第4章4
「私が…ここに来たときから知っていたのか?」
おそるおそる尋ねる。
「ううん、ウォルバン、あなたが来る少し前…。父上が言ったわ。兄さんをいつか取り戻すから、その場所を作っているんだって。側近の人たちは事情を知っているからよいけれど、何も知らない貴族や国民はそうはいかないから、『月芳』という王子が城にいて、次の王になるという話が、人々の耳に入るようにしているって。それはうまくいっている。だから、お前はこれからもその日が来るまで『月芳』として生きろって……。入れ替わった後、事情を知らない者たちが不審に思わぬよう、顔を隠して…王子の存在を……」
最後の方は、声が震えて聞こえなかった。
「それなら、もっと早くに、私が来たときにそういえばよかったのに…じゃあ、ずっと、月芳は、自分の名前じゃない名前を使ってきたっていうのか!?」
「言えば、お前は聞いたのか?」
冷厳王の声がした。
「『ホランがお前を人質として連れて行ったあげくに、自分の息子として育てていたのを、私が取り戻したのだ。さあ、国を継ぐんだ。』そういったら、お前は、聞いたのか?」
淡々と、感情を感じさせない声で聞かれて、ウォルバンは答えに詰まった。
ここに来てからのことを思い出す。月芳と過ごした時間は、とても幸せだったけれど、国のことを思わない日はなかった。一生帰れないとわかっていても、父も、国も、恋しかった。国のためだから、我慢できただけだ。
「――私は、継ぐ気はない」
冷厳王の表情は変わらない。予期した答えのまんまだったからだろう。
多分、それは告げても同じだと判断した最初の頃から、ずっと変わらず感じていた答えだったから。
それでも。
「だが、国はない」
「――!」
「もう、『友好の証し』は必要なくなった。お前も真実を知った。もうお前はここで生きるしかない。ここにいるんだ…月芳」
「それは、私じゃない」
「おまえだよ、月芳。芳しい月の子。『ウォルバン』もそういう意味の名だろう。ホランにしては、良い名を付けた…月芳、お前のために残しておいた名だ。そして、場所だ」
かすかに、愛しそうに、冷厳王がその名前を呼ぶのが気持ち悪かった。その声が自分に向けられているのが。
「違う!それは月芳だ。月芳、月芳っ」
部屋の中にいる、その名の主を呼んで振り向く。
「逢月よ、月芳兄さん…」
「――……」
「本当は……もっと笑って、名前、返そうと思っていたの。ごめんなさい、兄さん……」
泣き笑いのような顔で、月芳と呼ばれていた少女は言った。
「ゆ…逢月…」
かける言葉がない。抱きしめたら良いのか、離れたらいいのか、わからなかった。
ただ、泣きながら笑う少女の顔は、自分がさせたのだということだけ、はっきりとわかった。
ゆるゆると、立ち上がって扉に向かう。
「行っても、もう無駄だ」
さっきの愛おしさのかけらも滲ませず、冷厳王の声はどこまでも冷たい。そのことがたまらなく厭わしかった。
「それでも、ここには居たくない……あんたは、最悪の父親だ。逢月の」
扉から出ても、今度は誰も止めるものはなかった。
ただ、閉まりかけた扉の隙間から、「そうかも、しれん」と、ひどく気の抜けた冷厳王の声が聞こえた。
――国に、帰らなくては。