8.『黒澤 零』
セミの鳴き声が聞こえてくる、なんて夏らしい事も言いたい所だが、外に出ずに部屋に閉じこもっている彼には、セミの鳴き声も夏の暑さも、夏の風物詩を感じることもないので語ることは出来ない。
ゲームをやり込んでいる訳でもなく、漫画に没頭している訳でもない。
彼は、ずーっと、アニメと動画を見続けていた。
ゲームは少しだけ頭と手を使うので疲れるからやらない。漫画はページをめくったり文章を読む必要があるので読まない。
動画とアニメだけはベッドで横になりながら見ているだけで勝手に進んで行くから楽で良い。
高校3年生の黒澤 零は、夏休みに入ってから10日経ったと言うのに、まだ1歩も外へは出ていないし、出るつもりもない。
時々サボりつつも、普通に学校へは行っていたので引きこもりという訳でもない。
ただ、彼には友達と呼べる人が居ないだけだ。
どこでこんな人間になってしまったのか、今では全く思い出せない。
「...ん、もう、夕方か。」
カーテンの隙間から見えてくるオレンジ色の景色から、外が既に夕暮れであることを感じる。
のそっとベッドから起き上がり、身体を思いっきり伸ばしてみせる。
愛用している黒ジャージを羽織いつつ、部屋のドアを開けた。
階段を下ってキッチンへと足を進める。
今日起きて(13時)から夕方まで何も食べてない為カップラーメンでも入れたいところ。
「なんもねぇ。」
しかし、カップラーメンどころか冷蔵庫には豆腐と納豆しか入っていなかった。
流石に豆腐と納豆で料理をするのは料理人レベル100無いと厳しい戦いではあるので、素直にコンビニに駆け込む事としよう。
靴下を履くのが面倒なのでサンダルを履く。
上は黒ジャージで下は中学の頃の青色の短パンの為、色的におかしいとは思うが、寝癖をつけたまま外出する零にとっては些細な問題だ。
10日ぶりの外出。MISSION内容は『カップラーメンの調達』だ。
およそ300メートル先のコンビニへの長い長い道のり、是非とも頑張りたいところだ。
「...」
コンビニに辿り着くと、同じ中学だった同級生達が駐車場の前で語り合っていた。
別に喋ったこともないが、一度同じクラスになった人達だった。多分、アチラは零の事を覚えてないし、見ても気づかれないと思う。
「...」
男2女1の不思議なメンバー構成だ。男女の友情なんて成立しないと思っている零からしたら意味不明な比率だ。男のどっちかが女の方を好きなハズだ。
「...」
楽しそうに、彼等は話し合っていた。皆アイスを片手に笑顔で言葉を交わしていた。
「...MISSION失敗。」
零はそのままUターンして家へ帰って行った。
「...迷惑な奴らだ、死ねよ。」
コンビニの前でだべるなんてはた迷惑な奴らだ。同じ中学だったのが恥ずかしいくらいだ。
警察に通報してやろうかと思ったが、今回は見逃してやることにした。
家へ帰る道中でも、ムカつく人々は居た。
「...うおっ」
目の前からやって来る自転車。
こいでる人は20代半ばの女だった。イヤホンしながら携帯に目をやっており、全く零の事を見ていなかった。零が避けなければ確実に当たっていた。
しかも、逆走してきた。自転車は左側通行のハズなのに。
「...死ね。」
あの女も、死んだ方が良い。
「...」
道路の真ん中を駆け回り鬼ごっこをしている子供達が居た。道の端で母親同士が話に花を咲かせており、子供達の事を全く見ていない。
車が全く通らないからと言って、道路で遊ぶのも、それを注意しない親も、どっちもクソだ。
「死ねよ。」
死んだ方が良い。
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家に帰っても、腹の虫はうるさくて仕方なかった。
結局MISSION失敗で食料の調達は出来なかった為、零の飯は母親が帰ってくるまでお預けとなる様だ。
仕事から帰ってくるのが18時頃で、夕飯は19時頃。
あと3時間程と考えればまぁ何とかなる。
「うし、アニメ見よ。」
と、薄暗い自室の中で、パソコンの電源を入れる。
虚空な目でブルーライトの光を浴びながら、零は今日の出来事を振り返った。
「...」
コンビニの奴ら、自転車の奴、道路の奴、たったこれだけの距離で、こんなにも死んだ方が良い人間がいるのだ。
「やっぱり、この世界はクソだな。」
いくらか、処分した方が世界はよりよくなるハズだ。
ゴミみたいな奴らも、不真面目な奴らも。全員死ねば良い。
そんな思考が、高校生の彼の頭をずっと支配していた。
彼がこんな性格になってしまったのはいつからなのかはもう分からない。ズルズルと、生きていく内にあらゆる事に対して憎む性格となった。
「人類いつになったら滅ぶんだろうなぁ。生きてても何の意味もねぇだろ。」
くだらない、くだらない。全てがくだらない。
人間とは、生きていても害しか与えない有害物質なのだ。本当に消えてしまった方が良い。零含めて、人類皆クソなのだ。
そんな思想をネットで呟きながら、今日今日とてネットサーフィンをする零。
彼の夏休みはそんな風に過ぎていった。
「黒澤、何で夏休みの間文化祭準備来なかったんだよ。」
「...え?」
それは、夏休み明け、クラス長から言われた言葉であった。
「夏休み期間、1人1回は準備に来るって決まりだったろ。黒澤だけ来てないんだけど、どういうこと?」
「あれって...任意じゃなかった...け?」
文化祭準備、夏休み明け早々始まる文化祭に向けた準備は、基本既にこの時期には半分程終わらせているのが普通であった。
夏休み期間に作業を進めるのはどのクラスもやることで、ウチのクラスでも同じ方式が取られた。
そして、決め事として1人1回は夏休みの間までに文化祭準備に学校に来るという事が、確かに決まりとしてありはした。しかし、部活や諸事情で来れない人もいる事を考慮して、あくまで"出来れば"という姿勢が取られていた。
と、零は勝手に思っていたが、どうやら違うらしい。
「他の皆、部活で忙しい人達だって来たのに、どうして部活にも入ってない黒澤が来てないの?」
「...え〜と...」
「やる気ないんじゃないの?」
「...」
「ねーよ」とはここでは流石に言えなかった。
クラス長の表情がよろしくなく、眉間に皺を寄せて零は完全に押される一方だった。
「...ご、ごめん。」
「やる気が無い人に何言っても、無駄か。」
クラス長である彼女は、完全に零に対して嫌悪感MAXであった。耳を貸そうともせず、零を悪として話を勝手に終わらせた。
周囲の目は冷ややかであった。
黒澤 零の味方などこの教室には居ないのだ。
「...んだよ、それ。」
零はやるせないこの現状に対して舌打ちをし、皆が作業をしている中、一人教室から出ることとなった。
教室を出て、階段を上る。文化祭準備期間の為、授業が無く本来1限目のこの時間帯でも廊下を歩く生徒は沢山居た。
そんな中、零だけが虚ろな目をしながら静かに階段を上っていたのだ。
着いた先は、開けた屋上であった。
雲一つない満点の快晴がそこには広がっており、まだまだ暑い季節であることを肌で感じた。
「...」
零という存在だけが、この広い世界でポツンとただ一人存在している、と思わせるくらい屋上は広かった。
「どうすりゃ、いいんだよ。」
零は高校生活、イジメられていた訳ではなかった。ただただ友達がおらず、つまらない生活であると噛み締めながら生きてきたこの高校生活。
ついに、イジメられる契機を作ってしまった。
イジメとは、悪だ。それは明確な話であるが、人間は残酷な事に、イジメが好きだ。
誰かを攻撃する対象とする事で、他の人達は団結力が生まれて、絆へと変わっていく。
そんな汚らわしい絆の踏み台として、黒澤 零が選ばれたのだ。
「ふざけんなよ...もう、詰みじゃん。クソ、クソ!死ねよ!全員!」
目の奥が熱くなっているのを感じて、大声で空に向かって叫んだ。
こぼれ落ちるモノを必死で抑えて、零は上を見上げ続ける。こぼれないように。
「俺、悪くないだろ...何で、そこまでして俺を陥れたいんだよ。そんなにイジメたいのか?」
零の思考は、一貫して自分は悪くないというものだった。
だって、そもそも任意と言っていたし、責められる筋合いは無いのだ。
「あの、クソ女が...川口とかだったら絶対何も言わなかったくせに。」
川口 彪馬、零のクラスにいるサッカー部の男。彼は言わゆる一軍だ。クラスでの人気も高く、クラス長である佐藤 日和にも好かれている。
日頃からヤンチャする川口をクラス長として注意する佐藤という構図が出来つつあった。だが、それは零から見ればただのじゃれ合いだ。零に対する対応と川口に対する対応は全く異なる。人によって態度を変えるあからさまな最低女。
「...死ね、死ね。死ね死ね死ね!」
殺してやりたい。ぶっ殺してやりたい。
あの、小さな首を絞め殺してやりたい。
零は屋上で寝っ転がりながら、青い空に向かって罵声を浴びせ続けた。
「あ、いたいた!」
すると、扉の方向から爽やかな声が聞こえてきた。
「黒澤!何やってんだよこんな所で。」
「...あ、川口...君...」
川口が、微笑みながらそこに立っていた。
「...えっと、なんでここに?」
「なんでって、黒澤探しに来たに決まってんだろ?アレ別に黒澤悪くないだろ。佐藤の奴すーぐキレるから、取り扱い注意だぜ?」
なんて、なんて眩しい男だ。影が薄く、皆の前で怒られるという痴態を晒した零にですら、平等に、爽やかなイケメン対応してくる。
川口 彪馬という男は、どこまで、どこまで、イケメンなんだ。
「とりま、戻ろーぜ。俺も一緒に反論してやるよ!佐藤に。文化祭は、クラス全員で成功させなきゃ意味ねーもんな!」
「...うん。」
そうして、川口の後ろをついて行き、零は結局教室に戻って行った。
「どこ行ってたの!」
「黒澤とだべってた。」
教室に戻って早々、クラス長 佐藤は川口に対して怒った。川口は零の肩に手をかけながらそう言って軽く謝罪の会釈をする。
「もう!看板がまだ終わってないの!早く手伝って!」
「わーってるよ!その前に、ちょいちょい〜、佐藤よ、黒澤に謝んなきゃいけないんじゃあないの?」
川口は佐藤の背中をツンツンと指で叩いて、零を佐藤の前に差し出した。
「は?私が謝る事?」
「だってよ、夏休みの文化祭準備ってそもそも任意だろ〜?それで怒るのはちょっと違うと思うし、それに、黒澤も忙しかったらしいぜ?」
「ぇ」
「ん?そうなの...?」
忙しいなんて一言も言ってないし、本当に何も無い為、零は固まってしまう。川口の余計な言葉で零を見つめる佐藤の目が怖かった。
「えーと...」
言葉を詰まらせている零を横目に、川口が肩をポンッと叩き、前に出る。
まるで「俺に任せろ」と言わんばかりに。
「黒澤ん家小さい妹いるからさ、黒澤が面倒見てなきゃいけなかったんだとよ。親も仕事だから黒澤しか居ないんだよ。」
「っ」
頼もしすぎる川口の背中を見て、零は唾を飲んだ。
何故なら、衝撃を受けたから。どうして、川口は零に妹が居ることを知っているのか。
--いや、普通に適当な嘘がたまたま当たっただけか?
「で、でも!それで1日も来れないなんて事無いでしょ!?親の仕事が休みの日くらいあるでしょ!その時とか...」
「あくまで"任意"だぞ?そんな事言えば、俺らだって部活が休みの日は何日かあったけど、全部文化祭準備にあてた訳ではなかったし、行ける人が来ればそれで良いんじゃないか?」
「でも、1人だけよ!?来てなかったの!」
「それで黒澤にやる気が無いって判定するのはあまりにも早いんじゃねえの?誰かが出来なかった分は他の奴がやる。そんで、その後出来なかった奴が頑張る。そうやって、助け合うのがクラスだと、俺は思うぜ?」
「...」
佐藤が完全に押され気味となり、黙りこくった。
川口の圧倒的な話術によってクラス長を打ち倒した。
教室は若干静かになり、3人の元に視線が集まる。
零は川口に対して感謝はするものの、この空気は気まずすぎると思っており、こうなるくらいなら自分が悪者で良かったと、そう思っていた時だった。
「でも!お前の文化祭への本気は十分に伝わったよ!」
「ぇ」
川口が佐藤の肩を叩き、眩しい笑顔をしていた。
キラリと光り輝く八重歯は、太陽に反射された様であった。
「本気でこのクラスで文化祭を成功させたいと思うからこそ、お前は本気で黒澤に対して怒っちまったんだ。佐藤は熱くなる所あるから、気をつけろよな〜。」
頭をコツンと弾いて、全く悪い気のしない言い方で締めくくる彼の話術は流石と言える。
「...う、うぅ...黒澤、ごめんね。」
「え、...あ、お、俺も...はいぃ.....」
顔を少し赤らめた佐藤が零に対して申し訳程度の謝罪をして来た。
オドオドと気持ちの悪い返答をする零を見て、川口がここでもすかさずイケメンムーブをかましてくる。
「よし!謝ったしこれでこの話終わり!黒澤もやる気満々!今年の最優秀は、俺達3-C組が勝ち取るぞ!」
「「「うおー!!!」」」
彼の鼓舞に、クラス中が湧く。傍観者だった者たちも、ピリピリしていた佐藤も、拳を上げて笑顔で気合いを入れ直した。
「---」
ただ、ここに1人、川口を睨む視線があった事に誰にも気付かず。
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さて、黒澤 零はクソ人間だ。
どこで性格がねじ曲がってしまったのか明確な分岐点があった訳では無いが、ただ淡々と生きている内に方向が逸れてしまったのは間違いないだろう。
クソ人間というのは、常人では理解出来ない程の捻くれ者と言っても良い。全ての人間の全ての行動を悪意として捉えてしまい、その溜まりまくった憎悪が時に爆発してしまう事があるのだ。
「....なんで、だ?」
その、川口の震えた声に、零は何も答えなかった。
右手に持ったカッターは、夕焼けを反射して2人だけとなった教室に輝いていた。
「なんで、なんだ!?黒澤っ!!!!」
川口の震える声がどんどん近くなって行き、川口は零の胸ぐらを激しい強さで掴んでいた。
零は床に倒され、尻もちを着く。川口は零の身体の上に乗っかり、険しい顔で零を見つめていた。
そして、もう一度問う。
「なんで!こんな事した!?黒澤!!!」
2人の周りには、零によってボロボロとなった、文化祭の為に準備された装飾の数々があった。
カッターによって切り刻まれ、明日にまで迫った文化祭本番には直るとは思えない程であった。
そして、川口の怒りが、零を襲う。
「なんで...なんでっ!?お前も、楽しめるように...俺は!頑張っただろう!?なのになんでっ!!!!」
「...るせぇよ...!知らねぇよ!お前の気持ちなんかっ!」
オレンジの夕焼けに染まる教室で、2人の生徒の荒声が聞こえて来る。
「最初に刃を向けたのはあっちだ!だから...これはただの復讐だっ!俺が間違ってる訳ねぇだろ!」
零の意見も聞かず、悪者として扱われたあの屈辱を、あんな生温い謝罪で許す訳がない。
黒澤 零の、クラス長 佐藤への復讐とは、文化祭をめちゃくちゃにする事で成り立つ。そして--
「これじゃっ!佐藤だけじゃなく、皆に迷惑かかる!分かんねぇのか!?」
「分かってる、だから!やったんだよ!お前らにも復讐する為になっ!」
「はぁ!?」
「アイツらも同罪だ!傍観者のフリして俺の悪口言ってたに決まってる!全員同じ罪だっ!」
「ふざ...けんなよ...!!!俺は、お前を助けようと!」
「お前が1番気持ち悪ぃ!クソ野郎!俺を利用して自分の価値を上げようとすんな!俺は誰かの踏み台じゃない!このクラスで1番性格悪いのはお前なんだよ!川口!」
川口に、助けられた。川口が零を独りにしなかった。
それがとても、とても、腹立たしくて仕方なかった。
下に見るな、助けようとするな。
死ね。
2人の取っ組み合いは、駆けつけた先生によって解消され、その後直ぐに黒澤 零は停学となり、自宅待機となった。
文化祭には行けなかった。零によってめちゃくちゃになった文化祭を想像すると、
「...はは」
笑いが止まらなかった。




