番外編②:団地の隅っこ 「古賀さん、団地管理人は見ている」
見るだけじゃ、伝わらねぇ。
でも、見てるだけで救われることもある。
そういうヤツがひとりでもいると、世界ってのは持ちこたえるんだよ。
——未来田銀次
団地の朝は早い。
新聞配達より早く、ゴミ収集よりも静かに、
古賀さんはすでに掃き掃除を始めていた。
誰にも気づかれないように。
でも、誰のためでもなくはない。
「吉本のガキ、今日もベンチでぼーっとしてたな」
「市川のほうは……なんか木の札に“団地図書館”って書いてたな。チョークで」
「ももかって子は、無口だが、誰よりも何か考えてる顔してる」
誰にも聞かれてないのに、古賀さんは頭の中で
子どもたちの名前と行動を記録していた。
「気にしてるわけじゃねぇ」と、いつも自分に言い聞かせながら。
でも、住んでる場所の“空気の動き”を把握するのは、管理人の仕事だ。
そう決めてる
午前11時、階段3の掲示板に貼られた“ポスター”を見た。
「団地図書館・プレオープン(試運転中)」
A4コピー用紙にマジックで手書き。貼り方はガムテでぐしゃ。
(センスはないが、やる気はある)
掲示板から剥がさず、古賀さんは端をそっと直しただけで、そのまま通りすぎた。
夕方、未来屋商店の前で足が止まる。
ドアは閉まってる。だがカーテンの隙間から、銀次の背中が見えた。
煙草をくわえて、何かメモを書いている。
古賀さんは、ため息をひとつついて、心の中でつぶやいた。
「——また、変なガキが迷い込んだのか?」
その目線の先には、団地図書館の看板を運ぶ子どもたち。
その後ろ姿を、銀次とふたり、無言で見送る。
夜。
古賀さんは団地のベンチの脚をこっそり直していた。
ガタつきが気になってたやつ。
誰にも見られず、音を立てず、工具を最小限で使う。
横に置かれたマンガ本を一度開いて、
1ページだけめくって、すぐに閉じる。
そのまま何事もなかったように、背筋を伸ばして歩き出した。
翌日。
「おーい、管理人さーん!ベンチ、昨日より座り心地よくなってるっす!」
市川がベンチで叫んでいた。
「誰か直したんだろうな!いい人って、いるもんだねー!」
古賀さんは無言で、ホウキを動かした。
顔はそっぽを向いたまま。
でも口の端が、ほんの少しだけ、緩んでいた。
その夜、未来屋の棚の一番上。
誰も気づかない場所に、小さなメモが挟まれていた。
《“見てる”だけでも、十分ありがたい。——銀次》
古賀さんはそのメモを数秒見つめ、ふっと息を吐き、
ポケットにそっとしまった。
声をかけるのは、苦手だ。
でも、名前と顔くらいはちゃんと覚えてる。
ガキがガキらしくしてるのは、見てて悪くない。
せいぜい、壊れたもんだけは放っとくな。
——古賀(団地管理人)