第4章2
とんとん、と扉を叩くが中から返事がない。
居ないのだろうかと、帰りかけた時、かちり、とうちから扉の開く音がした。
灯りのないうす暗い室に入ると、パタン、と扉が閉められる。
ウォルバンが月明かりを頼りに、灯りに火をともして卓子に置いても、まだ、月芳は扉の傍にぼんやりと佇んだままだったので、手を引いて、椅子に座らせ、自分も向かいに腰をかける。
「どうした? 何かあったのか?」
明らかに様子がおかしい月芳に、ウォルバンが問いかけても、す、と目をそらしてしまう。
「何もないわ…」
「ウソだろ。何もなくて、そんなに君がぼーっとするはずがない。話して」
肩を掴んで背けた顔ごと、無理矢理こちらを向かせて目を合わせる。
「痛い、から、離して…」
「話すんだ、月芳」
月芳にドン、と胸を叩かれたが、ウォルバンは肩を掴んだ手を緩めない。
しばらく、月芳はもぞもぞと動いていたが、あきらめたように口を開いた。だが、視線は、ウォルバンの目からはずされる。
「今朝、北の守りをしていた部隊の兵士が、帰ってきたって、先生が。北の…智偉峰をで戦があって……でも、打ち破って、たくさんの捕虜と一緒に……きゃぁっ」
肩を掴んでいた手が急に離れて、バランスを崩した月芳が、小さく悲鳴を上げて、卓子に手をついた。
がたん、と椅子の倒れる音がして、ウォルバンが今にも部屋から飛び出そうとするのが目に入った。
ウォルバンが、出て行く…いや、と月芳は呼び止める。
「行っちゃだめ。ここにいて!」
わずかに足を止めて、ウォルバンは振り返った。悲しそうに月芳を見て言う。
「まだ間に合う。智偉峰の向こうで、私を待っているんだ、父が。ごめん、月芳。遊学は…終わらないといけないけれど、また、すぐ戻ってくるから…」
だめ、だめ、と言う月芳をおいて、部屋を出ようとしたウォルバンに、月芳は耐えきれずに叫んだ。
「だめよ、ここにいなくちゃ! ウォルバン、あなたは『友好の証し』なんでしょう! それに今行ってももう遅いわ! それにあなたはあちらではなく、こちらの…この国の人間なのだから!」
言ってから、月芳はハッとして口を押さえるが、すでに言葉は放たれた後で、ウォルバンの耳に入りその足を止めさせるには十分だった。
青ざめて唇を隠す手が、哀れなほど小刻みに震えているのが目に映る。
ウォルバンは目を見開いた。
「どういうことだ、月芳!」
「…お父様」
「え?」
「お父様が言ったわ。ウォルバンは、帰さないって」
「冷厳…王が?」
「そうよ、お父様が言ったの! ウォルバンは『友好の証し』だから帰さない、このまま、この国で私の傍で育てて、大きくなったら……」
そこで言葉を切って、月芳は唇を震わせた。みるみるうちに、目に涙の粒が浮き上がる。声が震えないように、身体を抱きしめて涙をこらえようとする月芳の言葉を、ウォルバンは引き継ごうとして言った。
「君とずっと一緒にいて、『友好の証し』として一生仕えろって?」
かすかに、月芳の首が振られる。
「――大きくなったら…あなたが、次の王になるのだって」
すぅ、と、涙が一筋こぼれ落ちた。
「な……に?」
「あなたが、王になるの。あなたは、最初からそのためにここに来たのよ…」
何を――言っているんだ、一体。
誰が何になるって? 最初から?
言葉は頭に入ってくるのに、全く理解が追いつかない。
「ホラン王の……父の後を継ぐのか?」
思わず確認すると、また、月芳の首が振られた。
「違うわ。『ここ』の王。冷厳王の次の王よ」
「それは月芳だろう。私は関係がないじゃないか」
「だから、『あなた』なのよ、ウォルバンッ!」