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決闘・模擬戦

 ――どうしてこうなった?

 機龍は何度目かの疑問を胸中に満たした。

 学生食堂に隣接したラウンジの入り口で機龍は立ち尽くしていた。半円形のラウンジには瀟洒な白い丸テーブルが余裕を持って配置され、高貴な雰囲気を醸しだしている。間違いなく桜峰高校で最も上等な空間である。

 故に、この空間はAクラスしか使用できない不文律がある。実際にテーブルを囲む生徒たちの左胸にはAの文字が記され、黒、赤、臙脂色のリボンとネクタイが入り混じっている。

 そして今は昼休み。大半の生徒たちはコーヒーや紅茶のカップ片手に談笑していた。つまり過去形、現在は確かな非難と不快を含めた視線を一斉にこちらに向けている。

 入学当初ならいざ知らず、二学期の半ばでAクラス以外立入禁止の慣習法を知らない筈がないのだ。周囲から浴びせられる視線はもはや耐え難く、機龍は意を決して棒立ちの体を前進させる。向かう先は直線距離で二十メートルもないラウンジの最奥。そこには一際異彩を放つ集団がいる。

 人数は五人。腕章を付けている点から見ておそらく現生徒会メンバーだろう。方向性に差はあれ、皆揃って眉目秀麗である。

 機龍は刺のある視線を受けつつテーブルの間を縫うように進み、ついに生徒会メンバーが占拠するラウンジの最奥部に辿り着いた。見目麗しい男女は一様に訝しげ、好奇心、嫌悪などを含めた視線を向けてくる。

 高い背もたれに身を預けていた女子生徒が立ち上がり、数歩歩み出て機龍に前に立ち塞がる。高身長に鋭い切れ長な両眼、腕章には庶務の文字。黒色の瞳に敵愾心を充満させ、後ろで束ねた漆黒の髪を僅かに揺らして口を開く。

「あら、なにか御用かしら。Dクラスの一年生」

 その言葉に明確な悪意が含まれていたことはきっと錯覚などではない。周囲から注がれる非難の視線がさらに増強された気がした。またもやアウェイな空気が押し寄せる。その時、綺麗に澄んだ声が響いた。

「用は私よ。漣庶務、彼に道を空けてもらえるかしら」

 その声の主と同じテーブルに座っていた女子生徒がゆったりと雅な動作で腰を上げ、その庶務の肩に手を置く。

「だってカレンちゃん。琴音ちゃんは彼に大事なお話があるみたいだから退散しましょ」

「しかし会長っ」

 漣庶務は振り返り会長に食ってかかったがやがて力なく頷く。機龍が取り敢えずお礼を言うと、その会長と呼ばれた女子生徒はこちらを覗き込むようにじーと見つめてきた。高い美貌を有する顔が近づき少しドギマギする。

「あの、なにか?」

「キミがあの黒乃ちゃんね……」

「っ!」

 その言葉はニュアンスが違っていた。この女は機龍のことを紅露ノではなく、黒乃と認識している。情報統制は黒乃家の総力を結集して完璧になされていた筈だ。会長は硬直する機龍の耳元でさらに囁く。

「双竜の片割れの魔法師殺し、ちゃん」

 慌てて体を仰け反らせる。機龍の反応を滑稽に感じたのか会長は悪戯めいた微笑を浮かべ、掌で自分が座っていた椅子を示す。問いただしたい衝動をなんとか堪え、軽く会釈して椅子に腰を落ち着かせる。

 心に疑念を残しつつ顔を正面を向けて思わず絶句した。目の前の女性は非現実的なまでに美しかった。彼女は軽く頬杖をついた姿勢で大きな採光ガラスから秋の色合いを僅かに残す中庭を、物憂げな表情で見渡している。生徒会メンバーの中で最大の存在感を放つ彼女は、可憐な横顔を晒していた。その様は一幅の絵画のようで、機龍の眼を釘付けにした。

 桜色の長いストレートヘアを両側に垂らした顔は小さな卵型で、細雪のようなきめ細かく白い肌は窓から差し込む淡い黄色の光の中で、一種凄絶な美貌を演出していた。上品さを漂わせる形の良い眉の下、大きなはしばみ色の瞳が眩しいほどの光を放っている。小ぶりだがスッと通った鼻筋の下で桜色の唇が彩りを添える。すらりと起伏に富んだ体は黒一色のセーラー服に包まれ、胸元に結ばれた赤いリボンが妙に可愛らしい。

 近くのテーブルで成り行きを興味深そうに見つめている生徒会の面々も、周囲で控えめにざわめく生徒たちも、まるで視界に入ることはなかった。いつの間にか見蕩れていた機龍は、我知らず感嘆の声を漏らした。

「……妖精姫」

 ふっとこちらに顔を向けた彼女は片眉をぴくりと動かし、複雑な笑みを浮かべた。

「その異名は素直に喜べないわね。わたしこれでもこの小柄な体のこと、気にしているのよ。漣庶務が羨ましいわ」

 副会長は少し拗ねたように心なしか頬を膨らませ、ぷいっと顔を背けてしまう。その様子を目の当たりにした周りの一部の生徒が軽く身悶えしている。そこで正気に戻った機龍は一つ咳払いをして、心の中に蟠った疑問を口にする。

「あの、一体どういう思考で食事に行き着いたんでしょうか? まるで理解できないんですけど」

「それは……機龍くんとお話がしたかったから、かな」

「なっ!?」 

 薄い唇の下に細く白い右手の指先を当て、首を傾けた鳳凰は一瞬思案するような表情を作り、口許にかすかな微笑を浮かべて答えた。その直情的な発言に周囲の人並みがしーんと凍りついた。命がけの任務に従事してきた機龍は、こういう場面に経験が浅く言葉を返すこともできず口をぱくぱくとさせた。

 そんな空気を気にもせず鳳凰は微笑を消さぬまま、ちらりとラウンジの入り口付近に視線を投げる。

「彼女が来たみたい」

「彼女……?」

 鳳凰は機龍の間の抜けた声にくすりと笑って見せる。その直後、言葉を失っていた生徒たちから大きなざわめきが巻き起こった。中にはマジかよとか嘘だろとか、ありえないとかいやぁーそんなーとか悲鳴じみたものまで混じっている。

 しかしその声は一瞬で搔き消えた。瞬時に無音の世界が訪れ、周囲はざわいついたままなのにその喧騒が聞こえることはなかった。明らかに魔法の効果によるものである。

 これは無属性魔法による音響遮断系術式である。まさに音の膜、この展開範囲内で発する音は絶対に結界外には漏れない。しかしあちら側の声は若干ボリュームは落ちるが、聞き取ることができる。つまり音の一方通行。しかも高出力な圧倒的密度を誇る高等技術、こんな魔法を使用できる人間を機龍は一人しか知らない。

 かつ、かつと高らかな足音がした。無音の世界に残響を引くその硬質な音の発生源に眼を滑らせる。

 視線の先に蒼っぽい美人がいた。静かさと儚さを同居させた雰囲気を全身から漂わせ、鳳凰の元まで歩み寄る。そして水のような静かな佇まいでこちらを見下ろしてきた。

 さらさらと細い髪は青みががった透き通るような銀髪で、無造作なショートだが、額の両側に結わえた細い房がアクセントになっている。しかしその髪型は手入れの行き届いていないタイプの無造作とは確実に一線を画していた。新雪色の肌は、病的なまでに真っ白である。くっきりとした眉の下に、猫科な雰囲気を漂わせるアイスブルーの大きな瞳が理知的に輝き、可愛らしい小ぶりな鼻と色の薄い唇がそれに続く。

 鳳凰はその少女にちらりと眼を走らせ、声をかける。

「とりあえず座ったら?」

「はい」

 少女は密やかながらも芯の通った声と共に首肯すると、近くの椅子を鳳凰の隣に置きそこにちょこんと座る。

 短時間で美少女二人と相対することになった機龍は、複雑な感情の込められた吐息を一つして感慨深げに呟く。

「……雷霆の琴音に氷結の鈴乃、か。豪華な取り合わせだな」

 蒼銀髪の少女は桜峰高校のトップ4に名を連ねる実力者にして、氷属性を擁する黒乃家の令嬢であり機龍の義理の妹である。同じ一年生でありながら彼女は入試を筆記・実技共にトップの成績を残し、四月の入学式で総代を務めた。すでに生徒会入りはほぼ確定とされており、空間掌握というただ一点において校内で彼女の右に出る者はいない。

 異名は各々の得意とする属性魔法から付けられた物だ。

「ずいぶんと久しぶりな感じがしますね、兄さん」

「っ鈴乃、おまっ!」

「もう会長にはバレてしまっているので隠す必要はありませんよ」

 泡を食って慌てふためく機龍を制するように、鈴乃は落ち着き払った声で告げる。鈴乃との関係性を勘ぐられないようにするため、校内ではできるだけ接触を避けていたのだ。その様子を見た鳳凰はからかうような笑みを滲ませる。

「ふふ、お兄ちゃんは妹のことになると態度が一変するわね。その鋭い刃物みたいな雰囲気もすずのんの前じゃあ和らいでしまうのか」

「琴音さん、そのあだ名やめて下さいと何度も申し上げているのですが」

「えーいいじゃない。可愛らしくてあなたにとても似合っていると思うけど」

「なんだかバカっぽいです、その呼び名」

 鳳凰は愉快そうに笑い蒼銀色の揺れる頭を撫でる。鈴乃はじろりと睨み返したがその手を素直に受け入れている。その怜悧な容貌には仄かに朱が差しており、あれはむしろ嬉しい時にする表情だと機龍は察した。

 鈴乃は昔から感情表現を苦手としており、美貌と実力から多数のファンはいたが特定の友人というのを持ち合わせてはいなかった。そんな妹に親しい友人ができたと思うと、自然と目頭が熱くなる。

「わたしが聞かれたくない話をする時はすずのんに結界を張ってもらっているの。そういう時は生徒会関係の話じゃないってAクラスの皆は知っているから……。なんだか騒がしくしてしまってごめんね」

 申し訳なそうにそう付け加える鳳凰に、気にしていないとかぶりを振ってみせる。それならあの反応も納得がいく。

「機龍くんとすずのんの関係はわたしが鳳凰家の力で調べさせてもらったわ。真実を知ったのはつい最近だから、中々の情報統制だったと思う。わたしは別に隠し立てする必要はないと思うけど」

 真剣味を増した顔でそう告げる鳳凰に、肩を竦めてみせる。

「誰もが鳳凰先輩みたいに寛容ではありません。鈴乃は将来を有望される記憶魔法師です。俺のような不出来な兄を持つという事実は鈴乃の、黒乃家の体面を傷つけることに成りかねません」

「兄さん、私はそんなこと気にしませんっ」

「鈴乃が気にしなくても当主は気にする。名門の息子が出来損ないという事実が知れたら、他の六家につけ込まれかねない。純色の七傑はいち早く戦略級魔法師を生み出そうと躍起になり、対立している」

 表立った争乱はないが水面下で我が記憶魔法師界の頂点に、と熾烈な争いを繰り広げている。純色の七傑は群雄割拠なのである。黒乃家と鳳凰家はそれほど険悪な雰囲気ではないが、それでも戦略級魔法師を生み出すという共通の目的を目指し、日夜鎬を削っている現状である。

「それで、お話とはなんでしょうか? 処罰は覚悟の上ですが、それだけではないんでしょう?」

「その通りよ。機龍くん、あなたの腕を見込んで頼みがあるの」

 真摯な眼差しを向け、真剣な声音でそう告げる鳳凰の言わんとしていることは、何となく察せたため機先を制することにした。

「先に言っておきます。俺は実技の成績が悪かったからFクラスに配属されたんです。そして自由騎士としてもまだまだ未熟、残念ながら高難度のクエストを提示されても、それは過大評価というものです」

 鳳凰の白い顏に僅かな驚きの色が浮かぶ。彼女の家柄を鑑みれば依頼の内容は容易に想像できた。

 鳳凰家はこの記憶魔法師世界で代々警察と陸軍を任される家系であり、本家と分家を含め凶悪な犯罪者を捕まえる者たちは正騎士と呼ばれる。しかしそれでも犯罪者の方が数が多く、正騎士だけでは手が足りないため自由騎士という商売が成り立つ。

 正騎士が直接自由騎士に仕事を依頼する場合は十中八九、正騎士ですら手を焼く、ないしは、関わりを避ける危険な魔法師を自由騎士に当てつけようとする。四年間、クエストをこなし続けてきている機龍の経験上、この手の依頼は危険極まりないケースが多い。

 いくら死にたがりと呼ばれようとも、本気で命を捨てるつもりはない。

 そんな心情を読んだかのように、鳳凰は小さくかぶりを振る。

「仕事の依頼ではないの。いえ正確には、わたしの仕事を機龍くんに手伝ってほしいの。端的に言ってわたしたちとパーティーを組んでほしいのよ。報酬は三等分になるけど、クラス昇格のためのポイントは機龍くんが独占できるからそこのところは安心して」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 流れるようにつらつらと説明していく鳳凰に待ったをかける。当人は小首を傾げつつ眉の動きだけで機龍を促す。隣の鈴乃もきょとんとしている。

「三等分ってまさか……」

 嫌な予感がして顏が引き攣る機龍に、鳳凰は澄まし顏で答えた。

「わたしとすずのんと機龍くんの三人よ。多士済々なパーティーだと思うけど」

「鈴乃は自由騎士でも正騎士でもありませんが! 妹は実戦経験に乏しく、自由騎士の任務は務まりません!」

「そんなこと、わたしの権限でどうにでもなるわ。特別に今回だけすずのんに手伝ってもらうだけよ」

「そういうことだから兄さん、私を守って……ね」

 鈴乃は頬を染めつつ上目遣いでそんなことを宣う。一体なにから突っ込めばいいのやら、と戸惑う機龍に鳳凰はにこやかに微笑む。 

「妹さん思いなのはいいことだけど、少し過保護すぎない? 彼女は校内でも指折りの実力者なのよ。幸いすずのんの魔法は集団戦に適しているし、わたしの中~遠距離の射撃と機龍くんの白兵戦技術があれば難なくこなせるクエストだと思うけど。近距離・中距離・遠距離・地上・空中、あらゆる有効距離レンジで攻撃ができるベストなパーティーよ」

「いやしかし……! はぁ、確かに均整にバランスの取れたパーティーだとは思いますけど、何より重要なのはしっかりと連携が取れるかどうかです。即席のチームでもお二方ならすぐに適用できると思いますけど、俺は違います」

「違う、って?」

 訝しげに眉を寄せつつ右手の指先をおとがいに添え、首を傾ける鳳凰に、真剣な口調で語りかける。

「俺の戦闘スタイルは独断専行の猪突猛進なんですよ。振動系術式は記憶粒子パレティクルの消費が激しくて燃費がすこぶる悪い。故に短期決戦が求められ、それにはこのスタイルが最適なんです。つまり連携を取ったり指示を聞いて動けるほどの協調性が俺には欠如しているんですよ」

「パーティーにもメリットはあるわ。ソロだと想定外の事態に対処できないこともあるし、パーティーを組んでいればずいぶん安全性が違うわ。これを機に一匹狼を卒業したら?」

 鳳凰はどことなく姉か先生のような口調で講釈を垂れる。そのくらいのことはもちろん承知している。断固拒否するための妙案はないかと必死に思考する機龍に、黙りこくっていた鈴乃が力なく呟く。

「兄さんは……私のこと……守ってくれないの……?」

「うっ……」

 しゅんと顏を俯かせ、こちらを頼りなさげに上目遣いで見つめてくる鈴乃。その姿は途轍もなく庇護欲をそそられ、それを見た結果外の生徒数名がテーブルに体を打ち付けて悶絶する。機龍も情けなく狼狽しその様を見た鳳凰はにんまりとした笑みを浮かべる。

「すずのんのことが心配なら尚更パーティーに加わったほうがいいと思うけどなぁ。 このクエストで機龍くんは三寸之轄さんずんのかつなのよ。何故そこまで拒むのかしら? 山分けとはいえ報酬も手に入るしポイントも独占できて、雷霆と氷結を一人占めできるのよ?」

 口許に微笑を浮かべつつ、次々とメリットを提示していく鳳凰は、不可解と言わんばかりに首を傾げる。

 確かに冷静に熟考してみれば魅力的な誘いではある。校内でも指折りの実力と美貌を誇る少女二人とパーティーを組みたくない男などいるまい。しかし、そうであればあるほど鳳凰のご息女が何故、という気後れが先に立つ。黒乃機龍の弱点とも言うべき鈴乃を巻き込んでまで成し遂げたいほど、重大なクエストなのだろうか。だがそれなら尚のこと若手の機龍ではなく熟練の自由騎士に依頼すべきではないだろうか、と思考する一方で感傷的に胸の奥が疼く。

 ――何故そこまで拒むのかしら、か。心中で呟くと同時に脳裏で彼女の声が再生される。


『黒乃機龍……。そんな弱そうナリじゃえらく名前負けしてるわよ! あんた凄く弱そうだからあたしが直々に稽古をつけてあげる。特別だからね!』


 彼女は神妙な顏で呟いて爆笑したかと思えば傲然とそんなことを宣った。それが彼女とのファーストコンタクトだった。

 ――彼女以外と組むつもりはない。そう心に刻んでいる筈なのに。

「……クエストの内容を教えてください。話はそれからだ」

 気付けばそんなことを口走っていた。それを聞いた鳳凰は上機嫌に大きく頷き、鈴乃は嬉々として小さくはにかんだ。

「今回の仕事は違法ギルド『風神会』の頭領、風刃魔法師・疾風はやて及び構成員の捕縛、もしくは殺害よ」

 真剣な表情で冷徹に仕事の内容を述べる鳳凰の横で、鈴乃が怯えるように肩を震わせる。鳳凰の纏う空気が一変し、さしもの機龍も少し気圧された。躊躇なく『殺害』の一言を告げる辺り、彼女もまた一人の正騎士なのだと理解させられる。

「風神会といえばここ半年間で自由騎士を八人も殺しているギルドじゃないか。そんなところにたった三人で殴り込もうって話ですか?」

「正騎士が殲滅戦を仕掛ける話も持ち上がっているわ。けどわたしはそれより早く仕掛けたいの」

「……何かお宝でも抱えてるってことですか、風神会は」

 自然と鋭く目を細めて硬い声で訊き返す。テーブルに両肘を突き、組んだ手の上に小さな顎を乗せて、鳳凰は目で肯定してみせる。隣の鈴乃も空気が劇的に変化したのを察して居住まいを正す。

 自由騎士がクエストで戦利品を入手した場合、自由騎士を統括する鳳凰家に押収品として提出することが義務づけられている。今回はその鳳凰家の娘が一緒なので黙って懐に納めることはできないが、しかし今回のこの仕事はもしかしたらでかいヤマしれないと機龍の勘が告げていた。

「風神会の戦法は至極単純な数の暴力。中でも頭領の疾風はやては単独で八人の内半分を殺害していると聞く。そんな相手にこんな少数で挑むつもりですか? 勇気と蛮勇は違うんですよ」

 厳しい口調でそう指摘する機龍に対し、鳳凰は不敵な笑みを滲ませる。

「少数精鋭、と言ってほしいわね。キミのその口調だとずいぶんわたしは侮られているみたいね。いい機会だから鳳凰の娘の実力を教えて差し上げるわ、それと機龍くんが噂ほどの強いヒトなのか自由騎士を統括する人間として確かめてあげる」

 鳳凰家は記憶魔法師界の治安維持を仕事としており、大規模な殲滅戦がある時は自由騎士を編成することも含まれているため、逐次に機龍のようなソロの勝手者の戦力監査をしている。わざわざパーティーを組んでそれを実施するのは極めて稀ではあるが。

 その不遜とも取られかねない態度が機龍の負けず嫌いに火を点けた。こちらもにやりとした笑みを返す。

「見たいと言うなら見せましょう。これでも四年間、自由騎士として生き残ってきていますから」

「期待してるわ」

「あの……二人ともなんか怖いです」

 笑顔の応酬を繰り広げる二人を見て鈴乃は苦笑する。

 話が一段落つこうとしたその時、不意に足音が一つ響く。

「琴音さん。そこのは有名無実な男です。戦力どころか足を引っ張りかねます。どうかご再考を」

 音響遮断系術式はその名の通り音のみを遮断する魔法である。物体の通過までは遮断できない。今まで周囲の生徒が結界内に足を踏み入れなかったのは、鳳凰の意思を尊重していたからであり、あるいは結界という名の聖域に足を踏み入れるのが恐ろしかったからだ。

 つまり、そのどちらの心境も抱かない一種デリカシーに欠ける人間は容易に踏み込めるということだ。

「どういうことかしら、赤神風紀委員長? 何故会話の内容を知っているのかしら?」

「琴音さんの考えそうなことなんて分かりますよ」

 泰然とこちらに歩み寄ってくる赤神を鳳凰は睨め付ける。その眼差しに触発されたわけではないだろうが、鈴乃のその碧眼には静かな怒りが燃えている。一触触発な雰囲気を察した機龍はこれは厄介なことになりそうだと首を縮めた。

 赤神は向けられる鋭い眼光を意にも介さず、機龍に一瞥もくれることなく質問に答える。

「彼は実技の成績が低いからFクラス入りをしたんです。今はDクラスみたいですがそれも自由騎士制度の賜物であって、彼の魔法の技能が向上したわけではありません。何より彼はグローブアマランスです」

 赤神の反論に含まれた蔑称に、鳳凰は柳眉を逆立ててみせる。鋭く押し殺した声が流れる。

「風紀委員長ともあろう人が公然と禁止用語を使用するなんて……。恥を知りなさい……!」

 赤神の制服の左胸にはAの文字があり、それを囲うようにして桜の花弁をデザインしたエンブレムが示されている。対して、機龍の胸にはDの文字と千日紅を模したエンブレム。

 桜はもろく儚く、散り際が美しいと称賛される。それに対し千日紅は枯れても生花のような状態でドライフラワーになる。老いさらばえても若作りをしているようで、潔さの欠片もない。

 A~Cクラスの生徒はこの潔さのなさを揶揄して千日紅(globeamaranth)と呼ぶ。「グローブアマランス」という単語は差別的ニュアンスがあるという理由で校則では使用を禁止されている。半ば有名無実化しているルールではあるが。

 言い得て妙である。桜峰高校は中高一貫、つまり中等部の頃から魔法の修練に励んでいる。故にその三年間である程度の実力差がついてしまう。高等部に上がってもクラスの昇格ができなければ、魔法力が劇的に向上することはない。

 それを理解していながらも無謀に入試を受験し、案の定劣等の烙印を押される。彼らの心が真に桜のようであるならば、記憶魔法師の道を諦める筈なのだ。しかし彼らは性懲りもなく高等部に進学した。まさに潔さの欠片もない。

 自分を含めた彼らが魔法を捨てきれない理由は二つある。まず一つは将来の安泰を望むその保守的な心。この学校では結果を出せなければ普通科高校卒業資格しか得ることができない。

 魔法学校卒業資格は得ることができない。それはつまり魔法大学には進学できないということ。

 記憶魔法師世界では軍人が最高の名誉職とされている。戦略級魔法師も結局は軍属となるので、この価値観は当然といえる。軍人になれないだけでその他は選り取り見取りではある。ただし、魔法関連の仕事は軍人、一部技術職を除くと一般より低賃金なのである。

 そんな社会情勢であるが故に、少しでも可能性があるなら魔法に縋りたいという欲望が生まれても仕方ないのかもしれない。

 もう一つの理由はずばり意地である。矮小で幼稚、しかし強烈な矜持プライド。技能向上に費やしてきた三年間を無駄にしたくないという意地だ。もしも歩みを止めてしまえばそれは努力してきた自分を否定することになる。しかし冷たく言えば引っ込みがつかなくなっているだけである。

「彼の魔法力は僕たちAクラスの足元にも及ばない。そんな雑魚を選ぶくらいよりこの僕、赤神悠真を選ぶことをお薦めしますよ」

 二人の少女の視線を受け流した赤神は、右手を大きく広げ左手を胸に据えるという芝居がかった仕草でそう言った。顏がいいだけに中々様になっている。

「雑魚……!」 

「鈴乃」

 押し殺した声で憤慨する鈴乃をなんとか制する。鈴乃は悔しそうに眉を顰め、上げかけていた腰を下ろす。鳳凰は無言で不快げに眉を寄せ、ただ赤神を睨み据えていた。

 記憶魔法師の持つ才能である、「処理速度」「演算規模キャパシティ」「干渉強度」の三種を総合して評価したものが魔法力である。魔法学校はこの評価基準を元に実技の採点をする。

 赤神の言葉は的確に的を射ていた。魔法は攻撃・防御・移動・治癒の四種類に分けられ、A~Cクラスはそれらを呼吸するかのように並列処理することができる。対してD~F、特にFクラスは多大な集中力を要してようやく三種類の並列処理が可能なレベルである。

 そして機龍はその中でも最低辺の魔法力である。つまり並列処理ができず、一種類しか発動できない。例えば攻撃から防御に移行する場合は一度攻撃魔法を中断し、防御魔法を発動するといった具合でその都度切り替えをしなければならない。圧倒的なまでに処理能力が足りておらず、再演算のその隙を狙われてしまえば痛手を負う可能性は高い。

 そして、それと同時に複数の感情記憶、つまり喜怒哀楽を併用することができない。この併用がもしできれば「怒」と「哀」を複数媒介して攻撃力を上げると共に、標的の演算能力の阻害かつ記憶粒子のGDへの伝達速度の低下という戦術も可能になる。

 赤神は鷹揚な態度を示しつつ、ちらりと一瞬だけ機龍を見下ろした。その切れ長の真紅の双眸には多分の嘲りと少量の狂喜の色がありありと浮かんでいた。

 思わずテーブルの下で拳を握る。悄然と萎縮するような卑屈さは持ち合わせていないが、劣等感はある。

 ふとはしばみ色の瞳がこちらを見た。その感情を表情に出していたつもりはないが、鳳凰はかすかにその瞳に哀切の色を滲ませ赤神を見上げると硬い声を絞り出す。

「わたしが必要としているのは実技テストの評価方法で弾き出された技能ではなく、自由騎士としての経験に裏打ちされた対人戦闘スキルです」

「その条件なら僕も十分に適合していると思いますけどね。僕も自由騎士の端くれ。かの『種子島テロ鎮圧作戦』での僕の実績をご存知ですよね?」

 傲然とした態度でそう言い募る赤神に、鳳凰は悔しげにきゅっと唇を嚙む。

 種子島テロ鎮圧作戦。一年と七ヶ月前に種子島で過激派武装組織『IPIP』によるテロが勃発した。IPIPは八年前に結成され現在に至るまで魔法による市民の残虐行為、誘拐、暗殺などの事件を起こしている。彼らは貴族(日本で言う純色の七傑)による政治に反対の意を唱える組織であり、過激な反体制運動を行っている。

 警察と陸軍を取り仕切る鳳凰家、海軍と空軍を取り仕切る紫音家から厳重にマークされている組織の代表格である。

 IPIPは組織だった動きはせず、予期せぬ残忍な凶行を繰り広げる集団であり、数年前に某国の兵士を公開処刑と称して大量虐殺する映像をネット上にアップし、世論の批判を浴びている。

 そんな過激すぎるIPIPが初めて計画的なテロ行為を起こした、それが種子島テロである。一時は種子島の一部地域を占拠し多数の人質を取って虐殺行為を行った。

 鳳凰家と紫音家、それと自由騎士たちは殲滅戦を展開し圧倒的武力を持って、種子島に居座るIPIPをほぼ壊滅せしめた。その血塗れた戦場の中、当時十五才だった赤神悠真は現当主赤神蓮寺と共に「爆裂」の術式を持って数多くの敵を屠った。おそらく同世代の自由騎士の中で最も敵を殺害したであろう。

その功績から赤神悠真は紅蓮の悠真、と敬称されその名が知れ渡っている。

「自由騎士としての経験は機龍くんの方が上よ。彼は先日、迦楼羅会の頭・炎伍を含む構成員約二十五名を殲滅しているわ。技量はあなたより優秀よ」

「何を馬鹿な……。迦楼羅会は自由騎士を四人は殺害しているギルド、それをたった一人で……。僕がこんな奴に劣るなどと……!」

 赤神の少し裏返った声が結界内に響き渡る。機龍くんは僅かに驚き鳳凰の顏をまじまじと見つめる。華麗な横顔は厳か雰囲気を漂わせている。

 何故そのクエストのことを詳細に知っているのかと疑問に思ったが、そこでふと思い当たる。あの時感じた視線、あれは勘違いなどではなかったのだ。彼女は機龍の戦闘を盗み見ていたらしかった。その方法は皆目見当がつかない、なんてことはない。

 ――彼女も特異体質者なのか?

 その思考は赤神の憎々しげな眼差しによって中断させられた。険悪な表情でこちらをちらりと睨み、そして鳳凰に反論する。

「琴音さん、あなたはもう少しご自身の身分を弁えて発言をしたほうがいいです。いくら結界により外部に情報が漏れないとはいえ、あなたは副会長であり何より鳳凰家の令嬢だ。こんな男と仕事をすることは必ずやあなたの体面を傷つけることでしょう、どうかご再考を」

 頑なな感情のぶつかり合いの中で、赤神は尚も毒素を吐き続ける。二人が鋭く視線を交錯させる中、傍らで押し黙っていた黒乃家のご息女がついに沸点を超えた。

「赤神先輩……!」

 椅子を大きく鳴らし、憤懣やるかたないといった様子で鈴乃が勢いよく立ち上がった。恐れていた通り、鈴乃が遂に耐え切れなくなってしまった。

「鈴……」

「機龍さんは黙っていてください……!」

 この状況でもどうにか「兄さん」と口を滑らせることはなかった。しかし激情により結界の制御が疎かになり、不可視の膜が破れ落ちていく。途端に周囲で成り行きを見守っていた生徒たちのざわめきが耳朶を叩く。

 慌てて制止させようとしたが、鈴乃は冷たい一瞥を機龍に投げ、怒気も露わに喋り出した。

「僭越ですが、赤神風紀委員長。機龍さんは確かに魔法実技の成績は芳しくありませんが、自由騎士としては不撓不屈ふとうふくつ、百戦錬磨の強者です。実戦では先輩より遥かに強いです」

 確信めいた声で堂々と言い放った鈴乃に対し、赤神は端正な眉を強く寄せ顏を顰める。抑えがたい何かをはらんだ声音で反論する。

「黒乃さん。分家だからといって身贔屓をするのはよくない。あなたも名門黒乃家の娘ならば言葉を選ぶべきだ。あなたも将来は当主となる人だ、人の上に立つ魔法師ならば目を曇らせてはいけない」

 憤懣やるかたないといった様子でも、同じ名門のよしみで諭すような口調で告げる赤神。しかしその言葉はこの場では火に油を注ぐ形にしかならない。

「お言葉ですが、私は目を曇らせたわけでも機龍さんを色眼鏡で見ているわけではありません。本気の機龍さんは誰にも負けません……!」

 びし。

 大気に亀裂が走るような音が響いた。空気に罅が入った、少なくとも機龍にはそう思えた。ラウンジの一角の気温が急激に低下する。柳眉を吊り上げ烈火の如き双眸を赤神に向ける鈴乃の周辺に氷の結晶が漂う。

 僅かに目を剥く鳳凰と赤神を尻目に、機龍は落ち着いた声音で鈴乃を止める。

「よせ、鈴乃」

 機龍の一種冷徹ともいえる声に鈴乃はハッとし、羞恥と後悔をその白い顏に浮かべ俯かせる。額の両側に結わえられた細い房の陰で、顏をくしゃりと歪め唇を嚙み締める様子を見て、機龍は苛ついた。

 鈴乃は危うく言ってはいけないことを言おうとした。が、しかし鈴乃ばかりを責められない。その言葉を無意識にせよ引き出そうとしたのは赤神である。

 機龍は無意識の内に目を細め赤神を睨めつける。その眼光はまさに激昂する龍そのもの。獰猛さと冷徹さが結合した漆黒の双眸から尋常ではない殺気が放出される。

 その視線をまともに受けた赤神は気圧されたようだった。そして防衛本能でも働いたのか奇行に走った。いきなり正面の鈴乃を押しのけると、咄嗟に鳳凰の腕を摑み立ち上がらせ己の背後に匿おうとする。その動きはまるで恋人を守る毅然とした男のようであった。

 赤神の鬼気迫る表情に鳳凰は一瞬怯んだようだった。縋るような視線を機龍に送ってくる。

 その瞳が、その顏が、不意に彼女の影と重なった。その表情を見た途端、勝手に体が椅子から立ち上がり鳳凰を摑んだ赤神の右手首を握り、力を込める。

「鳳凰先輩の安全は俺が責任を持ちます。第一、俺と共同で仕事をした程度で鳳凰の名に傷がつくことはない。悪いがこの件から手を引いてもらえませんか」

「貴様……!」

 戦国時代の若武者のように凛々しく整った顏を歪め、手を振りほどくと軋む声で唸った。

「ふ……ふざけるな!! 貴様のような雑魚に鳳凰副会長のコンビが務まるかッ……! はぐれ者風情が粋がるなよ! またコンビを殺すつもりか、貴様はァッ!」

「ッ! 少なくとも鳳凰先輩を妄信するあなたよりは務まりますよ。納得いかないのであれば、どちらが自由騎士として優れているか証明しませんか?」

 一瞬体が硬直した。その台詞は機龍の心に一定量の疼痛をもたらす。それでも何とか平静を保ち、妙案を申し出た。

 顔面を蒼白にした赤神は体をぶるぶると震わせつつ、その切れ長の双眸にギラリと輝く剣呑な光を宿し、深い憤怒を抑制したような声色で言い放つ。

「……思い上がるなよ、クロスブリード風情が……!! ……いいだろう、その申し出を受けて立ってやる。身の程を弁える必要性を、骨の髄まで教え込ませてくれる……!!」

 優劣を決する、その言葉の意味を理解した周囲のAクラス生徒が野次馬と化し、ざわつめが巻き起こる。人の輪の中から「紅蓮の悠真とクロスブリードが模擬戦?」「グローブアマランスの分際で、生意気に出しゃばりやがって」「分家ごときが調子に乗っちゃって」という声が漏れ聞こえてくる。

「……これは面白いことになってきたねぇ……」 

 そんな一気に騒然としたラウンジで機龍は愉快そうな小さな呟きを聞いた気がした。

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