第30話:夢に名前をつける日
焦んな。
言葉にできないもんを、無理に言葉にしようとすると、
一番大事なとこ、すっぽ抜けちまうからな
――ミドリ姐
団地の広場に、今日も"だんち図書館(仮)"が広がっていた。
ガムテープで補修した段ボール棚。
すこしだけ増えた絵本。貸し出しノートに、つたない文字で並ぶ名前たち。
レンは、その輪の少し外にいた。
(……悪くない。悪くないけど)
なんとなく、胸の奥がそわそわする。
団地の階段を掃除していた古賀さんにばったり会った。
「おー、レンじゃねえか」
古賀さんは、ほうきを肩に担ぎながら笑った。
「図書館、続いてるな。たいしたもんだ」
レンは、なんとなく照れくさくなって、
「まあ、なんとなくっす」と答えた。
古賀さんは、少しだけ真面目な顔になった。
「続けるってのはな、簡単なようで一番むずかしいんだぞ」
それだけ言って、
またほうきを動かし始めた。
(続ける……か)
レンは、ポケットの中の地図帳をぎゅっと握った。
オレは、続けられるのかな。
自分の夢を。
ベンチで、いっちーとももかと一緒にパンをかじっていた。
いっちーが、
「この図書館、将来マジででっかくしてさ!」
って、大きな声で言った。
ももかも、
「もっと本を増やしたいよね」
って嬉しそうだった。
レンは、その会話にうなずきながら、
少しだけ違う気持ちになった。
(オレは……)
団地図書館を大きくしたいわけじゃない。
もっと、ずっと遠い場所を、
まだ見ぬ未来を、自分の足で歩きたい。
夢は、同じ方向にあるようで、微妙に違う。
それが、はっきりわかってきた。
団地の階段で、ミドリ姐に会った。
「あんた、最近、顔つき変わった?」
唐突に言われて、レンはびっくりした。
「そ、そうすか?」
「うん。なんか、腹ん中に"何か"隠してる顔してる」
ミドリ姐は、煙草を吸わない指先で、軽くレンの肩を叩いた。
「別にいいけどさ。焦んなよ。
夢ってのは、隠して育てるもんだから」
レンは、小さくうなずいた。
(……ありがとう、ミドリ姐)
言葉にしなくても、なんとなく伝わった気がした。
レンは、自分の部屋で、地図帳を開いた。
知らない国、
知らない町。
ポツポツと、気になる地名に丸をつけていく。
(オレ、ここに行きたい。ここにも行ってみたい)
そんなふうにして、小さな星印が、地図の上に広がっていった。
そして、ふと思った。
(オレ、これ……なんて呼べばいいんだろう)
「世界一周」とかじゃない。
「冒険家」とかでもない。
でも、この気持ちには、ちゃんと名前をつけたい。
メモ帳を開いて、そして、震える手で一言だけ書いた。
《地図をつなぐ人》
それが、今のレンの夢だった。
まだぼんやりしてる。
だけど、確かに、ここにある。
非常階段で、レンは星空を見上げた。
地図帳はポケットにある。
名前をつけたばかりの夢も、胸の中にある。
(オレは……)
少しだけ強くなった気がした。
未来はまだ遠い。
でも、一歩目は、もう踏み出している。
夢に名前をつけたら、
次は、そいつをちゃんと呼んでやれ。
……それだけで、未来はちょっとだけ近づく
――古賀さん




