから」

「うん、頑張って」

 凛とした響きを持った声が鼓膜を震わせ、気合を入れつつ遠雷のような歓声の中へと踏み込んだ。



 赤神悠真は機龍とは反対側の控え室から姿を現した。機龍が入場してきた時より一際大きい歓声が上がる。円形の闘技場を囲む観客席は大多数が埋まっており、そのほとんどがA~Cクラスの生徒たちであった。皆が身の程を知らない一年が無様に敗北する様を期待している様子だった。

 赤神は無造作に足取りで中央付近、つまり身の程の知らない生意気なグローブアマランスの元まで歩み寄った。

 二人の中間の位置に離れて立つ紫音が音響拡散系術式を用いてルール説明を始める。

「皆さん静粛に! ルール説明をします。 今からあたしが双方に防御魔法を発動させます。勝敗は一方が負けを認めるか、審判の発動させた防御魔法の許容ダメージを超えた場合に決します。あ、例え許容ダメージを超えてもすぐに防護膜は破壊されないので安心してください。双方十メートルの距離を取り、審判の合図があるまでGDを起動させないこと。以上のルールに従わない場合は、その時点で負けとします。あたしが麻痺毒で即座に行動不能にしちゃうから覚悟するように。以上です」

 ざわめきが収まっていき囁き声へと変化する。機龍と赤神が頷き、十メートル離れたところで向かい合う。

 双方共に嘲笑も挑発もなく引き締まった表情をしているが、赤神はほぼ勝利を確信していた。

 まずこのルールは自由騎士の実戦を想定した形で構成されている。故に不平等極まりない。まず、この間合いは拳銃形態のGDの攻撃は届いても刀剣型のGDは届かない。それが近接型GDの短所である。お互い制服のままであるが、靴タイプのGDの使用は許可されている。機龍はまず、移動魔法で加速し剣の間合いまで距離を詰めなければならない。

 機龍の得意とする魔法は、無属性の振動系術式。あの術式は防御魔法を無力化するために開発された術式であり、高周波の振動により防護膜を構成する密集・連結された記憶粒子パレティクルを拡散させ、「怒」の感情記憶を媒介とすることで直接分解・無力化する。

 つまりあの刀身を打ち付けられれば、ほぼ一瞬で勝敗が決する。この防護膜は恐らく「哀」の感情記憶も媒介とし、刀身越しに相手の演算能力を阻害することもできるだろうが、時間稼ぎにもならないだろう。それほど高性能な術式である。

 だがしかし、どれだけ高威力の術式を発動したところで、歴然とした射程距離の差は埋まらない。こちらは物理的には引き金を引くだけでいい。

 この種の勝負は先に魔法を当てたほうが勝つ。例え一撃で仕留められなくても、攻撃を受けても即座に演算を再開できるほどの精神力を持ち合わせた魔法師は、そうはいない。

 そして何より自分はAクラスで彼はDクラスである。演算速度、GDへの記憶粒子の伝達速度、術式構築速度、全てにおいてこちらが勝っている。どう足搔いたところでただの自由騎士が紅蓮の悠真に敵うはずがない。

 そう赤神が考えたところで油断とも自惚れとも言えなかった。自分はあの鎮圧作戦で多大な功績を上げた。生意気なあの一年も作戦に参加していたが、コンビの命も守れない屑野郎だ。

 今では相方もいない秋風索漠な男、憐れな一匹狼。そんな男はあの鳳凰家の令嬢には相応しくない。分家風情が粋がるとどうなるか、教える必要がある。

 赤神は右手の拳銃形態のGDを床に向け、機龍は刀剣型のGDを左腰に下げたまま微動だにしない。悠然と左足を引き、半身に近い姿勢で構えている。

 その姿は深山幽谷と表現するほど落ち着き払っていた。瞬時に赤神の全身を言いようのない不安感が包む。

  ――なんだあの雰囲気は……。悄然と萎縮するわけでもなく、泰然と堂々としているわけでもない。

 その時、漆黒の双眸と目が合った。その澄んだ瞳から圧倒的な気合を迸らせてきた。殺気と形容するしかない凄まじい圧力。赤神は思わず気圧され、半歩後退る。

 そこで怖気づいている自分に気付き、内心で己を叱咤する。奴はグローブアマランス、恐れる必要など皆無だ。眦を決した赤神は、その視線を正面から受け止めた。

 大きく息を吸い、止めて、ゆっくりと吐く。意識を戦闘モードに切り替え、戦闘を求める衝撃に掛けた手綱を引き絞る。全身の血流が早まっていく感覚と共に、知覚が加速していく気がする。

 周囲の歓声はもはや小さな波音までミュートされ、景色の色彩すら微妙に変化しているような気がする。研ぎ澄まされた冷たい糸が全身を貫いていくのを体感する。

 双方、紫音の合図を待つ。

 荒れ狂う人垣が試合の開始を察知し、静まっていく。

 場が静まり返り、張り詰めた緊張が場に満ちて静寂が完全なる支配権を確立した、その刹那。

「始め!」

 赤神と機龍の決闘、その火蓋が切って落とされた。

 瞬時に赤神の右手が閃く。座標、出力、などを無意識下の魔法演算領域で高速演算。GDにパレティクルを送り込み、「怒」の感情記憶を媒介に爆裂系術式を構築。銃口付近に真紅の魔法陣を出現させ、魔法を展開。

 火属性魔法から派生する領域侵犯系術式「業火爆撃ヘルフレイム」を発動。引き金を数回引き絞る。

 転瞬、機龍の周囲の空間が陽炎のように揺らめいた。この術式は言わば、弾殻のない爆風のみの攻撃手榴弾コンカッションのようなもの。それ故に至近距離でなければ、殺傷能力は低い。

 だが、効果は手榴弾でも実際は魔法の発動である。展開範囲は、機龍の背後を除いた範囲全て。当然、頭上も含まれる。

 気体を圧縮し生み出された圧縮空気の塊だ。爆発直前の急な寒気と耳鳴りは、気圧による現象である。周囲の気体を集めれば気体が下がり、気温も低下する。耳鳴りは軽い減圧症、空間が陽炎のように揺らいで見えるのは、集められた空気の密度差によって光が屈折したから。

 急激に圧縮された空気はしばらく熱を持つ。圧縮された空気が一気に元の体積まで膨張するため爆発を引き起こす。

 圧縮空気爆弾の生成、それが爆裂系術式の正体である。赤神クラスともなれば爆弾の生成に二秒とかからない。そしてその数秒の間で、逃走経路を見出し回避行動を取ることは、至難の技。

 例え、ほかの爆裂魔法師との戦闘を経験していたところで、初見でこの発動速度に対応できる記憶魔法師は極めて少ない。入学から二年近く負け無しの赤神悠真による小手調べ。

 周囲に目を走らせ驚愕に目を見開く機龍。ほぼ全方位への爆撃、ヤツの処理能力では移動魔法の発動は間に合わない。勝利を確信した赤神の顔に隠しきれない狂喜の色が浮かぶ。

 爆発。

 大気を震動させる爆破が爆音となって轟く。空気を焼く爆炎が機龍を暴力的なまでに包み込み、灼熱の業火が機龍に殺到する。爆炎に呑まれて視界から機龍の姿が消える。

 例えダメージはなくとも、衝撃までは殺し切れない。肌を焦がすような熱波と爆風は防ぎ切れない。それが防御魔法の特性である。

「終わりだ(ジ・エンド)」

 ――気絶できれば僥倖だな。

 心中でそう呟き、魔法発動態勢を解こうとしたまさにその時。

「……なん……だと……!?」

 乾いた声が口から流れた。驚愕が赤神の顔に満ちる。前方の現象を脳が理解しようとしない。

 一瞬前、確実に爆炎は機龍を包み込もうとした筈だ。しかし刹那後、機龍の前方で爆破した紅蓮の火焔は、機龍の背後に流れるように逸れていく。


 まるで受け流されたかのように。


 爆風が機龍の前髪を揺らす。漆黒の双眸には一切の動揺も恐怖も焦燥の色も浮かんではいなかった。ただ真っ直ぐに鋭利な眼光を迸らせている。爆炎と爆風を背負い、悠然と前傾姿勢を取ったと思ったその瞬間。

不意に、機龍が一陣の黒い疾風となって、地面ギリギリを滑空するように突進してきた。赤神は危うく、短い悲鳴を上げそうになった。移動魔法を発動させた様子はない、にも関わらず瞬間移動と見紛うほどの速力だ。

 生身の肉体には成し得ないような動きで、機龍は一息に五メートルほど距離を縮めた。驚愕が冷めやらぬ赤神は、それでもトリガースプリングを軋ませ魔法を展開させる。

 機龍の前方の空間が揺らぎ直後に爆風が吹き荒び、火焔が対戦相手を襲う。しかしその業火は標的を襲撃することなく、防護膜を僅かに掠めて後方に流されていく。座標計算に狂いはない、それなのに魔法が直撃しない。

「……ぜだ。何故だッ! なんで当たらない!!」

 驚愕の叫びが口から迸る。魔法を受け流す魔法なんて聞いたことがない。いや、あれは本当に魔法なのだろうか。

 混乱する赤神とは対照的に、機龍は爆発を意にも介さず、空気を切り裂きながら猛進し、腰に吊るした剣の柄に手をかける。突如、紅の幾何学模様が鞘の表面に這い走る。

ッ!!」

 耳を聾する爆音が轟く中で、赤神は確かにその鋭い吐息を聞いた。

 機龍を疾走の勢いそのままに右足を軸に一回転し、遠心力をかけながら鞘走らせる。

「紅覇流抜刀術弐番式――」

 チン、という鯉口を切る音が鋭く響く。添えられた左手が鞘に備え付けられた引き金を絞る。雷撃の速度で機龍の腰の剣が抜き放たれた。

「『八相発破はっそうはっぱ』ッ!」

 ピィンという音が赤神の聴覚に届いた直後。

 赤神の体に灼熱の衝撃が激突し、右脇から左胸へと抜けた。体が嘘のように吹き飛ばされ、宙を流れる。斬撃の衝撃音が闘技場の石畳を突き抜ける。

「ぐっ……はっ!」

 あまりの衝撃に一瞬視界が暗転した。しかしそれでも、赤神は両足を地面に接地させて転倒を防ぎ、靴底に火花を散らしながら床を擦過する。十メートルほど後退したところで停止し、瞬時に右手のGDを構える。そして目を剥いた。

 いつの間にか機龍が視界を覆い尽くす近距離に接近してきていた。半ば恐慌した赤神は躊躇なく引き金を切ろうとし、



 その両腕が斬り飛ばされる。


 

 斬り上げからの一閃に、返しの一閃。腕を大根のように切断した。断面から真紅の血液が迸り、

 赤神は意識を刈り取られた。



 静寂が戻る。水を打ったような沈黙が闘技場に満ちた。勝敗はほんの数秒で決した。今の試合は十秒とかかっていない。

 鋭利な切っ先を喉元に突きつけられた赤神の体が崩れ落ちる。赤神のその体は、そのどこにも傷一つ付いていない。

 全校生徒の半数、つまり四百五十人が呆然と絶句した。痛いほどの静寂の中で機龍は残心し、刀を右側に切り払って鞘に納める。

「……勝者、紅露ノ機龍」

 紫音の半ば魂の抜けたような勝ち名乗りが、残響の尾を引いた。

 勝者の顔に喜悦や愉悦はない。その相貌は、澄み切った泉のような清白さを宿していた。



「機龍さん!」

 駆け寄ってきた鈴乃が両手でぎゅっと機龍の手首を摑んだ。残心を解いた機龍の容貌から清白さが消え去る。機龍は微笑む鈴乃に頷き返す。

 二人の動向を見てようやく観客の硬直が解ける。途端に嵐のような歓声が、D~Fクラスの生徒たちから巻き起こる。対照的にA~Cクラスの面々には重い沈黙が広がっていた。

「機龍くん……」

 鈴乃に続いてこちらに駆け寄ってきた鳳凰は、機龍の傍らで立ち止まると、その輝くはしばみ色の双眸に、焦がれるような熱を湛えて上目遣いで見つめてきた。機龍はその熱い視線に僅かに息を呑む。

 絡み合う視線は、長髪のスモークパープルの女性によって断然された。

「機龍ちゃん! なになに今のなにぃ! あたし好奇心で死んでしまいそうだよ!」

 走り寄ってきた紫音は鈴乃を押しのけ、抱き付いてきた。なんとか体勢を立て直したが、如何せん顔の数センチ先でオニキス色の瞳が爛々と輝いている。機龍の胸に柔らかい双丘がぶつかり、柔らかく潰れ形を変えていく。その感触と光景に機龍の頭がカッと熱くなる。

「ちょ、ちょ、紫音会長っ! 離れてください! 色々とまずいです!」

「ね、ね、早く種明かししてよぉ! なんかスルーってなったかと思ったら、ザンっていって、ガガーッてぶつかって吹っ飛んで、気付いたら赤神ちゃんが気絶してるしぃ!!」

 擬音のオンパレードだった。興奮でなめらかな頬が紅潮している。まったくこちらの話を聞こうとしない紫音に、しゅしゅしゅと手を振るだけの機龍。

 しかしその密着状態は長くは続かなかった。むんずと華著な腕が二本、紫音の体を引き剥がした。

「紫音会長、近づき過ぎです! にい……機龍さんが困ってるじゃないですか!」

「そうですよ! あと機龍くんも鼻の下伸ばさない!!」

 鈴乃が眉を吊り上げて憤怒し、鳳凰がギロリとはしばみ色の瞳に剣呑な光を灯らせ、機龍を射殺してくる。

 闘技場の中央で千紫万紅な光景が繰り広げられ、見ようによっては機龍が美少女三人に言い寄られているようにしか見えない。しかもその三人は無数のファンがいると推定される少女たちだ。途端に渦巻く歓声がブーイングの嵐に変貌した。ありとあらゆる罵詈雑言が機龍に殺到する。

「あ、あとで説明するんで! 俺はここで!」

「ちょっと機龍ちゃん! 逃げんなぁ! 二人とも離しせぇ、機龍ちゃんは紫音家が引き抜くのよ!」 

 そんな捨て台詞を吐きつつ気絶している赤神を背負って、自分の出てきた控室とは逆の方向へと走り去っていった。



「うっ……こ、ここは……?」

「気付きましたか、赤神先輩」

 取り敢えず気絶した赤神を控え室の横長の椅子に寝かせた機龍は、両腕を組んで壁に背を預け、若干船を漕いでいた。そこに赤神の呻き声が聞こえたので慌てて意識を覚醒させる。

 機龍の声に勢いよく上体を起こした赤神は、目を白黒にさせた後に顔を青褪め、自身の両腕をさすった。まるで自分の腕が存在していることを確認するかのように。

「勝負は俺の勝ちです」

「っ!? そうか、あれは一体……?」

 腕が現存している事実にかすかに安堵の表情を作り、記憶を辿るように視線を宙に泳がせ、不意に何かを合点したかのように歪められる。

「貴様ぁ……僕をコケにしたのか!」

「そんなつもりはありませんが。ちょっとした遊びですよ」

 澄ました顔で淡々と告げる機龍に、赤神は端正な顔を憤慨の赤に染める。 そう、あれはただの遊び。黒乃鈴乃が遊びの一種で氷属性魔法を出力させるように、赤神が見たあの「錯覚」は機龍が戯れに放った殺気の産物に過ぎない。

「まさか、気絶なさるとは思いませんでしたが」 

 正直な所、この一言は余計だった。

「貴様ァ……! あんな反則技を使っておきながらいけしゃあしゃあと……!!」

「反則技?」

「そうだ! 魔法を逸らす魔法なんて聞いたことがない!」

 赤神は顔に憎悪の色をありありと浮かべつつ軋る声で叫ぶ。その憤激を肩を竦めて受け流した。受け流すのは得意だ。

 ――反則か……。普通の魔法の才能を永遠に消失する代わりに得た、別の才能だ。それも記憶魔法師社会で評価されることのない才能だ。

 特異体質は、犯罪者の捕縛や殺害を生業とする自由騎士の中でしか輝かない才能だ。これを持ちえている、それがまた機龍が自由騎士を目指した理由の一端だった。

 憎々しげにこちらを睨んでくる赤神に淡々とした声を投げる。

「紅覇流抜刀術」

「っ!」

 伏せていた目を上げて息を詰める赤神を見据える。真剣な表情で芯の通った声で続ける。

「それが先輩が敗北した技の名です。ご存知ですよね」

「……ああ。紅覇はウチの分家だ。貴様は紅覇一門の門下生ということか」

 神妙な顔で返答してきた赤神から視線を外し、石壁から体を離して出口へ向かう。もう話すことは何もない。赤神は憤然と立ち上がり、去ろうとする機龍の腕を摑む。そして憎悪の込められた声で喚く。

「貴様はまた……またコンビを殺すつもりかッ!!」

 赤神も種子島の作戦に参加していた。故にその事実を知っていても不思議ではなかった。無理はない、機龍と彼女は自由騎士の業界ではそこそこ名の知れたコンビであったのだ。

 鋭い疼痛を胸元のペンダントを握ることで抑える。僅かに奥歯を嚙み締めつつもそちらに一瞥もくれずに、抑揚の薄い声で言い返す。

「鳳凰先輩はお強い方です。彼女は死にません、俺が全力でお守りしますから。俺も忠告しておきますよ赤神先輩。紙一重級の崇拝者なのはどうでもいいですが、もう少しご自身の立場を弁えることをお薦めします」

 そう吐き捨て赤神の反応を見ることなく、背中を向けて出口へと歩みを進める。すると背後から怨嗟の叫び声が轟いた。

「殺す……貴様……絶対に殺すぞ……!!」

 最後にちらりと肩越しに振り向いた先には、ゾッとするほど憎悪に染まった険悪な表情があった。その顔はいやに視界に残像のように貼り付いた。



「あの先輩……」

「なにかな、機龍ちゃん?」

「その、近いです」

 闘技場から出た機龍は紫音に待ちぶせを食らい、引き摺られるようにして生徒会室に連行された。当然のようにあとの二人も付いて来たのだが、その二人は現在机を挟んで椅子に座っていた。

 ほかの生徒会メンバーは出張らったらしく、一種ハーレムな状況ではあるのだが如何せん、目の前から殺気の込められた視線の集中砲火を浴びせられていては愉快な気分にはなれない。

「機龍さん、不潔です」

「機龍くん、あとで覚悟しときなさいよ」

 双方が殺気を放ちながら白い顔に極冷気の笑みを浮かべている。目が全然笑っていないので恐怖でしかない。背筋に重い寒気が走る。冷や汗がダラダラと流れた。

 緊張感のある雰囲気の中で、機龍の隣に座る紫音だけが楽しそうに微笑んでいる。

「あらあら、もうすぐ冬だというのにおかしな奴だねぇ。お姉さんが拭いてあげよう」

 にこりと笑み、顔を寄せてきたかと思えばちろりと赤い舌で頬をぺろりと舐めてきた。ぞくぞくと総毛立つ。

「ひやっ! 紫音先輩なにして……!?」

「なにって……汗を舐めただけだけど? いやー塩分補給は大事だよねぇ」

「老廃物舐めないでください!」

 当の紫音は目をぱちくりとさせて、きょとんと小首を傾げる。本気で理解していない顔だった。その機龍にさらに冷たい視線が向けられる。

 現在、紫音を除く三人はもれなく麻痺毒の餌食となっており、指先一本も動かせない。辛うじて表情筋を動かせる程度である。そして紫音は動きを封じられた機龍の右腕に自分の腕を絡めていた。豊満なふくらみに腕が埋もれてしまい、触覚を蠱惑的に刺激する。

 少し目線を下げれば大きく露出した首元が見えてしまう。しかし見ようものなら雷と氷の二重攻撃を食らいかねないので、内的葛藤をしつつ努めて視線を正面に固定する。

「えーと、それで。何から説明すればよろしいのでしょうか?」

「そうだねぇ……あの斬撃と移動は何? 移動魔法は展開していなかったけど」

「あれは正真正銘、身体的な技術ですよ。俺は八才の頃から紅覇一門の門下生なんです」

 淡々と答える機龍に対し、傍らの紫音は息を呑む。そして紫の瞳を爛々と輝かせる。

「紅覇家って戦闘術と抜刀術を極めている名家よね。ってことは純粋な剣術では右に出る者はいないと称されるあの紅覇才蔵の指導を受けてるってこと?」

「まあ、そうですが」

 紫色の瞳がきらりと輝き、華麗な容貌がさらに近づけられる。機龍の首筋に柔らかい吐息がかかるたび首筋がビリビリする。投げられる視線の温度がさらに低下した。

「じゃあ、あれが抜刀術かぁ。けどあれって……」

「そうですよね。あれは明らかに振動系術式が発動されていたけど、拳銃形態じゃなきゃ遠隔射撃術式は展開できないし、刀剣で振動系術式は飛ばせない」

 依然として眼差しは鋭いが、鳳凰も問い掛けてくる。もっともな疑問に頷き返す。

「そうですよ。だからまず斬撃を飛ばしてそれに振動系術式を組み込む。そうすれば堅牢な防護膜にも対抗できます。鞘に爆裂系術式を施して、刀を撃発させる。鞘をカタパルト代わりに加速して刀を射出するのが、紅覇流抜刀術です」

「射程距離のある斬撃……!?」

 鳳凰が目を丸くして白い顔に驚愕の色を滲ませる。機龍の発言に紫音がさらに感激したかのように瞳を煌めかせ、鈴乃が自慢げに微笑む。

「抜刀の間合いは、刀の長さに使い手の腕の長さと踏み込みを合算したものです。機龍さんは実際の間合いの三倍まで切り裂けますが、それも二年前のデータです」

「ほう。まだまだ伸びしろがあると……ますます魅力的だねぇ。それで、ここからが本題。あの受け流しは一体どういう原理なのかな?」

 鳳凰は妖艶な笑みを消して、真剣味を帯びた表情で問い掛けてくる。機龍、鳳凰、鈴乃の三者に僅かな緊張が走る。機龍はかすかにため息を吐いて、気負いなく白状する。

「紫音先輩は、特異体質って言葉、知ってますか?」

 紫音はかすかに眉を寄せ、小さな顎に指を添えて記憶を探るように宙に視線を泳がせる。

「……風の噂で聞いたことがあるわね。何でもGDを使わずに、魔法を発動させることができるって」

「はい。といっても現代の常識ではデバイスを使用しなければ、魔法は発動できない。従って、魔法というより超能力・ESPと呼んだほうがいいですね」

「機龍ちゃんの特異体質は、魔法を受け流す能力ってこと?」

 神妙な顔で首を傾ける紫音に機龍は首肯する。

 特異体質は一般的には世間で知られていない。その原理や発現条件も判明されておらず、機龍が知るだけでも日本国内では七人。世界規模で見ても四十人ほどと推定されている。

 ――いや、正確には七人いた、である。

「それって、恐ろしい能力よね。どの属性の魔法も、どの系統の術式も全て受け流すってことでしょ? 戦略級魔法って呼称しても差し支えない」

 紫音が半ば戦慄した表情で見つめてくる。それに機龍は軽くかぶりを振った。

「だからこそ衆人環視の中で見せたくんはなかったんですがね。それにそんな使い勝手がいい能力でもないですよ。説明は以上です、そろそろ離していただけませか?」

 根掘り葉掘り訊かれる前に、強引に会話を打ち切り、機龍は嘆息混じりに呟く。特異体質自体は機密事項ではない。ただ機龍のその発現方法は守秘義務があった。機龍の特異体質の裏には、黒乃家の隠し通したい秘密があるからだ。

 未だ驚愕の色が抜け切らない紫音は、促されるままに腕を解こうとして――

「なんてねっ」

「う、うぜぇ……」

 お茶目に片目を瞑ってみせる紫音に、機龍はぴくぴくと頬を引き攣らせる。腕に抱き付いたままの紫音は右手の細く白いすべすべした手を、機龍の胸元に差し込み円を描くように撫でる。そして軽く頬を上気させつつ、妖艶な笑みを浮かべ上目遣いで見つめてくる。

「機龍ちゃん、自由騎士なんか辞めてあたしの所に来ない? 君なら空でも海でも通用する。今なら紫音家の娘に好きな時に好きなことを好きなだけできる権利も付いてくるけど」

 ぴたりと体をくっつけてきて、機龍を色香で惑わそうとする。首元からは流麗な鎖骨が覗き、セーラー服を押し上げるふくらみが腕に押し付けられぐにゃりと形を変えている。

 絶句する機龍の目と鼻の先にある潤んだ両目が、獲物を狙うハンターのようにきらりと輝く。紅色の唇が機龍の頬を掠めようとした。

 ばき、と一際大きな凍結の音が生徒会室に響き渡った。

「機・龍・さ・ん!!」

 麻痺毒で硬直させられたままの鈴乃の周囲に、掌サイズの氷塊の数々が加速度的に生成されていく。急激に低下した気温に隣の鳳凰がぶるりと体を震わせる。

 鳳凰が顔を蒼白にしながら強張った口調で宥めようとする。

「す、すずのん。流石にそれはマズイかも……」

「生憎、私は琴音さんほど大人ではありません。もう我慢の限界です、あの二人を凍らせます」

 底冷えするような声音で宣言した鈴乃の眼光は冷たく鋭い。蒼銀色の髪が僅かに逆立つ様は、まさしく猫のようである。鈴乃は額の両側に結わえた房の穂先を宙に泳がせる。

 臨戦態勢に入った鈴乃を見やり、紫音は不敵な笑みを滲ませる。

「へぇ。あたしの毒を受けてもその干渉力、感服するよ。いいよ、相手になってあげる」

「ちょっと、なんで張り合おうとしてんですか!? 止めてくださいよ! 俺だって標的にされてんですよ!」

 好戦的な口ぶりで瞳に獰猛さを宿らせる紫音は、右手を翳す。その細い指に塡められた指輪型のGDが紫色に煌めく。一触即発の空気の中であっても、紫音は機龍にぴったりくっついたままだった。

「いやあんた戦う気ないだろ!! 離してくださいよ! 鳳凰先輩、助けて……って先輩も毒にかかってた――!! す、鈴乃? 落ち着け、な?」

 機龍が曖昧な笑顔で制止を図ったが、その笑みをどう受け取ったのか鈴乃はさらに眦を鋭くした。

 ばきばきばきばき、という音が聞こえた。

 大気がけたたましい音を振りまいて罅割れた気がした。冷気を纏った鈴乃が憤激も露に叫ぶ。

「凍……ちゃええええっ!」

「やめろおおおおっ!!」

 対照的な叫び声を上げる兄妹に巻き込まれる、美少女たちの姿がそこにはあった。数秒後、機龍の断末魔めいた絶叫が木霊した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ