回想記①:銀次、未来を捨てた日
未来って、どっちに転ぶか分からないものだと思ってた。
でも、転ぶ前に“見えすぎた”人もいるんだって知った。
そんなの、ちょっとズルいよな。
でも、それでも……俺は、知れてよかったと思う。
——吉本レン
未来屋商店の扉は、いつも通り重かった。
でも今日は、何かが違った。
「ミラジイ……開いてる?」
「……おう。入んな」
いつもなら、ちょっととぼけた調子で迎えてくれるのに、今日はやけに素っ気ない。
店内はひんやりしていて、あの妙に落ち着く金魚の水音だけが聞こえていた。
ミラジイは棚の整理をしていて、こちらを見ようともしない。
「最近さ……未来見ても、モヤモヤすんだよ」
そう言うと、ミラジイの手が止まった。
「そりゃ、お前の“目”が育ってきた証拠だな。未来が、ただのご褒美じゃなくなる時期ってやつだ」
「……ミラジイは、未来って信じてる?」
その問いに、ミラジイは長く息を吐いた。
「話すか。俺がまだ、“ミライ”なんてもんを信じてた頃の話を」
あれは、40年近く前のことだった。
団地の隅っこに、変な遊びばっかしてる子どもが4人いた。
“未来計画”とか“未来部”とか、名前はその日ごとに変わるけど、やってることはひとつ。
「10年後の自分って、どんな顔してんのかな?」
そんなことを、真剣に話し合っては、ノートに書いたり、近所の空き部屋で“未来体験ゲーム”を作ったりしてた。
中でも一番夢中だったのが、ハルってやつだった。
いつも先頭を走って、妙にまっすぐで、そして、ちょっと危なっかしい。
拾ったマイク片手に、「駅の放送やりてぇな」って、笑ってたっけ。
「ハルの未来はさ、駅の放送する人!“2番線に列車がマイリマース”ってやるの!」
笑ってたその口で、こうも言った。
「未来なんてさ、見れたら一番いいじゃん!」
その時は、みんなも笑ってた。
でもある日、俺が調子に乗って、こんなことを言い出した。
「未来って、紙に書くだけじゃダメだ。……実際に“見る”方法、あるかもしんねぇぞ?」
みんなの目が光った。
その遊びは、いつの間にか“本気”になった。
段ボールで作った“未来スコープ”。
ろうそくの火を通して、未来が映るっていう“特製の液”――ただの麦茶だ。
それでも、当時の自分たちにとっては、それは立派な“儀式”だった。
「やろうよ、それ。未来、見たい!」
真っ先に手を伸ばしたのは、やっぱりハルだった。
覗き込んで、しばらく沈黙して――ぽつりと言った。
「……うわ」
「え、見えた? なに? なに見えたの?」
「……見たくなかったかも」
その一言を最後に、ハルは急に変わった。
あんなに元気だったのに、口数が減って、遊びにも顔を出さなくなった。
ある日の夕方。
団地の屋上で、ひとり黙って空を見てたハルに、銀次が声をかけた。
返事はなかった。
でも、ぽつりとつぶやいた言葉だけが、今でも耳に残ってる。
「……未来って、ぜんぶ先に見えたら、生きる意味、なくなるかもな」
それっきり、ハルは団地から姿を消した。
転校だったのか、家庭の事情だったのか、誰もはっきりとは知らない。
でも銀次は、知っていた。
“あの時、“未来を見よう”って言い出したのは、自分だった”。
そして、それからしばらくして、仲間とも自然と会わなくなった。
未来は、“夢”から、“後悔”に変わった。
「……ってのが、俺の過去だ。夢見がちで、バカで、そして、取り返しのつかねぇことをした子どもだった」
レンは、黙って聞いていた。
「でも、なんで……それで“未来屋”なんかやってんの? 危ないってわかってるのに」
「お前らになら……“正しく”未来を渡せる気がしたんだよ」
ミラジイは、ようやくこちらを見た。
「未来ってのはな、“希望”でもあるけど、“呪い”にもなる。
けど、それでも……誰かが見たいって言うなら、俺はそれを用意したいと思った。
今度は、ちゃんと“帰ってこれる”ようにしてな」
レンは何も言えなかった。
でも、何かが胸にずしんときた。
ミラジイの目は、決して優しくはなかった。
でも、責任を背負ってきた人の目だった。
その夜、レンは団地の階段で空を見上げていた。
ももかが通りすがりに足を止めた。
「今日、未来見てないの?」
「……ちょっと、見るのが怖くなった」
「……それでも、見たくなる時ってあるよ」
ふたりはそれ以上、何も言わなかった。
でも、その沈黙は不思議と落ち着いていた。
星が、ほんの少しだけ、瞬いていた。
ミラジイが話してくれたのは、優しい物語じゃなかった。
でも、たぶん、本当の未来って、優しいだけじゃないんだと思う。
未来を見るってことは、
「今をどう生きるか」を、自分で選ぶってことなんだ。
……俺はまだ、怖い。でも、見たいって思った。
——吉本レン(今日は、電気つけて寝る)