17.『リーベ家の崩壊 上』
アルドリア・リーベを王とするここ、アイリス王国の全ての決定権はアルドリアにあった。
政治の方針、軍の出動、外交政策、あらゆる箇所での最終決定権は、アルドリアにあった、ハズだった。
「...陛下、ご覧の通りです。」
「...これは、なんだ?ソワール。」
長い白髭にシワだらけの顔面で、アルドリアの横に立ちながら、荒れ狂った様に訓練に励む軍人達を見下ろす男、ソワールは、アルドリアの心の置ける頼もしい存在である男である。
「いずれ来たる隣国との戦争の為だ、と彼等は叫び続けており、寝ずに訓練をし続けています。」
「寝ずに?それは?」
「えぇ、比喩でも何でもなく、本当に寝ずにです。まるで、何かに取り憑かれたように。」
「...ルイ・レルゼン、貴様は何を望んでる。」
アルドリアは、黒い雲が立ち込める空を見上げながら、眉を引き攣らせて呟く。
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「ガリアーヌ帝国からの軍事攻撃により、南の都市、ヴァーナが陥落しました。陛下、早急に軍の出動指示を。」
「...その様な報告は、肝心のヴァーナからは来ていないが?」
「陥落したと言っているでしょうっ!?既に市長も...陛下、指示を!」
「...ヴァーナの市長とは、今朝連絡をとったばかりだ。貴様はよもやこの3時間の間でヴァーナが陥落したとでも申すのか?あの城壁都市、ヴァーナが。」
「...ッチ、クソ使えねぇ王だ。」
「...」
「わーってますよ、こんな愚行、処刑モンでしょ?ですが陛下、これは我々の総意です。さっさと指示だけ寄越せば良いものを...平和気取りなんざクソ喰らえだ。さっさと指示だせ、クソ無能の王が。」
若ければ若いほど、兵士の悪態は顕著に現れていた。
虚偽の報告で王を欺こうとする等、首を差し出さなければ落とし前がつかない所業だ。にも関わらず、アルドリアは兵士に対してのお咎めは何もしなかった、出来なかった。
もはや、アルドリアの権力など使い物にならない。
既にアルドリアの指示を待たずして、隣国ガリアーヌにアイリス軍が奇襲を仕掛けたとの報告を受けたのだ。
アルドリアは自身の権力は使い物にならないと、改めて感じた。
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「戦争なんて...ダメよ...。」
「...リリアナ、よもや一刻の猶予も許されない状況だ。セレナを守れるのはもうお前しか居ない。」
冷めきったコーヒーを間に、2人の雰囲気はどことなくピリピリしていた。
基本的に2人の空気はいつ何時も気を休めないアルドリアの硬直した空気と、リリアナの温かくなる様な優しい空気が丁度よく相まっていた。
だからこそ、2人だけでこの様な空気感になるのは夫婦で初めてだった。
「...私、だけじゃない...セレナを守ってあげられるのは...私だけじゃない。」
「俺は、この国に残る。」
「だ、だめっ!死んじゃうわ!」
テーブルを叩き、椅子から思わず立ち上がってしまうリリアナの表情は険しい。
彼女の震える手先の振動が、間に置いたてある2つの冷めたコーヒーを揺さぶらせる。
「...セリシアにツテがある。お前達の安全は保証させてる。」
「あなた!私は、そんな事一言もお願いしてない!それに、あなたを置いて逃げるなんて、私がすると思うの!?」
「私は、アイリス王国の王だ。この国が終わる時、それは俺が終わる時でもある。俺とこの国は、共同体だ。」
「だったら!私も--」
「セレナはどうなる。」
「--っ!」
男の鋭い視線がリリアナの心臓に突き刺さる。
彼の言葉に対して、リリアナは何も言い返せず、下を向いてしまう。
「俺とお前が死ねば、セレナを守れるものは居なくなる。」
「...だから、それはあなたも...」
「俺は、父親である以前に、国の王なんだ。その事は、お前にも伝えていたはずだ。」
男は、断固として意見を曲げようとはせず、腕を組んでリリアナを見つめる。
夫婦のどうしようもない空気に、少女の声が届く。
「ママ、パパ...どうしたの?」
「っ!セレナ...」
「...」
目を擦りながら扉を開けて、ひょこっと顔を出す少女セレナに2人の視線は向かう。
リリアナは、ぐっとテーブルに着く拳を固く握り締め、セレナを見つめながら考えた。
--いっその事、家族全員で逃げれば...
「リリアナ」
「っ!」
彼女の考えを察し、アルドリアの鋭い視線が、再び彼女に突き刺さった。冷たい声と共に。
「俺は、アイリス王国18代目大王 アルドリア・リーベだ。お前の考えるそれは、これまでの祖先の信を踏みにじる愚行だ。お前は、俺にそれを望むのか?」
「...」
「...俺は、アイリス王国と共にこの生涯を終える。」
そこには、夫婦の完全な亀裂が入った瞬間なのかもしれない。
リリアナは家族の為に。
アルドリアは国の為に。
どちらかの考える最善は、どちらかの考える最悪。
そして、リリアナ・リーベは、この時、一粒の涙を流しながら首を縦に振るしか無かった。
「...ママ?泣いてる?」
少女の心配そうな顔がリリアナの心をいっぱいにした。
「セレナ、お前は明日リリアナと共にセリシアへ行ってもらうぞ。」
「なんでー?」
「...旅行だ。」
「え!旅行!?楽しみー!あれ、でもパパは?」
「...仕事が終えたら俺も向かう。だから、それまでリリアナの言う通りにしておけ。」
「はーい!パパも早く来てね!」
無邪気な満面の笑みを浮かべるセレナの顔は、2人の心に重くのしかかる代物だった。
逃亡について隠すため、旅行だとアルドリアが咄嗟の嘘を放ったのは、普段嘘を嫌うリリアナでも納得出来る話だ。
こんな可愛らしい娘に、残酷な真実を伝えるのは何とも酷だ。
その事を考慮し、普段見せないアルドリアの優しさがセレナを笑顔にさせる。
リリアナは、その嘘に乗っかることにする。
「...そうね、あなた...私達は明日、一足先に行くわ。あなたも、気をつけて来てね。」
「...分かってる。」
そんな会話をして、セレナを寝かしつけた。
やり切れない思いを胸に秘めながらも、リリアナはセレナの愛らしい顔を見つめて、生き抜くことを決意した。
館の時計は午後11時を指していた。
館の玄関がやけに騒がしくなっているのを聞き、リリアナは軽装で玄関まで駆けつけた。
すると、そこには普段の王としての風格を持ち、赤を基調とした豪華な服で身を包むアルドリアの姿があった。
「あなた、どうしたの?」
「リリアナか、ガリアーヌ帝国から使者が送られてきたようでな、すまんが明日の見送りは出来ぬ。」
そう言う彼の前には、無数の兵士とリリアナとも親交のある彼の腹心ソワールが玄関前で立っていたのだ。
「ご心配な気持ちは十分に分かりかねます。リリアナ様、しかし、これはアルドリア様にしか出来ぬことです。」
「ソワール...」
「リリアナよ、生き抜くのだ。セレナと共に。」
それが、リリアナ・リーベとアルドリア・リーベの最後の会話となったのだ。
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アルドリアが夜中にどこかへ行ってしまい、リリアナの心境は芳しくない。
明日、セリシアに向かうという話もリリアナは納得しきれていない部分があるというのに、この様な別れをするのはあまりにも納得し難い仕打ちだ。
「せめて、最後くらい家族で...過ごすべきよ。」
大きな部屋で呟く彼女。
そんな彼女の隣で、メイド服の女が立っていた。
「リリアナ様、今日はどうかお休みになってください。」
「...ジーニー、ありがとう。でも、眠れそうにないわ。」
「無理も、無いですね。アイリス王国がおかしなってから、平和が崩れ行くのを感じます。」
メイド服の女、ジーニーは部屋の奥にある窓から王都を眺め、目を細めるのだった。
「...戦争は、もう避けられない所まで来ているって、アルドリアは言ったの。でも、本当にそうなのかしら。手立てはないのかしら。」
彼女らの会話の中に、再びあの声が混じってきた。
「ママ、眠れないよ。」
「セレナ!まだ起きていたの?」
「だってー旅行だって言うから。」
部屋でジタバタと騒ぐセレナを見て、リリアナとジーニーは目を合わせてから少しだけ、顔が緩む。
「ふふ、そうね。分かったわ。じゃあ、ママと一緒に寝ようか?」
「うん!寝る寝る!」
そう言い、セレナの小さな体を抱き抱えながら、リリアナはセレナの部屋へと向かうのだった。
ピンクの色が基調とされており、花柄の壁。
大きなベッドの上で、2人の親子は仲睦まじく微笑み合っていた。
「ねーねー、セリシアに着いたらあそこ行きたい!えーと、『花の楽園』!」
「そうね、あそこにはいっぱいの花が咲いてるしね、行きましょう。」
「あとあとー、綺麗なお洋服買ってー、美味しい物いっぱい食べてー」
「はいはい、分かってますよ。」
ベッドで動き回りながら楽しみを体で表現するセレナは見てて微笑ましい。
心底、リリアナはセレナを守りたいと思う。
「ねー、ママ。眠れないから、アレやって。」
「うふふ、セレナは本当に花が好きねぇ。じゃあ、アレやったら、寝るわよ?」
「寝る寝る!」
セレナの可愛い頭を撫でながら、ゆっくりと左腕を上げる。リリアナは左手に魔力を込めて、力を解き放った。すると、
「わ〜!やっぱり、私お花大好き!」
「えぇ、私も、好き。」
部屋一面に花畑と青空が広がった。
快晴の空の下で、色とりどりの花が2人を埋め尽くす。その花々を見て、セレナは満面の笑み。
「...パパと出会ったのも、花畑だったのよ。」
「へー!パパもお花好きなのかな?」
「うふふ、そうね。」
そして、花畑はゆっくりと消えて行き、再び2人は元いた部屋のベッドの中に戻って来た。
「うーん、もっと見たいのにー。」
「ほーら、もう寝るわよ。明日は本物の花畑を見に行くんだから。」
「うー!楽しみぃ.....」
「おやすみ、セレナ。」
「おやすみ...マ...マァ...」
そうして、2人は眠りにつくのだった。
魔の手は、既に迫ってきていたことにも気が付かず。
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「こんばんは、リリアナ・リーベさん。」
「...ぇ」
眠りから強制的に引っ張られる様に、男の声が現実世界からやって来る。
リリアナはそんな声に気が付き、上体を起こす。
まだ外は暗く、部屋も暗くてよく見えないが、目の前に男が立っていた。
白いコートに身を包み、整えられた赤髪は美しかった。目は両目で違う色合いをしており、オッドアイのようだった。
しかし、今リリアナにとって、そんな情報はどうでもいい。
だって、聞かなければならないことがある。
山ほど。
まず、
「...あなたは...どちら様ですか?」
寝起きというのもあったのかもしれない、部屋に居る知らない男をどうして警戒しなかったのか。
起きた瞬間声を上げセレナを抱えながら逃げればどうなっていただろう。
どうして、もっと早く、気が付かなかったのか。
男の胸にある金の紋章に。
女の様な存在が彫刻されている金の紋章、それは、かつて存在した魔女の意思を継ぐ存在として、世界に名を轟かせる者達。
そして、現在のこの世界において危険とされている存在の、3本指に入る者達。
ひとつは、人類の明確な敵『魔王軍』
ひとつは、世界の大悪党『ルイ・レルゼン』
ひとつは、魔女の跡目--
「『新魔会』のセグルド・サターンです。」
男がらそう言いながら笑みを浮かべる。
男の後ろには血まみれで倒れるジーニーの姿があった。




