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勇者の贖罪  作者:
1章 『魔王城脱出』
20/29

19.『リーベ家の崩壊 下』

「ままぁあああああああ」


その雄叫びは、館全体に響き渡る。

リリアナの鼓膜まで響き、彼女の魂に届く。


「っ!セレナァアアァァ!!!!!!!」


リリアナは、瓦礫にまみれた階段まで走り、2階を目指す。娘を今すぐに、腕で抱きしめてあげたかった。


ここにあの子を残すぐらいであれば、いっその事、一緒に死んで--


「あの子は僕の運命に関与してない。名前を呼ぶな。頼むから、これ以上君を幻滅させないでくれ。」


「っ!っクソ...野郎っ!!!!」


「そんな言葉、全く美しく....いや、美しい。君が、美しいからそれもまたいいね。うん、最高だ。君の怒り。そうだ、君の前であの子の生首を見せたら、どうなるだろう。」


「は?」.


「あの子のことを溺愛しているようだからね、それが僕はむず痒いんだ。」


セグルド・サターンとは、誰よりも運命に忠実な男だ。自分が決めた運命の人が、他の人間に愛を注ぐ事を決して許さない。

例えそれが、当人の子供であっても。


------


セレナ・リーベの魔法は、『転移』。

世界から身体を一度シャットアウトして、セレナの思い通りの距離間を移動出来る。遠ければ遠い程、魔力は消費する。

世界から一度消え、次元を超えて移動するという驚異的な魔法であり、これは世界の基準から見ても、"当たり魔法"に分類されるだろう。しかも、かなり上位の。しかし、当人にその自覚は無い。


「...ママ...どこぉ?」


立ち込める黒い煙とほのかに香る死臭が、セレナに迫る。

ベッドから出て、炎がまだ到達していない部屋の真ん中で、セレナは怯えることしか出来なかった。


「---」


声が、出ない。今一度、自身の置かれた状況を子供ながらに理解して、絶望する。

取り巻く炎は、出口を無くしている。

扉も窓も、炎の壁が邪魔をする。逃げ道が無い。


「---」


声を上げずに、セレナは涙を流した。

これが、夢であればどれ程良かっただろう。

悪い悪夢だったと、朝目覚める時に嫌な気分になる程度で済むのであれば、どれ程--


「--やめてっ!この子に手を出さないでっ!!!」


「はは、声を上げずに泣いてるよ。良いね!子供の泣き声程鬱陶しいものは無いからね。」


燃える扉を、赤髪の男がこじ開けた。

男は、左腕に母を抱えていた。母はひどく動揺して、抵抗している。しかし、母の抵抗は虚しく、男の進行を何一つ邪魔できずにいた。


「---」


男がゆっくりと炎の中を突き進み、近づいてきた。

薄気味悪い笑みを浮かべて、灼熱の中を平然と、歩いてきた。


「チャンスをあげよう。名前を教えてくれるかな?」


男が、目の前に立って、セレナにそう告げた。


この場に居る人間の命を、自分の掌の上だと思っているであろう、気色の悪い、はらわたの煮えくり返る笑みを浮かべて。


「...セレ...ナ...」


「...ママ」


セレナ・リーベは、思い出した。

母の言葉を。


『--人生とは、選択の連続よ。』


「---」


そして、セレナは理解した。


「君の名前が、運命に当てはまっていたら、生かすとしよう。」


男が、何か意味不明なことを言っている。

だが、セレナには分かる。この男はセレナを生かす気は微塵も無い。


譲歩をして、チャンスを与える、など、人間らしいことをしようとしているだけの、狂人だ。


だから、理解した。


「---」


今だ。


『--人生とは、選択の連続よ。』


今が、その時なのだ。


------


綺麗な、花畑。

アイリス王国で一番の、いや、世界で一番の花畑だ。


「いったぁあああああいいいっ!!!」


そんな鮮やかな世界の中で、一人おでこを赤く腫れさせ泣きじゃくる少女が居た。

少女はたんこぶのように膨れ上がったおでこをさすりながら、辺り一面の花畑を涙のみずうみと変貌させる。


「だーかーらー、この景色はただの仮初って言ったでしょう?ママの魔法はそんなに凄くないの。ここは花畑みたいだけど、実際はセレナの部屋よ。」


「だってー!こんな所に壁があるんだもんー!」


そう言って、セレナは途方もない花畑の奥を指さした。彼女的には目の前にある見えない壁を指さして言っているのだが。


「もー、そこは窓でしょー?自分の部屋の構造なんだから、ちゃんと覚えておきなさいよー。」


「分かるわけないっ!」


「わかった、わかった、ふふ、じゃあママに任せなさい。」


そう言って、リリアナはセレナを足に乗せて、彼女のおでこに手を当てる。

真剣な眼差しでセレナの目を見つめてから、リリアナは口を開いて言った。


「痛いの痛いの、飛んでけー!」


「うう...う?あ、...あは...あはははっ!飛んでった!!!!」


「うふふ、ママもセレナみたいに、"痛み"を転移させられるんだから!」


リリアナのそんな冗談が、セレナからしたら最高に面白くて、バカ笑いするには十分すぎる理由だった。

リリアナは、母は、いつだってセレナを助けてくれた。


母はいつだってそうだ。


------


寒い、冬の事。アイリス王国で、一番の冬だった。

外に出れば、身体が直ぐに凍えてしまいそうな極寒の最中だった。


「う...うぅ.....」


「雪遊びなんて、こんなになってもしたくなるものなの?全く...セレナには、もう少しお姫様の自覚が欲しいわねぇ。」


そう言って、冷たい布をおでこに当ててくれた母の顔は見ているだけで安心した。

流行の病にかかってしまい、数日間寝込んだセレナをずっと看病してくれていたリリアナの愛が、セレナの心を安らげる。


母はいつだってそうだ。


------


いつだって、ずっと助けてくれたのは--


------


「逃げてっ!!!セレナッ!!!!」


涙を流しながら、母は叫んだ。

男に抱えられ、為す術の無い母は、最後の抵抗で、セレナに向かって叫んだのだ。


「どうやって逃げんのさ。」


男は、母を見下して嘲笑う。

既に男との距離は数十センチであり、男が持つ魔法は分からないが、男の表情は、いつでも殺せると言わんとする顔。


自分の命すら怪しい。そんな今際の状況で、母はセレナの心配しかしていなかった。

それが、セレナにも伝わった。

いや、分かっていた。これまでも、ずっと。


リリアナ・リーベというにんげんを。


「セレナ〜?」「セレナ」「セッレナー!」「セレナ!」「セレナ?」「セレナ〜!」「セレナ...」「セ〜レ〜ナ〜」「セレナッ!」「セレナ!セレナ!」


「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」「セレナ」



--人生とは選択の連続



これまで、『転移』の使用はセレナ本人しか転移してこなかった。他の人間と一緒に転移が可能なのかは試していなかった。


だから、今この場でそれをやるのはあまりにもリスクが高い。下手をすれば『転移』の発動が異常をきたし、何より、母は男に抱えられ、触れている。

複数人転移が可能だとしても、このままでは男も転移の対象になるのでは。セレナは男に殺されるかもしれない。


最も確実なのは、この場でセレナのみが転移する方法。


それでも、セレナは選んだ。


『セレナ』


母の目が好きだ。


『セレナ』


母の声が好きだ。


『セレナ』


母が好きだ。


『セレナ』


だから、選んだ。


「ママ!」


「セレナ!?」


「あ?」


母と助かることを選んだ。


------


セレナは、リリアナの手に触れて泣き叫んだ。


「ママ!」


男が抱えているにも関わらず、セレナは母と転移することを望んだ。

そして、その意図はセレナの魔法を知っているリリアナにも伝わる。


「ダメ!セレナ!逃げなさい!ママはいいから!」


「いやっ!」


「セレナっ!!!!!」


2人の親子が泣き叫ぶ光景を呆然と見ている赤髪の男。髪をポリポリとかきながらため息を着く。


「リリアナ、君は僕だけを見ていれば良い。他は、全部どうでも良い。」


男の手は、既にセレナの顔面を捉え、魔法の行使を実行しようとしていた。


「お願いっ!!!」


セレナは、賭けた。

どうか、母とセレナだけが転移出来る、都合の良い展開になってくれと。


どうか、母を助けさせてくれと。


「---」


白い光が、セレナの掌から放たれた。


------


「--っ!」


「--っえい!」


瞼を開けるのが怖かった。

セレナは魔法を使った実感があった為、閉じた瞼を開ければ答えがそこに映る。


転移は無事成功した。

母に触れている感触もある。

とりあえず、複数人による転移魔法は成功したと思える。だが、目を開けて、そこにまだ赤髪の男がいるかもしれない。その可能性が怖くて、セレナは目を開けるのに勇気が必要だった。


そして、目を開けてそこに映る答えは。


「...ママ...ママ!」


「...セ...レナ...」


神は、セレナに味方した。


「ママァ!!!!!!」


「ちょっ!セレナ!」


溢れる涙をリリアナの胸の中で出しまくる。

作戦は成功した。無事、リリアナとセレナのみの転移は成功したのだ。

そこに、赤髪の悪魔はもういなかった。


「セレナ!すごい...本当にすごい子...。ありがとう...たすけてくれて!」


「うん...うん...ママァ...良かったぁ」


「でも、まだ安心しちゃダメ!さ!立ち上がって、逃げるわよ!」


そう、まだ安心は出来ない。

転移先は館の外である、燃える王都の中だった。

辺りは全面炎だらけだった。それでも、セレナは母と逃げ出すことに成功したのが何よりも嬉しくて、こんな地獄絵図でも、乗り切れてしまうと、確信がある。


「大丈夫...私が転移する!そうすれば、助かるっ!」


「...セレナ...あんた、もう...!」


リリアナは満面の笑みを見せる娘に、頼もしすぎる小さな彼女に、愛を込めて抱きついた。

地獄であろうと、この子を、守り続ける。


そう、決意した。


「セレナ、セリシア王国まで逃げるわよ!」


「セレシア王国どこ...?」


「...この前勉強したでしょ、地理。」


「...はい。」


「もー、忘れちゃったの...。」


感動的な雰囲気ではあるものの、中々残念な娘の頭にため息をして、小さく頭をぶつ。


「『フェリスの大樹』の方向よ。これなら分かる?」


「あ、うん分かった!右だね!」


「そうそう、全く、セリシア王国に着いたら、まずは地理の復習からね。」


「えー、助けてあげたのにー、勉強やだよ!」


「ふふ、全く、そうね。助けてくれたから、勉強はしばらく見送りにしてあげる。さ、行くわ--」


リリアナが、そう言いかけた時だった。

彼女が、口を抑えて、血を吐き出しのは。


------


「...マ...ママ?」


「...なに、これ...っ!んぶ!」


「きゃ!」


セレナの横に、一気に込み上げてくる塊を吐き出す。

赤とピンク色の塊がごっそり口から出てきて、血なまぐさい香りが漂う。


意識が、朦朧とする。


--なに、これ...毒?....嘘...でも、いつ...?


「.......ママ?」


「....セレナ」


「...なに?」


「...行きなさい。」


「え」


自分で理解できる。

心臓が激しく震える感覚。

身体全体が高温になっていく感覚。

今にも身体の中にある全てを吐き出してしまいそうになる感覚。


毒だ。毒が植え付けられている。


「...ママは、ここでおしまいみたい。」


「...なに...いってるの...」


「ごめんねぇ...助けてくれたのに...ごめんねぇ...」


「...いや」


「ダメなママで...ごめんねぇ...」


セレナの頭を撫でようとしたが、毒が移ってしまう可能性を考慮しやめる。


どんな毒か、そもそも本当に毒か、何も分からない。だが、自分がもうすぐ死ぬことは分かる。


「...ママは...セレナのママで...嬉しかったよ...」


「...いや、いやいやいや」


セレナが涙を浮かべて首を横に振り続ける。

現実を直視しないようにしている。


「...セレナ、貴方の母親であることが、私の誇り。だから、お願いだから、生きてね。」



「...いやだよ...ママ...いやだよ」


「セレナ、愛してる。」


「マ--」


リリアナは、セレナを右腕で突き飛ばした。


上から落ちてきた瓦礫の下敷きになるのは、自分だけで十分だと思い、突き飛ばした。


燃える瓦礫が、リリアナの身体を地面に押し潰した。

ぐしゃっ、と。軽いリリアナの身体が血をばら撒きながら、セレナの前で潰れ死んだ。


「...」


その目の前で、セレナは唖然としながら、流れる真っ赤な血を見つめていた。


------


『--人生とは、選択の連絡よ。』


リリアナが死んだ。


「...」


目の前で死んだ。


もし、あの時、セレナがリリアナをと共に魔法を使っていれば、避けれた。


『--人生とは、選択の連続よ。』


セレナがおぶりながら近くの村まで行けば、リリアナは治ったかもしれなかった。


『--人生とは、選択の連続よ。』


あの時、自分だけ逃げていれば、もしかしたら運命は変わったのかもしれない。

母は、助かったのかもしれない。


『--人生とは、選択の連続よ。』


もっと、早く起きて、もっと早くリリアナと逃げていれば。


「...全部、間違ってた...の。」


セレナ・リーベは選択を間違い続けていたと、自分を憎んだ。


少女の声が枯れるほどの泣き声は周りの炎がかき消した。


誰にも、少女の声は届かない。


------


少女は走った。


「はぁ...はぁ...はぁ...んぐす...」


涙を堪え、足の痛さを堪え、走った。


転移魔法は既に使い込んだ。

王都からはかなり距離は離れた所だが、魔力がもうすっからかんだ。

『フェリスの大樹』までは、自力で走るしか無かった。


『--生きてね。』


もう、何もしたくなかった。

何もかもどうでもよかった。愛しの母を亡くして、もう世界がどうでも良かった。それでも、少女を動かしたのは、母だった。

母の言葉が、セレナの背中を押してくれた。


「...ママ...ママァ...私...いきるよぉ...!」


目の前が、涙で視界がぼやける。

目を擦り、とにかく走る。


走る。


どこまでも、


セレナは、生きる。


母のために、誇りの娘のままでいる為に。


母が、胸を張って自慢できる、娘になる為に。


生き延びて、みせる。







「--お前が、セレナ・リーべだな?」


黒髪の男は、『フェリスの大樹』の前で、少女を待っていた。


セレナ・リーベは、攫われた。



この日、アイリス王国王都と共に、リーベ家は完全に崩壊した。

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