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山奥で拾った地球外AIと、俺は十五年かけて人類を宇宙へ押し上げた  作者: たまき


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第16話「搬入」

 数日後の朝、東京の自室は引っ越し前とも倉庫前とも違う散らかり方をしていた。床には開いた樹脂ケースが三つ並び、その前に貼られた養生テープへ七瀬が油性ペンで短く書き分けている。山、残す、切る。机の上には測定ケーブル、絶縁スペーサ、湿度計、予備のクランプが種類ごとに分かれ、壁際では半分だけ開いた工具箱が、もうこの部屋の主役ではない顔をしていた。


 亮は棚から小型電源を抜き取り、そのまま山と書かれたケースへ入れかけた。


「それは残す」


 振り向く前に声が飛んできた。七瀬は床へ膝をついたまま、手元のケーブル束から同じコネクタ形状のものだけを抜き出している。


「出力足りるぞ。向こうで足りないよりマシだろ」


「足りるかどうかじゃない。波形が汚い。前にリップル拾って、測定側のせいか試料側のせいか分からなくなったでしょ」


「あれはクランプも悪かった」


「だから、原因候補を増やすものは置いていく」


 言い切ったあとで、七瀬はようやく手を止めた。彼女の前には、長さも色もばらばらだったケーブルが、用途別に三列へ揃い始めている。速く手を動かしているのに、判断の粒度だけがやけに細かい。亮は電源を持ったまま立ち尽くし、諦めて棚へ戻した。


「持っていけるなら、予備は多い方がいいと思ったんだけどな」


「予備は要る。でも、何の代わりになるのか分からない予備は邪魔になる。山で試すなら、同じ失敗を二回同じ形で起こせないと意味がない」


 共同作業になった実感は、こういうところで先に来るらしい。昨日までなら、使えそうだと思ったものを全部積んでいた。足りないよりマシだと自分に言い聞かせ、現場で配線を足し、計器を差し替え、結果が揺れたらその場で整合を取り直す。前へは進むが、戻るたびに思い出し作業が増える。七瀬はその癖を最初から切りにかかっていた。


「こっちのUSBロガーは」


「切る」


「即答だな」


「型番の組み合わせが偏る。似た機能の方で統一する。あと、ログ形式が中途半端」


「そこまで見るのか」


「見るよ。再現性だけじゃなくて、何を捨てたかも管理しないと、あとで痕跡の方が増える」


 七瀬は樹脂ケースの蓋裏へ小さな付箋を貼り、内容物を簡単に書き込んでいく。可搬測定、絶縁治具、乾式補助、生活備品。分類が進むほど、亮の頭の中にあった曖昧な搬入計画が、別の人間の手つきで形を持ち始めた。


 机の隅にはノートPCが二台置かれている。普段使いのものと、搬入後に記録を分けるための古い機体だ。亮はそのうち片方へ視線をやった。


「そっちは性能足りるか」


「解析は本体側でやる。こっちは入力と整理だけ。速さを出す場所と、痕跡を減らす場所を混ぜない」


「最近、その言い方好きだな」


「黒瀬さんが混ぜるからでしょ」


 返しに悪意はなかった。事実だけが残る。亮は苦笑に近い息をこぼし、今度は棚の下から密閉ケースを引き出した。中には新品の湿度計と、まだ袋を破っていない交換用の乾燥剤が詰まっている。


「これは山でいいか」


「それは山。あと、その右の温度ロガーも」


「そっちは切るって言うかと思った」


「生活環境の変動を見るために使う。測定対象そのものじゃなくて、部屋の側を縛る」


「工程を見るんじゃなく、場所を縛るのか」


「再現したいのは試作片だけじゃないから」


 そこでようやく、亮は今日の作業の輪郭を掴んだ。必要機材を持っていくのではない。常温超伝導素材の断片へ触るための環境ごと持っていく。七瀬が見ているのは、いま手元にある部材の総量ではなく、同じ条件で何度でも立ち返れる導線だった。


 床の三つ目のケースに、七瀬が手を伸ばす。そこへ入るのは切ると決めた側のものだ。古い電源、別形式の測定端子、場当たりで買い足した工具、手書きメモと内容が噛み合わなくなったUSBメモリ。山へ持ち込まないと決めた物の方が、むしろ今の亮に近い気がした。


「これ、全部捨てるわけじゃないよな」


「捨てない。東京に置いて、触らない。迷ったときに楽な方へ戻るための山を作らない」


「厳しいな」


「今日から二人分になるなら、そこは先に厳しくする」


 言いながら、七瀬はバッグから細いノートを出した。工程メモではない。日付と持ち込み物、箱番号、置き場所を書くだけの簡素な帳面だ。


「搬入後、まずこれ作る」


「台帳?」


「そう。実験ノートの前段。何がどこから来て、どこに置かれたかが曖昧だと、あとで全部が感覚になる」


「そこまでやると、遅くならないか」


「最初だけ少し遅い。でも、その遅さで潰せる事故が多い」


 亮は返事をしなかった。速さを削る言葉ではある。それでも、否定する気にもなれなかった。昨日まで一人で回していた工程は、実際には速くなかった。速いと思い込むしかなかっただけで、振り返るたびに無駄な行き戻りを生んでいた。七瀬はその見えにくい損失を、気休めなしに掘り出して机へ並べている。


 昼前には床が見えた。山へ持っていくケースは二つに絞られ、残すものは棚ごと奥へ寄せられ、切ると決めた品は触れないよう壁際へ離された。最後に亮が工具箱の蓋を閉じると、七瀬が玄関脇へ置いた新しいケースを靴先で軽く寄せた。


「これでいい。向こうで足りないものが出たら、足すんじゃなくて理由を先に潰す」


「山で待ってる間にエイルが笑うかもな」


「笑うなら便利だね。配置ミスも先に言ってくれるかもしれない」


 その名前が自然に会話へ入ることに、亮はまだ少しだけ慣れていなかった。だが、違和感より先に段取りが来る。七瀬はすでにケースの重さを見て、どちらを車の後部へ積むか決めていた。


---


 午後、黒瀬の山小屋に着いたとき、森の湿気は東京より静かで、逃げ場がなかった。扉を開けると木と古い布の匂いが一気に出てくる。亮にとっては慣れた匂いだが、七瀬は閾をまたいだ瞬間に足を止め、室内全体を一度で測るように眺めた。


「思ったより狭い」


「悪かったな」


「狭いことはいい。生活導線と作業導線が同じなのが良くない」


 辛辣というより、測定結果みたいな声だった。七瀬はすぐにケースを下ろさず、入口から机、流し台、窓、ロフトへ続く梯子、奥の簡易ベッドまで視線を走らせる。亮が山で一人の時間をやり過ごすために積み上げてきた配置は、その目の前で容赦なく用途別へ分解されていった。


「机は壁から離す」


「配線が届かない」


「届く長さにする。窓際は温度が揺れるし、結露も近い」


 言いながら彼女は手袋をはめ、机の脚にしゃがみ込む。床板の反りまで見ているらしい。亮も黙って反対側の脚を持ち上げた。作業机だったものが、生活空間の中央から北側の壁沿いへずれていく。代わりにベッド脇の棚が入口近くへ移され、普段着と食器の箱がまとめてその上へ乗る。研究のために生活を縮めるというより、生活が邪魔をしない形へ押し込められていく。


 机を定位置へ仮置きしたところで、樹脂ケースの中から小さな球体の振動が返った。亮が蓋を開けると、エイルが鈍い光を受けて静かに現れる。


「搬入環境を確認しています」


 七瀬は振り向いたが、そこで足を止めただけだった。前話の東京で聞いた声を、今度はこの山小屋で受け止める。驚きより先に、場所に対する違和感の方が勝っている顔だった。


「配置条件、ある?」


 問いは短い。会話の主導権を取りにいくほどではないが、もう存在確認の段階にも戻っていない。エイルは数拍置いてから答えた。


「三点あります。入口左壁面は外気変動が大きく、測定系の常置には不向きです。流し台側は微細な水分変動があります。寝台との距離は、人の休息より観測を優先するなら広げるべきです」


「最後だけ妙に嫌だな」


「事実です」


 七瀬の口元がごく僅かに動いた。笑ったわけではない。ただ、言い方の癖を記憶したような変化だった。


「じゃあ、机はここ。チャンバーは右奥。生活側は入口寄りで切る」


「電源の枝は一本で足りるか」亮が聞く。


「足りない。測定系と生活家電を分ける。冷蔵庫のコンプレッサが入った瞬間の揺れ、前に嫌ったでしょ」


 言われて思い出す。以前、この小屋で仮設の測定をしたとき、深夜に冷蔵庫が動き出した瞬間だけ数字が泳いだ。試料のせいだと思いかけ、翌朝になってようやく電源側を疑った。ああいう時間を、七瀬は許さない。


 搬入はそこから一気に進んだ。低湿度を保つ小型チャンバーは、直射が入らず、窓からも流し台からも距離が取れる場所へ据える。可搬測定系は机の上へ常置せず、使うたびに出して結線を確認できる箱ごと管理する。絶縁治具と固定クランプは番号を振って並べ、交換した時点で帳面に残す。亮が感覚で済ませていた切り分けが、一つずつ物理的な境界線になっていく。


 七瀬は壁に紙を貼り、太い線を一本引いた。生活側、研究側。たった二語だが、その線から先へマグカップを置く場所まで変わる。


「そこまで要るか?」


「要る。疲れてると、人は近いところに物を置くから」


「俺が雑だって言いたい?」


「言ってる」


 容赦がない。そのくせ、責めている感じもない。亮は電源タップを持ったまま肩をすくめ、研究側の床へケーブルガイドを貼っていった。線が床を這う角度まで決められると、手元の迷いが減る。作業する前の規律が増えただけなのに、むしろ前へ進みやすくなっていくのが妙だった。


 夕方が近づくころには、山小屋の景色は見慣れたものから別物へ変わっていた。窓際に寄っていた生活雑貨は入口側へ押し込まれ、中央には空白ができ、その先に机、チャンバー、ケース、記録用ノートPCが直線ではなく導線として並ぶ。研究室には遠い。だが、一時しのぎの隠れ場よりははるかに、次の工程へ近い顔をしていた。


 七瀬は壁に貼った帳面の一ページ目へ、持ち込んだ機材の箱番号を書き込み終えると、最後に入口から机まで歩いてみせた。靴を脱ぐ場所、生活用品へ触る位置、研究側へ入る前に手を止める位置。その数歩だけで、この小屋の使い方がもう前と違うと分かる。


「これで最低限」


「最低限でこれか」


「まだ甘いよ。今日は立ち上げだけ」


 そう言ってから、彼女は机上のエイルへ視線を落とした。


「配置条件、他にある?」


「現時点では十分です。ただし、観測対象が増えたため、会話の場は別途整えた方が良いでしょう」


「分かった。今日はそこまでにする」


 亮は何も挟まなかった。前話では自分を介した共有だったものが、もう現場では直接つながり始めている。その変化を止める理由は見当たらない。むしろ、止めた方が不自然だった。


---


 夜、山小屋の窓の外は完全に暗くなり、林のざわめきだけが一定の間隔で壁へ触れていた。簡単に温めたスープの湯気が入口側へ流れ、研究側の机にはもう食器を置かないと決めた空白が残っている。たった半日で、その空白の方がこの小屋の中心になっていた。


 亮は入口寄りの椅子へ腰を下ろし、薄い湯気の向こうに見える机を眺めた。低湿度チャンバー、揃え直したクランプ、記録用ノートPC、箱番号を書かれたケース。東京で選別したものしか置いていないせいで、物は減っている。それなのに、使える範囲は前より広く見えた。


「東京、だいぶ軽くなったな」


 独り言に近い声だったが、七瀬は帳面から顔を上げた。


「軽くした。そうしないと、また両方中途半端になる」


「いや、分かってる。ただ、思ったより早かった」


「何が」


「生活の中心が移る感じ」


 七瀬は数秒だけ黙り、帳面を閉じた。


「黒瀬さん、もう戻す前提で動いてないでしょ」


「……まあな」


「だったら、東京は切るための場所にした方がいい。引き継ぎと、残したものの整理と、必要なら一泊するための中継点。それ以上の役目を持たせない」


 言葉にされると、あまりに明確だった。東京の自室は必要だ。だが、研究の心臓ではない。仕事を終わらせ、痕跡を切り、生活の残骸をまとめるための場所へ後退している。今日の搬入は機材の移動であると同時に、その順位の入れ替えでもあった。


「七瀬はどうする」


「私はまだ会社がある。常駐はしない」


「だろうな」


「でも、長期戦のつもりで組む。工程が動く日はこっちへ来るし、東京側で切るものも洗い続ける」


「負担がでかいぞ」


「一人より小さい」


 即答だった。慰めでも勢いでもない。作業量を割っただけの声だ。その単純さが、かえって亮の中へ残る。


「今日で終わりじゃないって顔してるな」


「終わるわけないでしょ。やっと土台が立っただけ」


 七瀬は研究側の机へ目を向け、それからエイルへ視線を移した。球体は静かなままそこにある。前話で秘密の中心として見せられた存在が、いまは配置図の中に置かれた一つの軸になっている。


「明日の朝、時間取って」


「作業の続きか」


「違う。まず声の主と直接話す。黒瀬さん経由じゃなくて、答えられる範囲と答えられない範囲を自分で見る」


 亮は頷くまでに少しだけ間を置いた。拒む理由はない。むしろ、ここまで組み直したあとでそこを曖昧に残す方が危うい。


「場は作る。質問も、好きにぶつけろ」


「そうする」


「たぶん、全部は答えないぞ」


「全部答える相手なら、逆に信用しない」


 その返しに、亮は目を細めた。山小屋の空気は冷えているのに、頭の内側だけが妙に澄んでいる。秘密は軽くならない。七瀬が入ったぶんだけ、守るべき線と崩れ方は増えている。それでも、今日一日で変わったのは荷物の置き場所だけではなかった。作業が自分一人の勘と体力へ寄りかかる状態から、戻れる形で前へ進む工程へ少しだけ変わっている。


 入口側へ寄せた生活用品の箱が、暗がりで低く積み上がっている。その奥で、研究側の机だけがまだ起きているみたいに輪郭を保っていた。亮はスープの残りを飲みきり、明日のために空いた机の前へ椅子を一つ増やした。


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