カジさんは苦労人。
「――と、いうわけだ。今すぐ100万ほど貸してくれ。利子なしで返済期限は無期限で良い」
「うん。シンプルに無理や雪斗」
日付を跨ぐか跨がぬかの頃、東京某区の小さな居酒屋。
髪を後ろでまとめる雰囲気のよく似た男が二人、席に腰を下ろして言葉を交わしていた。
「頼む、カジ。貸してくれなければ今月いっぱい何も食えなくなるんだ。別に良いだろう、100万くらい」
「お前はまずその物言いをどうにかしいや」
いささか物を頼むようとは思えない態度で、向かって左側に座る男――遠山雪斗が右隣に座る男に金をせびる。
その顔の整えられた口髭と顎髭が男らしさを強調させ、さらに目の下まで覆うほど伸ばした前髪がダークな印象を醸し出しているため、彼に近づきがたい印象を与えていた。
そして彼は人と話すことが嫌いで、ただ一人の例外を除いて人と話すときはどうしても言葉が突き放すようになってしまっている。
そんな彼の隣で呆れて眉間に皺を寄せているのが、彼の仕事相手、そして世間からは彼の「友達」と呼ばれている関係にある男――カジである。
彼は運ばれてきたビールを半分ほど一気に飲み、吐き出すように口を開いた。
「100万くらいとは言うが、そんな金常日頃から持っとると思うか? 大体俺兵庫に住んどるし、銀行で今から引き出そうにも無理やろ」
ああ胃が痛いと小さな声で呟きながら、ビールのもう半分をさらに一気に煽った。
彼は言うところの苦労人気質である。
まだ三十路を少し過ぎた頃であるというのに、その髪にはうっすらと白いものが混じり始めているほどの。
そして今は一時的に東京にいるが、普段は兵庫のある組織の幹部として日々を過ごしている。
その組織というのが――今関西の裏社会で勢力を伸ばしつつある殺し屋の一つ「尾樫組」だ。
現在兵庫で一躍有名な殺し屋一派、そしてそれを一人の二十代前半の女が率いているという稀有な組だ。
しかし組員たちの忠誠心を侮ってはならない。
さらに大阪を本拠地として関西全体に勢力を広げんとするもう一つの同規模の組ともつながっているために、影響力はその都市部のほぼ全域に広がっている、裏社会でかなり影響力のある勢力と言っても過言ではないだろう。
その組の幹部がなぜ今東京にいるのか。
それは、東京を本拠地として地球上の至る所に支部を置き、世界での覇権を狙っている、前述の二組よりはるかに力を持つ、ある裏社会の巨大勢力との友好関係を築くためである。
さらに友好関係にある大阪の組――「鶴代組」も同じことを考えていたため、一緒に同盟を結ぶために現在尾樫・鶴代組のボスと主要幹部総勢十数名が東京に居座っているのである。
修学旅行みたいやな、と一人が突っ込んだが、誰もそれを否定しなかった。
そしてカジに金をせびっていた男、雪斗はその東京の組織――殺し屋兼情報屋である「幽玄」の会計を司る、中層部の人間である。
彼は今、通常の仕事に追加で、関西から訪れている十数人を監督する役割を与えられている。
そのため会計の仕事をしながらも彼らが不審な行動をしないよう見守るというハードな一日を、彼らが話をまとめて帰るまでの暫くの間、続けねばならないのだ。
しかし今、その雪斗は監視対象に金を貸してくれと要求している。
その理由となる事の発端はその日の昼に遡る――――
昼、東京の幽玄、兵庫の尾樫、大阪の鶴代のボスと主要幹部、そして雪斗が出席した会議の直後のことだった。
雪斗を除いた幽玄の人間が会議終わりに早々と部屋から退出した後、その部屋が後しばらく誰も使わないことをいいことに、残ったメンバーで雑談に花を咲かせていた。
同僚の愚痴、(本人の目の前での)ボスの愚痴、最近の社会情勢の愚痴、等々、等々を。
しかし盛り上がっていた時、部屋の壁を黒い影が這っていると誰かが気づいた。
その場にいた全員がそれを認めた瞬間、部屋の温度が一瞬氷点下まで下がる。
近くに寄って観察しなくても分かってしまう、それは紛れもないGであった。
その直後、部屋中に「なんでGがおるねん!」「誰か殺れ!」といったこの世の終わりかのような叫び声が響き渡り、さっきまで氷点下だったその部屋に一気に叫び声による熱気が籠った。
しかしそんな中でも動じず、果敢にもGのもとに向かっていく男が一人。
それが遠山雪斗その人だった。
彼はGの目の前に行くと、それをじっと見つめ始めた。
誰もが彼がそれを殺ってくれることを期待した。
しかし、その時は待てども待てども一向に訪れない。
「……って、見てるだけかい!! 観察すな! はよ殺れ!」
カジがそうツッコミを入れるまで雪斗によるGの観察は続いた。
ツッコまれた彼が実に不愉快だと部屋中の人間に示さんばかりの大袈裟なため息をつきながら右手で拳を作った、その時だった。
「いやあああっ! 飛んだっ! 飛ぶタイプのGやったんかい!」
「はよ殺れ言うたやろ雪斗! もう飛んどるとか知らん! 殺れ!」
この状況の説明は不要だろう。
雪斗は叫び声にうんざりしながら、部屋の中を縦横無尽に飛ぶそれを見つめながら、黙って着ていたスーツジャケットの両側のフラップポケットから何かを取り出した。
「ちょ、おま、なんで銃取り出……まずい! 伏せや!」
雪斗はGを殺ることができた。
しかし、弾丸により壁に数多の穴が開き、結果的に全員無傷ではあったが客人を殺しかけたため彼はボスから大説教を喰らい、壁の修理費の全額負担と次に大功を挙げるまでの減給を言い渡されてしまったのである。
これでもまだマシな方だ、と何度も釘を刺されながら。
二人はビールを中ジョッキ2,3杯分ほど煽った後、居酒屋を後にした。
結局、借金の件については兵庫に帰ったらすぐ送金するから利子つけて返せとなったという。
酔いながら決めたため、その約束が本当に守られるかは定かではない。
事前に呼んでおいた雪斗の部下の車に乗り、都心から少し離れた土地に移動する。
そこには雪斗も使用している、幽玄の組員専用の寮がある。
さらに、客人である尾樫と鶴代の人にもホテルに宿泊すると目立ちすぎるからという名目でボスから数部屋貸し出されているため、カジも同じ車に乗っていた。
「……で、カジ。お前のボスや大阪の奴らとは仲良くやっているのか」
「あぁ、まぁうまくやってはいるさ。大阪の方がまた勢力を伸ばし始めて内心焦っとるがな――あと『ボス』ちゃうくて『お嬢』な……?」
カジは、尾樫のボスのことを「お嬢」と呼ぶのがこだわりと自負している。
ボスである女がカジより年齢が下であることが一番の理由であるが、彼が「お嬢」について語る言葉の端々に、主従以上の関係が感じられる。
雪斗の組、幽玄ではボスとの距離が近いなど聞いたことのない話の為、彼はほんの少しだけそのような関係を羨ましく思っている節があったりしていた。
「……そうか。こちらもうまくやっている。――――カジ?」
「……………………」
「寝ている? 出張先の部下の車で寝るとは、いい度胸しているな……おい、起きろ、着くぞ」
「痛っ! いッた! ……雪斗! おま、わざと鳩尾狙ったやろ!」
「別に」
「白々しい!」
数分後、二人を乗せた車は例の寮に到着した。
エレベーターで5階に上がったところで二人は別れ、それぞれの部屋へと足を運んだ。
深夜の強力な管理体制のため、建物全体が静寂に包まれて一歩ずつ進むたびに足音が響き渡る。
なるべく音を殺しながら、カジは廊下の一番奥から3つ目の部屋の前に立ち、戸を叩いた。
少しして、内側から鍵の開く音がして部屋の中から一人の女性が顔を出した。
後ろ髪を斜めに切りそろえ、瞳を伏せた彼女は、カジの姿を認めると伏せた瞳を少しだけ上向かせる。
そして、ゆっくりと声を出した。
「――おかえり、カジ。遅かったな」
「ただいま戻りました、お嬢」
この女性の名こそ、兵庫の尾樫が若き長――霧野雫。
尾樫の前のボスが亡くなった後、頭がよく切れるからとボスへの推薦が相次いでその実権を握ることとなった、実力型の女性である。
彼女はカジのジャケットに残ったアルコールの匂いに少しだけ眉をひそめながらも、彼の手首を握って部屋へと入れた。
ぐいと腕を引っ張るその挙動は彼女にしては珍しく、焦燥感を感じさせる。
「どうしたんですか。お嬢らしくない」
「……部屋に、龍蓮と絃が遊びに来てるの」
「え、珍しい」
龍蓮、そして絃。
彼らは大阪に本拠地を置く鶴代組のボスとその幹部である二人だ。
雫と龍蓮は元々任務を共にしていた仲だが、雫が尾樫のボスを務めることとなってからは、会うことが少なくなってしまったという関係である。
しかしその時の縁から尾樫と鶴代の二組は切れようのない友好関係にあるのである。
繰り返すようだが、その二組が一度手を組み死力を尽くせば、関西全体の裏の勢力図を揺るがすことができるほどだろう。
雫がカジの手を引いて連れて行った先のテーブルでは、二人が堂々とチェス盤を挟んでいた。
「王手です」
「なかなかやるなぁ、絃。だけどこうや」
「っ……!」
カジはその繰り広げられる光景を見て固まった。
こいつら……なぜ我が物顔で食卓を陣取ってるん?
「あの……何やっとんねや」
「おぉカジさん! お帰りなさい! お邪魔してます!」
「してます!」
「何やっとんか聞いとんねやけど」
ついつい眉間を寄せてしまう。
この鶴代二人衆といったら、普段は優秀なボスとその幹部なのにたまにバカっぽくなるんよなぁ……
鶴代が組長、荻龍蓮は、恐ろしい人物である。
身内ノリではバカ筆頭のような人物であるが、その実像は冷酷極まりない。
ターゲットがどのような者であろうと、彼は道端の雑草を引き抜くかの如くその命を刈り取る。
顔に通常時と同一な薄い笑みをたたえながら。
そのような彼にずっと付き慕う幹部である白峰絃は常に二番手な人物だった。
常に一歩下がり、自らのボスを慕い続ける。
出会ってから、ずっと、慕い続けている。
この二人あってこその大阪の鶴代であることは間違いないだろう。
「詰みや」
「うわっ、負けました……約束通り、明日の掃除当番は俺ですね」
「賭けとったんかい」
「なぁ次何する? 向こうから将棋とオセロと……あ、海外のすごろくとか持ってきてんけど」
「どんだけあんねん。あとなぜボードゲーム限定?」
「えーもう1戦しましょーよー」
「絃、もうこれで5戦目やよ?」
「どんだけ居座ってんねん。あとなぜお嬢はなんも言わん?」
会話が止まる。
三人の視線の先が雫に移った。
彼女はカジを見つめると、口を開いた。
「……二人が夢中になってる顔、見てて楽しいから」
「ほら! ね!? お嬢もこー言ってますでしょ!? もう1戦だけ! しましょう!?」
「分かった分かった」
「……あー、俺が言いたいのはそうやない……」
彼は一瞬だけ顔をしかめさせると、吐き出すように言った。
「お嬢が組長なのにどれだけ部屋を汚くさせる才能があるかバレてまうんや! 昨日俺が掃除したばかりやのに!」
嘆きながらあたりを見渡す。
キッチンのシンクやわずかなスペースに、自炊の痕跡らしい食器がぶち込まれている。
さらに食卓の上の使った後らしい調味料は未だ冷蔵庫に入れられていない(龍蓮と絃がそれを片付けずに端によけてチェス盤を置いた理由は聞いても言葉を濁された)。
食卓から少し離れた場所にあるゴミ箱の周りには、投げ入れようとして失敗したらしい丸められたティッシュや菓子の袋が散乱し、仕事用の普段着はテレビ前のソファーに無造作に投げ捨てられている。
それらによる部屋の惨状は目を覆うほどだった(龍蓮と絃がその中でもチェス盤を置いた理由は聞いても言葉を濁された)。
「――ごめん」
雫が説教を待つ子供のように下を向いて目を伏せる。
「まぁーええやないか! 明日は向こうの都合でこっちは何にもすることないし、朝まで居座らせてもらうわ!」
「帰れ!!!! もう部屋で寝ろ!!!!」
「えーカジさんのいけず!」
大阪組の二人が居座ろうとするが、カジは追い返そうと声を荒げる。
その部屋からの騒ぎは、キレ気味の寮の管理人からドアをノックされるまで止むことはなかった。
あの後カジは大阪組を彼らの部屋に押し込み、雫を休ませ、洗われていない食器をビールの酔いが抜けていないフラフラの状態で片付け、スマホゲームのデイリーミッションをクリアし、軽くシャワーを浴びた後に就寝した。
就寝時刻、3:30過ぎ。
翌日の昼前。
寝不足で過労気味のカジは、スマホから鳴り響く鬼通知の音で叩き起こされた。
睡眠時間で言えば7時間は寝たのだが、なぜか疲れは抜け切れていない。
眠い目をこすりながらスマホの画面を覗くと、そこにはメッセージアプリ、RINEで使われている龍蓮のアイコンが映し出されていた。
通知をタップしメッセージ画面を表示させる。
「えっ……はっ!?」
表示されたその内容に彼は叫び、目を見開かせた。
「カジ!」
同じタイミングで雫が彼を呼ぶ。
部屋から出て彼女を見ると、その顔は普段からはあり得ない程焦燥していて、おまけに冷や汗まで垂らしていた。
「絃から……同じのが」
雫は声を震わせながらスマホをカジに見せた。
表示されているRINEのトーク画面には、緊急のメッセージが残されていた。
『雫さん! 今こちらの組のメンバーから連絡が入ったのですが、向こうに居る鶴代と尾樫の組員が結託して今東京に向かっているみたいなんです! 詳細を伝えるので、今から音声通話できませんか?』
カジがその文を読んでいる間から既に、二人のスマホから着信音が鳴り響いている。
読み終わると、彼は雫のスマホから着信に答えた。
「もしもし、どないした!? なぜ2組がこっちに連絡もせんで一緒に東京に向かっとる!? あとなんで電話越しなんや!?」
『あ、つながったで絃! もしもし! 音声通話なのは今ちょっと遠くのコンビニであの後の賭けの罰ゲームの品を買ってたからです! ……いやそんなんはどうだってええ、雪斗がまずいんや!』
「雪斗が!? どないなっとるんや!」
電話越しの龍蓮の声も、普段の冷酷、及びバカ筆頭な姿からは想像もできないほどに理性を失っている。
スピーカーをオンにして共に聞いていた雫も、その異様な声に息を呑んでいた。
『昨日の雪斗の銃乱射事件、僕、あれをあの後の夕方、大阪に残ってた信頼できる幹部の一人にRINE越しに身内ノリで話したんや! そしたら向こう、僕たちが何らかの理由で故意に殺されかけたって誤解したらしくそいつに復讐しようとして俺からそいつの特徴を聞こうと質問攻めにしてきたんや! 僕は復讐目的て気づかずに雪斗の外見の情報全部言ってもうて……』
電話越しの龍蓮の声はそこで言葉を切った。
絃に宥められ、落ち着きを取り戻そうとしているのが分かった。
しばらくして、彼の声が戻ってきた。
『それで今、ボスと幹部を殺しかけた「らしい」雪斗を復讐で殺害するために2組の動けるメンバー全員引き連れて幽玄の本部につめかけとる。少なくとも今日の夕方前までには全員揃うって連絡が来た。襲撃とかは目立ちすぎるからせん言うとるけど、恐らく物陰に隠れて本部から雪斗が出てきたところをバーンてするつもりなんやろ。もしかしたら突然の状況で混乱した奴が無関係の組員まで殺してまうかもしれん…………すまん、ほんまにやらかした。ほんまに申し訳ない――――』
電話越しの声がフェードアウトしていく。
「龍蓮……」
雫は今までに聞いたこともなかった龍蓮の姿に明らかに戸惑っていた。
これはただごとではない。
『もしもし、代わりました。絃です』
代わりに絃の声が聞こえる。
二人は再びスマホのスピーカーに注意を傾けた。
『こっちに来ている皆、自分たちが今何をしているかを恐らく分かってないんです。今幽玄みたいな海外展開もする超巨大勢力とイザコザを起こしたら……友好関係どころじゃないですよ。2組まとめてコテンパンにやられるのがオチです』
絃の落ち着き払った説明は、あまりにも的確だった。
カジはそれを聞きながら内心で感心していた。
緊急時にも冷静に状況説明できるほど、彼の肝が据わっていたとは。
『そんな簡単なことに気づけず――組長が殺されかけたと聞いて頭に血が上った皆、自分たちの力を過信しすぎています。皆は自分たちが手を組めば裏社会において敵う者なしと思っているようですが、とんだかっこつけですよ。そんなもの、忠誠心でも何でもない』
「確かに……せやな。やけど、もう奴らが動き出している時点で幽玄との友好関係、ヤバいんやない?」
『一か八かですけど、被害が出る前に俺たちの方からそのことを幽玄のボスに報告して謝れば少しばかりはマシな処遇にしてくれるんじゃないですか? 本当に一か八かですけどね』
絃の冷静な解説で落ち着きを取り戻した二人は、その案をもとに具体的な行動を計画していた。
しかし、そこで一つの違和感に気付く。
「ん……? 絃、なんでそんな他人事みたいに言うんや」
『え、当たり前じゃないですか。俺とボスと雫さん、そして部下から人気な他の幹部たちは状況説明と説得のために本部の前に集まったメンバーの前に出ないといけないんですよ』
「いやいやいやちょい待ち! 俺一人で幽玄のボスのところ行くんか? おかしいやろ!」
『時間が無いんですよ! あと一人じゃなくて勿論残った幹部の人たちも一緒に謝罪に行かせてくださいよ。俺たちも説得終わったら組長室に駆けつけることできますから。ボスの部屋も本部なので。あと二人とも恐らく今まで寝てて朝食食べていないでしょう? 今すぐ何か食べて二人で寮の出入り口前で待っててください。正午には車で迎えに行きますからね! では!』
「あ、おい! ちょっと待――」
彼の反応を待たず、絃は通話を切ってしまった。
「カジ、どうするん――?」
唐突に電話が切れ、戸惑う雫が震える声を出す。
彼女は普段なら冷静だが、こういった非常事態には戸惑ってしまいがちだ。
カジはそれを聞き、覚悟を決めた。
起きてしまったことは仕方ない、やれることはやろう。
雫を宥めるように行動を決めた。
「――まずは何か腹に入れましょう。もうこの際冷蔵庫の余っている食材をそのまま食べましょう。カップ麺作る時間も勿体ないので。そして大急ぎで寮の出入り口へ。状況は大阪組が一番分かっているでしょうし、説明は車内でみっちり聞かせてもらうことにしましょう」
「……分かった」
1時間後。
大急ぎで支度を終え、二人は大阪組のコンビニから来て待機している東京でレンタルした車に拾われた。
そして車内で文字通り今の状況を根掘り葉掘り大阪組から聞き出していた。
「まず龍蓮は何がどうなって組員に雪斗の情報を漏らしたんですか? 警戒心なさすぎですよ。少しは怪しまんかったんですか」
「ほんまに世間話みたいな感じに聞かれたんです。巧みな話術や。教育が上手くいっていたのがこんなところで仇となるとは」
「さっきまでの慌てぶりはどうしたんですか」
「絃に宥められて治りました」
「都合いい脳してんなぁ。で、これからどうするん? 絃」
「こうしている間にも関西から2組のメンバーが続々と集まってます。俺たちと一緒に東京に来てた幹部たちは既に本部に着いたらしいので、さっきも言った通り、俺たちが着いたら組員たちにとりわけ慕われている幹部を数人連れて、俺と雫さんとボスでメンバーを説得しに行きます。カジさんはその間に残りの幹部全員を連れて組長室に行って全力で謝り倒してください。どんな処置も受け入れるから、敵対関係になるのだけはやめて欲しい、と言い続けるんです」
「それ俺だけプレッシャーえぐないか? 向こうのボス、かなり気性荒いらしいで?」
「組のためですから、多少の犠牲は必要ですよ。本当に殺し屋とかマフィアたちの勢力争いって熾烈ですからね。俺たちの任務で殺されたマフィアの人も結構いますから、ここで幽玄を敵に回してしまったらそれらの組の人たちと手を組んで俺たちの組を全滅させるかもしれない。ということなので頑張ってください」
「犠牲って言ったよな、今犠牲って言ったよな!?」
「何のことですか? ――ほら、あと15分で着きますから心の準備しててください」
「! …………」
そして、本部へ到着した。
カジはその前で車からたたき出されると、車窓を開けた絃から「じゃ、俺たちは潜伏してる奴らを見つけて集めてきますので! カジさんはそっちにいる幹部たちと組長室に行っちゃってください! 頼みましたよ! では!」と言い放たれ、その場に取り残された。
「……ったく、人使いの荒いことで」
彼はため息を一つつくと、事前に示された一緒に向かう幹部たちとの集合場所に行こうとして、ふと足を止めた。
――自分たちの組だけで謝罪に行ったとて、本当に効果があるんやろうか。
外の組の人たちの言葉だけでは、そんな事件があった組への処遇を事前に謝罪に来たくらいで良くすることなんて、人の心理的に考えて不可能なのとちゃうか。
何か、内部の人の協力があったら――
――頼れる人物など、一人しかいない。
しかもこの騒動の元凶になった人物や。
彼はもう一つため息をつきながら次の行動を決め込むと、幹部たちと合流し、本部の入り口へと足を運んだ。
「……は? なぜ私も一緒に組長の元に行かねばならない」
「効果的に説得するためには内部の人の協力が必要やねん。後お前がこの件の大戦犯やからや!」
本部に入り口から入ったすぐそば、近くを通りかかった組の人に呼んでもらった雪斗にカジは組長室に一緒に来るよう口説いていた。
雪斗は彼の言葉を心底嫌そうに眉間に皺を寄せて聞いている。
呼ばれた直後にカジから言われた言葉が「お前、今殺されかけとーから協力しいや!」だったため、その様な反応であることに無理はなかったが。
しかし、面倒事が嫌いな性分だからでもあった。
「あのことは、私も反省している。流石にやりすぎたな。だがだからといってそっちの用事に付き合う義理はない。私とお前はただ互いを知っているだけだ。相手の面倒に首を突っ込むほどの仲ではないはずだ」
「なっ……!」
他人事のように突き放す雪斗のその口調は彼の神経を逆撫でた。
なぜそこまで物言いを考えないんやろうか、苛立ちで声を荒げる。
「雪斗、お前っ……! 昨夜あんな金のせびり方してよくもそんなんが言えるな!」
「別に、せびるのは私の自由だろう。折れたのはお前自身だ」
「そんなん言う奴やったんかお前! ええわもう! 借金の話全部チャラな!」
「そうか。他の奴に借りればいいから構わんが」
自分は取り乱しているというのに、目の前の男はそんなものどこ吹く風と言った様子で淡々と言葉を発している。
その事実に苛立った彼であったが、ふとひらめいた。
普段からこんな奴や、雪斗は。
なら決定打はこれで違いないやろ。
彼は敢えて口調を荒げたままにしながらその言葉を紡いだ。
「強がりするのも今のうちにしいや! そう言っときながら、金を借りれるような距離感の友達なんておらんやろ!」
「…………は?」
雪斗の瞳が泳いだ。
予想通り、せやけどほんまに効くとは……
彼は更にたたみかける。
「おるんなら別にそいつらに借りればええやろ! 俺はもうこの件に関して諦めるからお前はせいぜいイチから金せびり直しや!」
それだけ言い放つと、目の前の男に背を向けた。
一瞬だけ立ち止まり、沈黙がその場を埋め尽くしていることを確認する。
そのまま立ち去ろうとした。
しかし、三歩も歩かないうちに、後ろから小さく舌打ちの音と、彼を呼び止める声が耳に届いた。
「300万だ」
その声に振り返る。
「利子は付けよう。だから兵庫に帰ったらすぐ300万振り込め。約束するなら協力してやらんこともない」
物言いは相変わらずひどいものだ。
だがそれはその男なりの敗北の宣言だった。
勝ち誇って少しだけ口角を上げたカジは、「分かった」と手を伸ばした。
雪斗はその手を握り返した。
「――以上が、今の状況です。こちら側に非があるのは確か。愚行をどうかお許しください。どのような処罰も甘んじて受け入れましょう。――だから、どうか敵対関係となることだけはお考え直し下さい!」
「ボス、この件の責任は全部私にあります。あのように銃を乱射するなど、非常識にも程がありました。ですから、私が全ての罰を代わりに受けましょう。だから、尾樫・鶴代両組をあまり厳罰に処すことはお控えください。関西への覇権に関わるやもしれません」
組長室にて、カジと雪斗は最敬礼をしながら幽玄のボスに関西組への慈悲を求めていた。
続く尾樫・鶴代の幹部たちも同様に押し黙りながら頭を深く下げている。
その目の前には、海外まで支部を広げ、世界に勢力を広げんとする殺し屋兼情報屋の組長が、書斎机の前に座り、頬杖をして退屈な話でも聞くようにしてうんうんと相槌を打っていた。
部屋が重い沈黙で押しつぶされる。
その静寂が2組の運命を左右すると読んだカジは、それが何よりも恐ろしく感じられ、背筋を冷や汗が伝った。
「……へェ」
暫くして、幽玄のボス――名は不明、30代のようだが、前半にも後半にも見える男性――は頬杖を解くと独り言のように呟いた。
それだけで、身体を縛り付けていた沈黙による拘束が少しだけ緩くなるように感じられた。
「まずは尾樫のカジさん、まずはしょーじきに今の状況を報告したこと、嬉しく思いますよ。君たちくらいの組の規模の結束力なら、自分が気づかないうちに事態を解決させることもできただろォに、まァその誠実さを買ってそっちの2組への処遇はいい感じにしておきます」
その言葉に、彼はどれだけ救われたか。
瞳を輝かせて顔を上げ、礼を言おうとした。
「本当ですか! あり――」
「た~だ~しィ、問題なのは隣の前髪男ですよねェ~」
組長が雪斗に視線を移す。
それだけで、彼の肩が一瞬ビクリと震えたことがカジには分かった。
組長は重厚な質感の椅子から立ち上がると、雪斗の目の前までわざと音を立てて歩いた。
さっき顔を上げかけていた彼が再びその頭を下げる。
だがそれを許さぬように、組長は彼の前髪を無造作に掴んで強引に顔を上向かせた。
前髪の下の彼の顔が晒され、視線が直に交錯する。
屈辱と痛みから彼のその顔は歪んでいた。
組長はその顔を見て鼻で笑うと、乱暴に手を離した。
その手には抜けたらしい黒髪が数本絡みついていたが、忌々しげにそれを払う。
「尾樫のカジさんとそのご一行」
組長が普段と変わらぬ口調でカジに語り掛ける。
その場の空気をほぐすかのように不敵に笑うと、その男は続けた。
「後は、自分と雪斗で話し合ってまとめますわ。二人きりになりたいから、ご一行は――そうだな。部屋から出て右の角を曲がったところにある会議室が多分空いてるからそこで待っててください。長くかからないようにはしましょー」
さらに笑みを深める。
本人は感情を隠しているらしいが、本当のそれはあまりにも筒抜けであった。
それにどうして逆らえようか。
「――分かりました」
カジはそう答える他なかった。
よろしいとばかりに組長が頷くと、後ろに控えていたその部下により扉が開けられたため、順々に退出していった。
最後にカジが一礼して部屋に残る二人を目に焼き付けると、そのまま扉から廊下へと出た。
「――雪斗、生きて出られるか? さっきの組長の様子からして、だいぶヤバそうやったけど…………あ、お嬢から通知来てた」
指定された会議室にて、丁度人数分あった椅子に全員落ち着いたのを確認すると、カジはスマホを取り出した。
雫からの通知が数分前に届いている。
『今、東京に来た私と龍蓮の組の重要格の組員たちの説得が終わった。意外とあっさりやった』
『次は協力して下っ端全体に計画中止を伝えるとこなんやけど、これが意外となんぎしそう……そやから、そっちへ行くのはもう少しかかるかも』
RINEを開いて表示されたそのメッセージに彼は安堵した。
良かった、向こうも今のところは上手くいってるみたいや。
椅子に深くもたれながら、『了解しました、お嬢。こちらも友好関係の件は何とかなりそうです』と送信した。
すぐに既読が付き、彼女のお気に入りであるイマドキのネコスタンプで『了解』と返ってきた。
あまりの微笑ましさに、ついつい口角が上がってしまう。
すると、部屋の扉が開いた。
前髪を整えながら入ってきたのは、さっき組長に引き留められて部屋に残っていたはずの雪斗だった。
「雪斗ッ……! 意外と早かったな。まだ俺らが組長室出てから5分くらいしか経っとらんで?」
カジは驚愕で椅子から立ち上がりながら叫んだ。
前髪を整えながら彼は大きくため息をつき、重い口を開いた。
「私はさらに減給されることになった…………だがお前らは後で謝罪文提出と全重要幹部の署名でいいらしい。あまりに理不尽ではないか?」
「お、おう。すまん、雪斗。兵庫帰ったら300万すぐに送るから。急に金額が増えたのはそういうことか――ちゅーか、あの数分間の間、部屋の中で何があったん?」
彼は押し黙った。
少し間を開け、「別に」とだけ隣にいるカジにしか聞こえない声で囁いた。
その時、彼のスマホから通知音が鳴り響いた。
今度は龍蓮からだった。
開いて内容を確認してみると、『だいぶ指示が通ったみたいです。今からそっちに行けますわ!』という嬉しいものだった。
(……よっし!)
彼は心からの安堵のため息をつき、小さくガッツポーズをした。
そして、事態の収束を祝う準備をするのだった。
その後の結局のところ、友好関係は無事に約束され、謝罪文と署名は兵庫と大阪に帰った後になる早で提出することとなった。
東京に集められた組員たちも東京側に被害を出さずに撤退させることができ、その後に目立った危機などもない。
全て、万事解決に終わった。
「で、他の幹部は全員行ったから、最後は俺たちだけか……ここまで迎え来てくれてありがとうな、雪斗」
「別に、今回は私のせいでかなりそちらに迷惑かけたからな。これくらいさせてくれ」
「ハハ……」
数日後の深夜、東京でやるべきことを全て終わらせた尾樫・鶴代の4人は、関西へと帰るために、行きにも使った、いたって普通の車に乗り込んでいた。
あまり目立たないようにするために4人だけで使い、運転はその中で唯一運転免許を取得しているカジがすることとなっている。
「にしても、キャンピングカーか……殺し屋のボスたちが使うような車では無いな」
「高級車よりかは目立たないやろ。それに、なんだか身内だけで旅行しているような気分にもなるし、緊張もいくらか和らぐんや。な」
「うん」
「そうか。じゃ、向こうでも元気で。――あ、300万、教えておいた口座に入れておけよ?」
「はいはい、兵庫に着いて一息つき次第振り込んでおくから……じゃな」
名残惜しそうに声が夜の駐車場に響く。
彼は窓を上げ、手を軽く上げて別れを告げた。
雪斗もそれに応え、片手の掌を車に向けた。
「え、待って。ポーン一個ないんやけど」
「は? チェスの駒? なんで今気づくんですかそんなこと!?」
「そういえば、あの日にチェスしてた時、取ったポーンを落として、めんどかったから取るの後回しにして、そのまま忘れたような気がする……ちょ、カジさん東京戻ってくれます?」
「今更!? 今そっちのわがままでビワイチしてる最中ですよ!? もう後で雪斗に連絡して送ってもらってください!」
「いやぁポーン一つのためにそれはちょっと……」
「それはこっちのセリフやああああああ!」




