3.『"赤"の道へ』
「記憶喪失....嘘でしょ...?」
赤髪の女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
目の前の現実を直視出来ないと、そう訴えていた。
だが、泣きたいのはこっちも同じだ。
「...ぁ...あぁ...えっと....っ!」
突然、ルイの胸ぐらを掴み、彼女は動転したように叫び続けた。
「嘘でしょ!?ねぇ!ルイ!そうやって私をからかってるんでしょう!?お願いだから今は真面目にやって!ペルー死んじゃったわよ!?ニカルドもどこにいるのか分からないのに!ねぇ!!!ルイ!!!!」
彼女の悲痛な叫びが、魂に刻み込まれる。
黒髪の女に向けられた憎悪とは違う、コレは懇願に違い感情だ。どうか、嘘であってほしいと、そう叫び続ける懇願の感情。
「...ぁ...あぁ」
「どうすればいいの...ねぇ!ルイ!私言われた事全部やったよ!?一級の魔術師ちゃんと殺したよ!?罠も全部仕掛けてきたよ!?ねぇ!!!ルイがやれって言ったこと全部やったのよ!?」
叫ぶ。怒号が止まってくれない。
泣きじゃくる彼女の顔にもはや先程の強者のような表情はどこにもない。ただ縋り付く子供のような泣き顔。その顔を見て、ルイに出来ることとは、
「ごめんなさい.....」
何に対してかも不透明な謝罪をするしかなかった。
「.......................」
彼女の怒号は、その謝罪でやんだ。
いや、違う。もうこれは現実なのだと再度絶望し、現実を噛み締めいてる最中なのだ。
その空気感をルイは読み取り、ただしばらく黙って彼女の心が休まるまで待つしかできなかった。
「.......ルイ、ごめんなさい。取り乱したわ。」
「いや、、その.........はい。」
「....」
ルイには見えない角度で彼女は涙を拭い、パシッと自身の頬を引っ張り叩いた。何かを決意した様子で、息を吐き出す。
「私が、しっかりしなくちゃいけない。」
目の下には涙の跡が残っており、目の潤いもしているが、彼女は腹を決めて現実の絶望と戦う決意をした。
そして、座り込んでいるルイの顔の元に近づき、ルイを見つめながら八重歯を見せて強がりの笑顔をした。
「いい?私はデリーナ。デリーナ・エイリよ!アンタとはこの魔王城まで一緒に死線をくぐり抜けてきた仲間!私はアンタの味方だから、絶対に居なくならないから。」
そして、彼女は、デリーナはルイのことを抱きしめ、心からの言葉を彼に伝えた。
そもそもここが魔王城であることなど、味方云々など、詳しく聞きたいことはまだまだあるにはあるが、大体の事は掴めた為今は自己判断で省略する。
更に、ここで自分の名前はルイ・レルゼンで合ってるのかなどと聞いてしまえば彼女の絶望する顔をまた見るハメにらなるかもしれないので、ここでは我慢する。というか、ルイであることは多分確定している。聞くまでもない。
「...あぁ、ありがとうございます。その、デリーナ...さん?」
「デリーナ!デリーナって呼びなさい!そんでアンタはいつもタメ口だったでしょ?私の方が年上なのに。」
デリーナは、頬を膨らませてルイと同じ目線で怒り始めた。記憶喪失で呼び方も関係性も分からないルイに早く元に戻ってほしいと言わんばかりに呼び方と言葉遣いを強制させた。
記憶喪失ではなく、全く別の人間がルイに入ってるということは分かるはずもなく。
「わ、わかった!デリーナな!よ、よろしく!」
「ん!」
ルイの言葉に納得し、よし、と言わんばかりに腕を組み立ち上がるデリーナ。
その赤い瞳と髪の色は間近で見ても美しい。こんな美女に好かれているとは異世界に来て初めて良かったと思える事だ。
まぁ、それ以上に苦しい事が、異世界転生して数分だというのに起こっているのだが。
「ひとまず、状況を整理したい。俺はどんな奴で、何をしにこの...魔王城?に来たのか。」
「...記憶喪失だと言うのに、結構冷静...ま、ルイだしそりゃそうか。」
デリーナの言い回し的に、これまでルイという男はデリーナによく頼られていた存在なのだろうと推測できる。
悪行を犯したこの犯罪人を好くこの女も、きっと悪人なのだと思うが、今は救世主だと思って接する。
勿論この状況から脱したらルイはどこか遠くは行き新たな人生--
「...てか、俺こっからどうすんだ?」
考えてみれば、悪行のレベルからして世界的犯罪人であってもおかしくない。
ルイ・レルゼンという名が世界に轟いていた時、ルイはこれから何をするべきなのか。
「ルイ、ひとまず記憶の戻し方を考えない?ルイとの思い出私だけしか覚えてないなんてイヤよ。」
「そ、それだ!」
デリーナの発言で脳に電撃が走る。
そう、記憶を元に戻せば元のルイ・レルゼンが戻ってくるのではないか、と考える。
今は偽物のルイと言っていいだろう。だが、こんな最悪な男の偽物など、コチラもゴメンなのでとっとと所有者に返してやりたい。
その後の自分の魂がどうなるかはさておき。
というか、このデリーナという女、かなりルイに懐いている。この男の何がいいのか。顔は悪くないが。
女性に好かれる経験が皆無だった為、ルイは今この状況で唯一その部分だけにはルイ・レルゼンに感謝していた。
--ありがとう、ルイ・レルゼン。女性に好かれるとはこういうことか。素晴らしい経験だよこれ。
「私がルイと別れたのは、27階で一級の魔術師と遭遇した時...ルイは私にそこでの戦闘を任せて上に行ったわ。」
「上に?何のためにだろう。」
「決まってるでしょ、魔王の首を奪う為でしょう?」
これは意外。大犯罪を犯しまくっておいて魔王の首に興味があるとは、勇者にでもなろうとしているのだろうか。それとも魔王を討ち取っただけで自分の行いが帳消しになるとでも考えているのだろうか。どちらにせよこのルイという男は生き方が鼻につく。
「なるほどね、つまり27階より上で俺に何かがあったと。」
「そう、私が敵を倒してから急いで上へ上った時、ここ30階でさっきルイを見つけたの。」
「そしたら記憶を失った俺がここにいたと...それはなんというか、なんかごめんなさい。」
汗水垂らして頑張った挙句記憶喪失の足でまといと遭遇するという何とも不遇な扱いを受ける彼女に少々申し訳なさが残る。
だが、これも全部中途半端な転生をさせた神様のせいだ。本来の転生というのはもっと分かりやすく、『これは...転生!?』という流れになるものだ。しかし、ルイのこれはどちらかと言えば知らない人の中に突然放り込まれた感覚。しかも大罪人という特典付き。
「クソ神が。」
デリーナに聞こえないくらいの大きさで神に向かって悪態をつく。
「問題は、どうして記憶を失ったか、よね。何か心当たりがあるかと聞きたいけど記憶喪失だもんね。」
心当たり、完全に無いと言うには少し嘘になる。恐らくこの状況はルイの異世界転生が絡んでるのは明白。
転生先に選ばれたこの肉体の主であるルイ・レルゼンの意識が黒澤 零によって書き換えられて記憶が消去されたのであれば、戦犯は零にある。
だが、こんな緊迫した空気で異世界転生の話等したら頭おかしいのかとでも言われそうなので一旦黙っておく。
「...この城には記憶に関する魔法を扱う奴とかいるのか?」
「私そんなに詳しくないわよ...その分野はアンタとニカルド専門だから。」
どうやら彼女は戦闘専門の立ち位置らしい。
そして、ルイの仲間には彼女の他にニカルドという者がいるということもわかった。
どうやら全世界から憎まれているのではなく、あの黒髪の女個人に憎まれているのだろうか。
そんな考えをしていたら、廊下の奥がうるさくなってきた。
「何だこの音。」
「どうやら、あの女血眼になって探してわね。本当ならぶっ殺してやりたいけど...」
そう言いつつ、彼女は床でしゃがみこみ身体を震わせている未熟な男、ルイを見て少しため息をついた。
「ルイがこんなんだから...もう!逃げるわよ!」
「良かった!あの女ともう会いたくなかったから!」
「アンタ復讐心とかないわけ!?」
デリーナの結論に満面の笑みを浮かべた。
正直転生そうそうトラウマを植え付けられたのであの女とは二度と会いたくない。次は本当に殺されてしまう。
2人は、音のする方と逆側に向かって走り、特に目的の無いまま上へと続く階段を上って行った。
「上でいいのか?」
「わかんないわよ!でも、下はもっと敵が多いから!とりあえずよ!」
「くそ...もっと俺に戦う力があればな。」
前のルイが強い言われていただけに今の弱小のルイへと変貌したのはデリーナからしたらショックが計り知れない。しかし、彼等に下を向いている暇は無い。一刻も早く記憶喪失の手がかりを見つけ出し、"ルイ・レルゼン"を戻さねばならないのだ。
そうすれば、"彼"は楽になるのだから。
------
「--っ!」
「ど、どうした!?デリーナ!」
魔王城32階まで上った2人。
ここで、デリーナに異変が起こる。長い廊下を走り続けていると、突然膝を床につき鼻を手で覆い隠した。
「っ!」
そして、彼女のきめ細やかな白い手から溢れ出てくる赤い液体は、彼女の鼻から流れ出て来ていた。
突然の出来事に無能のルイは無能っぷりを見事にお披露目する。
苦しそうな顔をする彼女の横でルイはただ慌てふためくだけで何も出来なかった。
「どうして、急に...」
「...心配しないで、ただの呪いよ...今、治癒するから。」
そう言い、彼女が自身の懐から取り出しのは、先程ルイに手渡した緑の液体とは違い、紫の液体を取り出して飲み出した。
「...っゲボ!っゲボ!」
「うぉ、うぉい、大丈夫?」
「平気よ...ごめんね、ルイ。私が頼りないばっかりに。」
少し、落ち着いたような表情を見せて彼女は立ち上がった。鼻から出ていた血は直ぐに止まり、ふらつく様子などもなく特に異常は無さそうだ。
そして、彼女はルイの目を見ることなく、ただ下の床に滴る鼻血を見ながら静かに自身の不甲斐なさを憎んだ。
「いやいや、君がいてくれたから俺は生きてるよ!頼りないなんてとんでもない!めちゃくちゃ助けられてるって!」
嘘でもお世話でもなんでも無い、心から出た本音。
彼女は記憶喪失となったルイに大した事が出来ていないように思っているが、混乱状態の中で唯一光となってくれた彼女に対して心底感謝している。
「ルイ.....っふん!!!」
「うぇ!?」
彼女は、潤った瞳でルイを見た後、喝を入れるように自身の頬を引っ張り叩いた。その音が静かな廊下で響き、ルイも思わずビクついてしまう。
「ごめん!弱気だった!私が...ちゃんとやらなきゃよね!!!」
なんて、強い子なのだろう。
記憶喪失と聞いた時、あんなに取り乱していて、無力なルイに縋るように泣きじゃくっていた彼女は数分の間に自分の力でこの状況を打破しようと力んでいた。
きっと、ここまでの道中で沢山辛い事もあったし、色々な敵と戦って疲弊もしてる。そして、記憶喪失となったルイのお世話係もしなければならない、もう疲れまくっているだろうに、それでも彼女は前進しようとしている。
心強い。いなくならないで欲しい。ずっと隣にいて欲しい。彼女の顔に絶望の表情をさせたくない。
だから、
「俺の記憶を取り戻そう。」
やる事は分かりきっている。だが、もう一度理解しろ。自分の成すべきことを。
ここは、魔王城。敵がうじゃうじゃいる。次、奥の廊下の角を曲がった時には、新たな敵と遭遇しても不思議ではない。
そんな危険な場所で、無力な男など誰が必要とするか。
一刻も早く、取り戻さなければならない。
彼女の求めているルイ・レルゼンを。
「俺が、ルイ・レルゼンを復活させてみせる。」
「ルイ...」
この、強い強い赤髪の少女の隣に立つべき男は彼女が期待し、彼女を助け出せることの出来る程強い男でなければいけない。
--お前なら、出来るんだろ?"ルイ・レルゼン"
拳を固く握り締め、ルイは決意し前へ進む。
行くべき道を行く。
彼女の待つ"ルイ・レルゼン"を蘇らせる道へ。
その道が、大悪党である"ルイ・レルゼン"を蘇らせる道だと言うことを忘れて。




