ご飯が食べたいと言ったら、国家魔法師に保護されました。
「この家を出て、僕と一緒に暮らそう」
私にはじめて笑いかけてくれたお兄さんは、優しく手を握ってそう言った。
「この愚図っ、ドレスを台無しにしやがって!」
「も、申し訳ありません、奥様…!」
義母に何度か平手打ちをされてから、額を床につき謝った。
それでは足りなかったみたいで、頭を踏みつけられた。
「…ほっんとに、あんたも事故で死んでくれたらよかったのに!」
義母はいつものようにそう言って、どこかへ行った。
私はそのままゴロンと横になって、自分が息ができているかを確かめる。
…まだ、生きてた。
私も早く、お父様とお母様のところに行きたい。
亡き両親の顔はもう思い出せない。
その代わり、この家の人たちの怒った顔ばかり浮かぶ。
両親のあとを叔父夫婦が継ぎ、私も引き取られた。
その日から、私の周りに温かさは消えた。
使用人と同じように働き、苛立ちの捌け口のごとく殴られ、この物置部屋で寝る。
叔父である義父のことは『旦那様』、義母は『奥様』、同い年の10歳の従姉妹は『お嬢様』と呼ばなければいけない。
花の水を換えていたら、後ろから奥様が私を叩いて、その拍子に水が少しドレスにかかってしまったのだ。
そのまま腕を掴まれて物置部屋にまで戻ってきた。
奥様の気がおさまるのが早くて助かった。
助かった、なのかな…。
あのまま死んじゃえたら、もう痛くなくていいんじゃないかな。
ぼんやりそんなことを思っていると、家の前に馬車が止まる音がした。
お客様かな、そういえば奥様はいつにも増して豪華なドレスだった。
…お金、あんまりないって執事長がぼやいていたのに。
お金あるなら、ご飯がほしいな。
最後に食べたの、昨日の朝だっけ。
目を閉じて、屋敷に響く音に耳を傾ける。
慌ただしそうな使用人の足音、ドアの開く音、たぶん応接間に集まっていく音。
自分の身を守るために耳を澄ますのが当たり前になったら、いろんな音が聞き分けられるようになった。
奥様が扇子を振りかざす音は、一番よく聞こえる。
さっきのを避けたらもっと怒られるからそんなことしないけど、水はうまく避ければよかった…失敗したなぁ。
…聞いたことない足音がする、お客様かな。
この家の誰とも違う、ほとんど音のしない、優雅な足取りだった。
その足音が、近づいてくる。
応接間じゃなくて、こっちに来ている…?
でも、ここには何もないし、どうしたんだろう。
その人は扉の前で止まると、ノックされた。
この物置部屋をわざわざノックする人なんていない。
…誰?
「…ここから確かに魔力を感じるんだが」
涼やかな男の人の声がして、口に手を当てて息を殺した。
…困る、お客様の前になんか出たら、あとで殴られるに決まっている。
お願い、こっちに来ないで。
そんな望みも虚しく、扉が開いた。
「やっぱりいるじゃないか」
そこには、黒いローブを纏ったスラッと背の高い男の人が立っていた。
その人はなんの躊躇いもなく私のところに歩いてくると、膝をついた。
「はじめまして、僕はアレック。君の名前を聞いてもいいかな?」
私に手を差し出して、にっこり笑った。
また怒られちゃうな…、どうして入ってきたんですか。
あなたが来なければ、今日はご飯がもらえたかもしれないのに。
その手を取ることなく、その顔をじっと見ていると、旦那様の勢いのある足音がした。
「…鑑定士様っ、勝手に家の中を歩き回られては困ります!」
「ははは、すまない。強力な魔力を感じたら、このお嬢さんがいたのでね」
「…それは、我が娘ではありません。うちの娘を鑑定してください!」
「では、この子は誰だい?」
「し、使用人にございます」
旦那様がしどろもどろになってそう言うと、ローブの人の口元がニヤリと動いた。
「…鑑定士を相手に、嘘をつくとはいい度胸だねぇ」
ヒヤリと冷たい声は、怒鳴っていないのに、この家の誰よりも怖さを秘めていた。
旦那様がビクリと体を震わせて、口を噤んだ。
ローブの人はもう一度私を見ると、体を屈めた。
「お嬢さん、僕が体を起こしてもいいかな?」
両手を出されたのを見てびっくりして、私はのろのろと自分で起き上がった。
「おや、手伝わせてはもらえないのか。では、名前を聞いてもいいかい?」
さっきまで怖かったのに、今は怖くない。
旦那様をチラリと見たけど何も言わないし、ローブの人に怯えているようだった。
「…ステイシー」
「ステイシーと言うのか、可愛い名前だね」
名前、呼ばれたのいつぶりだろう…。
ローブの人を見上げると、ニコニコ笑っていた。
笑顔、うれしいな。
両親は笑ってくれていた気もするけど、この生活になってから笑ってもらったの、はじめてだ。
この人、怖いのに怖くない人だ。
「では、ステイシー。少しおでこを貸してくれないかい?」
「…?」
「君の鑑定をしたいんだ」
よくわからなかったけど、逆らうなんて許されない。
小さく頷くと、ローブの人は「ありがとう」と言って、手を伸ばした。
体が跳ねたけど、殴られることもなく、そっと触れただけだった。
「おお、これまたすごい。ステイシーは大魔法師にでもなれそうだな」
「…魔法師?」
「この国では10歳になると、魔力があるかどうか鑑定するんだよ。僕はそのためにこの家に来たというわけ」
「…お兄さんが、魔力が多いからですか?」
「おや、僕の魔力量まで見えるとは。そうだよ、これでも国家魔法師だからね」
「国家魔法師…」
「まあ、ステイシーの足元にも及ばない量だけれどね」
よくわからなかったけれど、おでこから手が離れて、なぜかもの悲しく感じた。
「とりあえず風との相性が最高値だけど、何か心当たりはある?」
「…わからない、です」
「こんなに数値が上がっているから、普段から使っていると思うんだけどなぁ」
うーんと唸って首を傾げたのを見ていると、奥様とお嬢様の足音が近づいてきてから、立ち上がった。
「ステイシー、どうしたんだい?」
「…いらっしゃるので」
「というと?」
お兄さんも立ち上がると、部屋の向こうからバタバタと音がして、しばらくすると奥様とお嬢様が現れた。
「ちょっとどういうことなんですの!?鑑定士様はっ?」
「もうっ、愚図の部屋なんて、あたし来たくないのに〜!」
来るなりに大きい声がしたけれど、旦那様が慌てた。
「お、お前たち、今はむこうに行ってなさいっ」
珍しく旦那様が咎めていて、奇妙な光景が見えた。
「いくら待っても、応接間にいらっしゃらないから!」
「ねえねえ、あたしの鑑定をしてくれるんじゃなかったの?」
「だから、今はっ…!」
「なんで、あいつのところなの!?あたしはっ?」
「鑑定士様、こちらが我が家の娘です!とっても利口で可愛いんですの。この子は絶対に魔力がございます!」
「あたし、魔法師になれるんでしょう!」
扉の前で旦那様が通そうとしないから、2人がその向こうから騒ぎ立てている。
…部屋に入れないなんて、はじめて見た。
お兄さんは私を見下ろすと、可笑しそうに笑った。
「風を使って音を拾ったのか。しかも無意識に。訓練もなしにすごいな、ステイシー」
「…?」
「さて、そこのうるさい品のない女たちには黙ってもらおうか」
やっぱりまた怖い声音で冷ややかに言うと、あたりの空気まで冷たくなった気がする。
「なっ、品のない、ですって…!」
「品がないだろう?淑女なら、ましてや貴族なのだから、礼儀よく躾直した方がいい。そこのご婦人とそこの娘は、特に」
「失礼ですわ!あなた、侮辱を受けました!この者を今すぐ連行してちょうだいっ!」
「ねーえ!あたしの鑑定はっ?」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ音がうるさくて、耳を塞ぎたくなる。
お兄さんはため息をつくと、私の顔を覗き込んだ。
「ステイシー、今から魔法を使うからよく見ているんだよ」
そう言うと、お兄さんは片手をヒラっとさせて、部屋の入り口の方に向けた。
空気が動いていくのが、わかった。
「うぐっ!」
「んーんー!」
奥様とお嬢様が喋れなくなっただけでなく、そのまま体が壁に貼り付いた。
「!」
「これはね、風魔法を使ったんだよ」
「風魔法…」
「口を塞いで、ついでに壁まで押しやったのさ。訓練したら、ステイシーもあれぐらい簡単にできるようになるよ」
「…息、できますか?」
「風は空気だからね、ちゃんと息できるよ」
私にはにこやかに笑ってくれたけど、旦那様の方を向くと、笑顔なのに威圧感が増した。
「さて、男爵殿」
「は、はい」
「鑑定によればステイシーは男爵家のご息女のようだが、どういうことかな?」
「…その子は、先代の、兄夫婦の子で」
「つまり、この家で大事にされるべき少女の保護を怠っていると?」
「い、いえっ、そのようなことは…っ!」
「その割には、ステイシーは痩せ細っているし、傷だらけだが?」
「いえっ、その子も大事に育てております…」
「まあ、査問委員会でも同じように言うといいよ。…どうせ、財産目当てだろうに」
「あ…、そ、そんなっ、見逃してくださいっ!私たちはっ!」
「はいはい、要件は済んだから静かにしてね」
お兄さんがひょいと指を動かすと、旦那様も同じ状態になった。
「さて、ステイシー」
お兄さんは振り返ると、私に尋ねた。
「今この家の中にいる人間で、魔力を持つ者は何人かな?」
「…2人です。お兄さんと、私…、です」
「正解だよ!やっぱり魔力を感知できるんだね〜、すごいねえ」
「…お兄さんの、魔力で、このふわふわしたのが魔力だと、はじめてわかりました」
「なるほど。この家には君以外魔力なしだから、比べる相手がいなくて知らなかったんだね」
「というわけで、ステイシー、君のことを保護します!」
「保護…?」
「うん、この家に置いておけないし、貴族のお嬢さんを虐待なんて許されないからね」
「でも…」
「この国において魔力持ちは、それだけで重宝されるからね。それに、君の魔力量は人並み以上だ。国家魔法師の元で訓練した方が、君のためにもなる」
「…この家、出ても、怒られませんか?」
「誰も怒ったりしないよ」
力強く言い切って、私の目を見てくれた。
このお兄さん、なんでかわからないけど、信じていい気がする。
「むしろこの家に置いて行ったら、僕が怒られてしまうよ」
「そ、それはダメです…!」
「ふふふ、優しいんだね。では、ステイシー」
お兄さんは部屋に入ってきた時みたいに私に手を差し出して、微笑んだ。
「この家を出て僕と一緒に暮らそう」
「お兄さんと…、暮らす」
「鑑定士は、魔力持ちを保護する決まりなんだ。それに、君に魔法を教えて、魔法って楽しいって思ってもらえたら嬉しいな」
「…一緒に行ったら、ご飯食べられますか?」
「もちろんだよ!国に報告するから、補助金が出るからお金には困らないよ!」
「お金、困らない…」
「一緒に美味しいご飯を食べよう!それだけじゃない。ゆっくり湯船に浸かって、あったかい布団で寝て、魔法の勉強もして、疲れたらゆっくり昼寝もできるよ。それから、お菓子も食べよう、どうだい?」
私は恐る恐る手を出して、差し出された手の指先だけ握り返した。
「ご飯、食べたいです。お菓子も、うれしい…」
「決まりだね。僕のことは、アレックと呼んでね」
「アレック様」
「そんなに堅苦しくなくていいよ。僕はただの師匠だからね」
「お師匠様…?」
「はははっ、ステイシーはこの家の連中と違って行儀がいいらしいな!」
アレック様は愉快そうに笑って、私の手を握り直した。
「ステイシー、未来の大魔法師様を歓迎するよ!」
アレック様は、そのまま歩き出した。
手を繋いだままだから、私も歩いていく。
まだ壁に貼り付けられたままの旦那様たちの間を通っていく。
怖くて俯くと、アレック様は繋いでいる手をギュッとしてくれた。
「大丈夫。この連中とはここでおさらばだよ。ステイシーが望めば、一生会わなくていいよ」
「…今日、最後ですか?」
「ああ、最後だよ」
アレック様がそう言うので、私は立ち止まって振り返った。
…今日で、全部最後にできるんだ。
「ステイシー?」
「お世話になりました」
私は義父たちに頭を下げて、もう二度とこの家には帰らないと心の中で思った。
「…本当に、どうしたらそんなにいい子に育つかねえ」
アレック様は不思議そうに笑って、私の頭を撫でた。
ああ、お母様が昔よく撫でてくれたのに、すっかり忘れていた。
…くすぐったいな。
泣きそうになって、えへへ…っと、自然と笑みが零れていた。
あれ、笑ったのって何年ぶりだろう?
そう思っているうちに、体中が光に包まれて、痛みが引いていった。
「あれ、痛くない…」
「…笑うと治癒魔法が発動するとは。治癒魔法って簡単に使えないんだよ?」
「廊下が、綺麗です」
「ついでに部屋の掃除までできたのか。こりゃあ、早速訓練しなきゃだねぇ」
「笑ったら、治療できるんですか?」
「ステイシーは魔力だだ漏れだから、呼応しちゃうんだろうね」
「…もっと笑っていればよかった。そしたら、すぐ怪我も治せましたね」
「これからは、痛い思いなんてさせないよ」
アレック様の言葉に、私はやっぱり笑顔になれた。
「はい!」
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