9.『白い悪魔の顔』
「はっ」
目覚める時はいつだって、退屈な日常の始まりの合図だった。ただの作業の様に生きる人生を送ってきたおかげで、朝の目覚めが良い一日の始まり!なんて一瞬でも思えたことは無い。
いつだって目覚めは退屈だ。
この異世界を例外にして。
「...魔王城...で、合ってんのか?」
視界に映るは、見慣れた漆黒の天井だった。それ即ち、ここが魔王城であることの証明だ。しかし、奇妙なことが起こったのも事実。
「やっぱ、居ない。」
先程までいた面々が揃いも揃って姿を消しているのだ。いや、恐らく消えたのはルイの方だろう。
突如現れた異空間のゲートの様なモノに巻き込まれたことは鮮明に覚えていた。あれからどれ程時間が経ったのかは分からない。
「あの日の目覚めの日常が恋しいよ...」
異世界に来てから、目覚めは何かの始まりだらけだった。
まず、最初の目覚めで白い世界が待っていた。2回目では、黒い部屋から始まり、半殺しになる悲惨な世界。3回目の今回もまた、特殊な始まりだ。
何せあの混沌の状況からの、この始まり方。神はどうやらそう簡単に普通の目覚めをさせてくれないらしい。
辺りを見回すと、案の定漆黒の壁ではあったものの、前とはこれまた違う。
「部屋、にしちゃ広すぎるし、ここは...どっかの広間か?」
大きく開かれた黒い空間にポツリと座っているルイ。
何かがある訳でもないこの空間で、どことなく寒気を感じた。
右側には大きな柱が携えられていた。これまた黒を基調とした造りではあるが、他の物とは違い、何処か異質さを感じる。神聖な雰囲気がプンプンしだして、無闇に触るのはよそうと、判断した。
「さて...問題は、コレどうするべきかだよな。」
ルイは辺りをひとしきり見回した後、自身の左隣を見る。
「くぅ...くぅ....」
美しい金色の長髪に高貴な服装をする少女が、床に倒れて眠りについている。
ツヤツヤとした白い肌にはかすり傷や砂埃がかかっており、胸が痛む。
その少女は見覚えがある。ついさっきルイが殺そうと剣を振りかざした標的の少女であった。
だが、不思議なものだ。あれだけ殺したかった相手が目の前にいると言うのに、何故だろう。
「全然、何も思わない。」
心が清らかになっているのを感じる。
あれ程荒れ狂っていた憎悪が今は何処に消えてなくなってしまったのか。欠片も残っていない。
つまり、今ルイは少女に対して殺意等微塵も無い為、殺すなんてことは神に誓ってやらない。
だが、それを一括りに良い事だとまとめることは出来ない。憎悪と共に消えてなくなったものがある。
「...何も、思わない。」
先程と同じ様な事を言うが、今回は先程と意味が違う。今、彼に無いのだ。
人間としてあるべき"モノ"が。一度は本気で殺そうとしたし、あと一歩で殺していた。
だというのに、今、彼には無い。
"罪悪感"が欠けらも無い。
「人間として、欠如してる...ってことなのかな。」
普通の人間であれば、殺害を試みた相手に対して、こんなにも平然とする事は出来ない。
先程の様な憎悪も無ければそれに対する償いの気持ちも無い。ルイにとって不思議な感覚だった。
「...俺は、どうしてあんなにも荒れていたんだろう...世界の全部が敵に見えた...。落ち着いてる今じゃ考えられねぇ。」
自身の左胸に手を当てて通常の鼓動を打つ心臓に疑問を持つ。何が彼の心を爆発させてしまったのか、それを求める。
「デリーナは俺を助けてくれたけど...悪行を犯しまくる俺に対してどこかで迷いがあったのかもな...愛と疑問が葛藤して最終的に俺に死を促したのか。...そんで、俺はそんな複雑な心境のデリーナのことを考えもせず、殺そうと...」
思い出すだけで嫌悪感が止まらない。自分についている身体がおぞましくてたまらない。
「っ!気持ちわりい!それじゃ前のルイ・レルゼンと一緒じゃねぇか!なんで、俺はそんな奴になろうとしてんだ!?馬鹿か!...アレは、俺の本心なんかじゃない!デリーナは助ける!できるだけ人も傷付けない!そうだ...アレは本心なんかじゃ--」
「...んん...」
「なっ!!!」
ブツブツと止まらない独り言を零している途中、横で眠るいたいけな少女の瞼がピクリと動き出し、小さな口から声が溢れ出た。
「どうしよう...どうしよう...あの後じゃあ、絶対俺の事怖がる...魔王城でこんな小さい子1人で行動なんてさせられねぇ...どうしよう...どうしよう...」
「んん!!」
「っふが!!!」
目覚めた少女は、起き上がるなり身体を伸ばし両腕をめいっぱい広げた。
その右腕によってルイの頬にストーレトパンチが噛まされた事にすら気付かずボヤけた視界を擦り出す。
「んん...ここ、どこぉ?」
「ててて...」
「ん?」
目を擦りながら辺りを見回す。すると、右で頬をさする白髪の男に気付き、彼女は目を見開いて悲鳴を上げた。
「きゃあああああああ」
「お、落ち着いて!別に君をどうこうしようなんてぇっ!!!!」
「いや!いや!やめてえ!!!」
「いや、それ、こっちのセリっふぇえええ!」
ポカポカと小さな手でルイの頭を殴りながら泣きじゃくるセレナ。ルイは必死に防衛するが少女の目から溢れ出る涙を見ては、その殴りを受け入れるしか無かった。
「...」
「いやああ!!!...って、あれ、ここって...」
「えっとぉ...気は済んだかな?」
「.....いやああああああああ」
「あ、話しかけてもダメか!!!」
ルイの声を聞いた瞬間セレナの悲鳴は再び轟き、彼女はすぐさまルイの元から離れ暗闇の広間を走り回ってしまった。
パタパタと逃げ回る彼女の足の速さは比較的遅めでルイが本気を出せばすぐに追いつきそうなら速度ではあるが、そんなことはしない、出来ない。
「そりゃ、怖いよな...あんだけ殺意剥き出しの顔見せられたら、誰だって逃げるわな...。」
先程の自分の行動の結果であると分かっているため、怖がる彼女に無理に追いかける様な真似は出来なかった。少女をこの危険な場で1人にするのもどうかと思うが、今は触れるべきタイミングではないと読み、ルイは追いかけることなく少女の後をゆっくりと歩いて行った。
そして、歩く道中で自身の中にある疑問点についておさらいを始める。
「あの時、確かあの子の手から何か強大なオーラと光...と、引力を感じた。ありゃ、俺が死んだ後に居た白い空間と同じ感じの引力だった...。」
黒澤 零が暴走トラックによってぽっくり逝った後に突如として現れた白世界。その世界で彼はとてつもない引力に引っ張られるようにこの世界に転移させられた。それ即ち、
「ありゃ、同じ"何か"によるモノだな?んで、俺の憶測だとその"何か"は...お?」
ルイが口に手を当てながらブツブツと思考していると、奥の方にあわあわとしている金髪の少女の姿が見えてきた。
「あ...あぁ...」
どうやら見た所、黒い壁によって進路を塞がれ行き止まりになってしまったのだと思われる。
彼女からしたら絶対絶命の大ピンチだと思うかもしれない。そこでルイと出逢えば再び悲鳴が上がるのは目に見えて分かる。
「第一印象最悪でも、俺の最大限の笑顔と愛嬌があれば、あの子も心を開いてくれる...!そう信じる!」
ルイの培ってきた20年間の経験を最大限生かし、精一杯の笑顔で近づきながら、少女の頭に手を伸ばす。
ポンっと頭に手を当て撫でる動作をすると、少女は恐る恐るコチラに振り返る。
「あ、安心...しなぁ...。」
「--ひ」
「お兄ちゃん全然怖くな--」
「いやああああああああああああああああ」
「ダメかぁ!!!!」
ルイの満面の笑みならぬ、引きつった気色の悪い笑顔はセレナから見たら恐怖そのものでしか無かった。
20年間の経験と言っても大して人とコミニケーションを取ったことない彼の作る笑顔というのはそんなものだった。
今日一の悲鳴を上げた少女は壁を必死で叩いた誰かに助けを求める。だが、そんな都合の良い事はなく、助けはなかった。
「う...うぅ....もうっ!いやぁ!!!」
「えっと!その、一旦話を...」
瞬間、少女が白く光る。
「え?」
それは、あの時に見た白い光と酷似ていた。
「...」
光が消えると、そこには何も残されていなかった。
先程まで悲鳴を上げていた少女の姿はどこにも見当たらなかった。
「...」
ルイは、今目の前で起こった超常現象に違和感を持ちながら、冷静に頭を回らせた。そして、一つの結論に気づく。
「やっぱり、お前だな?」
ルイの憶測が確信へと変わる決定打として、少女の消滅は十分すぎる程の材料であった。
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『安心しな』
それが、彼女にとってどれ程恐ろしい言葉だったか。
「はっ...はっ...はっ...」
少女は、走る。無我夢中で走り続ける。
自身を殺そうとしてきたあの"目"が、脳裏に何度も蘇る。その度に首を振って、必死に記憶に蓋を閉じようとする。でなければ、恐怖で身体が動かなくなってしまうから。
だから、今はとにかく走り続ける。
泣き喚くのは家に帰ってからでいい。
そう自分に言い聞かせながら、少女は荒れる大地を走り続けた。
「っ!」
しかし、世界はどうやらそれを許してくれはしない。
少女の目の前に広がるのは、
「しねぇ!!!」
「っうがあああああ」
「怯むなぁ!セリシア騎士団!我々は国の希望を背負ってここにいる!」
「クハハ!それを言うなら俺達だって魔王様の期待を背負ってんだ!ここでくたばれ、クズ肉共!」
「隊長!魔王城からの連絡は!?」
「未だに無い!クソっ!一体、エルダーさんは何してんだァ!?」
「ここでいっぱい殺しゃあ!俺も幹部になれるよなぁ!?」
「バカ!それどころか"三傑"も夢じゃねぇ!伸し上がるぜぇオレァ!?」
広がる荒野には白きマントを羽織り剣を振るう者達と、異形の姿をする者達の死闘が繰り広げられていた。
アチコチから血が飛び交っており、その現実は少女にとって耐えられない絶望を与える事となる。
「...外も、中も...ダメ....。」
魔王城の中には自分を殺そうとする悪魔が、外には血気盛んな荒れ狂う戦いが、セレナを待ち構えていた。
「いや...もう、お家に...返して...!!!」
少女のすすり泣く声は、誰にも聞こえやしない。
広がる荒野の中で少女は心の叫びを漏らすが、誰にも届かない。
「フェイ...フェイ...!フェイのところに...行きたい」
それは、この地獄の中で、唯一の光と言ってもいい救済の対象だった。
彼女の心を穏やかにしてくれた1人の騎士の名を零す。
だが、フェイは魔王城の中。外には居ない。
「...」
ならば、中に行くしかない。
唯一の光は、魔王城の中にしか無い。
「でも...」
中には、あの白き悪魔もいる。
外は地獄。中も地獄。だが、中の地獄には光がある。
「...フェイの所に行くには...あの人を...」
フェイ・ハイルの元に戻る為には、魔王城の中に再び行くしかない。であれば、魔王城の中で待ち構える悪魔をかわしながら行くしかない。
否、倒すしかない。
少女は、転がり落ちていた高貴な剣を見つけ、そして、歩み出す。
「...行かなきゃ...!」
漆黒の城の中に、1人の勇敢なる少女は再び突撃する。
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恐る恐る、息を殺しながら足を進める。
「---」
自分の存在を悟られるよう、恐る恐る、ゆっくりと。
靴は、音が出るかもしれないので、外で捨ててきた。
多少の痛みが足にかかるが、そんなことはどうでもいい。
あの悪魔を倒さなければいけないのだから。
恐る恐る、確実に。
「っ!!!!!」
悪魔は、壁を見ながら座っていた。
あぐらをかき、セレナが消えた壁を眺めながら、じっと、座っていた。
獲物の帰還を待つように。
「--っ!」
足がすくむ。腕が震える。恐怖が身体を支配する。
それでも、やるしか--
--やるしか、ない!!!
「はあああああ!!!!!」
大きな、大きな剣を思いっきり振りかざす。
男の背中目掛けてめいっぱいに振りかざす。
「--っ!!!」
剣は、斜めに振り下ろされ、背中を見事にきりつけた。
「...あ」
だが、男は少し声を出しただけで、倒れることは無かった。当然だ。
少女が力を振り絞った所で騎士の使う大きな剣を扱える訳もなく、ましてや敵を倒せるはずもなかった。
多少の怪我を負わせたところで、それでおしまいだ。
「...」
少女は、剣を落とし、膝から崩れ落ちた。
自分のバカさを呪った。
自分なんかの力では、剣など扱えぬと、どうして分からなかった。
魔王城に悪魔がいると知っていて、どうして中に入った。
あの時フェイの言葉を無視して、どうしてこの悪魔を助けに行った。
「...やっぱ、後ろから、そのくらいは考えたな。」
「はぁえ?」
男は、自身の背中の黒いマントから剣と鞘を抜き取った。
マントから出てきたのはクロスした様に配置されていた剣と鞘。まるで、後ろから攻撃されるのを分かっていたかのように、それらを構えていた。
「首狙われてりゃあ流石に死んでたけど、やっぱり、君は優しいただの女の子だった。人を殺すのは、流石に怖かったんだよな?」
男は、立ち上がり、振り返った。
「...」
泣きたくなる様な優しい微笑みを向けて、男は、落ち着いた声色で少女の元に歩み寄った。
不思議と、恐怖は無かった。
だって、この顔は、あの時の、
「っ!」
「さて、これで気は済んだかい?」
ポンっと、頭に手を置かれた。
顔を上げると、そこにはさっきとは別人の様な、心が穏やかになるような顔をした--
「俺の話、聞いてくれないか。」
--白い、光があった。




