君が愛を知らなくても構わない
――あなたを、心から愛しているわ。
血にまみれた身体。
瞳に生気はなく、口から出る声は小さい。
それでも、母は優しく微笑んで。
「…………」
その言葉を最期に死んだ。
当り前の日常が終わった日に聞いたこの言葉を、受け止める事ができたのは、何年も後の話――――。
「ねぇア~ル~」
夕刻の時間に、仕事を終え帰ってきた俺の嫁。
俺の嫁は、冒険者ギルドに所属する、優秀な冒険者だ。
仕事柄、血や汗を浴びた彼女を風呂に入ってくるよう促し、風呂を追えた後テーブルにつく。
そんな彼女と結婚している俺は、家事全般をやり、たまにギルド内での雑用をこなしている。
傍から見れば、俺は情けない男かもしれないが、俺は自分のできることで、彼女が喜んでくれているから、周りからの意見はどうでもいい。
そんな彼女に、準備していた夕食をテーブルに拡げていた時、声をかけられた。
「どうしたエミリー?」
作業続けたまま視線を向けると、テーブルに両肘を載せていた彼女は困ったといわんばかりに眉を寄せていた。
「私さぁどうしてもわからないんだよね」
「何が?」
「愛ってやつが、よ」
首を橫に振って、ため息をついたエミリーを、作業を止めて、見つめる。
「はぁ、さいですか」
答えた後で、夕飯の準備が終わり、俺も椅子に座る。
そんな俺を、じっと見つめていた彼女は呆れたように言った。
「――――私もさぁ、大概な事いってる自覚あるけどね・・・・・・アルもさ、仮にも嫁が愛がわからないって言っているのに、そんな白々しい態度とるのは何なの? ――――もっと違う態度をとれっ」
「何その無茶ぶり――――じゃあ聞くけど、急にどうした?」
段々と語気が荒くなる彼女にそう返すと、少しは落ち着いてくれたのか、声音が柔らかくなる。
「いやね、愛ってさ、ちゃんと意味を理解してるわけじゃないけど、無償とか、相手に求めるものじゃないとか、なんて言うかーーー凄くーー”綺麗”な言葉に思えるのよ」
そうして語りだした彼女の話に、俺は曖昧に頷く。
「あー…………何となく言いたい事はわかる」
「でしょ? っで私あなたの事が好きで、親や周りの反対なんか知ったことか言わんばかりに結婚して一緒にいるし、今はすっごく幸せよ。でもねーー」
そこでエミリーは目線を下げて、ぼそりと言った。
「私、あなたにたくさん求めちゃてる。」
「…………へぇ、例えば?」
俺の言葉に、彼女はいつもの調子ハキハキした調子ではなく、目線を下げてぼそぼそと喋りだす。
「一緒にいてほしい、傍にいて色んなものを一緒に見て、感じて、そんな毎日がずっと続いて、そしてずっと離れないでいてほしい」
言い終わった後に、エミリーはちらりとこちらを見た。
「……相変わらず直球だな、聞いてるこっちが照れるわ」
聞いていて、全身が熱くなる。 顔なんて湯気がでそうなくらいだ。
「それぐらい、あなたが好きってことよ、こ~んな可愛い奥さん貰えてアルは幸せものね」
俺のそんな姿をみて、エミリーの声がいつもの調子に戻った。
それどころか、ニヤニヤと笑っているのだ。
何て質が悪い女だろうと思っても、そんなエミリーを含めて一緒に居ようと決めたのは他ならぬ自分自身。
「・・・・・・ソウデスネ」
だから返せる言葉なんて、こんなもの。
せめてもの抵抗にぶっきらぼうな態度を取ってみても。
「そういう、必死に誤魔化そうとしているとこも可愛くて好きよ」
全てを見透かしたように微笑むのだから、全くもって敵わない。
「ああ、わかったっ。お前が俺を好きでいてくれて、嬉しいっ。だからっ、そのド直球の態度や言葉の凶器をしまってくださいっ。俺が悶絶死するわ!」
「どっちかというと、悶絶死する前にお持ち帰りします」
どこに? とは聞かない。
聞いたらエミリーが即行動に移すのは目に見えている。
「・・・・・・逃げ場所がねぇじゃん」
「ふふ、まぁそんなわけで、私欲しがってばかりでさ、愛っていう言葉にはほど遠いような気がするのよ、それって何か駄目なのかなぁって」
言い終えると、エミリーはまたしおらしくなった。
その姿をみて。
「――いいんじゃないか?」
思った事をそのまま告げた。
俺の言葉を聞いたエミリーが目を丸くさせる。
「えっ?」
「だから、その・・・・・・愛がなくてもいいんじゃないか? 別に一緒にいるのが嫌、とかでもないだろうし、それに、そのす、好きでいてくれているんだろ? なら俺としては問題なし」
多少恥ずかしくなっても、言葉は止めない。
「・・・・・・欲しがってもいいの? それってあなたにしてあげる事に見返りを求めてる事だと思うし、多分愛のように゛綺麗゛なんかじゃないんだよ?」
彼女が、必要のない事で落ち込んでいると思ったから。
だから、俺は彼女の不安を取り除くために、言葉を紡ぐ。
「それって、何か駄目なのか?」
放っておけば、泣き出しかねないエミリーに対して、俺は思った事をそのままぶつけた。
「俺を好きでいてくれて、そのために色々してくれてさ、俺に見返りとかいうけど、それってありがとうとか、嬉しいとか、そういう気持ちを求めているって事だと思うけど、別に普通だろ? 何かしてあげた相手に喜んでほしいとか――それすら求めるな、っていう方がどうかしてるわ」
「ふ、ふーん」
ぶっきらぼうな言い方をしてしまったが、効果はあったようだ。
エミリーの表情は、なんでもないように装っていても、喜びが隠しきれていない。
「だから問題ない、以上」
これで、言いたいことは全部いった。
「へー、ほー、ふーん」
どこまでも、平静を装うとしているが、多分エミリーに尻尾でも生えていれば、ブンブンと大きく左右に振っているんじゃないだろうか?
そう思うくらいに、喜んでいるのがまるわかりだった。
とはいえ、それを素直に口にしたらどうなるかはわからない。
なので、そこには触れず、「さっ、飯にしようぜ」と促すも。
「――――」
俺の言葉に、返答することはなく、夕飯に手をつけようともしない。
「――――」
ただ、こちらを見つめるのみ。
「なんだ、まだ何かいいたい事が?」
「――――アルはさ、どうなの?」
「へ?」
「……私に、何か求めてたりしてる?」
あー、そういうこと?
ここで、エミリーが何を言いたいのか理解した。
今までの会話は、エミリーの想いに対してのもの。
それを踏まえた上で、俺はエミリーをどう思っているか答えろと。
「・・・・・・んー」
自分のこの想いを、言葉にするなら――――。
「どう・・・・・・なの?」
「そう、だな。あえていうとするなら、エミリー」
「何?」
期待と不安が入り交じった瞳に向かって、俺は言った。
「愛してる」
「っ」
「――が答えかな」
そういったところで、椅子から立ち上がるエミリー。
「ずるいっ」
「・・・・・・言うと思った」
落ち着け、と手で座るように促しても、エミリーは落ち着く素振りを見せない。
一応、食卓に並べられた食事をこぼさないよう配慮しているのは分かるが、それもいつまでもつのか。
「そりゃいうでしょう!? 私に散々言っておいて、あなたは愛してるって――」
「いいんだよ、俺は」
「なんで!?」
エミリーは叫ぶと同時に、机から身を乗り出して、俺を見る。
それを見て、苦笑しつつも、ハッキリ告げた。
「だって、俺はもう散々おまえに゛貰ったし゛」
「んんっ?」
ここで、エミリーの勢いが消えた。
身を乗り出したまま、首を傾げる彼女を椅子に座るように促し、エミリーが言う通りにしたのを確認したあと、口を開く。
「俺は孤児で、親はいない。何ももっていない、いないほうがいい、そんな存在だった」
「――――」
当時を振り返りつつ口をひらけば、エミリーは黙り込む。
悪いなと思うけど、これを語らなければ、多分伝わらない。
俺が、今はもう名前も、存在もしない場所で生まれて。
その野党の集団によって、村が襲われた。
小さな村で、争いとは無縁の場所だった。
抵抗など、あってないようなものだったろう。
父さんも母さんも必死に守ろうとしてくれたし、それは他の大人も一緒だったと思う。
けど、結局は大勢が死んでしまった。
生き残ったのは俺含めて、ごく僅かだった。
そして、どうにもならないまま、歩き続けて、辿りついた街。
それぞれが何とか食い扶持を見つけたなか、10にも満たない俺に、行き場などなかった。
みんな、あの時は必死だったから、それをどうこう言うつもりはないのだけど。
でも、あの時向けられたのは、みんなにとって要らぬお荷物でしかなく。
何か言うことも、気力も湧いてこない俺は、文字通り空っぽの存在だった。
『ねえあなた、見た事ないけど、誰? どこの子?』
「そんな俺に、お前は声をかけた。手を引いてくれた。一緒にいてくれた。俺がいないだと駄目だといってくれた。子供頃からずっと」
エミリーと出会いは、そんなどうしようもない時。
冒険者を両親に持つ彼女は、好奇心旺盛で、手当り次第に行動を起こす少女だった。
俺は、彼女との出会いを鮮明に覚えている。
あの時、空っぽだった俺に、声をかけて、事情を知った彼女が手を差し出してくれたから、今がある。
「―――」
俺は平凡で、特別な才能は何も持っていなくて、出来る事は家事と雑用程度のものだけど。
「お前にとって、どこから俺の存在がそういうモノになったかはしらないけど、俺からすれば、俺が欲しいモノをずっとお前はくれていた。だからさ、そうやって俺に色んなモノをくれたから、お前にあげられるモノは全てあげたいと思う」
そんな俺に向けられた笑顔や優しさは、俺にとって希望そのもので、言うならば光そのものだった。
時に、受ける必要のない悪意の言葉や、嫌がらせがあっても、彼女は俺を突き放すことは一度もなかった。
そんな彼女だからこそ思う。
「――」
「愛ってさ、きっと色々な形があって、答えがいくつもあると思うけど、俺は今まで貰い続けたから、今度はその分を返したい。お前が喜んでくれることをしたい。幸せを感じてほしい。ずっとその時間が続けば良い――その感情を、俺は愛と言ってもいいんじゃないかって思う」
「――」
「そして、エミリーの想いが、最初から愛じゃなくてもいいと思うし、最後まで愛にならなくてもいい。どんな形であれ、お前が俺を思ってくれたら、俺は十分幸せだから」
心からの想いを言葉にのせて、俺は笑った。
「だから、お前は無理に俺を愛さなくていい。お前はお前のまま、俺を思ってくれていたら、いいんだ」
脳裏に母さんの最後の姿を思い出す。
愛してる、そう言ってくれた母が浮かべていたのは、笑顔だった。
当時は、何もわからなかったけれど、今ならわかる。
母さんが俺を思ってくれていた事を。
「――アル」
「んっ?」
ゆっくりとエミリーが俺を呼ぶ。
その表情は、先程と打って変わって、笑顔なのは喜ばしい、のだがーー。
「私の言葉にどうこういうけど、あなたも大概よ?」
かうように笑うのはやめてほしい。
「言うな、自覚ぐらいしてるわ、ただ、言わないと納得しないし、それに伝えたいと思ったんだからしょうがないだろ?」
悲しませたくない、笑っていてほしい。
その思いがあったから、口にだした事に後悔なんて何もないけど、だからってからかわれるのをよしとしたわけじゃない。
「ふふ、――――ホントに、あなたは素敵ね」
しかも、優しさを含んでるから、余計に質が悪い。
「・・・・・・もう、いいだろ、そろそろ飯くって、寝るぞ」
なんだか気恥しくなって、食事をすすめる。
「んっ、最後に一個良い?」
エミリーは頷きつつも尋ねてきた。
「何だよ?」
もう、これ以上、余計な事をいったら拗ねるぞ? と目を向けてみれば。
エミリーは、満面の笑みを浮かべて言った。
「大好きよ、アル」
それは、エミリーの嘘偽りのない言葉。
先程と違ってからかうようなものは一切ない、彼女の笑顔に見惚れた。
自然と口が緩み、俺の自分の気持ちを伝える。
「――愛してる、エミリー」
俺の心からの言葉に。
「うん」
彼女は満足気に頷く。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そこから、夕ご飯の時間。
いつもより、少し遅れてしまったため、冷めてしまったけれど。
俺たちは全くきにすることなく、食べ続けた。
いつもと違い、静かな時間だけど。
とても満ち足りた時間だった。
それから数年後。
エミリーとアルの間に子供が生まれ、彼女は愛をしる。
彼女は、子供が幸せになることを願い、そこに求めるモノなどなかったから。
ただ、エミリーがアルを愛したかどうか――。
――それを知るのは二人だけだろう。
最後まで読んで頂きましてありがとうございました。