14.『泣き声と、鳴き声』
事態の深刻さは既に魔王城外にいる者たちの耳にも届いた。
どす黒い土地で血と火花を散らす2つの勢力は今か今かと、魔王城からの報告を待つ。
それは、セリシア騎士団副団長である、ルーナルド・ジャングも例外では無かった。
「こっちの戦況はギリギリの攻防だ。だが、このまま続けばジリ貧で負ける。」
白のマントに銀の紋章を胸に飾る男。
光沢のある剣の輝きは荒野の中でも一際目立っていた。
「ッチ!...いっそ魔王城乗り込んでやろうか?エルダーの野郎は何をしてやがる...。」
「--ルーナルド副団長!!!ここに居合わせられましたか!」
黒の塔に向かって悪態を打ち、武者震いをしていたルーナルドの元に、呼吸の荒い1人の騎士が走ってくる。
彼は、魔王城の入口から現れた。
見たところ目立った外傷は無いが、返り血やボロボロのマントを見る限り、ただならぬ修羅場をくぐり抜けてきた事が一目で分かった。
「...お前、何だその格好...いや、で、何だ?報告だろ?何があった...!!!」
「はい!...魔王城へ入った騎士の大半は...死にました....。」
「っ!?な、何だと!?作戦はどうなった!?」
「それが、予期せぬ事態が起こってしまい...作戦は何一つ上手くいかなかった状況でして...。」
「はぁ...?...ふざけんなよ...。ってか!エルダーは!?アイツが居りゃ問題は無いハズだろ!」
「...それが--」
騎士は、それから少し言葉を詰ませつつも、意を決して口を開けた。
「--エルダー様が、封印されました。」
「.......は?」
その事実は、ルーナルドの思考を一気に掻き乱し、混乱の渦へと誘う。
魔王城の戦いは、既に決着していた。
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「っだあ!クソっ!こっちにも壁!」
「--ナ!ナ!ナ!」
迫る脅威は未だにこの場からルイが居なくなることを許してくれない。
どこもかしこも走りっても、結局見えない壁によって進路を遮断されてしまう。
「やっぱり、ここは結界になってのか?...だとすると、結界張ってんのは...」
「ナァ...ナァ!!!」
「...お前だな!」
敵の目は見えないが、恐らくあるであろう場所に向けて睨みを効かせ、ルイは拳を固く握り締めた。
自身の決意を冷めされない様に。
一度死ぬ事を覚悟した時は、あまり恐怖を感じ無かったが、いざ生き延びると決めると、これまで感じなかったただならぬ狂気と恐怖に押し潰されそうになる。
ルイは正気に戻るべきではなかったと、自身を戒めるが、それは思考として間違っていることを即座に理解した。
「そうだ...恐怖を感じねぇほうがおかしい。だって...それは、現実逃避みたいなもんだ。思考を放棄して...生を放棄して...ただ死を待つだけの...抜け殻!」
「ッナァアアア!!!!!!」
「こんっな所でっ!死んでやらねぇよっ!!!」
ルイは化け物の振りかざす爪の軌道を読み取り、直ぐに身体を引っ込ませる。
体勢を低く構え、化け物の膝が目元にある地点まで。
ルイは、剣の先を定める。
「--その細い足、へし折ってやる。」
血色の悪い化け物の膝を、剣でぶった斬る。
血の噴水を湧き立たせてやろうと、心が叫ぶ。
狙いは十分。距離も確保。力も申し分無い。
閃光の一線が、花畑の全土を覆う。
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「や」
爽やかな笑みと共に右手を開いて見せ、あたかもごく普通な挨拶をしているだけの様な感覚で、男は立っていた。
白いマントは前の時とは随分と汚れており、返り血が拭ききれていない部分も所々にあった。
男は細めた目をゆっくりと開き、真っ黒な眼光を顕にする。
「---」
この、危険すぎる魔王城において、少女のできること等数少ない。今もこうしてる間に外では幾万の騎士と魔王軍が命を懸けて戦っている。
か弱く、"戦い"とは無縁だった少女は、今この状況でも、自分を助けてくれる勇者様を望むほど、頭が弱かった。
「---」
漫画や物語であれば、この危機的状況で、勇者は現れ少女を助けてくれるだろう。それも、うんとイケメンな勇者様が。そして、2人が結ばれる、なんて良い話か。そういう話であればよかった。
だが、これは現実なんだと、少女は今、再認識させられた。
「---」
声が喉から出る事を、脳が必死で止めている。今、これまでのように本能的に悲鳴をあげれば、今度は生命を絶たれるかもしれない。何を言うべきか、何をすべきか、少女は子供の頭で必死に思考を巡らせた。
心臓の鼓動が身体中でうるさくて、考えても考えても、邪魔される。
「--あれ、覚えてない?俺の事。」
沈黙を打ち破ったのは男の方だった。
全く喋る様子の無い少女に対して、男はいかにもあっけらかんとした態度。それは、まるで、いつでも少女を殺せる強者の様な--
「--心配し過ぎ。ちょっと色々とトラブルが起きまくっててさ。エルダーの事、アルルの事、一番は...ルイの事...。もう訳が分かんねぇ。」
「...ル、ルイお兄ちゃん...?」
「...そ、お前を助けてくれたルイお兄ちゃんだよ。つっても、記憶喪失らしくてお前を助けてくれたルイはもう違うルイなんだけどな。」
男は、淡々と冷酷に述べ続け、段々目が暗くなっていく。少女はその変化を気味悪がり、震えてしまう。
「...どうして...私をここまでさらったの?」
少女--セレナは今にも泣き出しそうな震え声で、若干の怒りを込めた質問を、男に投げた。
「---」
男は、その言葉を聞いて暫し無言になる。
後頭部をかきながら何を言うのか考えてる様子。
そんな言動が、あまりにもセレナを馬鹿にしているように思えて、拳を握り、今度は声を荒らげて質問をする。
「答えて!!!どうして、私をこんな所に連れてきたの!?--」
「---」
「--答えて!!!"英雄"ロイ・レルゼン!!!」
男は--ロイ・レルゼンは、セレナの叫び声を聞きながらふっと笑い、口を開けた。
「--ん?あぁ...その事なんだけど、さっき言ったルイに起こったトラブル...記憶喪失、あるだろ?多分それも関係してるから...色々と条件が変わってるみたいだ。」
と、ロイはそんな事をつらつらと言い始めた。
セレナには、全く理解の出来ない内容ではあった。だが、そんなことお構い無しに、ロイはつづける。
「だから、俺決めたよ。俺ぁ---」
ロイは、話を続けながら、腰にある剣に手を伸ばす。
ゆっくりと剣を出し、鞘からむき出しになるのは、血に染まった真っ赤な剣。
「--っひ!」
セレナの、恐怖が、最高到達に達する。
同時に、ロイが剣を構えて、あの時の--
「--ぁ」
セレナをさらった時と同じ--
--人殺しの目になる。
「--俺ぁ、英雄を捨てるぜ。」
ロイは、セレナに向けて、英雄の放棄を宣言した。それ即ち--
「いやあああああああああああああああ」
--セレナにとっての、宣戦布告であった。
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光が、徐々に消えて行くと、化け物の姿が顕になってきた。
「....ナ...ナ.......」
「--うぉっ!!!」
ルイの目に映るのは、両足の膝から下を無くした巨体の化け物が、花畑に寝そべり、か弱い鳴き声を放っている場面だった。
膝から流れる血は真っ赤とは言えない程の赤黒い色合いで、正常な人間の血ではなかった。無論、この化け物が人間とは1ミリも思っていなかったが。
だが、こうもあっさりと倒れてしまえば、それはそれで薄気味悪いと感じてしまう。
「...なんか、まだ隠し球持ってたりしそうだな...。」
「....」
ルイは、自分の力が異世界転生直後から明らかにパワーアップしているのを自覚している。
思い返せば、32階で全員を鏖にしようとした気味の悪いあの場面でも、ルイは自分なら、全員殺せると、ほんの少し思ったからこそ、あの行動に出たのかもしれない。
「いや、あれはもう忘れよう。デリーナの悲痛な顔だけ戒めとして覚えて、他は忘れよう。」
正直、あの行動はルイ自身、常軌を逸していたと思っている。あの時ルイがいっぱいいっぱいだったのもあるが、何だか、デリーナも感情が爆発した様に見えていた。正常だったのは、あの時誰も居なかった。
「.....」
「...んで、お前は俺をそろそろ解放してくれる気にはなったのか?」
全く声を発しなくなった化け物。
口から「コヒュー」と、辛うじて息を吸う動作の音が聞こえてくる。
--まさか...マジでもう死にかけなのかっ!?あの一撃で?いや...俺自身、俺がどんだけ強くなったかは分かんないけど、ここまで圧倒するもんか?
化け物は、瀕死だった。
両足が無くなり、血を口からも流しているので、瀕死なのは当たり前なのかもしれないが、だが、それは人間であればの話。ルイの考えではこの類の化け物は生命力すらも化け物という認識であった。
一撃で倒れてくれる事に越したことはない。だが、何か裏があるのではないかと勘ぐってしまうのが人の性。
「...ほんとにこれで...終わりか?」
「...」
「じゃあ、早く出してくんねえかな...」
ルイはそうボソッと呟き、未だに解かれない結界の壁を触りながら、自由を求める。
化け物から目を離し、見えない壁を触っていた、その時だった--
「--ナァアアアアアアアアッ!!!!!!」
「--っ!?!?ってめぇ!やっぱなんか隠してんな!?」
すぐ横で鼓膜が破れそうな程の咆哮を聞く。
化け物は両足が無いが、それでも膝を曲げて立ち上がる。それで2メートルは超えてるのだから、恐ろしい。
血を花畑に飛ばしながら、吠える。そして--
「--ナァ!ナァ!ナァ!ナァ!!!!」
「っ!?な、なんなんだよ!」
化け物は、地面に頭を何度も打ち付け、鳴き続ける。
額から赤い液体が飛び出し、近くの白い花が赤く染まる。
何度も、何度も、何度も、叩き付ける。
「ナァ!ナァ!ナァ!ナァ!!!」
何度も、何度も、何度も、何度も....
「...」
ルイは、その光景が、何とも痛ましく、何も言えなかった。
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転移魔法は、決して便利なモノではない。使う度に膨大な魔力量が削がれるし、それより何より、大した距離は移動出来ないのだ。
無論、極めれば何処までも転移が可能となる魔法ではあるが、極めてもただ移動が楽になるだけの魔法として、世界から見れば"生活に役立つ魔法"なんて呼ばれ方もしている。
だから、既に今日だけで何度も転移魔法を使い、魔力量も枯渇している少女、セレナからしたら、もはや転移魔法というアドバンテージは、この状況では無いに等しい。
「--ッチ!魔力探知にまで支障が来てんのかよ!ックソ!ゾニーの野郎...話が違いすぎんだろ...!」
真っ暗な広間で、セレナは涙を流す暇さえ無く、命を守る為に精一杯の努力をし続ける。一つでもミスや手を抜いたら、首と胴が離れ離れになる。
だから、常に魔力探知をオンにし続けながら、壁を探す。
この広間は、真っ暗で何も見えないが、壁が存在しているのは確かだった。ルイから逃げる為にそこから外へ移動した実績がある。
「...もう、外しか逃げ場は無いっ...!」
それが、セレナの結論だった。
見つかれば、終わる。
どうなる、どう、殺される。
バラバラにされるのか。
苦しみながら殺されるのか。
楽に殺してくれるだろうか。
「--悪ぃな、出来るだけ苦しませるつもりだァ。」
「--っ!いや---」
闇から現れたロイに捕まり、身動きの取れないセレナの胸元に尖った剣の先端が構えられる。
「いやっいやああああああああああああっ!!!」
「悲しむな、憎めや。....俺を憎みながら死ね。」
少女の泣き声が、黒い広間に轟き続ける。
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「ナァアアアッ!!!ナァアアアッ!ナァアアアッ!」
「お、おい...ちょっと落ち着けよ...。」
化け物はもう、顔面が真っ赤だ。
打ち付けられる場所に花はもう残っていない。真っ赤な湖となっているその地点に、化け物は自分の額を当て続ける。
「ナァアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
「...なんなんだよ...そこに、何があんだよ!!」
訳の分からない、状況にルイは混乱する。
自分を殺そうとしていた化け物が、化け物自身を自分で痛め続ける。死んでしまうかもしれない程の、威力で化け物は、叩き付ける。
「ナァアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
「...お前、泣いてんのか?」
化け物の鳴き声が、花畑に轟き続ける。




